その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は福島範治さんの『 負債1400億円を背負った男の逆転人生 鹿沼カントリー倶楽部再生物語 』です。

【はじめに】

 「鹿沼グループは先進的な取り組みをしている、ゴルフ業界のモデル企業だ」

 先日、ある同業者からこんな言葉をかけてもらった。当社がこのように評される立場になったことに私自身、驚きを覚えている。
 確かに、鹿沼グループは業界初、栃木県初となるさまざまな取り組みを手掛けてきた。35歳以下限定の「U35会員制度」や9ホール限定の会員制度の導入。アウトドアとゴルフの融合。ゴルフコースを使った花火大会。
 従来の常識からすると「メンバーから不満が出る」「理事や経営陣を説得できない」などの理由から二の足を踏んでしまうようなことにも、一歩踏み込んで取り組んできた。
 人的資本を重視し、しっかり投資しているのも先進的と言われるゆえんだろう。社員の平均年齢は39歳で、新卒採用した社員の割合は4割を超えている。コース管理に無人芝刈り機を導入するなど、DX(デジタルトランスフォーメーション)や労働環境の改善にも力を注いできた。
 なぜ、我々には、一歩踏み込むことができるのか。オーナー企業だから号令をかけやすいというのはある。だがそれ以上に大きいのは、1400億円の負債を抱えて民事再生法適用を申請し、困難を共に乗り越えてきた社員たちの存在だ。

 再生の過程では悔しい思いをたくさんした。ぶつかり合い、涙を流し、組織が空中分解しかけたことも一度や二度ではなかった。だからこそ、より良い企業にしていこう、社長が言うならば付いていこうと、残った2割の社員たちが実行部隊のキーマンになってくれた。そこに若い新入社員たちが賛同し、業界初の取り組みに果敢に挑戦している。

 ゴルフ産業は長い間、斜陽産業だと言われてきた。
 日本に初めてゴルフ場ができたのは1901(明治34)年のこと。その後、日本にはゴルフブームが三度あった。1957(昭和32)年に、第5回カナダカップ(ワールドカップ)が霞ヶ関カンツリー倶楽部で開催されたことを機に、昭和40年代にかけて第一次ゴルフブームが到来した。第二次ブームは昭和50年代で、1980年半ばには約1500のゴルフ場が林立した。日本経済は右肩上がりで伸び、サラリーマンはこぞってゴルフ場へと足を運んだ。
 その後に訪れたのがバブル経済だ。1億円を超えるゴルフ会員権、シャンデリアを飾ったきらびやかなクラブハウス。バブル経済の落とし子ともいえるゴルフ場が、さらに勢いを増して各地に造られた。ゴルフ会員権の価格もピークに達した。第三次ブームの時期については諸説あるが、私はこのバブル期をそう位置付けている。
 だが、そんな華やかな日々も長くは続かなかった。

 1991(平成3)年のバブル崩壊を機に、会員権の価格は暴落。プレーヤー数の減少とともにプレー単価も急落した。ゴルフ業界のバブル崩壊である。
 1997年には大手ゴルフ場運営会社、日東興業が預託金償還に行き詰まり経営破綻する。そこからはドミノ倒しで、ゴルフ場がバタバタと倒産していった。破綻ラッシュが続くゴルフ業界にハゲタカファンドが舞い降り、銀行の不良債権と化したゴルフ場を一気に買いあさっていった。
 そこから今日に至るまで30年近くも、ゴルフ産業は低迷を続けている。新型コロナ禍でゴルフが「三密にならないレジャー」として注目を浴びたのも束の間、今も業界を取り巻く状況は変わらない。ゴルフ人口はピーク比で半分程度にシュリンクし、ゴルフ会員権の平均価格はピーク時に比べて95%減ほどだ。設備投資の余裕がなく、DXなど後回しというゴルフ場が多い。
 しかし、私たちは変わらなくてはならないのだ。そして衰退期を迎えたゴルフ産業だからこそ、イノベーションによって新たな機会を生み出すチャンスが訪れていると、私は考えている。

 「普通の企業にならなくてはいけない」
 振り返れば2004年に民事再生法を申し立てたとき、私はそう思っていた。
 当時の鹿沼グループは「普通」とは程遠かった。豪放磊落(ごうほうらいらく)で、ワンマン経営者だった父が興した会社は組織の体を成していなかった。

 56人いる役員には親戚が多く名を連ね、全役員の印鑑は父が保管して、すべてを独裁していた。名誉欲と事業欲からさまざまな業態に手を出し、アスレチッククラブから栃木県内の新聞社、六本木のレストラン、タイのコーヒー農園に至るまで30近い関連会社を所有していた。絵画や美術品の収集にも目がなかった。不動産や土地も次々に買いあさった。
 持たざる経営ではなく、「持つ経営」だった。

 バブルがはじけるのとほぼ同時に、鹿沼グループは傾いていった。収入は激減し、ゴルフ会員権も売れない。本社の給与支払いは1994年頃から遅延し、税金の滞納が始まり、銀行の元本はもちろん、利払いすらできない状態に追い込まれた。
 関連会社の閉鎖や事業の切り離しなど、さまざまな手は打ったがダウントレンドは止められず、父は悩んでいた。そして母と私がいる自宅で倒れた。1997年の年末のことだ。
 その翌年、金融機関から私の元に、一本の電話がかかってきたのだった。

 私は父の実子だが、父と母は夫婦の籍が入っていない。私は大学時代にそれを知った。出生のことや母が置かれている立場を考えても、自分が父の後を継ぐことはないと考えていた。小学生のときからラグビーに熱中し、大学卒業後は銀行マンとして懸命に働き、頭取表彰を3回受けた。一流のバンカーとして組織や社会に必要とされる人間になる。そう覚悟を決めていた。
 そんな私にかかってきた一本の電話。「あなたが継がないと、足利銀行は支援できない」という一言をきっかけに、私は銀行マンとしてお金を貸す立場から、巨額の負債を抱える側へと大きく立場が変わった。次から次へと明らかになる鹿沼グループの実態。お金がないことで卑屈になり、友人や知人に会えない日々が数年続いた。

 巨額の負債を抱えた企業の後継者となり、やむなく民事再生法を申し立てたときは、とにかく会社を立て直すことが自分に課せられた役目だと考えていた。だが、時代が変われば企業の役割も変わる。顧客、社員、地域社会、そして自分自身が誇らしいと思える会社にしたい。いつしか会社を守ることだけが経営のゴールではないと思い始めていた。
 志を共にする仲間と自力再生を果たし、さまざまな改革を手掛けるなか、再建しただけでは経営者の本懐を遂げていないと思うようになった。イノベーションを起こし、顧客や社会に鹿沼グループの存在価値を示す必要がある。
 そう信じて歩み続けた結果、今ではESG(環境・社会・ガバナンス)経営を実践する企業として、メディアなどに取り上げられるようになった。そして、次々に現れる課題や危機を乗り越えながら会社が再生するのと同時に、自分自身も再生していったのだった。

 この本は鹿沼グループという企業と、経営を担うことになった私自身の再生の物語である。第1章では、銀行からの一本の電話を契機に運命のレールが変わっていくさまを書いた。そして私自身の生い立ちと、私の家族の生き方を振り返った。
 人は誰しも、生まれてきた意味や意義が必ずある。そして人は、独りでは生まれてこない。親子とは何か。そのDNAが今の自分にどうつながっているのか。記憶をたどることで他者からの愛情に気づくとともに、父のジェットコースターのような人生が私自身にも、強い信念をもたらしているのだと気づいた。ルーツやアイデンティティーを知ることは挑戦の原動力になるのだと、読者の皆様にも感じてほしい。

 第2章では、30年の経営者人生の中で最も苦しかった時期を綴った。
 組織や人間関係の混沌。お金のない苦しみと侘しさ。自宅を売却せざるを得なくなったときの切なさとやるせなさ。自ら決断して後を継いだものの、想定外の現実に打ちひしがれた。
 それでも些細(ささい)なところに笑いや楽しさがあったのも事実だ。そして、応援してくれる人は必ず現れる。今、苦境に置かれている人たちには、歩みを止めずにあがき続ければ、思いがけない突破口が見えてくるのだと伝えたい。

 第3章では、民事再生という重要な局面を迎えたときの状況をリアルに書いた。
 「ピンチをチャンスに」とよく言うが、鹿沼グループはまさしくピンチをチャンスに変えることができた。ピンチのおかげで、米映画「アベンジャーズ」のような弁護士チームをはじめ、新たな仲間や応援者にも出会うことができた。一度はダメだと思っても、決して腐らないことの大切さを感じ取ってもらいたい。

 第4章では、民事再生が終結を迎え、ようやく水面に顔を出した頃の出来事を綴った。
 この時期に慢心せず、自分の言葉で経営理念を策定したことは、この後に訪れるさまざまな危機を乗り越える上で役に立った。しかし一息ついたと思ったのも束の間。怪文書や震災など、思いがけず次々と危機的状況に見舞われた日々を綴った。
 さまざまなことが起きたが、ピンチは変革の機会になると信じて、結果的に事態を好転させることができた。正解がない時代、いつ何が起きるか分からない。どんな困難も成長の糧になると実感してもらえれば本望だ。

 第5章では、再生から成長へと舵を切った鹿沼グループの現在の取り組みを綴った。
 過去に満足してはいけない。経営再建してきたからこそ、自分たちにしかできない何かがあるはずだ。ゴルフ場のあり方を変えることでゴルフ産業に携わる人が幸せになったり、地域を盛り立てる立役者になったり、新たな出会いの機会を創造したりすることができる。再生は1つの通過点にすぎない。

 そして最後の第6章では、再生の道のりを振り返り、何がキーファクターになったのかを自分なりに分析してみた。窮地に陥っている方にダイレクトに響くと思う。
 思えば、鹿沼グループの歩みは失敗の連続でもあった。成功に再現性はないが、失敗には再現性がある。そしてピンチはチャンスに変えていける。

 今まさに困難な状況に置かれている人にこそ、本書を読んでもらいたい。どうか希望を捨てないでほしい。必ず霧は晴れる。雨は上がり、太陽は昇る。そのとき、あなたは今よりはるかに強く、幸せを味わえる人になっているはずだ。


【目次】

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