次期日銀総裁の候補で経済学者の植田和男氏の著書 『ゼロ金利との闘い 日銀の金融政策を総括する』 (2005年刊行)の「はじめに」を紹介します。日銀審議委員として戦後最大の経済危機に立ち向かった植田氏が、デフレ、実体経済、ゼロ金利政策の効果を分析。日銀の出口策を展望しました。
【まえがき】
本書は一九九八年四月の新日銀法施行から直近(編集部注:2005年刊行時)までの日本銀行の金融政策について分析、解説したものである。私は、一九九八年四月から二〇〇五年四月まで日本銀行政策委員会審議委員として、金融政策の立案、決定のプロセスに参画する幸運を得た。その経験をややアカデミックなかたちで再構築したものが以下の内容である。もちろん、それは日本銀行の公式見解ではなく、私個人の意見、解釈である。
この時期の日本経済、日本銀行を取り巻く環境は厳しいものだった。いわゆるバブル崩壊後の資産価格下落は続いていたし、その影響もあって何度もきわめて深刻な金融システム不安を経験した。日本経済の低迷は一般物価に波及し、消費者物価指数は一九九八年以来、緩やかなぺースとはいえ下落を続けている。短期金利はゼロまで、長期金利も世界史上最低の水準にまで低下した。この中で日本銀行はゼロ金利政策、量的緩和政策、株式、資産担保証券の買い取りのような通常の中央銀行には見られないような政策を実施した。
いろいろな政策が試みられたものの、本書執筆時点ではまだデフレがはっきり終焉したという状況ではない。政策担当者として結果を出す(デフレを止める)ことがなかなかできないことの焦燥感は強かった。当然とはいえ、メディアを通じるものも含めて日本銀行批判は予想を超えるものだった。
しかし、滅多にないことを多く経験したという意味では、根が学者の私にとっては貴重な七年間であった。さらに、厳しい環境の中での政策立案に際して経済学がどう役に立つのかという点を考え続けることができたのも同じく得がたい経験であった。記憶が新鮮なうちにまとめておこうと本書の執筆を思い立った次第である。
先に述べたように、この時期の日本銀行が実施した政策は主に三種類である。①ゼロ金利政策、量的緩和政策両方に含まれるいわゆる時間軸政策、②ゼロ金利を実現するのに必要な以上の流動性の供給、③その裏での非伝統的ともいえるさまざまな資産の購入である。特に時間軸政策は、ゼロ金利制約に直面した日本銀行がさらに一段の金融緩和効果を狙って考え出した政策である。本書は、革新的な要素を多く含むこの政策の解説にかなりのぺージを割いた。将来の金融緩和の前借りともいうべきこの政策の誕生に至る経緯、影響だけでなく、問題点にも触れた。その中で学界での金融政策論議との関連も議論している。
本書では、こうした政策の効果が(デフレを早めに終結させるに至らなかったという意味で)思ったほどではなかった理由として、日本経済のさまざまな主体がいわゆる「構造調整」の過程にあった点を挙げている。特に金融機関は株価、地価の下落、不良債権の急増等により、深刻な自己資本制約に直面した。これがしばしば深刻な信用危機、流動性危機につながり、金融システムの金融仲介能力は著しく傷ついた。時間軸政策等を駆使して中長期ゾーンまで金利を低位に安定させたにもかかわらず、総需要刺激効果が弱かった主因と考えられる。
金融システム問題の深刻さゆえ、日本銀行のこの時期の政策は、通常の意味での金融緩和策という面と、金融システム問題への対処策という面の両方を兼ね備えていたことが多い。例えば、短期金利=ゼロの状態を長く続けるという約束(=時間軸政策)は、より長めの金利に低下圧力を及ぼすとともに、潤沢な流動性供給が長く続くという安心感を金融機関に与え、流動性懸念から生じる金融システム不安を和らげる効果を持った。
それにしても流動性の問題は別にして、金融機関の自己資本不足に十分に対応する手段を日本銀行は持ち合わせていなかった。結果として、金融緩和効果はなかなか浸透しなかったわけである。本格的な事態の改善は、二〇〇三年以降の全般的な構造調整の進展、株価、地価の反転等を待たねばならなかった。
本書の構成は、以下のとおりである。まず第1章で以上述べたような日本経済の最近の姿をマネー、物価、金利、金融システムに焦点を当てて概観し、全体へのイントロダクションとする。この時期の金融政策をめぐる議論はさまざまな新しい試み、マクロ金融政策と金融不安対策の両面性等のために混乱しがちである。そこで第2章で現実の政策の展開に対してやや後追い的に発展したものではあるが、ゼロ金利周辺での金融政策についての最近の理論を簡潔に整理する。その方が全体の展望がすっきりすると思うからである。その上で第3章では最近の日本銀行(及びFED)の政策について年表的に具体的に整理する。
第4~6章は主に時間軸政策の解説、分析にあてられる。第4章では時間軸政策が導入されるに至った経緯を「金融政策決定会合議事要旨」等を用いながら解説する。第5章では、この政策の導入が当時の学界におけるゼロ金利周辺での金融政策論議とどういう関係にあったかが議論される。両者は相違点が残るものの、本質的には同一のものというのが私の見方である。ただ、日本銀行が学界の議論を見ながら時間軸政策を考えていったわけでもない点はおもしろい。第6章では、より技術的に時間軸政策が金利の期間構造に与えた影響の分析例を紹介する。
第7章では、短期金融市場における金利のばらつきに関する分析例を紹介する。この市場でのリスク・プレミアムに金融政策がどう影響したかが分析されている。時間軸政策、そして大幅な流動性供給の裏で実施された短期金融市場での長めの資金供給オペレーションが、リスク・プレミアムを引き下げる効果を持った可能性が強いことが示される。日本銀行の金融政策が金利引き下げと金融システム不安緩和の双方に寄与したという点の例にもなっている。以上の分析を受けて、同章の最後ではこの時期の日本銀行の政策の効果を暫定的だが評価する。
第8章は、先に触れたように金融緩和の効果が期待されたほどには浸透しなかった背景として、過去十年強の日本のマクロ経済動向をきわめて大づかみに整理する。金融システムの問題がなくても日本経済が調整期入りしていた可能性、しかしそれが金融システムの問題との間で悪循環を引き起こし、調整をより長く深いものにした可能性、その中での一般物価デフレ、資産価格デフレの意味等が議論される。
この議論を踏まえて、第9章は、そうした難しい「構造問題」を抱えていたとしてもより強力な金融緩和措置を実施して早めにデフレを食い止める余地がなかったのかどうかという点を議論する。私の意見は、そうした措置は考えられなくもないが、制度的に実現不可能であったり、別の深刻な問題を発生させていたかもしれないというものである。
日本銀行在職中はきわめて多くの方々にお世話になった。速水優・福井俊彦両総裁、藤原作弥・山口泰・武藤敏郎・岩田一政各副総裁にはさまざまなご指導をいただいた。これらの方々に加えて、延べ一一人の審議委員の方々と議論を重ねることができた。また延べ二〇人の理事の方々にもいろいろ教えていただいた。うちお二人はすでにこの世に亡く、この間の日本の金融界を取り巻いた環境の厳しさを改めて思い起こさざるを得ない。
毎日のように続いた若手の方々との議論も貴重な経験であった。七年間の間、佐藤和哉、井上哲也、重見庸典の三氏は私のスタッフとして、八島悠子、四方亜希子のお二人は秘書として日々の活動を支えてくださった。こうしたすべての方々との議論、一部共同研究等が本書の土台になっている。白川方明理事、山口広秀企画局長は本書の草稿に目を通し、貴重なコメントをくださった。学界、市場関係者、マスコミの方々からも教えられることが多かった。この場を借りて皆様方にお礼を申し上げたい。もちろん、本書は私個人の見解であり、日本銀行関係者には金融政策について別の見解をお持ちの方が多数いらっしゃることを蛇足だが付け加えておく。
日本経済新聞社出版局の平井修一氏は執筆が遅れがちな私を最後まで励まし、本書の完成まで導いてくださった。東京大学大学院経済学研究科に新設の金融教育研究センターからは研究費援助をいただいた。厚くお礼を申し上げたい。
二〇〇五年一一月
植田和男
【目次】