その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は伊藤耕三さんの『 プラスチック・クライシス 日本発の新発見と技術革新が世界を救う 』です。

【はじめに】

 「このデータ、何かの間違いじゃないですか?」

 最初にグラフ(数値)を見たとき、私だけではなく、プラスチックやポリマーの開発に関わる研究者全員がそう思いました。「これが事実なら教科書を書き換えないといけない」と。

 私たちは、日本発の破壊的イノベーションの開発を目指す「ムーンショット型研究開発事業」(以下、「ムーンショット」と表記)の中で、2020年度より海洋生分解性プラスチックの開発に取り組んでいます。私はそのプロジェクト・マネージャーを務めており、40年以上、東京大学でポリマーの研究開発に取り組んできました。このプロジェクトチームを編成する際、ポリマーの開発研究における日本のスーパースターともいえる科学者の方たちと、一流の企業の研究者たちに声をかけ、ポリマー開発のドリームチームを結成することができました(詳細は後述します)。

 研究の一環として、愛媛県愛南町で、地元の漁業関係者の方々や愛媛大学などの協力を得て、世界最大規模の海洋フィールド試験を2023年6月から実施しています。その目的は、プロジェクトで開発している生分解性のポリマー材料(一部、対照実験として、非分解性のポリマー材料)を1カ月から6カ月、海の中に沈めて、分解挙動を測定することでした。

 このプロジェクトチームで開発を目指しているのは、間違って海に流れても、自然の中に存在する細菌などによって分解されて自然に戻る海洋生分解性の釣り糸や漁網などです。すでにご存じの方も多いと思いますが、現在市販されている釣り糸のほとんどは、使用中に切れて海へ流出した場合、生態系への悪影響や海洋汚染が懸念されており、世界的に大きな問題となっています。

 世界のプラスチック生産量は年4億トンを超えています。国際自然保護連合(IUCN)によると、そのうちの1200万トンが毎年、海に流出し、すでに累計1億5000万トン以上が「プラスチックごみ」として海に存在しています。そして、このプラごみのうち、少なくとも5%が、漁業用ロープ・漁網・仕掛けなど漁業由来の海洋プラスチックごみだと推計されています。また、毎年、全漁具の約2%が海洋で失われているという研究結果もあります(Richardson et al. 2022, Science Advances)。

 通常、プラスチックは丈夫で、自然環境の中では、ほとんど生分解しません。しかも、流出した釣り糸や漁網など(ゴーストギア)が、海を漂っているうちに、魚などの海洋生物を捕獲し(ゴーストフィッシングと呼ばれています)、生態系などに悪影響を及ぼしています。皆さんも、報道などで、漁網が絡みついたウミガメの写真などをご覧になったことがあるかもしれません。

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 釣り糸や漁網などの漁具に使われているプラスチックの素材を、自然の中にいる菌が分解してくれる「生分解性」に置き換えていくことができれば、ゴーストギアやゴーストフィッシングの問題解決に向けて大きく前進できます。

 冒頭で紹介した愛媛県愛南町のフィールド試験で、私たちは大発見をしました。それは、ムーンショットで開発していた生分解性プラスチックのほうではなく、比較対照のために沈めていた従来の非分解性とされていた釣り糸のほうに、誰もが予想していなかった結果が現れていたのです。

 現在市販されているナイロンの釣り糸を海中に何種類も沈めたのですが、その中で、ある特定の種類の釣り糸だけ、明らかに生分解していたのです。

 少し細かく説明すると、日本で売られている釣り糸には、主に、ポリエチレン、ポリエステル、フッ素樹脂、ナイロンという素材が使われています。生分解性を示したのは、ナイロン6とナイロン66をある比率(86対14)で共重合させた製品でした(重合については、第3章で説明します)。不思議なことに、ナイロン6とナイロン66の重合比が95対5の製品はほとんど分解していません。

 私は、初めてこのデータを見たとき、「うそだろう。間違いに決まっている」と思いました。いや、プラスチックやポリマーを研究している科学者なら、誰でもそう思います。なぜなら、「ナイロン6やナイロン66は生分解しない」というのが化学界の常識であり、大学の教科書に載っていることだからです。それを疑う人はまずいません。

 私たちは確認のための実験を、東京大学と九州大学、化学物質評価研究機構(CERI)の3機関で、独立に近隣から海水を取ってきて実施しました。3機関とも、ムーンショットのメンバーです。すると、3機関とも同じ結果が出たのです。それにより、ナイロン6とナイロン66をある比率で共重合させた素材の釣り糸が生分解性を有していることが確実になりました(ナイロン6とナイロン66は、単体では生分解しません)。すでに、世の中で売られている釣り糸の中に、優れた生分解性を示す製品があったことは、天地がひっくり返るほどの大きな驚きでした。

 ちなみに、海洋生分解性の釣り糸はすでに存在し、市販されていますが、残念ながら強靭性に難があるなど釣り糸としての性能は劣っていて、しかも値段が高いので、ほとんど普及していません。それに比べて、ナイロン6とナイロン66の共重合体(コポリマーと言います)の釣り糸は強靭かつ価格も手頃なので、一般に広く使われています。

 私たちは、ナイロン6とナイロン66の共重合体(ナイロン6/66共重合体)が持つ生分解性について、そのメカニズムをさらに解き明かし、使用のニーズに合った分解曲線を描くように、製品を設計できるようにしていきたいと考えています。

 例えば、釣り糸は、海で使っている最中に分解し始めて切れてしまったら役に立ちません。数時間あるいは数日は海水中で強靭性を維持しつつ、ある日数以上、海水に浸り続けた場合に限り分解が始まるように設計できれば、仮に、使用中に釣り糸が切れて海に流れても、海中や海底にいる菌が糸を分解してくれるため、ゴーストフィッシングなどを防げます。

 一方、漁業などで使う漁網やフロート・ブイは、釣り糸とは異なります。海に浸かっている時間が長いため、分解が始まるタイミングを釣り糸よりも遅らせる必要があります。今後、「ナイロン6/66共重合体」の分解メカニズムが解明できれば、用途に応じて、分解性能をコントロールして、使用用途に最も合った製品を設計できるようになると考えています。

 日本は、海に囲まれた海洋国家です。漁業も一時よりは落ち込みましたが、まだまだ盛んです。その日本から、海洋プラスチック汚染に対する一つの有力な解決策を打ち出し、世界に広めていきたいというのが、私たちの願いです。

 プラスチックをめぐる環境問題は、ほかにもたくさんあります。そのすべてに答えを出していくことは困難ですが、社会的インパクトの大きな分野に対して、私たちはムーンショットを通じて、日本の最先端テクノロジーとサイエンスと知恵で課題と向き合い、解決策を見つけ、社会に実装していこうとしています。詳細については、このあとの第1章で述べます。

 もちろん、ムーンショットの予算は限られているので、取り組む対象も、重点ポイントに絞っています。私たちは、釣り糸・漁網などとともに、化学肥料問題やタイヤの摩耗粉問題の解決にも取り組んでいます。

 化学肥料とプラスチック? 何の関係があるのかと思われるかもしれません。実は今、農業では、プラスチック樹脂でコーティングされた農薬や肥料、つまり、被覆農薬や被覆肥料が、特に稲作農家で大量に使用されています。

 被覆していない肥料は、まいた直後に植物が一部を吸収しますが、7~8割は吸収されずに雨で流されたり地中に吸収されたりします。そのため、何回かに分けてまく必要があります。一方、被覆肥料は、コーティングされた樹脂が水分を含み、そこから中身の肥料成分がじわじわと時間をかけて外に染み出していきます。そのため植物の吸収率が高く、一度まけば数カ月間、効果が持続します。これにより、使用する肥料の量が少なくて済み(これは土地の富栄養化の軽減にもつながります)、水田や畑にまく回数も大幅に減らすことができます。労働者不足に悩む農家の方々にとっては、救世主ともいえる製品です。

 ところが、被覆農薬や被覆肥料は、いいことばかりではありません。使用後、地中にプラスチック殻(コーティング部分)が残ってしまうのです。土壌を汚染するだけでなく、そこから川や海に流れ出せば、マイクロプラスチックの発生源にもなりかねません。環境ベンチャーのピリカが自治体や大学の協力を得て、日本の海中や海底にあるマイクロプラスチックを調査したところ、最も大きな割合を占めたのは人工芝(25・3%)で、その次がコーティング肥料(16・2%)と、大きな比率を占めていることがわかりました(マイクロプラスチック等の流出実態調査2020年度版)。

 ムーンショットでは、被覆肥料のコーティング部分を生分解性にする研究開発を進めており、第6章で詳しく紹介します。


 実は、私は、ムーンショットのプロジェクト・マネージャー(PM)を務めつつ、もう一つ、内閣府主導の国家プロジェクト「戦略的イノベーション創造プログラム(以下、SIPと表記)」で「サーキュラーエコノミーシステムの構築」のプログラム・ディレクター(PD)を務めています。

 ここで重点的に取り組んでいるのは、自動車などに利用されているプラスチックのサーキュラーエコノミーです。

 自動車の材料には、鉄などの金属とともに、プラスチックも大量に使われています。乗用車でいえば、総重量の約16%がプラスチックなどの樹脂でできています。少し大ざっぱに言うと、金属は回収して溶かせば、もう一度、車の材料として使うことができます。ところが、プラスチックの場合はバンパーなど一部の部品を除き、そう単純ではありません。金属のように溶かして固めただけでは、強靭性などの物性が大幅に低下し、すぐに割れたりするほか、見た目も悪くなってしまいます。さらに、プラスチックや樹脂の中には、グラスファイバーや炭素繊維が含まれた強化プラスチックなど、リサイクルに向かないものも少なくありません。そのため、自動車の場合、再生プラスチックの利用はほとんど進んでいないのが現状です。

 ところが、2023年ごろから状況が大きく変わりつつあります。欧州連合(EU)が、自動車製造において、一定比率で再生プラスチック材の使用を義務づける方針を打ち出したからです(詳しくは第4章参照)。これは、欧州ELV規則(End-of-Life Vehicles=廃自動車)と呼ばれるもので、実行されれば、当然、EUに輸出している日本の自動車メーカーにも適用されます。ELV規則が実際に適用されるまでには、原稿執筆時点(2026年2月)からまだ6年程度の猶予がありますが、国全体のプラスチック回収・再生材供給の仕組みを整えなければならないことを考えると、準備期間はかなり短いと言わざるを得ません。

 現段階で言えるのは、新車製造に使える再生プラスチックの量は、圧倒的に足りないということです。仮に、このまま時が過ぎて、欧州ELV規則が実施されたら、日本の自動車メーカーはEUに新車を輸出できなくなります。

 SIPでは、まず日本の基幹産業である自動車産業において、プラスチックのサーキュラーエコノミーの仕組みをデザインし、社会実装しようと考えています。そして、自動車業界である程度、実用化のめどが見え始めると同時に、家電、建設資材、容器包装などの分野に広げていこうと構想しています。


 前置きが長くなりましたが、本書では、私が関わっている二つの国家プロジェクトであるムーンショット(生分解性ポリマーの開発)とSIP(サーキュラーエコノミーの構築)での成果を中心に、今後日本がプラスチックのサーキュラーエコノミーという社会課題にどう向き合っていくべきか、私なりの考えを述べていこうと思います。

 ムーンショットに関しては、プラスチックによる海洋汚染という環境問題へのソリューションの検討が中心になります。一方、SIPに関しては、環境問題というよりも、欧州の環境政策への対応が核になってくると考えています。欧州は地球温暖化対策と成長戦略の両立を狙った欧州グリーンディールという政策を打ち出しており、グリーンテックを経済成長のドライバーに据えています。純粋に環境課題を解決するというよりも、EUの経済的優位性の維持や繁栄のために、環境規制やルールメイキングを「競争力」としてうまく活用している面があります。そのあたりのしたたかさも考慮に入れて、対応すべきです。

 本書ではこの二つの柱のほか、プラスチックやポリマーについて理解を深めるためには、最低限の化学の知識が欠かせないということで、普段、化学にあまりなじみのない文系の方々にも理解できる「超入門 文系のための高分子化学(第3章)」も載せました。高分子化学に詳しい方は、この部分を飛ばして読んでいただいて構いません。

 プラスチックはもはや人類に欠かせない材料となっており、プラスチックのない社会に立ち戻ることはできません。けれども、今の状態を放置していたら、地球はプラスチックごみであふれていくと考えられます。プラスチック汚染に関する国際条約の締結交渉なども進む中、今こそ、日本の技術者魂の発揮しどころではないかと、高分子化学研究者のひとりとして私は考えています。

 本書は、プラスチック問題のほんの一部分に光を当てているだけかもしれませんが、プラスチックについて深く知ることで、皆さんのプラスチックに対する理解と、資源再利用のための行動に少しでも良い影響を及ぼすことができれば、著者にとって望外の喜びです。

伊藤 耕三


【目次】

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