その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日はラム・バラ、ナタラジャン・バラサブラマニアン、アミット・ジョシ(著)、森健(訳)の『 AI中心の経営 THE AI-CENTERED ENTERPRISE:ACE(エース)への組織改革 』です。「日本語版への序文」をお届けします。
【日本語版への序文】
本書を執筆した際、我々は1つの疑問を抱いていた。単にAIを利用する企業と、AIによって真に変革される企業との違いは何なのか。その答えは、企業がどれだけのAI技術を購入するかとはほとんど関係なく、むしろAIを中心に組織構造、業務フロー、文化を根本的に再考するかどうかに関係すると気づいたのだ。この違いが最も重大な意味を持つのは、日本をおいてどこにもない。
本書が日本の読者の手に渡ったことを光栄に思うと同時に、この序文を真に切迫した思いで書きたいと思う。日本は岐路に立っている。日本企業に迫るプレッシャーは構造的・人口動態的なものであり、循環的なものではない。それらは自然に解消されることはない。しかし同時に、日本には独特の文化・産業面での強みも存在する。これらが適切なAI戦略と結びつけば、競争力の再生をもたらしうる。本書はまさに、企業リーダーがそれを達成する手助けをするために書かれたものである。
構造的課題であって技術トレンドではない
日本の人口問題の深刻さは、いくら強調しても足りないほどだ。日本の労働年齢人口は1995年から減少を続けている。現在、人口の約30%が65歳以上であり、主要経済国の中で最も高い割合だ。リクルートワークス研究所の分析によれば、2040年までに日本は最大1100万人の労働力不足に直面する可能性がある。OECD(経済協力開発機構)によれば、1990年から2022年にかけて日本の実質GDP成長率は年率わずか0.8%で、G7諸国中2番目に低い水準だった。この傾向は労働年齢人口の減少と直接結びついている。
こうした背景のもと、日本はG7諸国中、最も低い労働生産性を記録している。これは複合的な問題を示している。すなわち、労働人口が減っていることと、労働者1人・1時間あたりの生産量も低下しているのだ。従来の対応策──女性や高齢者の労働参加率向上、慎重な移民政策──は限定的な効果しか上げておらず、1100万人の労働力不足を埋めることはできない。文脈認識AIに支えられた、企業組織の根本的な再構築だけがそれを可能にする。
これは悲観論ではない。真の戦略的機会の出発点だ。日本の労働力制約こそが、AI中心企業を単なる望ましい存在ではなく、必要不可欠なものとする圧力になっている。日本のリーダーにとっての課題は、変革すべきかどうかではない。時間内に変革できるかどうかだ。野村総合研究所が提唱する「AIで拡張する社会」は、日本の未来について一歩先を見通している。その社会ではAIが重要な役割を果たすのだ。
認知と変革のギャップ
AIに対する日本人の認知度は高く、上昇傾向にある。GMOリサーチ&AIの調査によると、2025年2月時点で日本のユーザーにおける生成AIの利用率は42.5%に達し、前年同期の33.5%から上昇した。ビジネスプロフェッショナルの職場での利用率は同時点で19.2%となり、6か月前の15.7%から上昇した。矢野経済研究所が453社の日本企業を対象に実施した調査では、2024年半ばまでに全社的または部分的な生成AI利用が25.8%に達した。これは12か月前のわずか9.9%から増加した数値だ。この傾向は明らかである。しかし問題は、その導入実態にある。総務省が発表した『令和7年版情報通信白書』によれば、AI導入を推進する積極的な方針を持つ日本企業はわずか23.7%である。さらに顕著なのは、AI導入を検討すらしていないと回答した日本企業が13.2%に上ることだ。この割合は米国、ドイツ、中国(いずれも2%未満)の6倍以上も高い。
これらの数字は、日本がAI導入の初期段階にあることを示していて、AI中心の変革段階とは言えない。これは日本の伝統的企業と仕事をする際にも見られる現象だ。これまでのAI導入の大半は漸進的だった。既存ワークフローへのAI適用、レガシーシステムへのAIツールの追加、人間が実行しているタスクの加速にAIを活用するといった形だ。これはまさに、現代の戦略的なあやまちだと本書が指摘するパターンである。既存プロセスへのAIの追加は、その潜在価値のごく一部しか捉えられない。今後10年のビジネスを定義する組織──日本でも世界でも──は、AIをビジネス基盤の中心にして自らを再設計する組織である。
AI時代における日本の隠れた強み
国際的な批評家らが時折指摘するように、日本の企業文化は本質的にAI主導の変革に適さないと見なされることがある。日本企業は合意形成を重視しすぎる、階層的すぎる、慎重すぎるのでAIが求めるスピードで動けないというのだ。だが我々はこれに同意せず、証拠もこれを裏付けていない。
AI中心企業に実際に求められるものを考えてみよう。AIシステムは、それが稼働するワークフローやデータ環境の質に依存するため、プロセスへの細心の注意が求められる。RAG(検索拡張生成)、ファインチューニング、エージェントシステムといった技術に基づく文脈認識AIは知識管理の厳密さを要求するため、品質とエラー削減への規律あるアプローチが必要だ。また、AI支援型意思決定においては、人間を中心に据え、AIを人間の専門知識の代替ではなくパートナーとして扱う文化も必要になる。さらに、成果を期待する前に、人材とインフラへの忍耐強く体系的な投資が必要だ。
これらは異世界の文化の描写ではない。カイゼン、モノづくり、何世代にもわたって日本の製造業の卓越性を支えてきた自働化(じどうか)の原則の描写である。自働化、すなわち各工程に品質チェックを組み込み、異常発生時に作業員がプロセスを停止する権限を与える実践は、本書が提唱する「ヒューマン・イン・ザ・ループ(人間がループ内に存在する)AIガバナンス」とほぼ完全に一致する。日本の産業哲学をAIに厳密に適用することは、競争上の武器であり弱点ではない。
研究者が「導入前に広範囲で慎重な評価を好む傾向」と呼ぶ日本のAI導入アプローチも、本書が述べる「責任あるAI展開」に直接対応する。欠陥のあるAIシステムを企業運営に深く組み込んでしまうようなリスクがある場合、日本の慎重さは弱点ではない。それはデューデリジェンス(適切な注意義務)である。その慎重さを無期限の先延ばしにするのではなく、構造化された変革へと導くことに日本企業のチャンスがある。
日本企業はすでに道を示している
我々が協力している企業の中には、すでにこの方向へ進んでいるところもある。AI中心の考え方を日本企業の規律と規模で適用したときに何が可能になるか、その一端を垣間見せてくれる。
トヨタはその最も示唆に富む事例の1つだ。トヨタはAIベースの品質検査・製造最適化プラットフォームを、日本国内の10か所の自動車・ユニット製造工場すべてに導入した。2024年12月に公開されたグーグルクラウドの事例研究によれば、このプラットフォームによりトヨタはモデル作成時間を20%短縮し、製造工程から年間1万時間以上の労働時間を削減した。一方、プラットフォーム上で作成されるAIモデルの数は、2023年の8千から2024年には1万に増加した。トヨタはこのAI導入を、長年の自働化(じどうか)哲学と明確に結びつけていて、AIが行う意思決定に人間の監視を構造ブロックとして組み込むようにしている。これとは別に、トヨタと富士通は生成AIで協力し、コアシステムプログラムの更新を自動化した。約1万5千のJavaおよびSQLJファイルの更新時間を50%削減し、2025年1月から商用利用を開始している。さらに2024年10月、トヨタとNTTは2030年までに5千億円(約33億ドル)を投じ、自動運転インフラと道路の安全性向上を目的とした、モビリティAI基盤を開発する共同イニシアチブを発表した。プラットフォーム開発は2025年に始まっている。
本書においてトヨタのアプローチが重要となる理由は、投資規模だけではない。そのアーキテクチャ思考にある。トヨタは既存工場の効率をわずかに上げるためだけにAIを使っているのではない。AIを中核能力として、製造業務のデータ環境、スキル基盤、生産ロジックを再設計しているのだ。これこそがAI中心企業への実践である。
ソフトバンクは組織レベルでさらに踏み込んだ。同社は全従業員が日常業務で積極的にAIを活用する「AIネイティブ集団」への変革を公約している。2025年末までに、ソフトバンクは社内利用向けに約250万のカスタムGPT(特定業務に合わせて構築したAIエージェント)を生成したといわれている。同年11月にはソフトバンクとオープンAIが50-50の合弁会社「SBOAIJapan」を設立し、「クリスタル・インテリジェンス」と呼ばれるパッケージ型企業向けAIソリューションの開発・展開を開始。これはオープンAIの機能を日本市場向けにローカライズした実装&システムインテグレーションサービスである。ソフトバンク自身の業務が最初の実験場となり、社内導入で得た知見が段階的に企業顧客と共有される。孫正義CEOはこの野心を明快にこう表現している。「AIエージェントは我々の目標を理解し、相互に連携して自律的に遂行すべきタスクを実行する」。これは本書が企業AIの最前線と位置づけるAIエージェントの階層を正確に言い当てている。
富士通の取り組みも同様に示唆に富む。同社の「テクノロジー&サービスビジョン2025」は、人とAIエージェントがそれぞれの能力を活かしシームレスに協働するビジネス未来像を提示している。同社は業界横断的にAIを展開中だ。豊田自動織機トヨタL&Fカンパニーと共同開発した、フォークリフトの運転動画AI解析システムや、企業が安全に情報を共有し社会課題に取り組む業界横断のデータ連携プラットフォームなどがその例である。重要なのは、富士通がAI導入を生産性向上ツールではなく、バリューチェーン全体を再設計する取り組みと位置づけている点だ。
こうした企業は例外ではない。日本企業全体が早急に参入すべき潮流の最先端を走っているのだ。
日本にとってAI中心企業(エース)が意味すること
本書の中心的な主張は、組織がAIツールを選択する際には、自社に固有の状況において最も高い戦略的価値を生み出す領域に基づいて選択すべきだということである。そして、価値創出ネットワーク全体をマッピングして、AIが最大の影響力を発揮するポイントを特定し、導入における主要な課題として人間の側面に対処すべきだ。この枠組みのあらゆる要素には、日本特有の側面が存在している。
価値ネットワークのマッピング作業は、サプライヤーのエコシステムが複雑で、製造企業・物流企業・流通企業間の緊密な相互依存を特徴とする日本の産業構造に特に適している。AIは単一企業の効率化プログラムでは達成不可能な方法で、こうしたネットワーク全体を最適化できる。富士通とヤマトホールディングスがデータを共有して物流効率を改善する提携は、この種のネットワーク横断型AI統合の初期事例だ。
最も重要なのは人的側面である。本書が明らかにするように、AIトランスフォーメーションのボトルネックが技術にあることは稀である。それは人、すなわち従業員がAIシステムと連携し、AIシステムの効力を高める専門知識を提供し、変革が要求する自身の役割変化を受け入れる能力にある。日本の労働力は、高い識字率、継続的学習の文化(カイゼンはプロセスだけでなく人にも適用される)、深い専門知識の伝統を有しており、原理的にはこういった移行に極めて適している。課題は、スキルアップを今すぐ、大規模に、かつ経営陣の明確な支援のもとで開始する必要がある点だ。政府はこの緊急性を認識している。経済産業省のSociety5.0構想、生成AI開発支援のGENIACプロジェクト、2025年5月に制定された「人工知能関連技術の研究開発及び活用の推進に関する法律」は、日本の品質・倫理基準を維持しつつ企業のAI導入を加速させようとする政策環境を反映している。枠組みは整っている。残された課題は、企業リーダーがこの枠組みの中で、この時代が求める大胆さをもって行動することだ。
文化的優位性についてのコメント
世界経済フォーラムは指摘している。日本のAI環境において当初は障壁のように見える要素──精密さへの細心の注意、厳格な倫理基準、合意形成の重視──が、むしろ競争上の優位性となり得るのだと。我々も同意見だ。AIガバナンスに関する国際的な議論は、まさに日本が最も重視する問題点であるAIシステムの信頼性確保、人間によるAIの統制維持、労働と生活の質を悪化させるのではなく向上させるAI導入方法に焦点が絞られつつある。野村総合研究所の調査によれば、日本人の50%以上が政策決定プロセスにおけるAI使用をある程度許容しているが、それも当然といえるだろう。
日本のAI市場は2024年に約89億ドルと評価され、2029年までに279億ドルに達すると予測されている(米国国際貿易局)。日本企業が慎重な導入から真のトランスフォーメーションに移行すれば、この市場はより急速に成長するだろう。技術インフラは整備中である。マイクロソフトは2024年、日本におけるAIとクラウドインフラの拡充に29億ドルを投資すると表明した。理化学研究所、富士通、エヌビディアは次世代スーパーコンピュータ「富岳NEXT」で協業し、2030年頃までに前世代の機械と比べて100倍の性能を目指す。投資は活発だ。問題は、日本企業がこれを漸進的改善の基盤ではなく、トランスフォーメーションのいしずえとして活用する準備ができているかどうかである。
本書の読み方
日本のビジネス文化に精通した読者は、本書の枠組みが日本の優れた経営哲学と相容れることに気づくだろう。文脈を認識するAI──単なる内容だけでなく意図を理解し、特定の組織の特定のワークフローに組み込まれたシステム──を重視することは、日本の「現場」概念と直接的に共鳴する。現場とは、価値が創出される現実の場所であり、その特異性、暗黙知、そして人間の複雑性をすべて包含する。我々が構想するAI中心企業(エース)とは、汎用ツールを上から適用するのではなく、AIを現場に組み込む企業である。
日本の読者は、この枠組みを念頭に各章をお読みいただきたい。AIツールの選定について論じられる箇所では、自社の具体的な業務環境、言語、サプライヤー関係、顧客の期待に最も深くカスタマイズ可能なツールは何かを問う必要がある。自律型AIシステムの構築について論じられる箇所では、それらのシステムが従業員の専門性を置き換えるのではなく、いかに強化するように設計できるかを考えてほしい。トランスフォーメーションに伴う人的課題が論じられる箇所では、日本の合意形成の伝統を、表面的な順守ではなく真の組織的コミットメント構築にどう導けるかを考えていただきたい。
こうした深い思考に取り組み、日本のビジネス文化の真髄である粘り強さと精密さをもって行動するリーダーこそが、この10年で日本のグローバル競争力を回復させ、次の10年を定義するAI中心企業、エースを築く者となる。
ラム・バラ、ナタラジャン・バラサブラマニアン、アミット・ジョシ
【目次】






