その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は玉木俊明さんの『 ダイヤモンド 欲望の世界史 』です。

【序章】人々はなぜこの炭素物質に魅了されるのか

人はなぜダイヤモンドを買うのか

 ダイヤモンドの歴史とは、欲望の歴史である。この高価な商品は、人々の欲望を表しているからである。正確には、人々の欲望がいかにして強くなっていったのかがわかるのである。

 「ダイヤモンドは永遠の輝き」とは、ダイヤモンドのシンジケートを牛耳るデビアスが、一九四八年に世界に向けて考案したキャッチコピーである。このキャッチコピーにより、世の男性は、結婚指輪として、ダイヤモンドを女性に渡すようになっていった。

 そもそもこのキャッチコピー以前には、結婚指輪にダイヤモンドを選ぶということはあまりなかった。だが、一九四八年以降、あっという間に、結婚指輪とはダイヤモンドだという意識が広まっていった。デビアスは、キャッチコピーで、新しい需要を創出したのである。

 指輪となったダイヤモンドは、中古市場に出回ることはない。とすれば、ダイヤモンド市場には、常に新品だけが流通することになる。

 生活必需品から奢侈(しゃし)品まで、人々は、さまざまなものを購入する。なかでも、ダイヤモンドは明らかに奢侈品である。しかも、購入する必要はない商品である。

 ダイヤモンドという宝石は、それ自体を使用することはできない。たとえ大変高価であっても、フェラーリであれば、あるいは自家用ジェット機であれば、それを使用することはできる。ミンクのコートを着れば、人は暖かくなる。だが、ダイヤモンドは、それを見てうっとりするか、他の人に見せびらかすことが最大の効用なのである。宝石としてのダイヤモンド(工業用ではない)は人に見せびらかすためのものだと言っても、言い過ぎではないだろう。

 さらにダイヤモンドは、よほど高価なものでなければ、一度購入したものを売却して儲けることはできない。金や銀なら、販売価格と購入価格が大きく違うということはない。ところがダイヤモンドの場合、非常に高級なものでなければ、購入した価格よりずっと低価格でしか売れないことも珍しくない。こうしてみると、ダイヤモンドにはあまりにも高い価値が付加されてはいないかと不思議に思う方が当然である。

 人々は、他の人よりも少しでも高価なダイヤモンドを購入することで、自分が他の人よりも贅沢をしているという優越感をもつ。ドイツの経済学者ゾンバルトがいうように、人は贅沢をしたいという欲望によって生きているのであり、ダイヤモンドは、その欲望を完全に満たすことができる数少ない商品なのである。

 人は、指にはめたダイヤモンドを見せびらかす。それは、優越の証である。それが、他の人よりも良いものであれば、優越感に浸り、満足する。

 ダイヤモンドは、そういう商品として最適なのである。ダイヤモンドの価値は、蜃気楼と同様、現実をそのまま映し出してはいない。

生成は地中深く

 ダイヤモンドは、砂礫層という地層から見つかる。一九世紀になると、キンバーライトという特殊な火山岩から、世界中でダイヤモンドが発見されるようになった。

 ダイヤモンドは、地表から一二〇キロメートル以上深いところで生成される。キンバーライトをつくったマグマは、揮発成分が多い特殊なマグマである。それが、地表まで一気に噴出してきたものが、われわれが目にするダイヤモンドである。

 地下深くにまで行き渡るパイプ状の火道がある。ダイヤモンド鉱山では、このキンバーライトのパイプを掘ってダイヤモンドを獲得する。

 ダイヤモンドが地中深くで生成されるのと同じ条件が作り出せるなら、ダイヤモンドは人工的に製造できる。人類が長く夢見ていた人工(合成)ダイヤモンドは、現実に生産されることになった。

見せびらかし消費の広がり

 ではなぜ、人々はダイヤモンドを購入するようになったのか。

 このような観点からまず参照すべき文献として、ソースタイン・ヴェブレン(一八五七~一九二九)の『有閑階級の理論』(村井章子訳、ちくま学芸文庫、二〇一六年)がある。彼の「見せびらかしのための消費(conspicuous consumption)」(翻訳では衒示的消費)は、きわめて重要な概念である。

 ヴェブレンの論に従うなら、見せびらかしのための消費は、有閑階級だけに見られる特徴である。ところが、経済が成長すると、上流階級以外の人たちも生活水準を上昇させようとする。ダイヤモンドはだんだんと、上流階級しか手の届かない商品ではなくなり、一般の人々も購入可能な商品へと変化していった。それは、人々の欲望の表れなのである。一般の人々も欲望を満足させるために、ダイヤモンドを買うようになったのである。

 さらに企業は、前述のデビアスのように、そのような欲望を刺激するために巧みな宣伝をする。消費者は、宣伝によって購買意欲をそそられ、その商品を購入する。宣伝と消費者のこのような関係を、アメリカの経済学者ジョン・ケネス・ガルブレイスは「依存効果」といった。ダイヤモンドは、まさにこの「依存効果」が表れた商品なのである。

 人々は時として、自分が他の人たちよりも裕福であると見せびらかしたいがために、商品を購入する。経済は、そのために成長するのである。

 ダイヤモンドは、見せびらかし消費のための商品の一つであり、それは古代から現代に至るまで変わらない。ダイヤモンドを購入する人の数は、時代とともに拡大した。それは、グローバリゼーションの進展と大きく関係している。

変化していった産出地域

 先に述べたように、ダイヤモンドは鉱物の一種である。ダイヤモンドの生成には、一定の温度と圧力とある程度の時間が必要である。ダイヤモンドは、深さ一五〇キロメートル(五万気圧以上)のところで摂氏一一〇〇度以下の温度であれば、安定して生成される。ダイヤモンドを産出する火山岩キンバーライトには、二酸化炭素や水が多く含まれている。

 前述のように、ダイヤモンドは、もともと深さ一二〇キロメートル以上のところに存在しているが、それがマグマとして一気に上昇し、一時間程度で地表に到達する。ダイヤモンド鉱床の多くは、地質学的にみると、約一〇〇万年前の第四紀以降に堆積したものである。

 表1には、二〇一八年時点での、ダイヤモンド産出国が示されている。ロシアがもっとも多く、ついでアフリカのボツワナ、カナダ、アフリカのアンゴラ、南アフリカ共和国、コンゴ民主共和国と続いている。ダイヤモンドは、アフリカ大陸で多く産出していることがわかる。

 しかし歴史的には、ロシアやカナダ、南アフリカは新参者である。後述するようにダイヤモンドは一八世紀にブラジルに鉱山が発見されるまで、もっぱらインドでしか産出されていなかったからだ。しかし、表1からは、インドもブラジルも、すでにダイヤモンド主要産出国ではないことがわかる。この変化は、世界経済の変貌と大きく関係していた。

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ダイヤモンドの歴史

 近世から近代にかけて、ヨーロッパ諸国の対外進出によって世界は大きく変化した。ヨーロッパ諸国は世界各地に植民地を形成し、それにともない、他地域の香辛料、食料、天然資源、さらには労働力をも、自分たちの船を使って入手できるようになった。ダイヤモンドは、その一つだったのである。

 だがダイヤモンドの入手、そして加工、販売には、国際的な商人のネットワークが必要であった。それは、この鉱物の産出地域と需要地域が大きく違っていたからである。

 近世のインドで採掘されたダイヤモンドは、中東をはじめとするユーラシア大陸の商業で活躍したアルメニア人、セファルディム(イベリア半島を追放されたユダヤ人)など、国境を超えた国際貿易商人のネットワークを通じてヨーロッパに持ち込まれた。

 そしてヨーロッパでは、東欧系のユダヤ人であるアシュケナージがダイヤモンドの研磨を手掛けることがあった。ユダヤ人がいなければ、ダイヤモンド取引は不可能な状況が、遅くともこの頃には確立していた。

 一八世紀にブラジルでダイヤモンドが発見されると、ブラジルでの採掘はポルトガル王室が独占することになった。そして、世界のダイヤモンド市場は、インドとブラジルによる競争の時代を迎えた。

 ヨーロッパにおけるダイヤモンド取引市場として重要になったのは、イギリスのロンドン、オランダのアムステルダム、現在のベルギーに位置するアントウェルペン(アントワープ)、ポルトガルのリスボン、地中海ではイタリアの自由港(税金がかからず、自由に出入りできる港)リヴォルノ、さらにヴェネツィアであった。

 ロンドンとアムステルダムはヨーロッパを代表する貿易港・都市であり、さまざまな商人がこれらの都市を訪れていた。アントウェルペンでは、研磨の技術が発達し、ダイヤモンド取引の中心地の一つになった。リヴォルノには、インドからダイヤモンドが輸出された。

 このようなダイヤモンドビジネスの中心に位置したのは、ユダヤ人であった。それは、必ずしもユダヤ人が自ら選択したからではない。農業や製造業から締め出されたため、金融業やダイヤモンドビジネスにしか従事できなかったのである。

 欲望の象徴たるダイヤモンドビジネスに従事したため、ユダヤ人は世界の欲望を象徴するようにみなされてしまったのであろう。

 一八六六年に、南アフリカでダイヤモンドが発見された。その二二年後、イギリス人の帝国主義者セシル・ローズがデビアス合同鉱山株式会社を設立。デビアスは、一九〇〇年には、ダイヤモンド原石の世界生産の九〇パーセントを支配していたとさえいわれる。ダイヤモンドとイギリス帝国とは切っても切れない関係になり、そこにも大きく関与したのがユダヤ人だったのである。

 表2は、二〇〇九~一五年度のイスラエルの工業製品とダイヤモンドの輸出額を示したものである。ここからわかるように、工業製品の輸出に占めるダイヤモンドの比率は約二五パーセントと、かなり高い。イスラエル経済にとって、ダイヤモンド輸出はきわめて重要である。それは、ユダヤ人が長期にわたりダイヤモンドの貿易に従事してきた遺産ともいえよう。

 忘れられがちであるが、イスラエルは中東の一国である。中東最大の産業というと石油が思い起こされるが、イスラエルにとっては、ダイヤモンドが主要輸出産業なのである。それは、イスラエルが、ダイヤモンドのカッティングですぐれた技術をもっているからである。また、イスラエルのカッティングの技術は、後述するように、この国がユダヤ人の国だからこそ導入できたのである。

 ダイヤモンドには、多数の国際商人・国家・民族がかかわってきた。ダイヤモンドの採掘・製造・貿易・販売は、どのような変化を遂げたのだろうか。

 だが、それらがどう変化しようとも、ダイヤモンドは「欲望」が見え隠れする商品であることに変わりはない。ダイヤモンドは、人々の欲望をみていくうえで最良の商品なのである。

ダイヤモンドのビジネスヒストリー

 本書では、装身具、宝石としてのダイヤモンドを取り上げ、工業用ダイヤモンドにはほとんど言及しない。それは、ダイヤモンドを通して、人々の欲望、さらには欲望と社会状況の関係をみていきたいからである。

 また、鉱物としてのダイヤモンドの特徴――たとえば採掘方法――についても、あまり触れていない。それは専門家の書物を読んでいただく方が、ずっと有益だからである。

 本書は、一言で言えば、ダイヤモンドのビジネスヒストリーである。古代から現代までのダイヤモンドビジネスを扱った本は欧米においてもあまり多くはなく、日本においてはおそらく皆無であろう。

 本書により、ダイヤモンドが、世界経済や人々の欲望の変化をどのように反映してきたのかを読み取っていただけることを願っている。

【目次】

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