その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は岡嶋裕史さんの『 やっぱりいまさら聞けないITの常識 2026-2027(日経文庫) 』。「まえがき」をお届けします。
【まえがき】
――「聞くこと」は、かっこいい
「ITってどこか小難しそうで、いまさら誰かに聞くのも気がひける」
そんな思いを抱いたことがある。それも一度や二度ではない、という方も多いのではないでしょうか。
無理もありません。IT(Information Technology)は、その名の通り情報を扱う技術ですが、いまやその範囲はあまりにも広大です。AI、IoT、クラウド、5G、Web3、メタバース、DX――私たちの日常は、いつの間にかITの網にすっぽりと覆われてしまいました。朝、スマートウォッチのアラームで目覚め、AIアシスタントに天気予報を尋ねる。通勤電車ではクラウド上の音楽を聴き、SNSで友人の近況を知る。仕事ではビデオ会議が当たり前になり、夜にはスマホがレコメンドしてくる映画を楽しむ。もはやITは、私たちの生活から切り離すことのできない、空気や水道水のような存在です。
しかし、その一方で、私たちはこの目に見えにくいインフラに対して、漠然とした不安や疑問を抱えています。「AIに仕事を奪われるのではないか」「SNSの炎上に巻き込まれたら人生が詰む」「私の個人情報は、一体どこで誰に見られているのか」。技術の進歩はあまりに速く、その変化に私たちの理解や社会のルールが追いついていません。便利さの裏側にあるリスクや、技術がもたらす社会の構造変化について、熟知していると自信をもって断言できる人はあまり多くないはずです。
デジタルネイティブが台頭するなかで、ITはインフラになったし、知っていて当たり前でしょ、という空気も形作られています。あんまりよく知らない用語や概念に直面しても、知っているふりをせざるを得ない分野になりつつあると思うのです。
しかし、往々にして知ったかぶりは長続きしません。「人類はAIに滅ぼされる前に、Wi−Fiの仕組みでつまずく。だからそれを解決しよう」、それがこの本のテーマです。
「常識とは、18歳までに植え付けられた偏見の寄せ集めだ」などと言われます。どうもアインシュタインが言ったらしい、と確度不明の尾ひれがつくこともあります。一つ指摘できるのは、常識の賞味期限が短くなっているという事実です。
いままでは18歳で常識を身につけたら、それをアップデートしなくても(たいていの人はしたくないです。めんどうなので)まあ人生をやり過ごせました。最後のほうは煙たがられるかもしれませんが、ギリ子どものころに学んだ知識や価値観で人生をまっとうできたでしょう。
ところが! ITの世界では、「常識」とされる内容そのものが数年ごとに書き換えられていきます。たとえば、かつては「CD−ROMで買ってきたソフトをPCにインストールして使う」のが当たり前でしたが、いまやソフト(ってもう言いませんね)はダウンロードかクラウド起動が基本です。ウィンドウズが登場した当時の「常識」は、現時点でその対象を喪(うしな)っています。
ITにおける「常識」は墓場まで有効な人生の永続知ではなく、時代ごとに書き換えられる通過点にすぎません。だからこそ、10年前にがりがり学んで自信がある人も、逆にITに苦手意識を持つ人も、フラットな視点でもう一度、学ぶ直す価値があります。
本書のタイトルは『やっぱりいまさら聞けないITの常識』です。ここに込めたのは、「わからないことは、いつでもなんでもいまさらでも聞いていいんだ」というメッセージです。私自身も学生さんの前でなど、できればなんでも知っているふりをしたいですが、やはり「知ってるふり」を演じるより、「いまさらでも聞く」ほうが100倍まっとうだと思います。なので新しいゲームのことなどは学生さんに聞いています。世界も広がりますし。
だから、日常生活でも業務の現場でも、がんがん聞いていってみてください。むしろ、「いまさら」こそが、一番いい学びどきかもしれません。技術が少し成熟してきて、酸いも甘いもかみ分けたタイミングだからです。時間の経過を経て評価の落ち着いた状態で知識を吸収することができます。そして何より、「いまさらだけど聞いてみたい!」という気持ちが芽生えた瞬間が最善のスタートラインだと思います。
ただ、「自分はちょっと引っ込み思案だ」とか「聞くにしても、そもそも何を聞いたらいいのかわからん」とか、それぞれ事情がおありだと思います。そんなときに、この本を「友だちがわりの一冊」や「誰かに聞きに行くきっかけをつくる一冊」として使っていただけたらうれしいです。
この本では、単に「知識の羅列」や「用語の丸暗記」は目指していません。それぞれの技術や用語が、なぜ登場したのか、どういう問題を解決しようとしたのか、あるいは逆にどんな問題を新たに引き起こしてしまったのか。そうした背景まで含めて、技術と社会の関係を読み解く視点を大切にしています。
たとえば、「クラウドって便利だよね」という話の裏には、実は電力消費や個人情報保護、システムの集中管理の是非といった話題が潜んでいます。あるいは、AIの進化が私たちの仕事のやり方、学び方、そして世界観までも変えていくかもしれないという想像力も持っておいたほうがいいと思います。
私は、ITは単なる道具ではなく、私たちの社会や価値観と深く結びつく文化的な現象として機能していると考えています。だからこの本では、テクノロジーそのものだけでなく、それが人々の暮らしや行動にどう影響しているかにも目を向けています。
気になるところだけ拾い読みしても構いませんし、順番通りに読んでもよい構成です。大事なのは少しでも多くの人に、気負わずITの世界に親しんでもらうことです。読者の方が「なるほど、そういうことだったのか」と納得し、「この話題を誰かと話してみたくなる、深く考えてみたくなる」と思ってもらえたなら、著者としてこれ以上の喜びはありません。
2025年7月 岡嶋 裕史
【目次】






