その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は安藤忠雄さんの 『仕事をつくる 私の履歴書【改訂新版】』 です。

【はじめに】

 世の中、本当に何が起こるか分からない。2019年末、中国の武漢市で第一例目が報告された新型コロナウイルス感染症が、わずか数カ月の間にパンデミックを引き起こした。病原菌としての怖さだけではない、感染拡大を防ぐための人やモノの移動制限、経済活動の中断など二次三次的な影響で、世界は文字通りのパニック状態に。その混乱が収束しないまま2022年2月24日、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻、新たな戦争が始まってしまった。夥(おびただ)しい数の人命が失われ、彼らの都市も生活も、歴史文化さえもが踏みにじられている。現地の悲惨な状況を見聞きするたび「なぜ21世紀の今また戦争なのか」と、暗澹たる思いに駆られる。それだけではない。今日のグローバル社会におけるエネルギー、食糧の輸出大国同士の紛争の影響は、燃料や穀物製品の不足、急激な値上がりといった形で、世界中に伝播し、遠く離れた島国にいる私たちの生活をも圧迫する。20代後半で初めて世界を旅した時、7カ月余りをかけてその多様な地理的・文化的広がりを身体で感じながら「地球は一つなんだ」と大きな気付きを得た。それを80代になって、パンデミックや戦争のような災害で再認識せざるを得ないとは何とも皮肉な話だ。

 数カ月を経た今なお、停戦の目途もたっていない。二年間のコロナ禍で露呈した諸々の社会的・経済的課題も未解決のままだ。一方で地球環境悪化の問題は危機的状況まで追いこまれている。文字通り先が見えない、真っ暗闇の中に私たちは今、立たされている。

 この難局をいかにして乗り切るか。激動する世界に、リーダーシップも示せぬまま右往左往するばかりの日本の政治には期待できない。もはや個人個人が、それぞれの場所で頑張っていくしかないのだ。それで抜け出せる保証はどこにもないが、自ら前へ進まねば絶対に出口は見えてこないのだからやるしかない。

 事実、私はずっとそのような光の見えない不安な人生を歩んできた。戦後間もない大阪下町の「非文化的」環境で生まれ育ったこと、大学に行けずに独学で建築の道に進んだこと、そうして学歴も社会的後ろ盾も何もなく、草の根を掘り起こすように仕事を始めたこと――。スタートの時点からハンディキャップばかり。当然、上手くいったことよりも、上手くいかなかったこと、失敗の方がずっと多い。それでも今日まで半世紀、生き延びることが出来たのは、徒手空拳でスタートした頃のままの「ここをしくじったら後はない」というギリギリの緊張感、「(仕事が)ないなら自分でつくるまでだ!」という闘争心をずっと持ち続けてきたからだろう。それで道が拓けたというのではない。そうしていつも無謀な挑戦を重ねて悪戦苦闘し続ける私を「おもしろい」と言ってくれるクライアント達、支えてくれる家族とスタッフ達がいて、彼らが私の背中を押してくれた。

 本気で生きていれば、ときに味方も現れる。その出会いを逃さずいれば、逆境がチャンスとなることもあるのだ。

 お金も才能も後ろ盾も、何がなくとも「ないならないなりに」生きていくことはできる。だが、生きる目標、夢がなかったら駄目だろう。この数十年の日本の停滞の要因はそこに尽きる。戦後の経済成長を遂げた後、その先を見いだせないまま、時代に流されてきてしまった。未来を本気で考えるならば、必要なのは近視眼的な経済成長戦略などではない、「自分は何のために生きるか、どこに向かって生きるか」と各々が生きる意味を問う、根幹のヴィジョンだ。

 それは、突き詰めれば「社会のために、自分に何が出来るか」と同義である。無論、個人が「社会貢献」などといって何ができるわけではない。私たち一人ひとりはとても無力な存在だ。だが、小さな思いでも、集まればそれがときに大きな力となる。建築設計の傍らで取り組んできた市民参加型の植樹運動、1995年の阪神・淡路大震災、2011年の東日本大震災と、二つの大災害の後に立ち上げた遺児育英資金。これらの建築家の職能から外れた活動を通じて、私は社会を学び、人々と共に「仕事」をつくる喜びを知った。

 アメリカの鉄鋼王アンドリュー・カーネギーは、莫大な財を成した後、その社会還元としてカーネギー・ホールなどの文化施設と共に、世界各地に二千五百もの図書館を寄付したという。敵うべくもないが、私も自分の職業を通じて、手の届く範囲で、育ててくれた社会に恩返しをしたい。そんな思いで子どものための図書施設「こども本の森」プロジェクトをスタートした。市が準備する土地に、寄贈という形で私が建物をつくり、肝心の蔵書の準備、運営資金は、個人・企業として寄せられる市民の志を原資とする。官民一体で実現する、今を生きる大人から未来を担う子どもたちへの贈り物だ。

 大阪の中之島で一つ目をつくりあげた後、震災復興を通じてつながった岩手県・遠野で二つ目を、そして2022年春に神戸の東遊園地で三つ目をオープンさせた。現在はさらに三つの「本の森」が進行中にある。仕事ではない「仕事」の分、苦労もあるが、完成した建物で本を手に施設を駆け回る子どもたちのキラキラとした表情を見るとそんな感情も吹っ飛ぶ。彼らの笑顔を、自身の人生の喜びのように感じるのは、やはり、未来を担う子どもという存在そのものが、社会の希望の光だからだろう。

 2009年、2014年と二度のがんの手術を経て、胆のう、胆管、十二指腸に膵臓、脾臓と五つの臓器を失った。それでもなお、仕事を続けて今に至る。そうして社会と向き合う緊張の日々こそが、私の「いのち」だ。

 アメリカの詩人サムエル・ウルマンはこう謳った。

 「希望を心に持ち続ける限り、人間はいつまでも青春を生きられる」

 最後まで挑戦心を忘れず永遠の青春を追いかける、目指すはいつまでも未熟で青いまま、青リンゴの生き方だ。

【目次】

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