その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。…が、本日の1冊、池田元博さんの『 プーチンの敗戦 戦略なき戦術家の落日 』は「はじめに」がありません。代わりに「あとがき」をご紹介します。
【あとがき】
誰の話だったか忘れたが、新聞記者としてモスクワに赴任する際に、仕事で失敗しないコツを聞いたことがある。「日々の出来事や情報は常に否定的に受け止め、ソ連(後のロシア)の悪口や批判記事だけを書くこと」だった。
西側の米欧は常に善で、東側のソ連は常に悪。西側の一角を占める日本のメディアが、東側の情報を批判的に報じるのは当然だ──。東西冷戦の時代に特有のステレオタイプの区分けではあった。だが、冷戦が終結しても、ソ連が消滅して新生ロシアになっても、「失敗しないコツ」は十分に通用した。
「ペレストロイカ(立て直し)」を掲げ、国を抜本変革しようとしたソ連の指導者ゴルバチョフの改革路線は途中で鈍化し、頓挫した。ソ連末期の保守派クーデターを阻止し、一気に国民人気を高めた急進改革派の大統領エリツィンは、ソ連を潰した。そのエリツィンの下で、米欧流の民主改革や市場経済化に着手した新生ロシアは、瞬く間に社会混乱に陥った。エリツィンを筆頭に、急進改革派の支持率は地に落ち、ソ連時代に郷愁を覚える市民が増えていった。そして、エリツィンから大統領の座を引き継いだプーチンは独裁的な国家体制を築き、西側を完全に敵に回して、ウクライナに軍事侵攻した……。
米ジャーナリストのヘドリック・スミスはかつて、『ロシア人』という名著を記した。ロシア人の性格や制度には、歴史が根深い影響を及ぼしていると指摘。それは「中央集権、序列にたいする盲目的崇拝、人々の素朴な外国人嫌い、疎外された知識人のとるにたりないあら探し、母なるロシアにたいするロシア人の強い愛着、最高権力者にたいする大衆の習慣的な従順さ、支配者と被支配者の間に横たわる深い溝を無批判に受け入れること」などに表れていると分析した。
旧ソ連のブレジネフ政権の時代に書かれたものだが、プーチン体制下のロシアでも通用するような言い回しだ。スミスが指摘するように、ロシアという国家体制、最高権力者、社会風土、そして人々の性格や価値観に歴史の影響が根深く刻まれているとすれば、ロシアが変革するのは容易ではない。結局のところ、西側の価値観とは永遠に相いれず、我々は「失敗しないコツ」のように、ロシアを常に批判的にみていく必要があるのだろうか。
私ごとで恐縮だが、日本経済新聞の記者としてモスクワに2度駐在した。最初は旧ソ連のゴルバチョフ政権末期から、エリツィン率いる新生ロシアの初期まで。2度目はエリツィン政権後期の1997年から、プーチン政権初期の2002年にかけてだ。その後もロシアにたびたび出張する機会に恵まれ、「プーチンのロシア」もある程度は理解していたつもりだった。だが、正直に明かすと、プーチンがウクライナ軍事侵攻という蛮行に踏み切るとは予想していなかった。
米大統領のバイデンが「プーチンは侵攻を決断した」と事前に警告していたが、それでもプーチンは軍事的緊張をあおりながらも土壇場で踏みとどまり、侵攻は最終的には控えると予測していた。なぜか。
第一の理由は、前述したように、ロシアが侵攻によって得るものは何もないからだ。多少の領土を奪ったとしても、隣国ウクライナとの関係はもはや修復不可能になる。日米欧との対立も決定的となり、厳しい経済制裁はロシア経済にじわじわと打撃を与える。国際的な孤立は深まり、ロシアはあらゆる面で衰退していく……。それでもウクライナ侵攻を決断し、ロシアが勝利すると確信したプーチンはやはり「戦略なき戦術家」なのだろう。
第二の理由は個人的に、プーチン体制初期のロシアを間近で体験してきたからかもしれない。振り返ると確かに、プーチンの大統領就任直後から、「メディア王」と呼ばれたグシンスキーの会社事務所に覆面姿の男たちが強制捜査に入るなど、きな臭い雰囲気は随所にあった。プーチン自身、「法の独裁」下での「強い国家」の構築を掲げ、権威主義的な傾向を隠そうとしなかった。
それでも初期のプーチンは、米欧との関係改善に真剣に取り組んでいたようにみえた。もちろん、西側から積極投資を呼び込まないと、ロシアの経済改革は難しいという思惑も背景にあっただろう。とはいえ冷戦終結後、ゴルバチョフ、エリツィンが進めた西側との協調路線がある程度、ロシアという国の体質を変えつつあり、プーチンも基本的に踏襲するように思えた。
かつて東欧諸国で民主革命の嵐が吹き荒れたように、ソ連でも民主化の大きなうねりがあった。それが頂点に達したのが1991年夏、保守派のクーデターが失敗に終わった直後だった。民主派の勝利に歓喜の声を上げ、さらなる民主改革を求める市民たちが街頭に繰り出し、モスクワの中心部は文字通り、人の波で埋まった。レニングラード(同年9月にサンクトペテルブルクに改名)にいたプーチンも、内心はともかく、当時は民主派を支持していた。
そんな体験もしたプーチンが大統領就任当初から、民主化や西側との協調路線を拒否していたとは考えにくい。本書の前半で書いてきたように、西側への期待がいつしか不信、さらには裏切られた憎しみと怒りへと転じ、プーチンを「人殺しの独裁者」で「根っからの悪党」(バイデン)にしてしまったとすれば、その責任の一端はやはり西側にもあるのだろう。
とはいえ、独立国家のウクライナに侵略し、数々の残虐・犯罪行為を繰り返すプーチンの蛮行に、弁明の余地は一切ない。今のロシアでは多くの人々が、職場でも、学校でも、場合によっては家庭内でも極力、ウクライナ侵攻の話を避けているそうだ。話せば言い争いで関係が険悪になりかねないし、密告されるのも恐れているという。ロシアのある知人は侵攻後、親しかったウクライナの友人との連絡を断った。「本来はプーチンを恨むべきなのに、我々ロシア人がウクライナを侵略しているように思われかねない」からだ。「我々はクリミア半島もウクライナもいらないのに……」と嘆いていた。「プーチンの戦争」はロシア社会でも閉塞感を助長し、人々の心を陰鬱でいびつにしている。
不毛な戦争の早期終結、ウクライナの一日も早い平和の訪れと復興を願いたい。そしていつしか、スミスが主張する「歴史」の根深い影響を何とか克服し、真に民主的なロシアが再生するよう望みたい。
本書は、日経ビジネス電子版で連載した「解析ロシア」、日経電子版で掲載してきたNikkei Viewsの原稿の一部を転用した。執筆に当たっては多くの方々、とくにオンライン形式も含めて、ロシアの各界有識者との定例会見を毎年企画してくれた日露学術報道専門家会議の幹事の方々にお世話になった。日々支えてくれた家族や愛犬にも感謝する。そして最後に、企画段階から尽力してくださった日経BPの堀口祐介氏に厚く御礼を申し上げる。
2023年6月 池田 元博
【目次】



