その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は村上敬亮さんの『 新・地方創生論 』です。

【はじめに】

 2014年10月。「大変だぞ、村上。着任して3カ月ですまないが、内閣官房に異動だ」。経済産業政策局調査課長という経済産業省の官庁エコノミスト稼業に少しなじんできたかと思った矢先、人事権者に呼び出され、異動を命じられた。当時は石破茂・地方創生担当大臣が着任したばかり。できたばかりの「まち・ひと・しごと創生本部」参事官として地方創生と向き合う日々が始まった。

 それから10年。ポストが変わっても、ずっと地方創生に関わり続けてきた。地方創生は進んだのか、進んでいないのか。僕は進んだと考えている。地域に関心を持つ若者が増えた。地域で従来にない試みが始まった。たくさんの取り組み事例が生まれてきている。ただ、残念なことに、元気な活動は増えたが、その多くは、まだ自ら人材や資金を調達できる「自立化」には至っていない。補助金や寄付に頼らず、どうやって自立した経済を地域に作っていくか。「点」では元気になった取り組みを、どう「面」に広げていくか。それが次の課題だ。本書では、これまでの「地方創生」を、真に地方経済が自立・自走する「新・地方創生」へとシフトしていくための道筋を整理してみたい。

豊作でも報われない農家

 地方の課題と最初に向き合ったのは、「地方創生」に出合う7年前の2007年だ。たわわに実った果実が出荷できず、地面が真っ黄色になった柑橘畑を見た時のことは、今でも忘れられない。「農商工連携」。福田康夫政権が打ち出したこのキーワードに対して、何か具体的な施策を打ち出せ。上司からそう言われた僕は、現場を勉強させていただくために地方に出かけ、この柑橘畑の風景を目にした。出荷価格が安くて市場に出せない果実の遠慮ない放置っぷり。「さすがに何かおかしくないか」。何気なく訪ねた現場が脳裏に強烈な印象を残した。

 柑橘類は日照がよければよく育つ。しかし、それがいくらで売れるかを決めるのは市場だ。「豊作の年には値が下がる。値が高いのは凶作の年」。ややもすれば、農産品にはこのパラドックスがつきまとう。結局、生産者は豊作でも凶作でも報われない。柑橘系は特にその特徴が出やすい分野の1つだ。僕が目にしたのは、豊作で値段が低迷し、出荷しようにもできなくなっていた生産現場そのものだった。

 では、どうすればいいのか。思えば、この黄色い山のエピソードは、地方創生の課題 の多くを象徴しているシーンではないかと思う。

 農業はもとより、ものづくりにしても、飲食・宿泊などのサービスにしても、地方は生産現場のことには誰にも負けないプライドと知見を持っている。しかし、それを流通させる、特に自分たちの生み出したものに値を付けるとなると、途端に様子が変わる。農協の集荷場に届けて終わり。系列取引先の指し値通りに納めておしまい。生産者はいつでも買う側の意向に振り回されている。これでは安定した収益が望めるはずがない。

 なぜ心血を注いで育てた産品やサービスに、自分で値段が付けられないのか。なぜ誇りを持って作っているものを収益化するビジネスモデルを自らの手で作れないのか。その原因の1つは「ボキャブラリー」だと思う。

「ボキャブラリー」が足りない

 2007年、麻生太郎政権下でクールジャパン戦略を立ち上げる1年前、僕は経済産業省が始めた「感性価値創造イニシアティブ」というプロジェクトに関わることになった。

 このプロジェクトでは、パリのルーブル美術館別館で実験的な展示会を開催した。その時の展示の1つが、当時まだ市場では駆け出しだったチームラボの猪子寿之さんの展示だ。彼は昔から鳥獣戯画が大好きで、この時も縦長のディスプレーをボウリングのピンのように並べ、鳥獣戯画の映像を右から左へ流し、「これが自分の考える鳥獣戯画の立体感だ」と熱弁されていた。もちろん、人気を博した。

 今では有名になったイッセイミヤケさんのプリーツプリーズ。これも当時の展示企画の1つだ。その斬新なデザイン自体が大きな話題を呼んだが、今ではプリーツの形状をAIが計算し、1枚の布に熱を加えると、自動的に形状が蘇る技術まで登場。持ち運びがしやすい衣類として宇宙服にも採用されるなど、誰でも知っている一般的なデザインになった。このデザインが当時、ヨーロッパのファッション界に与えた衝撃は、とても大きかったと思う。

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 これから地方創生の話を始めるのに、どうして感性価値創造イニシアティブの話を持ち出したのか。実は、ここに地方創生で大切な値付けの問題を解くヒントがあるからだ。ルーブル美術館の展示会で一番驚いたのは、来場したフランス人を対象にしたアンケート。とにかく作品を褒める表現がすごい。「深紅のバラがドキドキとさせてくれるような緊張感」「かわいい子犬のような甘さ」──。まるで上質なワインへの賛辞のような言葉が並んでいた。フランス人は何かを褒めるボキャブラリーが圧倒的に豊富なのである。

 農商工連携の可能性を現場で学ぶため、ニンジンなどを作っている畑を訪ねた時のこと。経済産業省からの来訪者に対する農家の方の「早く帰ってくれないか」というオーラを感じながらも、懸命に教えを乞うていたところ、おいしさの秘訣を尋ねた時に言われたのはこの一言だった。「食えばわかる」。

 つまり、「いいから食べてみろ」。そう諭され、ガブッとニンジンに食らいついてみると、これが確かにうまい。思わず自分の顔から笑みがこぼれる。その瞬間、農家の方から一言。「そうだろ。1箱分やるから持って帰れ」。正直、「そんなにもらっても…」と思ったが、「ならば、送ってやる」とまでおっしゃる。農家の方は、言葉ではなく顔の表情を読み取っているのだ。とても楽しい経験であった。

 しかし、残念ながら、「食えばわかる」では、食べたことのない東京の人においしさを伝えるのは難しい。ニンジンに1本数百円の価値があることをどうやって示せばいいのか。このままでは伝える方法がない。

 数百円と言うと「高すぎ」と感じるかもしれないが、実際、東京の高級レストランでバーニャカウダとして出されている野菜の値段を、利益を無視して原価比率で割り戻せば、ニンジン1本も数百円の価値で売っていることになる。しかし、おいしさを説明する言葉がなければ、高い値段の理由を生産地側からは説明できない。言語化がなければ値段の付けようもない。「甘くておいしい」「彩りが最高」「栄養満点で元気が出る」「くさみがない」「ミッフィーも喜びそう」…。少し考えれば、単純な表現から個性的な言い回しまで、いろいろと出てくるはず。値付けには、ボキャブラリーが不可欠なのである。

「暮らせない地域」への転落を防げるか

 昭和の人口増加期には国内に拡大する需要があった。集荷場にそのまま農産品を出しても、常に需要サイドから引きがある。しかし、人口減少期となると、そこが変わってくる。人口が減って需要が弱まれば、価格も量も生産者に不利な交渉になる。ここが昭和の時代との大きな違いだ。

 同じ課題は農産物ばかりでなく、他の産業にもある。農業であれば農協が整備してくれる卸の仕組み、ものづくりであれば決まった相手に部品を納める系列取引の仕組み、観光業であれば旅行代理店が団体客を回してくれる仕組み。地方が生み出す多くのモノ・サービスには、売りさばくための全国的な流通の仕組みがある。ただし、それに乗って利益が出るのは、需要全体が膨らんでいる時。人口減少下のマーケットに仕組みを何も変えずに向き合えば、値下げ圧力にさらされ、淘汰は時間の問題となる。じり貧の撤退戦が始まるのだ。

 こうして稼ぐ力を失っていく地域は、人口減少に伴い、医療、教育、交通などの暮らしの基盤の維持にも苦しみ始め、域内の経済循環の縮小スパイラルに入る。そして、維持できなくなったサービスが1つ、また1つと増え、徐々に「暮らせない地域」へと転落する。そんな未来を活写したのが、地方創生が叫ばれ始めた頃に話題となった増田寛也氏の『地方消滅』(中央公論新社刊)という本だった。

 人口増加期に作り出された社会・経済を、人口減少に即した形で作り直す。この作業を急がなければ、暮らせない地域はどんどん増えていく。単純に定住人口が増加に転じればよいというものでもない。そこにはいろいろなシナリオがあるはずだ。

 本書では、序章で社会が人口増加から減少に転じると、何がどう変わっていくのかを解説する。それに続く第1章では人口増加期に作られた地域社会・経済の特徴とその課題を整理。そのうえで、第2章では人口減少が続いてもなお力強く生き延びていくための処方箋を検討し、次の第3章でその際の大きなネックとなるモビリティーの問題を考察する。第4章では、僕がデジタル庁統括官時代に取り組んできたウェルビーイング指標とAI・デジタルを活用した施策について展望し、終章で「反・産業政策」ということについて語ってみる。

 本書の内容の多くは、内閣官房出向以来の自分の行政経験に加え、EYストラテジー・アンド・コンサルティングが主催してきた「地方創生先駆者会議」にお集まりの皆様と一緒に検討してきたことが土台となっている。

 これまでの経験の中で関わってきた地域の皆様、EYの地方創生先駆者会議にお集まりいただいた皆様、そして同会議を主催したEY関係者の皆様に、厚く御礼を申し上げたい。


【目次】

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