その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日はマイケル・J・グリーン(著)、上原裕美子(訳)の『 安倍晋三と日本の大戦略 21世紀の「利益線」構想 』です。
【日本語版への序文】
『安倍晋三と日本の大戦略──21世紀の「利益線」構想』(Line of Advantage: Japan’s Grand Strategy in the Era of Abe Shinzō)がこのたび日本で出版されることを大変喜ばしく思っている。英語版はコロンビア大学出版から二〇二二年三月に出版されたが、アメリカ人研究者が本書をどう受け止めるか、刊行時点では私にもわからなかった。本書が考察するのは、安倍晋三の二度目の内閣総理大臣就任中に完成した日本の新しいグランド・ストラテジー(大戦略)だ。防衛力増強と同時に、国力を引き出すあらゆる装置を活用すべく政策決定の一元化を図り、さらにアメリカ、そしてオーストラリアやインドといった同志国との連携を深めつつ、貿易およびインフラファイナンスを通じて「自由で開かれたインド太平洋」へいっそう投資していくというもので、中国の威圧行為、そして覇権への野望に対抗しながらも、中国政府との重要な経済的結びつきを断ち切らないという意図が一貫している。
このグランド・ストラテジーのルーツを明らかにするのが本書の狙いだ。安倍のリーダーシップは今述べたようなアプローチを確固たるものとする非常に重要な役割を果たしたが、グランド・ストラテジーの発想そのものはアジアにおける日本のポジションについて記述した最古の書物にまで起源をさかのぼり、幕末・明治時代に坂本龍馬や勝海舟が、そして戦後に高坂正堯などの学者たちが提示した海洋国家としての日本というコンセプトを基盤として築かれたものだ。かつては戦略のコンセプトとして反主流と認識されていたが、二〇一二年末に安倍政権が復活した時点では、自民党内、さらには民主党内の大部分においても、むしろこれが主流の考え方として広がっていた。安倍の戦略は安倍個人の産物ではなく、それゆえに安倍の首相任期終了とともに終わるものではないと主張するのは、こうした歴史的背景──古代の日本からの経緯という点でも、現代の政策決定体制における経緯という点でも──があるからだ。冷戦時代において吉田茂がそうであったように、戦略思考の新しいメインストリームを安倍が形にしたのである。しかも本書で述べているとおり、その戦略を支えるロジックはきわめて強靭で、日本がこれから数十年にわたりアジアで果たす役割の針路を定めるだけでなく、アメリカ、オーストラリア、その他の日本に近い同盟国やパートナー国の戦略を形成するものでもある。「ワンマン宰相」と呼ばれた吉田茂でも達成することのなかったレガシーだ。
このような考察は物議を醸す可能性があった。理由の一つは私が、国際関係学者がネオリアリズム(新現実主義)と呼ぶ理論をベースとして、日本の将来的な軌道を予測しているからだ。構造的要因、とりわけ中国のパワーと覇権への野望が日本の政治文化を変化させ、日本政府はバランス・オブ・パワーの追求に積極的になっていくだろう、と。私が大学院生だった一九八〇年代後半から一九九〇年代初期のアメリカにおける日本研究は、日本の反戦主義(pacifism)的かつ消極的な政治文化は基本的に変わらないと主張する社会構成主義者で占められていた。彼らの主張はほとんどが、戦後日本で戦略が検討される際にパワーの問題は考慮されるようにはならないのだ、従来の現実主義は北東アジアには当てはまらないのだ、というものだった。だが、私はこう考えた──たしかに日本に反戦主義が広まったのは軍国主義と戦争のトラウマによる当然の結果と理解できるが、そこには構造的要因も作用していたのではないか。たとえば、アメリカに歴然とした優越性があり、同時に日本自身のパワーが一九四五年の時点でほぼ完膚なきまでに破綻していたというのも、そうした構造的要因の一つだ。日本の反戦主義は文化として合理的なものだったが、日本が相対的に弱く、しかしアメリカの安全保障の傘のもとで安全な立場にあったことに鑑みれば、地政学的にも、このときは反戦主義を掲げるのが合理的だったのだ。そして、過去に構造的要因が日本の戦略文化を変質させたのだとすれば、変質はまた起きると想定するのも筋が通る。私は二〇〇〇年の著書『Japan's Reluctant Realism(日本の消極的現実主義)』(未訳)において、この主張を未来予想として提示した。同書は冷戦直後の一〇年間における日本の外交を検証したうえで、日本が中国からの地政学的試練への対応に、一九九〇年代の学者たちが予期した以上に関心を集中させてきたことを明らかにしている。反戦主義と反軍国主義は、日本の政治において今も甚大な影響力をもっているが、本書では、パワーをめぐる考察こそが、今の日本にとって最も重要な変数であると主張する。これは、過去数十年間の日本研究とは大きく異なるものだ。
本書が物議を醸すと私が予想した第二の理由は、安倍自身にある。アメリカの学者の多くは、二〇〇六年から二〇〇七年の第一次政権中も、その後二〇一二年に政権復帰をした際にも、安倍に批判的だった。東京裁判や一九九三年の慰安婦問題日韓合意を安倍が否定したことについて詳細に考察し、戦前の軍国主義と結びつけて語る歴史学者の論稿もいくつか発表された。アメリカの歴史学者有志一同による署名で、安倍に「歴史修正主義」を捨てるよう求める書簡も公開された。オバマ政権の上級高官が安倍について本気で懸念を漏らすのを、私は個人的に何度か耳にした。彼らは明らかに、批判的な学者たちや、安倍の見解を糾弾する欧米のジャーナリスト数人の影響を受けていた。二〇一三年はじめ頃、きわめて重要な立場にあった某アメリカ政府高官が私に、安倍はアジアの安定に対する最大の脅威であるという、中国、北朝鮮、ロシアからの脅威を考えれば信じがたい見解を語ったことすらあった。こうした批判のほとんどは左派の意見であり、アメリカにおいては少数派ではあったが、オバマ政権にはたしかに影響をおよぼしていたのである。
だからこそ私の著書において、安倍のグランド・ストラテジーは軍国主義への回帰を表すものではなく、むしろ明治時代のリーダーたちが謳っていた世界主義の海洋国家としてのビジョン──アジア大陸を征服することで日本の安全保障が堅牢になると考えた愚かな軍国主義者や国粋主義者によってかき消されてしまった──の実現である、と明らかにすることが重要だったのだ。この点は、安倍が敷いた戦略路線は今後も持続するという主張の裏付けとしても意味があった。本書では、安倍の歴史観について、そして、それが安倍のグランド・ストラテジーを形作った経緯について、明確かつバランスのとれた説明を試みている。キャリアを通じて左派と戦い続けた(父および祖父のためにも戦いを続けていた)政治リーダーだったのだから、イデオロギーという要素が介在していたことは確かだ。だが、安倍政権下で形になったグランド・ストラテジーのベースには、ほかの何にも優先して、日本が直面する地政学的状況への現実的評価があった。政権交代後もこのグランド・ストラテジーが持続すると考える根拠の一つはそこにある。
私が安倍の考えを多少なりとも把握できた理由は、一九八〇年代後半に保守派で国際主義の自民党議員、椎名素夫の秘書を務めた経験があり、安倍を輩出した自民党内の反主流派閥と長く接点があったからである。また、二〇〇一年から二〇〇五年まで五年近くホワイトハウスの国家安全保障会議にスタッフとしてたずさわり、その役割の一環としてジョージ・W・ブッシュ大統領などの要請を受け、当時は内閣官房副長官や内閣官房長官という肩書だった安倍と少なからぬ数の会合の場をもち、貿易、北朝鮮、台湾、そして歴史など、さまざまな問題について話し合ってきた。
個人としての敬愛の思いもある。私が結婚式を挙げた日にもわざわざ電話をくれて私の前途を祝し、私の父が他界したときには心のこもったお悔やみの手紙を送ってくれた。近くで仕事をしていた者なら、その義理堅く思いやり深い人柄に気づかずにはいられなかっただろう。政権から外れていた時期に開催していた勉強会に私も何度か同席したが、歴史と地政学を学びとることに全力を尽くす安倍の姿は、政治アナリストでもほとんど予想していなかったであろう首相復帰を視野に入れたものだった。本書は、安倍の戦略形成においてイデオロギーが果たした役割を過小評価せず提示しながらも、安倍の政策がイデオロギーだけに突き動かされたものだという批判に対しては、それを訂正できる考察を提示できたのではないかと思っている。
本書が物議を醸すと考えた第三の理由は、私が安倍のグランド・ストラテジーは日本で耐久性があると述べるだけでなく、他の海洋民主主義国も、いっそう不穏になりつつある中国との競争戦略を展開するにあたって安倍のグランド・ストラテジーの影響を大きく受けたと主張している点だ。アメリカの戦略はアメリカ人が思いついたものではない、などという意見を、当然ながら関係者は聞きたくはないだろう。オーストラリア人、イギリス人、韓国人、インド人もそれは同じだろう。だが、安倍の掲げた「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」というコンセプトが、破滅的な戦争を招くことなく中国と競っていくための正しい道であることは、二〇二二年の時点ですでに明らかだった。トランプ政権、のちにはバイデン政権が日本式アプローチのカギとなる要素を積極的に取り入れたことも、オーストラリアやヨーロッパがその例に倣ったことも、やはり歴然とした事実である。私の人生で見てきた限り、アメリカ人はこれまで、国際関係に関して日本に「外圧」をかける側であることに慣れきってきた。ブッシュ政権時代、二〇〇〇年のアーミテージ・ナイ・レポートが示した「外圧の時代は終わった」という警告に私たちはうなずいていたが、それでも日米関係における戦略の方向性を日本政府のほうが設定してくることになろうとは、アメリカ人は予想していなかった。こうした背景を考えれば、日本の戦略がいまやアメリカに、そしてアメリカに近しい同盟国に影響を与えていると主張した本書に対し、なんらかの反発はあるだろうと私は予想していたのである。
三つの懸念はいずれも外れた。本書はアメリカで高い評価を受け、外交問題評議会が毎年選出する優れた書籍リストにも入った。本書が日本研究の決定版であるなどと言うつもりはないが、安倍が示した日本の姿をアメリカが、そして世界がどう受け止めたか、本書が浮き彫りにしたことは確かだろう。明らかに好意的な受け止め方だった。
本書英語版の出版からわずか数カ月後に、安倍の暗殺という悲劇が起きたことも、本書への関心を高めたのかもしれない。安倍の死によって自民党保守派と統一教会との結びつきをめぐる論争に火がついたが、その一方で、戦略家、リーダー、そして友人としての安倍の功績を証言する声が世界各国の首脳から次々と表明された。訃報を報じた世界中の主要紙(中国とフランスは除く)が、日本の歴代最長政権が果たした大きな偉業を認めた。批判を呼んだ安倍の見解についてもいくつか触れられてはいたが、そこに数年前ほどの重きが置かれることはなかった。私自身は、統一教会をめぐる論争を見て、自分が自民党議員の秘書として働いていた一九八〇年代後半を思い出していた。当時、資金潤沢ではなかった自民党反主流派の派閥メンバーが、選挙で勝つために統一教会の勝共連合(反共主義の団体)からの支援に頼る場合があったことは知っていた。莫大な選挙資金と大勢の有権者を得ていたのは主流派の派閥であり、大きな利益を動かす運輸族や農林族であって、防衛族や外交族はその限りではなかったことが要因として大きい。このような負の歴史が二〇二二年にも自民党の闇に隠れたままだったことを知り、私は大変に失望した。だが、日本の政治の暗部がこのように明るみになったとはいえ、それでも戦略家、政治家として安倍が吉田茂と並ぶ最も偉大なレガシーを築いたという事実、この人物が国と世界のために尽くしたという事実は揺らぐものではなかった。国際社会が安倍を高く評価したことの意味は大きかったし、日本、アメリカ、その他各国で実際に下されている政策決定を見ても、安倍が掲げた戦略概念が簡単に消え去るものではないことが証明されている。
アメリカにとっての安倍の影響ははっきりしている。ドナルド・トランプは二〇一七年に大統領に就任した時点で、これといって明確な外交政策はもち合わせておらず、日本、貿易、同盟については一九八〇年代当時のままの漠然とした反感があるだけだった。だが、その年にインド太平洋地域への初訪問を控えていたレックス・ティラーソン国務長官が、CSIS(戦略国際問題研究所)での演説のテーマを決めるにあたり、国務省チームが日本の外務省から説明を受けたばかりの「自由で開かれたインド太平洋」というコンセプトに目を付けたのである。さらにトランプ政権は、日米豪印の四カ国、通称「クアッド」の会合を強化するという安倍独自の構想も受け入れた。トランプはさまざまな形で日本を攻撃し、アジアから米軍を撤退させるという脅しを繰り出すなどして、安倍を苛立たせていたのかもしれないが、それでも暴走するアメリカ大統領を巧みになだめて正しい行動へと誘導する──もしくは、少なくとも最悪の行動には踏み切らせない──安倍の手腕は、世界中のリーダーたちにとって羨望の対象だった。トランプ下の国家安全保障チームも安倍内閣のチームと密接に連携をとり、安倍の戦略に対してほぼ全面的に合意していた。
二〇二一年に大統領に就任したジョー・バイデンは、副大統領を務めた年月の経験から、中国の意図に対する強い懐疑的見解を抱いていた。ホワイトハウスのアジア担当チームは、FOIP構想およびクアッドを新大統領が引き続き支持することを望んでいたのだが、左派の政策アドバイザーたちは、それではトランプのアプローチのままに見えるという理由で反対した。FOIPの代わりとなる「進歩的で開かれたインド太平洋」という名称も考案していた。だが最終的にバイデンはFOIP構想を継続して進めると決断し、クアッドの会合を首脳会合に引き上げた──安倍が二〇〇六年の提言で打ち出していた案だ。二〇二一年にはクアッドの支持に回った者の多くが、二〇〇六年の時点では、中国を刺激しすぎるという理由でこの案を却下していたのだ。アメリカの外交政策エスタブリッシュメントがようやく安倍にキャッチアップしたというわけだった。
当然ながら、安倍の戦略のすべてがアメリカのアプローチに取り入れられたわけではない。トランプは二〇二一年に環太平洋パートナーシップ(TPP)協定から離脱し、アメリカの利益と日本のグランド・ストラテジーにダメージを与えた。バイデンは「インド太平洋経済枠組み(IPEF)」を立ち上げたが、エコノミック・ステートクラフト(経済的な手段による外交・政治・安全保障政策)の立て直しに対する意欲はごくわずかしか見られていない。また、私の前著『By More than Providence: Grand Strategy and American Power in the Asia Pacific Since 1783(摂理を超えるものに従って:一七八三年以降のアジア太平洋における大戦略とアメリカのパワー)』(未訳)の読者なら、安倍のアプローチの柱は、その多くがもともとアメリカで掲げられたものであることに気づいているだろう。一八五〇年代にマシュー・ペリー提督が主張した日米の連携、一八九〇年代に戦略家アルフレッド・セイヤー・マハンが打ち出した主要国連携の構想、そして一九八〇年代にロナルド・レーガン大統領が謳った海洋戦略などがそれに相当する。アメリカのリーダーシップにおいて、そうした戦略的才覚が発揮されにくくなっていた二〇一〇年代に、その不足を埋めたのが安倍だった。私が本書でその点を指摘したところ、トランプ政権やバイデン政権の上級高官数人から、アメリカの戦略に対する安倍の影響を正しく解説している、という評価があった。
日本がソートリーダー(先導的なリーダーシップの担い手)として影響をおよぼす範囲は日米同盟にとどまらない。私は現在シドニー大学アメリカ研究センターの運営にたずさわっているが、ここオーストラリアでもリチャード・マールズ副首相をはじめとして政府高官や閣僚などが、二〇二二年に連立政権から労働党政権への移行を成功させた超党派的戦略は日本のアプローチを参考に形成されたものだと認めている。アメリカ研究センターが二〇二二年末に実施した調査では、オーストラリア人の三分の二以上が、日豪で安全保障協定を結べばオーストラリアの安全保障がいっそう強まるという認識を示した。ヨーロッパ諸国もインド太平洋戦略を掲げ始めている。ASEANも、中国が「インド太平洋」という用語を嫌っているにもかかわらず、ASEANとしての見通しを語るにあたりこの言葉を使っている。
当の日本国内では、菅政権および岸田政権が安倍の戦略ビジョンの実行を続けた。菅と岸田はいずれも安倍内閣に加わっていたのだから驚くべきことではないが、二〇二一年の自民党総裁選の時点で、最終候補者四人の中に安倍のアプローチへの決別を打ち出した政治家は一人もいなかった。強調する点がそれぞれ違っていただけだ。総裁選に勝って首相となった岸田が下している主な判断は、本書で説明した戦略を継続するために欠かすことができないものである。二〇二二年に策定された国家安全保障戦略、国家防衛戦略、防衛力整備計画は、いずれも安倍のもとで二〇一三年に成立した最初の国家安全保障戦略の重要部分をさらに先へ進ませている。「安保三文書」と総称されるこの三つの方針により、日本は安全保障のために必要な陸海空およびサイバー面での軍事能力拡充を継続するとともに、アメリカ、オーストラリア、その他の同志国との連携を深化させていく。岸田政権が防衛支出をGDPの二%に増額すると決めたのは、安倍が存命ならば諸手を挙げて支持したであろう、大胆ではあるが必要な判断だ。
とはいえ、安倍の戦略ビジョンを実行していくのは容易ではない。GDPの二%をまかなうためには増税か、他の領域での削減か、債務拡大かの道を選ばなければならない。国民と自民党は防衛支出増額を支持はしても、具体的な方法については見解が割れる。新しい国防計画を進めるにあたっても、日本国内および日米において、より整理された効果的な指揮統制が必要だ。アメリカやオーストラリアと情報を共有し先進技術を共同開発していくなら、情報の安全保障について、いっそう厳密なルールが不可欠となる。少子高齢化問題や不十分な生産性上昇率についても、規制緩和、女性の活躍推進、移民、労働改革といった面で、いっそう踏み込んだ取り組みが求められる。さらに日本経済はいかにイノベーションを進め、中国市場から利益を引き出せるか、その最善の方法を探りつつ、中国の侵略的な技術政策の標的となるリスクの軽減にも引き続き取り組まなければならない。「意志あるところに道は開ける」と言うが、こうした試練に立ち向かう意志はあると見てよいとしても──歴史を振り返れば、日本はつねになんらかの形で競う方法を見つけてきたのだから──問題は道が開けているかどうかだ。安倍が整えたグランド・ストラテジーはこの先一〇年間は中心的な役割を果たしうる。だとすれば、実行のための果敢な努力もきっと続いていくのではないか。
それは私の次の著書のテーマとなるだろう。
オーストラリア、シドニーにて
マイケル・J・グリーン
【目次】



