その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日はクロサカタツヤさんの『 AIバブルの不都合な真実 』。「序章」をお届けします。
【序章】
アップルすらも焦らせる「AIバブル」の熱量
米アップル(Apple)が米パープレキシティAI(Perplexity AI)を140億ドルで買収か――2025年6月、AI(人工知能)をめぐる大きなニュースがもたらされた。
パープレキシティAIは、米オープンAI(OpenAI)出身者らが設立した米カリフォルニア州発の検索型生成AIスタートアップである。検索特化型AIに強みを持っており、「何を根拠にその答えを返しているのか」を提示する仕組みが評価され、ユーザーの支持を一定程度集めていた。
しかし本件がニュースになったのは、そうした買われる側の特性ではなく、買う側、つまりアップルへの注目だろう。報道によれば、買収金額の根拠は、非上場であるパープレキシティAIの直近の企業価値が140億ドルと評価されたからだという。140億ドル日本円に換算すると、およそ2.2兆円(本稿執筆時点)。この値段が高いか安いか、多くの人には判断がつかないだろう。ただ一般論として2.2兆円という金額は破格である。
仮に買収が成立すると、これは日本にとって対岸の火事ではない。パープレキシティAIはすでに日本でもユーザーを多く獲得しているAIサービスである。そしてiPhoneは日本人が最も利用しているスマートフォンである。これまでAIを使っていなかった人たちの手元にも、高品質のAIサービスが突然登場し、普及が進むかもしれない。
アップルがAI分野のM&A(合併・買収)でここまで巨額の投資を投じたことはこれまでなかった。アップルは、この生成AIブームにおいて常に「静観」の構えを崩さなかった企業の代表だ。オープンAIや米グーグル(Google)が、生成AIサービスの中核であるLLM(大規模言語モデル)の開発競争を繰り広げ、米メタ(Meta)がオープンモデル戦略に舵(かじ)を切り、米アマゾン・ドット・コム(Amazon.com)が米アンソロピック(Anthropic)に巨額出資を行う。こうした中でアップルは沈黙を守ってきた。
アップルはいわゆるビッグテック企業の中でも、内製志向の強い会社だと思われてきた。例えば半導体設計を筆頭に、競争上のコアコンピタンス(中核的な強み)と考えられる機能は、小規模なM&Aを駆使しつつ、必要な人材を登用して内部でしっかり育て、最終的に市場支配力の源泉にしてきた。
ただ一方で、事業戦略上どうしても必要なもの、また自らの手に負えないものは、アップルといえど、大規模な買収でまるごと買わざるを得ない。実際、2019年にインテル(Intel)のスマートフォン半導体部門(通信のためのモデムチップ製造など)を10億ドルで買収している。そして生成AIにおいては、おそらく過去最高額だった米ビーツ・エレクトロニクス(Beats Electronics)の30億ドルをはるかに上回る巨額の投資を、ある意味で余儀なくされている。すなわちアップルでさえ、もはや市場の熱狂にあらがえず、生成AIという舞台に焦って駆け上がろうとしている。
本書を執筆する最終段階で入ってきたこのニュースとその反響を見ながら、この動きが「AIバブル」の現在地を如実に物語っているように思えた。慎重派の巨人をも動かすだけの熱量が、2025年のAI市場――否、世界中の資本市場や、もっといえば人間社会のすべてを包み込んでいる。
そして筆者はこの時点で、確信を得た。「これは、かつてのドットコム・バブルと、同じ構図だ」と。
ゴールドラッシュの様相を呈するAI
オープンAIはChatGPTを2022年末にローンチし、わずか数カ月で1億ユーザーを獲得した。その成長は著しく、しかも単なるテック業界の話ではなく、社会全体を巻き込んだ革命のような様相を呈している。
一方のグーグルは、オープンAIの台頭に厳戒警報(コードレッド)を発令し、巨艦を猛烈なスピードで方向転換させた上、エンジンが壊れるのではないかというほどの全速力でキャッチアップを図った。その結果、BardやDuet AIの開発を経て、現在はGeminiを展開し、既存サービスへの統合を加速させている。その結果、グーグルがもともと持っていた特徴である、様々な生活シーンへの浸透と、確立されたデータエコシステムによるデータ取得が、生成AIによってさらに強化された。
またFacebookやInstagramを運営するメタもLlama 4を公開し、オープンAIエコシステムの中核を担う存在となった。彼らは以前からAIのアルゴリズム開発に強みを持っており、オープンソース戦略でオープンAIやグーグルに対抗している。彼らが中心となって開発を進めた深層学習開発のライブラリーであるPyTorchは、日本のAI企業の雄であるプリファードネットワークス(Preferred Networks)をはじめ、世界中で多くのAI開発企業に採用されており、「玄人」に向けた影響力は大きい。
一方、アップルは前述のとおり、生成AI開発において沈黙を守り続けた。アップルは何より「体験の完全性」と「ユーザーの価値」を重視する企業である。ビッグテック企業の多くがデータプライバシーの乱暴な取り扱いを常に批判される一方、アップルがプライバシーの高さをテレビCMでアピールしていたことは、多くの方が覚えているだろう。すなわち、未成熟な生成AIをiOSに組み込むリスクを、彼らは慎重に見極めていたのだと、筆者は考えている。
だが、その慎重さが、いまや重荷となっている。2025年6月、アップルのCEO(最高経営責任者)ティム・クック氏は自社イベントWWDCの壇上で、Siriの大規模刷新、iPhoneへのオンデバイスLLMの統合などを発表し、2024年に発表した「Apple Intelligence」というブランドがいまだ広がらない状況へのテコ入れを目指している。明らかに、生成AI戦争への本格参入宣言だった。そして、その裏付けとなる技術と人材の獲得への並々ならぬ意欲が、パープレキシティAI買収報道として表れたのである。
「自動議事録AI」は夢だったのか――オルツ事件の教訓
まだ成熟していない市場において、将来価値の評価が暴騰する。そしてこれまで企業理念を重視して冷静さを失わなかった企業が、遅ればせながら大きく踊り出す。この瞬間、世界中の投資家、事業会社、政策立案者の心の中で、同じフレーズが踊ったのではないか――AIバブルは、いよいよ臨界点に達した、と。
実際、AIブームに乗り遅れるリスクが喧伝(けんでん)されるようになって、AI革命に疑問を呈しても唇寒し、というようなムードも漂っている。しかしその裏で、本当にAIは期待通りの性能を発揮してくれるのか、直截(ちょくせつ)に言えば「使い物」になるのか。こうした不都合な真実を思い出させる瞬間も、少しずつ増えている。
例えば2025年春、日本のスタートアップ業界を震撼(しんかん)させるニュースが飛び込んできた。東京証券取引所グロース市場に上場していたAI企業オルツによる大規模な粉飾決算疑惑である。
報道によれば、同社が2021年から2024年にかけて、売り上げの大半にあたる約40億円以上を、実態のない循環取引によって架空計上していたという。さらに驚くべきは、2023年末のIPO(新規株式公開)直後のタイミングでも、不正は継続していた可能性があるという事実だった。
オルツに対する期待が大きかった分、資本市場関係者へのダメージは大きい。同社を支援してきたVC(ベンチャーキャピタル)に対しては「プロなのに粉飾を見抜けなかったのか」という批判があふれた。この問題にひも付けて、日本のスタートアップ市場の稚拙さやいびつさを論じる向きも、少なからず見られた。
関係者を擁護する意図ではないが、こうした批判は、半分正解だが半分間違いだと筆者は考えている。半分正解というのは、VCは出資者として、常に結果に対して責任を負わなければならないからである。一方で半分間違いというのは、AI技術を理解することがそもそも難しいことに加え、「AI銘柄は無条件で買い」という昨今の市場のモメンタム(勢い)には、プロであっても、いやプロでこそあらがえないだろうと考えるからだ。
その両面をもってしても、この事件は単なる「不正会計事件」では片づけられない。なぜなら、オルツはまさに日本のAIバブルの中核であり、その「顔」としてメディアにも多数登場してきたからだ。
同社の主力製品は、「AI GIJIROKU(議事録)」という議事録自動作成サービス。音声認識・自然言語処理・要約モデルなどを組み合わせ、会議の録音データをAIが自動でテキスト化・要約するという触れ込みだった。パンデミック以降、オンライン会議が増加した結果、録音データは容易に入手できるようになった。一方で議事録作成というのは、簡単に見えて難しい仕事の代表格でもある。特に若者の採用に悩む企業にとって、人手に頼らずに議事録を残せるサービスは魅力的に映った。
しかし、現実はそれほど甘くなかった。
実は筆者自身、深層学習(ディープラーニング)技術による議事録作成支援サービスを提供するスタートアップ企業の社外取締役を、2010年代後半から務めていた(注:現在はバイアウトされており、筆者も取引を含めて関係はない)。この開発や導入に奮闘する現場の苦労を横で見ながら、会議の議事録作成は“AIにとって難しい領域”のひとつだという認識を持っている。
理由は単純で、入力となる音声データの品質がバラバラであること、会議という文脈が曖昧であること、そして要約の品質評価が主観的すぎること――どれをとっても、商用AIサービスの実現には極めて高いハードルとなる。議会の審議や決算発表といった、発話内容が比較的「定型化」しやすい領域ではそれなりに導入が進んでいるが、実はそれさえも(実際には対象ごとの「方言」が含まれる)定型文のパターンを作り、言い回しなどのクセも理解させ、それを繰り返し学習し、しかも時折発生する不規則発言に対処することで、ようやく実現している。
さらに、自由な発話が中心となる一般的なオンライン会議の音声には、以下のような課題がある。
- 複数人が同時に話すことで生じる「かぶり音声」
- 業界用語や略語とその類似表現の頻出(例:「SaaS/IaaS」「ROI/ROIC/ROE」など)
- ノイズやマイクの品質のばらつき
- 文脈の飛躍、話者の脱線、ジョークや比喩表現
これらが混在する会話を、AIが一字一句正確に書き起こし、さらに文脈を踏まえて要点を抽出するなどというのは、現在の技術をもってしても容易なことではない。
また前述のスタートアップ企業ではなく、筆者が代表を務める会社(株式会社 企)のコンサルタントとして向かい合った、ある日本企業のマネジャーは2024年前半ごろ、打ち合わせの中でこう語っていた。
「議事録AIを検討し、導入に向けた検証も繰り返したが、チューニングがいつまでたっても収束しない。そしてその過程において出てきた議事録の多くは、結局のところ人間が全部チェックしなければならず、むしろ工数が増えた」
「議事内容を欠席者に共有するようなメモ書きとしてはありがたいが、それも生成させっぱなし・投げっぱなしでは危なっかしくて、出席者による検証が必要。AIを使わないわけにはいかないが、こんなにもしんどいものだとは思わなかった」
こうした現場感覚は、多くの企業に共通していた。にもかかわらず、いや、だからこそ、オルツは「AI議事録の本命」として資本市場で高い評価を得ていた。その背景には、VCからの大型出資、メディア露出、そしてなにより「AIで働き方を変える」という希望に満ちたナラティブ(物語)があった。
だが実際には、売り上げの多くは架空取引で構成されていた。そして、その虚構を隠すためのカラクリが限界を迎えた。
この事件が示すのは、ただひとつの教訓である。
「AIは重要な技術だが、万能ではない。それどころか、現時点では極めて不完全な存在だ」
我々は、AIに過剰な期待を寄せすぎていないだろうか。現場で運用し、初めて見える課題は、まだ山のように残されているはずだ。
「AIインフラ」に世界中で疑問符が示され始めた
2024年3月、AI業界と資本市場をまたいで、ひとつの“事件”が発生した。世界最大級のデータセンター事業者である米エクイニクス(Equinix)に対して、米国の著名な空売り投資家集団ヒンデンブルグ・リサーチが告発レポートを公開したのである。
レポートの主張は、実に辛辣だった。
「エクイニクスはAIブームに乗じた『幻想(AI pipe dream)』を売っているにすぎない。財務上の操作、REIT(不動産投資信託)構造の悪用、不透明な関連会社取引により、実態を大きく乖離(かいり)させた株価バリュエーションを維持している」
この一報は、テック業界だけでなく、ウォール街でも大きな波紋を広げた。エクイニクスの株価は発表後に一時20%近く下落し、同社が予定していた新規社債発行計画にも影響が及ぶなど、市場はにわかに動揺した。
エクイニクスは世界24カ国で200を超えるデータセンターを展開し、Amazon Web Services(AWS)やGoogle Cloud、Facebookなど巨大ITサービスのインフラを担ってきた、クラウド時代の心臓部とも言うべき存在だ。そのビジネスモデルは、一言で言えば「通信インフラの不動産業」である。
同社は2015年にREITへと組織変更して以来、データセンターを不動産資産としてファンド化し、投資家から得た資金をもとに、施設を次々と買収・拡張してきた。REITとしての税制メリットとキャッシュフロー創出能力の高さを武器に、2020年代初頭には米国REIT業界の中で最も高いPER(株価収益率)を誇る銘柄にまで成長していた。
そして、2023年以降の生成AIブームを受け、AIサービスに不可欠なGPU(画像処理半導体)を大量に導入したGPUデータセンターの需要が一気に拡大。エクイニクスの公表資料にも、米エヌビディア(NVIDIA)製GPUへの対応力や「AI Readyデータセンター」なるキーワードが躍るようになる。
ここに目をつけたのが、ヒンデンブルグである。彼らの調査によれば、エクイニクスは日常的な設備維持費用を「新規拡張費用」として計上し、また自社関連会社との不透明な取引を介して、実際の維持費用を過小評価することで、AFFO(調整後営業キャッシュフロー)を少なくとも22%水増しして公表していたと指摘[注1]している。
さらに問題視されたのが、「テナントに対する割引合戦」である。AIブームでデータセンターの引き合いが強くなる一方、顧客となる企業はグーグルやメタ、米マイクロソフト(Microsoft)といった強大な交渉力を持つ巨人たちである。彼らは往々にして、「将来の契約拡張をエサにした長期契約を要求しつつ、初期費用を徹底的に値切る」戦略を取ってくる。
結果として、稼働率は上がっても収益性が上がらないというジレンマが生まれた。にもかかわらず、株主には「AI需要による急成長」をアピールし続けなければならない。この矛盾が、IR資料上のレトリックとして表れていたというのが、批判の内容である。
断っておくが、筆者はエクイニクスが詐欺的な行為をしているとは考えていない。エクイニクスは極めて誠実で優秀なデータセンターオペレーションを実現している企業であり、彼らは強い責任感に基づく高い技術を、使いやすく提供している。同社のようなデータセンター事業者がいなければ、私たちは現在のようにデジタル技術を「空気のように」使うことは不可能である。一方、ヒンデンブルグ・リサーチは「空売り」を仕掛けることで利益を得る集団であり、こうしたセンセーショナルなレポートで物議を醸すことにもともとインセンティブがある。いくつかの課題から全体の価値に疑義を呈するような姿勢には同意できないし、本件とは別の理由だろうが、ヒンデンブルグ・リサーチ自身は2025年1月に解散してしまった。
エクイニクス自身も、当然このレポートに「不正はない。REITとしてのガバナンスは健全であり、会計上の透明性も確保している」と反論している。そしてそれを裏付けるように、エクイニクスは今日も成長を続け、社会を支え続けている。
しかしそれでも筆者がこの問題に注目した理由は、エクイニクスをはじめとした世界規模のデータインフラ企業が、「インフラ×金融×AI」という三重構造を有しており、それが現在のAIバブルを構成しているという指摘そのものには、一定の妥当性があると考えるからだ。
前述の通り、インフラはあまりに巨大かつ専門的すぎて、様々な不都合を隠しやすい。金融の基本的なインセンティブは最終的には「売買取引を大量に発生させること」であり、投資のナラティブさえ成立してしまえば、なんでもありの世界である。そしてAIは、そのインフラと金融の両方に、都合のいいニーズを提供してしまう。バブルを発生させる鉄板の組み合わせだとさえいえる。
特にAIは膨大な計算機資源を必要とし、「電気と土地」を大量に消費する技術である。ゆえに、データセンターは生成AI時代の不可欠なインフラだとされ、大量の投資を呼び込んできた。しかし、それは本当に持続可能なビジネスなのか。ヒンデンブルグ・リサーチのレポートが、結果論ではあるものの一石を投じたことは間違いない。
「電力を先に探せ」――現実の壁と直面したインフラ計画
AIブームは、既存の社会インフラと摩擦を起こしかねない。実際、電力問題はすでに無視できない水準まで顕在化し、人間の生活とAIのどちらが重要なのか、という問題提起が進み始めている。
現在の生成AIは、訓練フェーズにおいて大量のGPUをフル稼働させる必要がある。例えば、オープンAIのGPT‒4を訓練するための計算リソースは、エヌビディアのA100やH100というGPUが数十万枚規模で必要となり、その消費電力は推定で100MW(メガワット)を超えるとされている。これは地方の中規模発電所1基分に相当する。
その結果、2024年以降、データセンターと電力事業者との間で緊張関係が表面化し始めている。例えば、米国テキサス州では2025年6月、データセンターなど大口電力消費施設がグリッド接続時、電力供給不足時には優先的に「必須負荷」でない電力をカット可能とする条項を含む法案が成立[注2]し、地域の電力会社が接続計画を一時停止する権限を得た。
また、米国イリノイ州でも、データセンターの電力・水消費がグリッドに過負荷をもたらす懸念から、消費報告を義務づける立法が検討[注3]されている。特に、将来的な電力供給逼迫(ひっぱく)が住宅用料金に影響する可能性も議論され、慎重な接続審査が求められている。
マイクロソフトも2025年に入り、英国とオランダで予定されていた2件の2GW(ギガワット)規模のAIデータセンター計画を中断したと報じられている。建設費の急騰、電力調達の不安定化、そして「需要が想定ほどではなさそうだ」という内部報告書の存在が背景にあるとされている。
そして日本でも、電力供給網、データセンターの立地、そして通信網の整備がバラバラに進んでいること、またデータセンター需要の急拡大に伴い、電力供給に係る契約が需要家であるデータセンター事業者側の都合で左右されることの弊害を議論すべく、総務省と経済産業省で検討が進められている。
2024年末、米系プライベートエクイティーのパートナーは、筆者にこう語った。
「我々は、次に投資するAIビジネスには“GPUと電力をどう確保するか”という質問しかしていない。技術的な競争優位よりも、インフラの確保こそが最大の課題になっている」
これは関係者であれば異論のない、というよりも今日では常識的すぎて「何をいまさら」という話だろう。すなわちAIはもはや「アルゴリズムの勝負」ではなく、「物理と金融の戦い」になりつつあるということだ。
2010年代にクラウドコンピューティングが台頭するようになってから、多くのデジタルサービスはクラウドを構成するデータセンターに回収されるようになった。もはやインターネットやモバイルといった通信インフラそのものでさえも、末端の回線部分を除けば、クラウドによって構成される「クラウドネイティブ」の時代である。そしてAIは正にそのクラウドの申し子で、データセンターはいわばAIが生まれるゆりかごであり、AIが活躍する仕事場でもある。
すなわちデータセンターこそがAIのボトルネックなのである。そしてそのデータセンターは、土地、母屋、通信回線、電力で構成されている。AIそのもののソフトウェアとしての限界を論じる前に、そもそもこうした物理的な制約と人間社会(または地球環境)との衝突がAIの「天井」となり、AIバブルの臨界点を設定することにつながる。
ジェンスン・ファンが示した未来
2025年1月。米ラスベガスで開催された世界最大のテック見本市CESで、エヌビディアの創業者兼CEO、ジェンスン・ファン(黄仁勳)が登壇した。黒いレザージャケットにジーンズというおなじみのスタイルで登場した彼は、AIの次なる地平を語り始めた。
「これからのAIは、“言葉を返す知能”を超えていく。我々が向かうのは、フィジカルAI(Physical AI)である」
この講演の後、エヌビディアの株価は急騰した。資本市場は彼の指摘を好意的に受け止め、AIのさらなる成長に期待したということである。
もちろん、資本市場は学界とは異なり、真実が問われるのではなく、期待が評価される場所である。だからこそ、ジェンスン・ファン氏の指摘を資本市場が本当に正しく理解しているとは、筆者には思えない。
現在の生成AIの出発点は、機械学習の仕組みである。詳細は後述するが、これは“確率の積み重ね”にすぎない。『たぶんこう言えばいいだろう』『きっとこんな答えが返ってくるはずだ』という、統計的な予測が基本だ。すなわち「こういう仕組みだから、こう動く」という因果関係ではなく、「いろいろ試して数えたら、たぶんこの結果が一番多い」という、相関関係に基づいている。現在の生成AIも、その延長線上にある。
しかし、現実世界ではそれでは済まない。飛行機の操縦、手術、配送ロボット、エネルギー制御……そういった現場では、“たぶん”ではなく“必ず”でなければならない。すなわちこれからのAIは、物理法則を理解したものにならなければ、人間の役に立つAIにはならない。だから、そこに向けて開発を続けるのだ……これがジェンスン・ファン氏の主張だと、CESの会場で私は理解した。
現在のLLM(ChatGPTを含む)は、人間が普段使う言語という意味では驚くほど流暢(りゅうちょう)に返事をしてくる。しかし、意味の確定性や因果関係の理解には限界がある。それはあたかも、「なんとなく空気を読んで、それっぽく発言している知ったかぶりの学生」のような存在だ。表面上は優秀かもしれないが、外科手術や発電所の制御を任せることはできない。
ジェンスン・ファン氏は、この課題を解決するために「NVIDIA Cosmos」というプロジェクトを発表した。これは、WFM(World Foundation Model)=世界モデルの基盤を提供し、物理空間でAIが安全かつ確実に判断・行動するための仮想環境を整備するものだ。
Cosmosの中で、AIはシミュレーション空間内で無数の試行錯誤を繰り返し、現実世界に近い知性を身につけることになるだろう。それはまるで、仮想空間で猛烈に訓練されたAIパイロットが、ある日実際の戦闘機を飛ばすような構図である。それでも事故がゼロになることはないが、それは人間によるオペレーションでも同じこと。むしろゼロに近づけるエラー率の低下は、優れた技術の賜物(たまもの)である。
この構想は、AIの民主化ではなく、「AIの現実適合化」へのシフトといえる。これは、比喩的でもあり、直喩的でもある。つまりAIは、民主主義を語れるほど、成熟もしていなければ、安定もしていない。そうではなく、まず現実を知り、現実の中での訓練を通じて、実績を得て、信頼を得なければならない。
何が幻想で、何が現実か
エヌビディアのジェンスン・ファン氏が提唱した「フィジカルAI」は、AIを再び現実に引き戻す呼び水となった。いまをときめくエヌビディアが、AIの本質をそこまで理解し、それでもなおAIへの希望を捨てず、地に足の着いた取り組みを促していることに、筆者は感銘を受けている。
しかしそれは同時に、「いま私たちが持っているAIは、本当に社会に信頼されているのか」という根源的な問いを突きつけているとも感じる。実際のところ、現在の生成AIをめぐる社会の空気感は、ある種の「両極化」に近いものがある。
ある人たちは、生成AIを「人間を変える未来からの黒船」だと信じて疑わない。少し古い話だが、ChatGPTの登場時、ある地方紙は「これは印刷革命以来の衝撃だ」と論評した。SNSでも「もう学生はレポートを書かなくてよい」「エンジニアはコードを自分で書く時代が終わる」など、極端な言説が飛び交った。確かにその一部は、顕在化し始めている。
一方で、現場に身を置く人々は、こうした“魔法の杖”に懐疑的な視線を向け始めている。
ある大手出版社のデジタル部門のリーダーは、こう語ってくれた。
「導入したんですよ、生成AI。社内資料のドラフトを作らせたり、図版の代案を出させたり。でも……結局は人間が直す必要があるんです。しかも、“よさそうな雰囲気”だけ出すから、間違いを見逃しやすい。むしろ新しい“細かな確認作業”が増えて、手間というよりも神経がすり減っている感じです」
これは決して特殊な意見ではない。経営コンサルタントである筆者のもとには、「AIのせいで業務がややこしくなった」という相談が、行政、医療、製造業など、あらゆる分野から届いている。そして、それこそが現在の生成AIブームが抱える最大の問題、すなわち信頼できるAI社会がまだ到来しておらず、その道筋も見えないのに、それを前提とした経済圏の「妄想」だけが先行してしまっているという、アンバランスなのだ。
ここで読者の皆さまに、まず強調しておきたいことがある。
本書は「AIは危険だ、やめた方がいい」と訴えるものではない。これだけ複雑な社会が、複雑な技術に依存するかたちで成立している中、AIを使わないで人間が生きていくことはもはや不可能である。スパムメールにあふれ、うっかりするとすぐなりすましにだまされかねない現在の電子メールは、AIによるスパムフィルタを介さなければ、およそ利用できない代物と化している(詳細は後述する)。我々はこうした現実を受け止めなければならない。
逆に、「AIにすべてを賭けろ、遅れるな」とあおるつもりもない。それは、この序章をここまで読んでいただいただけでも明らかだろう。
筆者が目指すのは、ただひとつ。AIバブルの崩壊に備え、「それでもAIを使うべき理由」を冷静に見極めることである。
2025年現在、世界は明らかにAIバブルのただ中にある。投資の過熱、不透明な評価、過剰な期待、未成熟な制度、そして現場の混乱――どれをとっても、2000年前後のドットコム・バブルやスマートフォンバブルと酷似している。
そして、バブルは必ず崩壊する。歴史上、崩壊しなかったバブルは、ない。
だがその崩壊は、最終的には悲劇ではない。泡がはじけ、地面が見えるからこそ、本当に根付く技術が選ばれる。そしてそのとき、「AIを正しく使える者」が生き残るのだ。
そのためには、いまから備えるしかない。
- 何が幻想で、何が現実かを見極める力
- 投資家の視点ではなく、利用者の視点で技術を見通す力
- AIに任せるべきことと、人間が絶対に責任を持つべきことを見分ける力
- 崩壊後にも残る「強い技術」と「確実な勝ち筋」を見つける力
本書では、次章以降で以下のテーマを掘り下げていく。
- なぜ、いまのAIはバブルといえるのか
- バブルはどのように崩壊するのか、その兆候は何か
- バブル後に残るAIとは何か、我々はどう使い分けるべきか
- 企業として、社会として、どのようにAIと共存すべきか
その旅のはじまりとして、本章ではAI狂想曲2025の断片をお見せした。次章では、AIバブルの歴史的文脈と、技術進化の構造、そして「人間を超える」という幻想の正体を、さらに深掘りしていく。
注2 https://www.utilitydive.com/news/texas-law-gives-grid-operator-power-todisconnect-data-centers-during-crisi/751587/
注3 https://www.govtech.com/policy/illinois-mulls-energy-policy-updates-to-address-data-centers
【目次】





