その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日はセバスチャン・マラビー(著)、村井浩紀(訳)の『 The Power Law(ザ・パワー・ロー) ベンチャーキャピタルが変える世界 』。「日本語版へのまえがき」です。

【日本語版へのまえがき】

 本書『The Power Law』の日本語版のまえがきを記すことができてうれしい。私が社会の近代化(モダニゼーション)と進歩について自分なりに考えをまとめるにあたり、日本に助けられたからだ。

 私はエコノミスト誌の東京支局長として1992年から95年まで日本で暮らした。築地の魚市場の喧騒や京都の庭園の静寂はもちろん、この国の科学とエンジニアリングにおける卓越性も尊敬するようになった。私は金沢で着物職人の家庭に滞在し日本語を学んだ。東京では神楽坂の魅力的な界隈にアパートメントを借り、支局のある大手町の読売新聞本社まで通った。冬の週末に時間があれば、水上高原でスキーを滑り、冷たい外気の中、蒸気が立ち込める熱い温泉で体を整えた。

 その3年間は日本の重要な局面と重なっていた。ちょうど戦後の経済的な奇跡が終わり、「日本株式会社」は金融・不動産市場崩壊の後遺症と闘っていた。このつまずきは一時的なものだと予想する人々と、減速がもっと長く続くと恐れる人々の間で激しい論争が展開された。

 最初の(つまずきは一時的とする)陣営は、政府による産業の調整、強固なケイレツ、そして大企業の終身雇用からなる日本の経済モデルはライバルのアメリカより優れていると主張した。

 やがて、金融バブルが残した混乱が解消された暁には、優位性が明白になると言い張った。1995年になっても『見えない繁栄システム──それでも日本が2000年までに米国を追い越すのはなぜか』(早川書房)という楽観的なタイトルの書籍(邦題、著者はエーモン・フィングルトン)が出版されていた。

 第二の(減速は長く続くと恐れる)陣営は、日本の産業政策は不発に終わるだろうと反論した。ケイレツは慢心のもとになりかねず、また終身雇用はアメリカの流動的な労働のパターンに比べて経済を順応性の低いものにする可能性があると指摘した。この第二の説によれば、日本のモデルは経済発展のキャッチアップの段階ではうまく機能したが、最先端のテクノロジーと科学が特徴となる豊かな社会には不向きだった。

 現在の社会通念では第二の陣営が論争に勝利したことになっている。不運にも悲観派が懸念していたとおりに日本では経済的な低迷が続いた。しかし、私が1990年代を振り返り、とりわけ本書の取材・執筆に5年間取り組んだ今、強く感じるのは、双方が重要な点を見落としていたことだ。

 日本の経済不振が長く続いてしまったのは、私が東京にいたときに強調されていた危険性、つまり強引な産業政策や柔軟性を欠く終身雇用が理由ではなかった。むしろ、主因はマクロ経済的なもの、具体的には社会の高齢化(公平を期すなら、高齢化は過小評価されていたものの、予想はされていた)や、物価上昇率を1999年から2005年にかけてゼロ%より下に沈ませてしまった失敗(これは誰も見通せていなかった)にあった。

 しかし、もっと驚かされるのは、日本のモデルにミクロ経済的な観点でも欠陥があったことではないだろうか。それは産業政策とも、終身雇用とも、そして友人たちと私が意見をぶつけ合ったその他のトピックとも本当のところは関係がない。何か別のもの、すなわちベンチャーキャピタルが支援するスタートアップのネットワークのために道を開けることに関してだった。

 今の私はより明確に理解している。1990年代前半の日本の経済モデルに突きつけられていた疑問は、現実には太平洋の反対側でほぼ同時期に起きていた途方もない事態の進展が持つ意味ほどには、重いものではなかった。私が東京にいたときに、シリコンバレーは地球上で最も先端的なテクノロジーの中心地としての地位を固めた。そのことを通じて、この小さな地峡──一つの国の、一つの州の、一つの小さな地域──は世界の残りのすべての先進国・地域に向けて絶対的に重要な教訓をもたらした。

 1990年ごろまで、シリコンバレーはグローバルなテクノロジーの頂点を目指す三つの候補地の一つにすぎなかった。60年代と70年代にはボストン周辺のエンジニアリングの中心地に後れを取っていた。ボストンは第二次世界大戦後のアメリカの軍産複合体の拠点であり、レイセオンをはじめとする航空機・兵器分野のメーカーや、ディジタル・イクイップメント(DEC)、ワング・ラボラトリーズといったコンピューター企業の集積を誇っていた。続く80年代にシリコンバレーはボストンを追い抜いたが、日本にいた、より強力な挑戦者たちに直面することになった。東芝やソニーなど多くの企業が半導体メモリー、テレビ、そして音響機器で世界をリードした。シリコンバレーのリーダーたちは現地の半導体メモリーのメーカーを守ろうとして、独自の産業政策の実験を試みたが、挫折した。

 しかし、インターネットの出現を受けてシリコンバレーは全力疾走に転じた。マルチプロトコルのルーター(シスコ)、ウェブ・ブラウザー(ネットスケープ)、検索エンジン(グーグル)、そしてソーシャル・メディア(フェイスブック)といった製品・サービスを世に送り出した。日本で最も有名なインターネット関連ビジネスの大物で、本書の主要登場人物でもある孫正義がこの時期に照準を合わせる先をカリフォルニアに切り替えたのも不思議ではなかった。

 では、なぜシリコンバレーはほかの地域を凌駕したのだろうか。そして、ほかの豊かな世界にとっての教訓とは正確には何だろうか。実は科学とエンジニアリングでほかの地域をリードしてきたのは北カリフォルニアではなかった。かなり最近までマサチューセッツ工科大学(MIT)が科学の基礎研究でスタンフォード大学よりも上位にランクしていた。また、日本の産業界はほかのどのライバルよりもエンジニアリングの卓越性を体現していた。シリコンバレーは国防支出のおかげで繁栄していたわけでもなかった。冷戦期にはボストンにより多くの国防関連のお金が流れ込んでいた。誰もが認める世界のテクノロジーのリーダーとしてシリコンバレーが台頭したのは冷戦が終わったあとのことだ。

 むしろ、シリコンバレーがテクノロジーの競争を制したのは、本書で示すように、科学とエンジニアリングを収益の上がる企業に転換することに長けていたからだ。アイデアやイノベーションがシリコンバレーではなく、どこかよその場所で沸き立っていても構わなかった。マーク・アンドリーセンはイリノイ大学の大学院生の時期にウェブ・ブラウザーを開発したが、その商用化のためにシリコンバレーに移った。マーク・ザッカーバーグはマサチューセッツのハーバード大学の学部生のときにフェイスブックを考案したが、会社はパロアルトで立ち上げた。起業家たちを引き寄せる何かが北カリフォルニアにはあった。そのミステリアスな要因とは何だろうか。

 私は本書のために何百回ものインタビューを行った。そして繰り返し言われたのは、答えはシリコンバレーの「文化」にあるということだった。しかし、私は日本での経験から、この種の漠然とした主張を疑うようになっていた。私は東京にいたとき、日本の大企業の終身雇用はこの国の「文化」に由来すると人々が言うのを何度も耳にした。ところが、より詳しい説明を聞けば、終身雇用は戦後の数十年間続いた急成長と労働市場の逼迫の結果にすぎなかった。要するに、労働者に有利な売り手市場が続き、よりよい条件を求めて毎年離職率が高まっているときに、企業が従業員を解雇する理由などなかった。また、終身雇用が本当に「文化」に由来するとしたら、日本の中小企業がアメリカと同様に柔軟に従業員を採用・解雇している現実とは整合しなかった。

 私はこのような日本での実例を踏まえ、シリコンバレーが優越している理由を文化に求めるあいまいな説明を拒否し、より説得力のある理由を探した。そして、最終的にシリコンバレーの優位性、すなわち地球上のあらゆる場所からやり手の起業家たちを吸引する能力は、そこに集まるベンチャーキャピタルによるところが大きいと見なすようになった。ベンチャー企業向けの投資資金は、特有の性質を持つお金で、リスクを取ることと親和性があり、一般にその企業の経営に非常に深く関与する形で提供される。

 私には、ベンチャーキャピタルがシリコンバレーの成果を左右するほど中心的な位置を占めているからには、それを資本主義の第三の柱のような存在だと認識すべきように思われた。ちょうどブームの絶頂にいたときの日本と同じように、研究に値する経済モデルとして私の目には映った。

 本書の序章で触れるように、経済学を生業とする人々は現代の資本主義には二つの重要な柱、すなわち制度や機関が存在すると理解してきた。一つは市場である。そこでは価格のシグナルや公正な契約によって調整が進む。もう一つは企業である。そこでは、トップダウン型の経営者が率いる大規模なチームを編成して活動が繰り広げられる。しかし、経済学者やエコノミストたちはその二つの中間領域に位置するベンチャーキャピタルのネットワークにあまり焦点を当ててこなかった。

 このネットワークこそもっと注目されるべきである。それを通じて資本や、才能のある従業員、多くの顧客が有望なスタートアップへと導かれ、チームの組成、資源の配分、戦略的ビジョンの策定といった企業に見られる機能が複製される。このネットワークは同時に市場と同じ柔軟性を備えている。ベンチャーキャピタルはスタートアップに投資し、支援するが、手元の資金が尽きたとき、スタートアップは一種の市場が突きつける試練に直面する。ベンチャーキャピタルのネットワークを経由して資金調達のラウンドがもう一度進められても、熱心な資本の提供者が現れない場合には、ベンチャーキャピタリストはそのスタートアップを閉鎖し、資源の浪費を回避する。つまり、ベンチャーキャピタリストは、企業の戦略を練り、市場のシグナルを尊重しているわけで、この融合の機能こそ、市場と企業に続く現代の資本主義の第三の重要な柱である。

 これがまさに私の得た洞察であり、本書の英語版が出版されて以降、私が世界各地での講演で強調してきた点である。しかし、私がヨーロッパやアフリカ、アジアの一部を訪れ、聴講者にこの話をすると、自分たちの地域ではシリコンバレーの成功に匹敵するようなことなどかなわないとしばしば言われる。彼らはシリコンバレーの「文化」には何か奇妙で魔術のようなものがあると受け止めている。「シリコンバレーではスタートアップが失敗したとき、創業者はそれを学習体験と見なす」が、これはアメリカ以外の人々にとっては、畏れと驚きの対象でしかない。「私の国ではスタートアップが失敗したとき、単純にそれを失敗と評価する」というのが彼らの反応だ。

 読者に覚えておいてほしい本書からのメッセージは、文化は静的なものではないということだ。文化を変えることは可能だ。シリコンバレーでテクノロジーのセクターが立ち上がった1950年代にさかのぼれば、失敗が学習経験だという発想はなかった。起業を尊ぶ文化もほとんどなかった。アメリカを支配していたのは、大胆なスタートアップではなく、巨大な組織だった。ビッグビジネス、ビッグガバメント、そしてビッグレイバー(労働組合)だった。その時代の官僚的で、アンチ起業の文化をとらえた有名な本のタイトルは『組織のなかの人間──オーガニゼーション・マン』(東京創元社、邦題、著者はW・H・ホワイト)だった。

 西海岸のベンチャーキャピタルの父、アーサー・ロックのおかげで、この階層的な産業文化に対して異議が申し立てられた。画期的なプロジェクトを夢見るエンジニアたちにロックが資金とアドバイスを提供し始めたとき、輝かしい才能を持つ人々が実験し、繁栄し、失敗し、そして自分自身を再発明することが可能になった。私が「解放の資本」とも呼ぶベンチャーキャピタルによって、イノベーターたちがそれまで所属していた階層的な組織を辞めて、自分のスタートアップを興せるようになったのである。

 ベンチャーキャピタルの威力を理解するため、一つの場面を想像してみよう。大企業の研究部門にいるエンジニアが素晴らしいアイデアを思いつく。ところが、彼の上司はそれを進めることに乗り気ではない。エンジニアには不満だが、これまでは、夢をあきらめるしかなかった。しかし、ベンチャーキャピタリストが大勢いる世界では、そのエンジニアはカフェやパーティ、スポーツのイベントで自分を解放してくれる人に出会うだろう。そして、次のように会話が進行する。

エンジニア(E)「私は大企業で働いている。実に魅力的なアイデアを持っているのだが、上司は気に入ってくれない」
ベンチャーキャピタリスト(V)「その大企業を辞めて、スタートアップを立ち上げるべきだ」
E「しかし、そのための資金が私にはない」
V「心配は無用だ。私が出資する」
E「しかし、私は一度も会社を興したことがない」
V「それについても心配は無用だ。私は何十人もの起業家が会社を始めるのを手伝ってきた。何をすべきか、あなたにお見せしよう」
E「しかし、製品を作り上げるには、私が思うに6人の優秀なエンジニアに助けてもらわなければならない。どこで彼らを探したらよいのか分からない」
V「私のベンチャーキャピタルにはデータベースがあって、この街のすべてのエンジニアの名前が登録されている」
E「しかし、優秀なエンジニアたちがリスクを取って私の小さなスタートアップに参加することなど考えられるだろうか。結局のところ、スタートアップにはリスクがあり、大半が失敗する」
V「それは本当だ。しかし、問題ではない。私がエンジニアたちに伝えてあげよう。あなたの会社と雇用契約したものの、経営がうまくゆかなかった場合には、私の出資先のスタートアップの中から仕事を見つけてあげると」

 この想像上の会話は何を教えてくれるだろうか。答えは、ベンチャーキャピタリストがかかわると、どれほど起業は困難ではなくなるかということだ。グーグルで長年、最高経営責任者(CEO)を務めたエリック・シュミットは、この若い会社(グーグル)に参加するという、リスクを取るつもりはほとんどなかったと私に明かしてくれた。特にラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンの創業者2人が、30歳を超えたすべての人の知性を軽視していたように見えたからだという。

 シュミットがCEOのポストを引き受けたのは、ベンチャーキャピタリストのジョン・ドーアの保証があったからだ。ドーアは、もしグーグルで良い結果が出ない場合には、自分の別の投資先でCEO職に就けるとシュミットに約束した。言い換えるなら、シュミットが失敗のリスクを許容したのは、シリコンバレーの「文化」が理由ではなかった。ベンチャー投資家が作り出した具体的なインセンティブこそが理由だった。

 要するに、シリコンバレーの起業のダイナミズムをベンチャーキャピタルが全面的に支えているということだ。そして、本当に興奮させられるニュースは、この教訓が今、世界の各地域に広がりつつあることだ。本書の第10章で説明するように、最大のサクセス・ストーリーは中国である。シリコンバレーのモデルを忠実に踏襲して侮り難い競争力のあるテクノロジー産業を構築した。中国のデジタル経済における勝者の第一陣は、すべてアメリカ式のベンチャーキャピタルから資金を得た。シナ(新浪)、ソウフ(捜狐)、ネットイース(網易)然り、バイドゥ(百度)、アリババ(阿里巴巴)、テンセント(騰訊)然りである。

 また、中国の各社はアメリカで経験を積んだ人材を雇い入れるために、アメリカ式の従業員向けのストックオプションを利用した。アリババはイェール大学で教育を受けた法律家のジョー・ツァイを採用し、後に彼は同社の最高執行責任者(COO)に就任した。同じくアリババにはジョン・ウーがヤフーの最高技術責任者(CTO)を退任して参加した。

 成功は中国に限らず、ほかの場所でも繰り返されている。シリコンバレーのベンチャーキャピタルはインドや東南アジア、ヨーロッパに殺到している。ラテンアメリカを開拓する事例が出ているほか、アフリカでも活動している。

 そして私が1990年代以来ぞっこんの日本は、容易にこのグローバルな変革を主導できると信じている。2021年までの10年間で日本におけるベンチャー投資はおよそ10倍に膨らんだ。日本勢のパートナーシップ、一例を挙げればWiLはシリコンバレーの手法を習得して本国(例えば、電子商取引の大手メルカリ)およびカリフォルニア(同じくソフトウエアのアサナ)の両方で目覚ましい投資を進めている。日本の公的年金基金はベンチャーキャピタルへの資金投入を開始した。岸田文雄政権にはスタートアップを後押しすると決意している様子がうかがえる。

 本書の日本語版がこのトレンドを促進することができたなら、私にとって喜びである。そして、ベンチャーキャピタルがいかにして文化を変え、人材を解放し、起業の勇気を作り出す装置となっているかについて、日本の読者が理解を深める助けになることを願っている。

2022年12月8日  セバスチャン・マラビー


【目次】

【上巻 目次】
【上巻 目次】
画像のクリックで拡大表示
【下巻 目次】
【下巻 目次】
画像のクリックで拡大表示