その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は加来耕三さんの『 戦国武将と戦国姫の失敗学 歴史の失敗学3─乱世での生き抜く術と仕舞い方 』です。
【はじめに】
日本史における大きな(取り返しがつかない)失敗に、もしも原理・原則や法則性といったものがあるとすれば、古代→中世→近世→近代→現代と流れてきた歴史=時勢を読み違えたこと、が考えられる。
一番まずいのが、旧態依然のまま、何もしないで日々を過ごすこと。変化を恐れ、これまで定められてきたことのみを疑わず、家憲や家訓を後生大事に抱え、目をひらいて現実をみようとしないこと。
あるいは、目はあけてはいるものの、見ているふりをしたり、色メガネで見て解釈するのも同断である。現代でいえば、スマホ(スマートフォン)の膨大な情報を目に映しているだけで、データを読み解き、分析し、自分流に考えたと思い込むこと。
これは、何の役にもたたない。
どうすれば、無意味を実証できるか──ときの話題を、同僚と議論してみるといい。
自分の目で見て、自分の頭で考え、咀嚼(そしゃく=よく考えて正しい意味を理解すること)のできていない人は、おそらく討論できまいし、ましてや勝てまい。なぜ、できないか。情報をスマホで読んでいるのではなく、読んだふりをしていたにすぎないからである。
次によくあるのが、本末転倒──逆流を目指してしまうこと。
戦国時代でいえば、応仁(おうにん)の乱を経験し、乱世の人々が「下剋上(げこくじょう)」の時流に乗っているにもかかわらず、守護大名の家に生まれた人物が、「現代」を読み違え(あるいは理解できず)、戦国の世に諍(あらが)って、自家を再興しようとすれば、その人物がいかに優れていても、時勢の奔流(ほんりゅう)からは手痛いしっぺ返しを受けることになる。
なぜならば、歴史は逆流をしないからだ。古代→中世→近世→近代→現代ときた流れが、再び古代を目指すことはあり得ない。
自己主張や目的地の設定ミスも、滅亡につながる本道といえるように思う。
いかに立派な理想でも、現代から未来へ向けて可能性のあるものでなければ、時勢の壁に遮(さえぎ)られ、跳ね返されてしまうだろう。戦国時代にも、そうした人物は少なくなかった。
時流に逆らってはいけない。否、時流を見誤ってはいけない。
多くの失敗は、現実が見えていないことによって起きていた。
──「轍鮒(てっぷ)の急(きゅう)」という言葉が、『荘子(そうじ)』に出ている。
車の轍(わだち=車の跡)にできた、ほんのわずかな水たまりに迷い込んでしまった鮒(ふな)は、いまにも水が渇(か)れて死ぬ運命にある。きわめて厳しい、苦しい運命がせまっていることのたとえだが、人は水が渇れはじめるまで、自らが“轍鮒”であることに気がついていない。
もう少し早く、できれば轍に迷い込む前に、その可能性を知ることができれば、鮒は次のように怒り、悲嘆にくれることはなかったろう。
「後日の多くの水をもらうより、いま一滴の水がほしいのだ。それができなければ私は死ぬから、乾物屋にでも行って、私をさがしてみるといい」
“轍鮒”に「敗に因(よ)って成(せい)を為(な)す」(劉琨[りゅうこん]の言・失敗を転じて、成功とする)は間に合うだろうか。
筆者は歴史にこそ、人生の道標(みちしるべ)を学ぶべきだと思う。そういえば、“相場の神様”といわれた山崎種二(やまざきたねじ)・山種(やまたね)証券(現・SMBC日興証券)の創業者が次のように言っていた。
相場で成功する初歩的な、そして最も確実なコツは、相場の大きな流れを知ることにある。それが、勝機に買って出れば、あるいは逆に上げから下げに変わったとき、すかさず売って出れば、どんな未熟な人であろうと、資金が少なかろうと、多少銘柄の選択をあやまったとしても、儲けの大小は別にして、必ず成功するといって間違いない。
まさに、その通りであろう。
本書は長くご好評をいただいている『歴史の失敗学 25人の英雄に学ぶ教訓』、それにつづく『渋沢栄一と明治の起業家たちに学ぶ 危機突破力』、『鎌倉幕府誕生と中世の真相 歴史の失敗学2─変革期の混沌と光明』につづくものである。
したがって、テーマをもって登場する人物の重複は、極力さけた。
また読者諸氏により読みやすく、より印象深く、戦国武将や戦国姫を覚えていただくために、これまでと同様に日本画家・中村麻美(まみ)先生に挿絵をお願いした。
くり返しての本書執筆の機会を与えて下さった、日経BPの田中淳一郎氏にも、この場を借りて心よりお礼を申し述べます。
本書が転(ころ)ばぬ先の杖、「仮想演習」の参考となることを念じつつ──。
令和五年 秋晴吉日 東京・練馬の羽沢にて 加来耕三
【目次】




