その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は小島玲子さんの『 夢中になれる組織の科学 働きがいのメカニズムを解き明かす 』。「第1部 なぜ産業医が経営に参画することになったのか」をお届けします。
【第1部 なぜ産業医が経営に参画することになったのか】
それは、倉庫から始まった
「人と組織の活性化の仕事をするために、丸井グループに採用されたのですか?」
2019年に同社の役員となって以来、こうした質問をよく受けます。しかし全くそうではありません。11年4月、私は株式会社丸井グループの専属産業医として入社しました。前年に入社面接をしたのは労務課長で、人事部長との面接もありませんでした。入社後しばらくして聞いた話によると、同社が09年と11年に2度の経営赤字に陥る中、社員の不調ケースに適切に対応できる産業医がいなかったので、専属産業医を採用する運びとなったようです。
社員の健康に関しては、自社の健康保険組合が本社ビルとは別に健保会館を持っており、数十名のスタッフが自前の人間ドックや内科診療などを当時行っていました。一方、会社には常勤の産業医や保健師が1人もいない状況でした。入社した時の私の肩書は、人事部 健康管理室長。メンバーはほかに誰もいない、「一人室長」です。人事部のフロアには空きがなく、同じフロアにある窓のない4畳程の広さの倉庫が、産業医の居室となりました。書類を保管する倉庫なので、ドアを閉めると2秒で勝手にカギがかかってしまいます。そのため常時ドアを開けていると、たまたま部屋の前を通りかかった人の良さそうな年配の社員から、「オイオイ、どうした。こんな所で1人で何してるの?」と声を掛けられ、「ええまぁ、ちょっと…」と曖昧にやり過ごしたのを覚えています。自分の業務とは関係のない書類が詰まった背の高いキャビネットに四方を囲まれ、残った2畳程のスペースに机を1つ置いてもらって、私の勤務は始まりました。
活動の「分岐点」
実は私のほうも、丸井グループが企業文化変革に本気で取り組んでいる状況や、社長が誰かなど何も知らず、2年契約の専属産業医として入社しました。入社を決めた一番の理由は、当時正社員数が6000人を超える規模の会社だったにもかかわらず、1931年の創業以来一度も専属産業医がいないと知り、「白いキャンバスのような状態から絵を描けて面白そう」と思ったからです。私はそれまでに10年近く産業医の実務経験があったので、産業保健体制が何も整っていない会社にむしろ面白味を感じました。 初めの数年はニーズの高い不調者対応などを通じて信頼を築き、それから機会を見つつ、私が挑戦したい「健康を通じた人と組織の活性化」に取り組もう。そう考えていました。
そこで着任当初は、首都圏に当時20カ所以上あった店舗や物流拠点などの安全衛生委員会に毎月出席し、店長や事業所長など、各職場のキーパーソンとたくさん話をして関係性を築きました。職場訪問の回数は、多い日は1日4カ所回ったので、初年度だけで延べ262回にのぼりました。何度も足を運んで売場やバックヤードの休憩室などを観察していると、職場によって、人の話し方や場の雰囲気に違いがあるのを感じ取れるようになりました。
そこで10カ月が経った頃、毎月訪問して感じた各事業所の特徴と健康関連の集団分析データを、独自にレポートにまとめて人事部長に提出しました。するとそれが当時の人事担当役員の目に留まり、青井浩社長と30分間対話する機会が設けられることになりました。入社翌年、2012年3月のことです。
初めてお会いした青井社長は、私のレポート内容には全く触れず、しばらく沈黙が流れました。不安になってきた頃、おもむろに「小島先生の活動のゴールは何ですか?」と質問されました。
私にとって、実はこれこそが聞いてほしい問いでした。専属産業医の存在意義とは何かを、何年間もずっと考えてきたからです。私は「自分のバックボーンを通じて、人と組織の活性化に貢献することです」と、自分の思いを話しました。すると、青井社長の表情にみるみる血が通っていくのがわかりました。
「私は、社員がフローに入れる会社をつくりたいんです」
青井社長からは、笑顔でこんな答えが返ってきました。「フロー状態」とは、世界的な心理学者M・チクセントミハイ氏が提唱した、人が我を忘れて主体的に何かに没頭している状態を指します。「最適経験」とも言われ、最も高い創造性とパフォーマンスを発揮し、本人も喜びや幸せを感じられる状態です。私も、フロー状態が人と組織の活性化の重要な鍵と考えて勉強していたので、一気に話が盛り上がりました。社長との対話は、気付けば1時間を超えていました。あのとき、「社員の不調に対応することです」と答えていたら、いわゆるウェルビーイング経営の旗振り役を任されることは決してなかったでしょう。
産業医として目指すもの
一般に「産業医」と聞くと、具合の悪い社員を診る存在と思っている方も多いかもしれません。それも大切な役目ですが、医師は「病気対処屋さん」だけではありません。意外と知られていないのですが、全国にある全ての医学部では、人間の心身の基本的な仕組みや構造、それらがどのように機能するかを学ぶことに、内科や外科など臨床医学の知識と同等もしくはそれ以上のカリキュラムの分量を費やします。人々の心身の活力向上に、医学は貢献できるのです。
「労働者個人の健康管理はもちろんのこと、職場環境の改善や、より良い職場文化の形成、さらには社会全体に寄与する幅広い活動」を指して、「産業保健」と呼びます(※)。産業保健の専門性を活かして活動する医師が、産業医です。大学医学部6年間のカリキュラムを修了して医師国家試験に合格したのちに、さらに産業保健の専門知識を学んで得るのが産業医の資格です。
特段の有害環境がない職場において、産業医が担える大きな役割とは、「健康を通じた人と組織の活性化」ではないかと私は考えています。例えば、スポーツ選手は「健康になりたい」から睡眠や食事に気をつけるのではなく、「高いパフォーマンスを発揮したい」ためにそれらに留意しています。働く人も同様で、良い仕事をするためには、しっかり眠る、運動して体力をつける、目的意識を高める、人と良い関係性を育むなどが必要です。世界保健機関(WHO)の「健康の定義」によると、そもそも「健康」とは、病気でないことを指す言葉ではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にもウェルビーイングである(良く在る)ことだと定義されています。私は産業医として、この本来の意味の健康を通じた人と組織の活性化を目指しています。
このように、もともと私が「ウェルビーイング」という言葉を用いた理由は、産業医として「『健康』とは、健康診断の結果に問題がないとか、メタボやメンタル不調ではないなど、『マイナスがない』という消極的な意味ではなく、社会的にもイキイキしている状態を指すのだ」と伝えるためです。したがって、「ウェルビーイング」という言葉自体を社会に広めたいという特別な気持ちはありません。
産業医が、なぜ経営に参画することになったのか。それは、「健康を通じた人と組織の活性化」という私の目指す方向性が丸井グループの目指す方向性と合致していたため、役員に選任されたからです。
それでは、そもそもなぜ私がこうした方向性を目指すに至ったのか、その背景をお話しましょう。
「人が幸せに働くとは、どういうことか?」
両親が共働きだったこともあり、親の働く姿を目にするうちに、いまの日本を支える生産年齢の人たちの健康を支えたいと思うようになり、私は医師を志しました。そこで労働者の健康支援を目的に設立された産業医科大学医学部に、1994年に入学しました。当時は産業医という職種自体、まだあまり知られていませんでしたが、学生時代から企業の産業医になることを志し、夏休みにはさまざまな企業に自分で見学に行っていました。
2000年に医師国家試験に合格し、総合病院で2年間フルタイムの臨床医として勤務しました。ちょうどその頃、社会では「職場のメンタルヘルス」が大きな話題になっていました。産業医にとってメンタルヘルスの知識は重要と考え、その後約6年間、心療内科で毎週半日の外来診療を担当しました。併行して、02年から約10年間、大手メーカーの専属産業医として勤務しました。
産業医と臨床医、「二足のわらじ」を履いて仕事をしたこの期間に、その後の活動につながる原体験を得たように思います。メーカーでは毎日のようにあちこちの職場を訪ねて、多くの社員と話をしました。すると「いや~、大変ですよ」などと言いながら、かなり多忙でもイキイキと仕事に没頭する人たちがいるのに気づきました。一方、心療内科の外来診療では、業務負荷や職場の人間関係に悩んで「仕事がつらい」と具合が悪くなった、様々な職業の人たちを診察しました。
毎週毎週、仕事でイキイキ充実している人と、仕事で不調に陥った人、両極端の人々と接しているうちに、「人がイキイキと幸せに働くとはどういうことか?」という問いが、自分の中で徐々に大きくなっていきました。併せて「今の時代、常勤産業医の存在意義とは何なのか?」と、自分が働く人たちにどのように貢献できるかについても深く考えるようになりました。
そこで私は企業の産業医をしながら、06年に北里大学大学院医療系研究科に進学し、社会人大学院生として「健康を通じた人と組織の活性化」について研究することにしました。時間を工面して、相模大野にある大学の図書館に通っては「フロー理論」に関する論文を集めて読みあさりました。所属教室で毎週開催されるゼミでは「組織公正性」「働く人の睡眠生理」などを学び、指導教授の造詣も深かった「認知行動療法の職場への応用」について研究しました。
認知行動療法は一般にうつ病の患者さんなどに行われる心理療法ですが、「物事をバランス良く受けとめて行動する」というその基本姿勢は働く人全般にとって有用です。研究を研究だけで終わらせず実践に活かしたいと考え、認知行動療法を応用した職場プログラムを企画して、事業所に勤務する数百名の社員に実施。その効果検証を行って論文にまとめ、10年に医学博士号を取りました。
ちょうど同じ頃、「健康を通じた人と組織の活性化」という志を同じくする他の会社の専属産業医たちと出会い、ともに研鑽を積むようになりました。毎月の勉強会は現在まで15年以上も続いており、役員・管理職対象の「レジリエンスプログラム」を協力して開催するなど、かけがえのない仲間となっています。仲間と「フロー理論」の読書会をして、各企業で見られるフロー状態の実例や、職場への実装方法について議論しました。フロー理論は社会ではまだあまり知られていないけれども、働く人の幸せを高める上で重要な知見だと思いました。
産業医学の領域では、「労使の関係は対立構造にあり、産業医は中立・独立でどちらにも属するべきではない」といった教育を受けてきました。しかしフロー状態は、働く人にとっては没頭して自分の力を存分に発揮して輝ける喜びや幸せを得られ、会社にとっては、人が創造性を高めて最高のパフォーマンスを発揮するので高い成果につながります。つまり、労使をWin-Winの関係に導き、個人にとっても会社にとっても幸せな状態を引き出せる鍵が、ここにあるのではないか。そう感じてワクワクし、心の窓が開かれるような感覚になったのを覚えています。
丸井グループでの歩み
フロー理論(以下フロー)は、膨大なフィールド研究から科学的に導かれた理論です。それを12年7月の中経推進会議で丸井グループ全社に向けて話しました。そして14年、人事部から独立する形で新たにウェルビーイング推進部が創設されることになり、部長のオファーをいただきました。こうして「健康を通じた人と組織の活性化」の取り組みを本格的に始められる状況となりました。これまでに1期1年間の全社横断プロジェクトを5期主催、16年から「レジリエンスプログラム」を企画開催するなど、人と組織を活性化する一端を担わせて頂くことができました。1期1年間のレジリエンスプログラムは25年に15期目となり、役員からスタートして現在までに部長層の9割が自発的に参加しています。フローを学んだ産業医の仲間と一緒に社会にも展開し、現在は大手企業8社の経営層向けプログラムとなっています。
「フローは、人と組織の活性化の鍵である」という意見で12年に青井社長と一致して以来、フローに関しては「人の成長会議」というリーダー向けプログラムにおいても、10年間継続して知見を伝えてきました。すると、社外取締役から「『フロー』は丸井グループらしい人と組織の活性化の方向性なので、もっと社会にも分かる形で打ち出した方が良いのではないか」というご意見をいただいたのです。
そこで23年、「創造力を全開に挑戦できる企業文化(企業文化2.0)」への変革を目指すに当たり、長年社内で温めてきたフローの価値観を、全てのステークホルダーに向けて明確に打ち出すことにしました。詳しくは本文に譲りますが、フローを独自に数値指標化し、「フローに入りやすい状態にある社員の割合」を全社KPI(重要業績評価指標)として設定しました。
丸井グループは、なぜ改めてフローを提唱したのか。それは、「創造力を全開に挑戦できる企業文化をつくる」だとやや漠然としていますが、これを「フローに入りやすい人と組織を増やす」と言い換えることによって、①概念ではなく状態像に落とし込むことができ、②数値で進捗を測ることができ、③膨大な学術研究によって重要なファクターが見出されているからです。目指すのは、あくまで「働く人がいきいきと創造力を全開に挑戦できる文化に変革し、社会により高い価値を創出し続けられる企業になること」であって、フローやウェルビーイングの定義を社員に覚えてもらうことではありません。
日本の仕事観を変えたい
これまで私は、企業の産業医や診療などを通じて、仕事を通じて具合が悪くなった人を延べ6000人以上診てきました。仕事で具合が悪くなる人に、よく見受けられる特徴があります。責任感が強く真面目な一方で、失敗への恐怖心が強く、他人からどう見られているかを過剰に気にするといった特徴です。
こうした特徴の人が多い背景には、未来に向けた価値創造や個性の発揮ではなく、努力と忍耐、それに集団への過剰適応を美徳とする日本の仕事観が影響しているように思います。日本では長らく、食事や睡眠を削ってでも長時間がむしゃらに働くことが是とされてきました。近年は長時間労働の是正などが叫ばれていますが、人々の内面の仕事観はあまり変わっていないのではないでしょうか。「仕事は苦役」という仕事観を本質的に変えなければ、仕事による不調者は減らないだろうと、産業医として思います。企業の視点から見ても、大量生産と画一的労働の時代はとっくに終わり人の創造力の発揮が求められる時代に、社員が「がまんしてやる、やらされ仕事」をしていては、まともな成果は期待できないでしょう。物事に主体的に挑戦し、それに没頭する過程で、人は深い喜びや幸せを感じて成長するのです。
働く人が創造性高く、挑戦する喜びや幸せを感じられる企業文化をつくりたい。05年以来、試行錯誤しながらそれを実践につなげてきたのが、丸井グループという会社です。実際、私が在籍したこの14年間で、「手挙げの文化」をベースに社員の主体性が高まり、組織が変わっていく様子を目の当たりにしてきました。自分の目的意識に仕事を重ね合わせて、24年1月までに全社員の88%が何らかの機会に「手挙げ」を実践しています。時間はかかっても、トップの意志に基づき企業文化は変えていけると実感しています。
しかし社会には、依然として旧来の滅私奉公的な仕事観が存在しています。企業が単体で主体的な文化を育もうとしても、「仕事は苦役」というステレオタイプな社会通念が根深くあると、人は少なからずそれに影響されてしまいます。私は産業医として、多様な方々とともに、日本の仕事観の変革に貢献したいと考えています。目指すのは、働く人が仕事を通じて幸せや喜びを感じられる社会です。
そんな思いで日々実務に没頭していたところ、20年の夏、「その思いを言葉にして、連載を書いてみませんか」と声を掛けていただきました。そして同年秋から4年間にわたり、日経BPが発行する月刊誌「日経ESG」に毎月連載した記事をまとめたのが本書です。折しもコロナ感染症が猛威を振るった時期であり、社会情勢にも着想を得ながら執筆しました。そのため今とは時間軸が合わない話もあるかもしれませんが、その時々の話題としてお読みいただければ幸いです。
私は、フローやウェルビーイングを学術的に研究して世の中に啓もうする学者や研究者ではありません。企業組織の中に身を置いて、日々試行錯誤を重ねる実務家です。「人と組織の活性化のためにはこうすべき」という理論が分かっても、それを実際の組織に落とし込むのは容易ではありません。
これは、企業のナマの現場で働く人の幸せを高める仕事に奮闘しながら直面した出来事や浮かび上がる問いを、二十数年かけて得てきたさまざまな知見と掛け合わせて考察した、実務家の記録です。まだ道は半ばですが、この本が何らかの形で「働く人が仕事を通じて幸せを感じられる社会」をつくる一助となれたら、望外の喜びです。
2025年 春 小島玲子
【目次】





