その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日はサイモン・シネック(著)、栗木さつき(訳)の『 WHYから始めよ! インスパイア型リーダーはここが違う 』です。

【はじめに】

なぜ、WHYから始めるのか?

 世の中には、自然に生じるパターンというものがある。周囲の人を感激させ、奮起させる力、すなわち人をインスパイアする能力をもつリーダーたちのものの考え方、行動様式、コミュニケーション術もまたそうしたパターンのひとつだ。「生まれながらのリーダー」のなかには、人をインスパイアする気質を生まれつきもっている人もいるかもしれない。だが、そうした能力はなにも一握りの人間に独占されているわけではない。私たちはだれでも、このパターンを学ぶことができる。少しばかり鍛錬すれば、どんなリーダーや組織でも、組織の内外の人たちに感銘を与え、やる気を起こさせ、アイディアやビジョンを発展させる手助けができる。私たちはだれもが人の先頭に立つことができるのだ。

 ではまず、人々の胸をときめかせ、鼓舞することに成功した個人や組織がとってきた行動のパターンを紹介していこう。それらはすべてWHY(なぜ)から始まっている。

1

 それは野心的な目標だった。世間は注目していた。専門家はわれ先に貢献しようとした。資金は難なく調達できた。

 成功に必要な条件をすべて満たし、サミュエル・ピエールポント・ラングレーは1900年代初頭、飛行機を初めて操縦すべく行動を起こした。当時すでにラングレーはスミソニアン協会理事を務める高名な科学者であり、ハーヴァード大学で教鞭をとる数学教授でもあった。友人にはアンドリュー・カーネギーやアレクサンダー・グラハム・ベルなど、政財界の実力者も数多くいた。そんなラングレーは、飛行機操縦のプロジェクトを立ちあげるにあたり、陸軍省から5万ドルという破格の資金をとりつけた。潤沢な資金を元手に、ラングレーは最高の叡智を集結させ、才能と専門技術にかけては右にでる者がないドリームチームを結成した。チームは最高の資材を利用して飛行機の開発にあたり、マスコミがその経過を逐一報道した。アメリカ全土の人々がラングレーの記事を夢中になって読み、世界初の有人動力飛行という偉業達成の報道を心待ちにした。ラングレーが結成したチームの才能と潤沢な財源を考えれば、成功は保証されていた。

 ……はずだった。

 数百マイル離れた地では、ウィルバーとオーヴィルのライト兄弟が空飛ぶ機械の開発に独自に取り組んでいた。なんとしても空を飛びたいというふたりの情熱は本物であり、生まれ故郷オハイオ州デイトンでは、ふたりのそんな熱意に打たれた地元の人たちが献身的に協力した。とはいえ、ふたりのこの投機的事業に出資してくれる人などいるはずもなかった。政府からの補助金ゼロ。当局とのコネもゼロ。ウィルバーとオーヴィルを含め、開発チームには大学院の卒業者はおろか、大学や専門学校で勉強した者もいなかった。それでもチームはみすぼらしい自転車屋に集まっては、自分たちが思い描く夢を現実のものにしようと奮闘した。そしてついに1903年12月17日、ひとりの男が世界で初めて空を飛ぶようすをごく少人数の一団が目撃した。

 設備、資金、専門知識、どれをとってもはるかに優位に立っていたエリートチームができなかったことを、ライト兄弟はいったいどうやってなしとげたのだろう?

 幸運、ではない。ライト兄弟もラングレーも意欲は満々だった。どちらも勤勉だった。どちらも科学的に鋭い洞察を重ねた。どちらもまったく同じゴールをめざして進んでいた。だがライト兄弟だけが周囲の人々を感動させ、自分たちの活動に巻き込み、世界を変えることになるテクノロジーの開発へとチームを導くことができた。そして、ライト兄弟だけがWHYから始めていた。

2

 1965年、カリフォルニア大学バークレー校のキャンパスでは、アメリカ合衆国のベトナム戦争関与に抗議し、学生たちが徴兵カードを燃やすという初めての抗議活動をおこなっていた。カリフォルニア州北部では反政府や反権力の気運が高まり、バークレーやオークランドでの暴動や衝突の映像は世界各国で報じられ、欧米の賛同の動きに拍車を掛けた。その後、米軍はベトナムから撤兵。それから3年近くたった1976年、こんどはまったく異なる革命に火がついた。

 かれらはインパクトを、とてつもなく大きな衝撃を世間に与えようと目論んでいた。人々の世の中の見方を変えたいと意気込んでもいた。ところが、この若き革命家たちは権力者による支配に抵抗し、投石したり、武器を手にしたりしたわけではなかった。そうではなく、敵の独擅場であるシステムを打ち負かそうと意を決していた。のちにアップルコンピュータを設立したスティーブ・ウォズニアックとスティーブ・ジョブズにとって、戦場となるのはビジネスであり、武器として選んだのはパーソナルコンピュータだった。

 パーソナルコンピュータ革命の旋風が吹きはじめたのは、ウォズニアックがアップルⅠの開発に成功したときといえるだろう。世間から注目を集めはじめた当初、そのテクノロジーは単にビジネスツールとして見なされることが多かった。コンピュータはあまりにも複雑であり、その価格は庶民には手が届かないものだった。だがウォズニアックはカネを動機に動く人間ではなく、そのテクノロジーにもっと崇高な目的を掲げていた。パソコンを、ちっぽけな個人が企業や組織に戦いを挑む武器にしようと考えたのである。庶民ひとりひとりの手にパソコンをゆきわたらせることができれば、圧倒的に豊かな資源に恵まれた企業と同じような機能を個人がはたせるようになる。パソコンがあれば、個人と組織が同じ土俵で勝負できるようになる。そしていずれは世界の仕組みを変えるだろう。そう考えたウォズニアックは、アップルⅠのテクノロジーを改善し、操作方法をよりシンプルにし、価格も抑えたアップルⅡを開発した。

 どれほど先見の明が反映されていようが叡智の結実であろうが、どれほど偉大なアイディアであろうが製品であろうが、だれも買わないのなら価値はない。当時、ウォズニアックの親友だった21歳のスティーブ・ジョブズは、どうすべきかを正確に心得ていた。これまでに電子部品の余剰品を販売した経験はあったものの、こんどは自分がきわめて腕のいいセールスマンであることを立証してみせると、ジョブズははりきった。なにか大きなことをなしとげたい。そう思っていたジョブズは、起業こそがその手段だと考えた。つまりアップルは、ジョブズが自分の革命に火をつけるために利用したツールにすぎなかったのである。

 起業した最初の年、たったひとつの製品で、アップルコンピュータは100万ドルの収入を得た。2年めには1000万ドルの売上を達成。4年めには1億ドルに相当するコンピュータを販売し、6年めを迎える頃には3000人以上の社員を擁する10億ドル企業に化けた。

 なにもジョブズとウォズニアックだけが、パソコン革命に名乗りを上げたわけではない。ふたりだけが、同業者のなかで賢かったわけでもない。それどころか、かれらにはビジネスの知識など無きに等しかった。アップルを特別な存在にしたのは、これほど急成長をとげた企業をつくりあげたふたりの能力ではなかった。パソコンに関して同業者とは異なる考え方をする才能でもなかった。かれらがひとつの行動パターンを繰り返しおこなったからこそ、アップルは特別な存在になったのだ。ライバルとは異なり、コンピュータ業界で、小型エレクトロニクス機器業界で、音楽業界で、携帯電話機業界で、広範なエンタテイメント業界で、アップルは固定観念に挑戦し、成功した。その理由はいたってシンプル。アップルは人々を鼓舞(インスパイア)するから。アップルはWHYから始めるからだ。

3

 彼は完璧な人間ではなかった。複雑な問題も抱えていた。まだ黒人に公民権が与えられていない時代のアメリカで、彼だけが苦難を強いられたわけではなかった。それにカリスマ的な演説ができる人間なら、ほかにも山ほどいた。だがマーティン・ルーサー・キング・ジュニアには、ひとつ、天賦の才があった。人々を発奮させる術(すべ)を知っていたのである。

 キング牧師にはわかっていた。公民権運動を成功させ、その場かぎりではない本物の変革を起こすには、自分や周囲の盟友だけではなく、もっと多くの人々の力が必要になることが。大勢の人を運動に参加させるには、聴衆の胸に強く訴えかける言葉を使い、弁舌をふるうだけでは足りない。数万人もの一般市民をひとつの未来像で団結させ、この国を変えなくてはならない。そして1963年8月28日午前11時、かれらはワシントンにひとつのメッセージを送ることになる。アメリカは新しい進路へと舵をとる時期を迎えている、と。

 公民権運動を組織した人たちは、数千もの招待状を送ったわけではなかった。当時、ウェブサイトなどまだこの世に存在せず、参加希望者が開催日時を確認することもできなかった。それでも、人々はやってきた。とめどなく、続々と。総勢25万もの人々が、不朽の名言になるであろう言葉を聞こうと首都を急襲した。そして、のちにアメリカを永遠に変える運動を導くことになる人物が発する言葉に耳を傾けた。“I have a dream”(私には夢がある)という言葉から始まる演説に。

 人種や肌の色という垣根を越え、国じゅうから人々を集めるには、それも日時に正確に集めるには、なにか特別な能力が必要だ。全国民に公民権をもたらし、アメリカに変化を起こさねばならないことは、もちろん、ほかの人間にもわかっていた。だが少数派のためだけではなく、万人のために変化を起こさねばならないと人々の心に訴えかけることができたのは、マーティン・ルーサー・キングだけだった。そしてマーティン・ルーサー・キングもまた、WHYから始めていた。


 個人であろうが組織であろうが、人を奮起させようとするのは、そこになんらかの理由があるからだ。商品を買ってもらいたい。支援してもらいたい、投票してもらいたい。ルールに従いもっと仕事に励んでもらいたい、もっと抜け目なく働いてもらいたい……。たしかに人々にやる気を起こさせること自体は、それほどむずかしくはないかもしれない。「こうすればいいことがありますよ」と誘惑する。その反対に「そんな真似をすれば罰を与えるぞ」と脅迫する。そうすれば、こちらの思いどおりに相手を行動させることができる。たとえばGM(ゼネラル・モーターズ)は、消費者に自社製品を買わせる術に長けており、77年以上、世界一の自動車販売台数を誇ってきた。まさしく自動車業界のリーダーであったわけだが、かれらは人々を先導してはいなかった。

 いっぽう偉大なるリーダーは、人々に行動を起こすよう奮起させる。つまり人々をインスパイアできるのだ。インスパイアできるリーダーは、誘惑や脅迫といった手段を使わずに、人に目的意識や帰属意識をもたせる。真の意味でのリーダーがいれば、人は短期の利益を上げたいからではなく、感激して勇気をもらったからこそ行動を起こす。決して目先の利益に左右されたからではない。心を動かされた人たちはよろこんで割増金を払ったり、不便に耐えたりする。なかには苦労を買ってでる人もいる。だからこそ、人をインスパイアすることができるリーダーには賛同者──支援者、投票者、顧客、労働者──がつく。上の人間から強制されたからではなく、みずからの意志で、全体のために行動を起こす。

 では、こうしたリーダーのように考え、行動し、コミュニケーションをはかる方法をだれもが学べるとしたらどうだろう? 人をインスパイアする能力を、ごく少数の選ばれた人だけではなく大多数の人が身につけ、実践したらどうなる? 調査によると、アメリカ人の8割以上は自分が憧れ、夢見ていた仕事に就いていない。だが人々をインスパイアできる組織をつくる方法をもっと多くの人が知るようになれば、私たちはこの統計結果が逆になった世界で暮らすことができるはずだ──8割以上の人たちが大好きな仕事をしている世界に。職場に行くのが楽しみになれば、生産性も創造性も上がる。そして1日の仕事を終えたら、いまより幸福な気持ちで帰宅し、いまより幸福な家庭を築くことができる。同僚やクライアントや顧客とよりよい人間関係を築くこともできる。やる気をもって働く社員は、より強い企業をつくり、より強い経済をつくる。だからこそ、私は本書を執筆した。本書を読んだあと、読者のみなさんが奮起し、勇気をもって行動を起こせば、信頼と忠誠心がめずらしいものではなく、ごく当然にある企業や経済や世界をつくりだせるかもしれない。本書はみなさんに、これをすべきだ、こうすべきだと指示するものではない。行動を起こす道筋を示すものでもない。本書の目的は、行動を起こす理由、つまり理念をもってもらうことにある。

 新しいアイディアに心をひらいている人、その場限りではない成功をおさめたいと模索している人、自分の成功には人の支援が必要だと信じている人。そんなみなさんは、ぜひ挑戦してもらいたい。そう、いますぐ、WHYから始めよ。

【目次】

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