その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日はアンドレ・アンドニアンさん、川西剛史さん、山田唯人さんの『 マッキンゼーが読み解く食と農の未来 』です。

【序に代えて】

 世界の農業が大きく変わりつつあります。しかしながら、日本国内の農業に関する論調の多くは、国内の農業組織への批判や、既存の農業のやり方、国内企業への批評といった「内向きの議論」に費やされているように見えます。本書は、そうした内向きの枠を飛び越えて、日本農業をマッキンゼーならではの二つの視点から捉え、そこから進むべき将来像および今後期待されるビジネス領域について展望したものです。
 二つの視点とは、マッキンゼーがこれまで世界的規模で多数の農業・食料ビジネスに携わってきたことから得られた「グローバルの視点」と、製造業、金融業(銀行・保険)、小売業等の幅広い業界でコンサルティングに携わってきた経験にもとづく「他業界の視点」です。
 まず「グローバルの視点」の例として、近年議論が活発になっているサステナビリティを取り上げましょう。
 パリ協定のIPCC(Intergovernmental Panel on Climate Change:気候変動に関する政府間パネル)によると、海面上昇等の長期的なリスクを低減するためには、気温上昇を一・五℃にとどめることが重要と提言されています。農業分野においてこの気温上昇基準を満たすためには、図表1に挙げるように、いくつかアプローチがあります。

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 大きく分けると、①生産者側の温室効果ガス排出抑制、②需要側の変化(フードロス低減など)、③農地の用途変更(LULUCF:Land Use, Land-Use Change and Forestryと呼ばれます)、④新技術の開発の四つです。
 ①生産者側で温室効果ガス排出を抑制する手法としては、乾田直播栽培や施肥量およびタイミングの改善、農業機械の燃費改善等、②需要側ではフードロスの低減や牛肉から鶏・豚および代替品タンパク質へのシフト、③農地の用途変更では植林や森林再生、④新技術においてはゲノム編集による植物体への炭素蓄積量の向上といった打ち手が挙げられます。
 ここで興味深いのは、IPCCの一・五℃シナリオ(気候変動による地球の温暖化を一・五℃未満に留める)を実現するためには、生産側のみならず、②に挙げられている、動物性タンパク質の少ない食生活への切り替えなどと需要側の努力も大いに必要となることです。①については、現在考えられる、ありとあらゆる先端技術を考慮し、温室効果ガスの抑制に効果のある手法を入れています。それでも目標には届きません。さらに②についてもかなり大がかりなことを言っています。生産地(畑)から流通に回るまでのフードロスおよび飲食店におけるフードロス(食べられずに捨てられてしまう食料)の半減(50%)、加えて、牛肉から鶏・豚および大豆タンパク質等への切り替えを半分(50%)行う。我々の目指すサステナブルな世界は、こういった生産側・消費側の大きな努力を必要とします。

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 日本にいると気づきにくいのですが、米国や欧州におけるサステナビリティの議論の高まりや昨今のMeat2.0の高まりや、ビーフパティを大豆等に由来するプロテインで置き換えたインポッシブルバーガーへの議論が起こっていることも、その流れのなかでのことと言えます(第Ⅰ部第4章で詳述)。
 さらに、これらの施策を進めるコストを見てみると(図表3)、①の生産者側で実現可能な施策のなかには、まだまだコスト高なものがあることがわかります(横軸に各打ち手の温室効果ガス低減ポテンシャル、縦軸に各打ち手のコストを表している)。

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 左から右に各施策のコストを並べてみると、グラフの右側に現れる点滴灌漑(drip irrigation:地面にチューブから少しずつ水や養液を点滴し、水や肥料の使用量を最小限にする方法)へのシフトや肥料の改良、家畜飼料の最適化といった施策はまだまだコスト高であり、実現には今後のブレイクスルーが待たれます。
 そのため、この①の生産者側の取り組みだけでなく、②需要側の変化、③農地の用途変更、④新技術の開発といった部分にも注力し、気候変動の目標を達成する取り組みを進めていく必要があるのです。今、海外では、こういった農業セクターにおける温室効果ガスの排出についておおいに議論や投資が進んでいます。
 グローバルの視点から、食と農に真剣に取り組まなければならない理由はこれだけではありません。
 それは農業が、ビジネスという考え方のみならず、世界がサステナブルに生きていくための「必要条件」だからです。
 いまだに、農業を生産者だけのなりわい(生業)と誤解している人たちがいます。しかしながら、これは生産者だけの問題ではなく、その農作物を食べる、全世界のすべての人間の問題となっているのです。
 例えば、世界的に見て、農業への気候リスクは、すでにさまざまな形で顕在化しています。二〇一九年の米国アイオワ州における穀物エレベーター(共同利用施設)の洪水被害が典型例です。被害総額は一七億~三四億円と推定されています。また、二〇一八年に起きたアルゼンチンのトウモロコシ畑の干ばつにより六〇〇億円以上の被害が発生しています。
 グローバルベースで見ると、農作物の生産地域が集中し、特定の穀物への依存が進むなか、フードシステムのショックに対する脆弱性は高まっています。世界の穀倉地帯における同時不作(具体的には、世界における四大穀物〈コメ、麦、トウモロコシ、大豆〉の生産地帯における、二カ所以上の同時不作を意味する)のリスクも上昇しています。
 気温の上昇、降雨パターンの変化、干ばつ、熱波、洪水等の自然災害のいずれも、農作物の生産量に大きな影響を及ぼします。こうした気候変動の結果、世界の穀倉地帯における同時不作の発生確率は、今後、さらに高まることが見込まれます。
 さらに、こうした自然災害の発生確率や深刻度もまた、今後高まることが予想されます。今後一〇年以内に一〇%の生産量減少が六九%の確率で発生する(つまり、ほぼ二年に一回は発生するという高い確率)と見込まれています。
 一〇%の生産量減少では、世界における穀物ストックが一年以内に底をつく確率も低いでしょう。しかしながら、過去においては、生産量の減少が、食品価格の高騰の引き金となった例もあるため、予断は許されません。このことから最も大きな打撃を受けるのは、国際貧困ライン(一日一・九ドル)を下回る所得で生活する七億六九〇〇万人の人々です。一部の研究者によると、穀物価格が一〇〇%増加すると、短期的に世界の貧困層が一三%増加すると見込まれます。
 もちろん日本国内にいても、食料供給は常に保障されたものではなく、前記の気候変動の例を見ても、決して他人事ではないのです。今こそ、改めて農業をグローバルの視点から捉えるべきです。ここに本書の意義があると考えています。

 もう一つ、「グローバルの視点」から農業・食料ビジネスを捉えるべきという例を示しましょう。我々が本書を執筆している二〇二〇年八月現在、新型コロナウイルス感染症(COVID ―19)による世界的なパンデミックが起こり、収束の見込みが立っていません。
 COVID ―19の感染拡大後も、農作物の需要は安定的であるため、一般に農業は影響を受けにくいと考えられがちです。被害は、一部の品目(フードサービス、レストラン向け食材、高価な野菜、果物、花卉、水産物、畜産物等)に集中しています。
 しかしながら、長期的に見ると、消費者の購買行動が変わったり、石油価格の低下がトウモロコシの市況(バイオエタノール)に影響を与えたり、肥料等の農業資材や農作物が運べなかったり(サプライチェーンの影響)と、今後のリスクや不確実性は高いと言えます(図表4)。

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 農業バリューチェーンで見た場合には、人手不足やサプライチェーンの途絶は、生産、流通等の広い領域において影響を及ぼします(図表5)。例えば、肥料の調達や、農業機械の部品調達において、物流機能が低下すれば農作物が作れなくなったり、収穫できなくなったりするため、生産量の低下に影響するというリスクがあります。現在のところ、日本の稲作に目を向けると、二〇二〇年五月時点で、田植えの進捗に大きな遅れはなく、ほぼ平年なみのスピードで進んだと言われています(「日本農業新聞」五月二六日付)。今後、心配なのが収穫時期(今秋)とコロナ第二波が重ならないかということです。もし、重なると、稲刈りの人手だけでなく、農業機械の部品や修理がタイムリーに供給されないことによる、効率性の低下が懸念されます。

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 グローバルで農作物のカテゴリーごとに見て需要側への影響が大きいのが、トウモロコシや乳製品等です(図表6)。前者は石油価格に左右されたり、後者は需要予測がより困難になったりします(家での食事が増加することに伴い、どのような商品が、同じ商品でもどのような価格帯が、どのチャネルで必要になるかが変化)。高付加価値野菜や果物、花卉、牛肉、水産物で被害が大きくなっているのは主にフードサービス(レストラン等)で消費され、今回コロナ問題をうけて、フードサービスが営業を休止したためです。

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 これらの現象は、農業をより広い、グローバルの視線で捉える必要性を示す、ほんの一例にすぎません。その他にも世界の農業ではさまざまなアプローチが試みられています。
 このようなグローバル視点での議論を踏まえて、日本農業の進むべき道を見つめ直すことが重要と考え、日本農業の持つ課題とその解決策を本書で提示していこうと思います。
 本書は、まず序章で、グローバルおよび他業界の視点から農業についての八つのトレンドを概観し、第Ⅰ部の第1~8章でそれぞれを詳しく見ていきます。
 その後、第Ⅱ部の第9章では短期的な農業生産性の向上に必要な発想を示し、続く第10章で、長期的な農業の課題を見据えた、将来のあるべき理想像を提示します。そして、理想と現状のギャップを埋めるということから生まれるビジネスの機会についても論じます。
この論は、農業関係者はもとより、製造業・金融業・メディアといった、従来、農業と縁遠かった業界の方々にとっても示唆に富むものと自負しています。

 ここで本書の要諦をなす、第Ⅱ部第10章に提示する結論を先に述べてしまいましょう。
 我々は、日本農業が将来抱える長期的な課題を予見した上で、それらの課題を乗り越え、さらなる発展を遂げるためには、「新たな農業バリューチェーンの構築」こそ理想の姿であると考えます。
 この理想にたどり着くためには、冒頭で述べた「内向きの議論」をいったん置いて、現在の日本農業のバリューチェーンを、その周辺業種も含めて、俯瞰的に見る必要があります。ここで重要となるのが「他業界の視点」です。農業の「常識」にとらわれない大胆な発想でバリューチェーンを構築することが必要なのです。
 具体的に言えば、生産、加工、物流、販売といった農業バリューチェーンを形成する企業は、現状ではそれぞれのステップごとに別業種で、各ステップの間には「業界の壁」が存在しています。この壁が将来的には、多様化する消費者ニーズへの対応や、それぞれのステップにおける課題解決・成長のネックになっていくと考えられます。
 さらには、そもそも第一次産業である農業は、金融業や保険業、製造業、テレコムといった、第二次・第三次産業とは縁遠い業界といった感が否めませんでしたが、農業ビジネスの将来は大きく広がっているという現実があります。
 農業ビジネスの未来を切り開き、理想像に近づけるためにも、この「業界の壁」を取り払う必要があります。そしてバリューチェーン上のプレイヤーと、バリューチェーン外にいたプレイヤーたちを有機的に協働させることが重要となります。これがコネクテッドされた食料供給システムなのです。
 もう一つ重要な役目を果たすものがあります。協働を最適化するために必要な、バリューチェーンの各プレイヤーに指示を与える「オーケストレーター」(指揮者)です。
 こうして整えられた新たなフード・バリューチェーンにおける、オーケストレーターの役割を担うのは、必ずしも農業従事者である必要はありません。農業以外の製造業、金融・保険、メディア、物流といった他の業種からの適任者を得て、新たな農業ビジネスの展開も可能になると考えます。
 我々の提案によって、これまで農業への興味・関心がなかった多くのビジネスパーソン、および消費者の方々の間で議論が沸き上がり、日本農業のさらなる発展につながれば幸いです。

 本書は、パートナーの山田唯人、アソシエイト・パートナーの川西剛史が代表となって執筆を進めました。多忙な業務のなか、情報収集や執筆をしてくれたグローバル各支社の同僚コンサルタントの皆さん、また取りまとめてくれた広報・コミュニケーションチームに深く感謝します。

 二〇二〇年八月

マッキンゼー日本支社長 アンドレ・アンドニアン

【目次】

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