その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は廣光俊昭さんの『 経済安全保障の経済学 管理された相互依存のための科学 』です。
【はじめに】
したがって、我々の食糧の相当部分を外国の供給に依存することの危険こそが、現在の状況において穀物輸入がもたらす多くの利点に対して、唯一対置しうる論点となる。(中略)我々にとってその損失は決して軽いものではない。通常の供給の大幅な減少、すなわちおそらく全消費の8分の1にも及ぶ減少が生じるならば、それは確かに重大な不利益であると認めざるをえない。(中略)それがきわめて苦しい変化となるであろうことは、私も認める。しかし、我々が実際にそのような事態に追い込まれることはないと、私は確信している。(※1)
デイヴィッド・リカード「穀物価格の低下が利潤に及ぼす影響について」(1815年)
19世紀のリカード以来、しばしば経済学は自由貿易を普遍的原理として掲げてきたと語られる。各国は、自国が得意なものに資源を向け、不得意なものは外国から輸入する。そうすることで、全体としてより多くの財が生み出され、いずれの国も豊かになる。この比較優位の考え方は、近代経済学で最も名の知られた命題の1つであり、自由貿易を擁護する際の強固な出発点となってきた。今日でも、保護主義や産業政策が語られるとき、これらの措置は、この自由貿易原理からの逸脱ではないかと疑いの眼差しにさらされる。市場の効率に政治が割り込んできたとして警戒される。
しかしながら、リカード自身の書いたものを読むと、この通念は少し単純すぎることがすぐにわかる。リカードの自由貿易論は、歴史から切り離された抽象的な原理として生まれたわけではなかった。1815年の論考は、イギリス議会で穀物法をめぐる論争が激化していた時期に書かれたものである。争点は、単に「貿易は効率的か」ではなかった。イギリスは食糧の相当部分を外国からの供給に依存してよいのかという問題であった。
当時、リカードがやりとりしていた相手の一人が『人口論』で知られるトマス・マルサスである。リカードは、利潤や富の増大という観点から見れば、安い穀物の輸入が有利であることをマルサスも認めていると見ていた。にもかかわらずマルサスが輸入制限を支持したのは、外国からの供給に依存する危険を重く見たからである。戦争が起きたとき、敵国や大陸諸国の連合がイギリスへの穀物供給を止めるかもしれない。あるいは、外国で凶作が起きれば、輸出国は自国民を優先し、イギリスへの供給を控えるかもしれない。これは、今日の言葉で言えば食糧安全保障の問題である。
ここで興味深いのは、リカードがこのリスクを無視していないことである。リカードは、外国供給への依存の危険こそが、穀物輸入の多くの利点に対して「唯一対置しうる論点」であることを認めている。通常の供給の一部でも失われることになれば、それは「軽い」損失ではなく、重大な不利益になることを認めている。リカードは、外国依存のリスクをゼロとみなしていたのではない。リスクはある。問題は、そのリスクをどれほどの頻度で起こるものと見積もり、それを避けるためにどれくらいの費用を毎年払い続けるべきかという判断であった。
リカードの結論は、まさにこの点でマルサスと分かれる。リカードは、外国からの供給への依存がもたらす危険を認めつつも、それを「きわめて起こりそうにない危険」とみなし、そのような危険を避けるために毎年巨額の収益を犠牲にすることは賢明なのか、と問い返した。リカードの自由貿易論は、安全保障を無視した市場原理主義ではない。むしろ、利益(効率)と安全(レジリエンス)を比較衡量する議論であった。依存の危険はある。しかし、その危険を避けるために、どれほどの費用を平時から払い続けるべきなのか。これがリカードの問いであった。
リカードが依存の危険を比較的小さく見積もった理由は、相互依存への信頼にあった。イギリス市場への輸出に依存する国々は、供給を止めれば自らも大きな損失を被るため、停止は容易ではないと考えたのである。もっとも、この信頼自体が、当時のイギリスが海上交通の優位と広域の交易ネットワークの内部にあったという前提に依存していたことを見落とすことはできない(Watson,2017)。リカードはこの前提を明示しないが、相互依存の成立条件は政治的・制度的に支えられていた。
そのうえで問うべきは、その前提が今日もなお成り立つのかである。本書は、リカードの問いを現代に引き直す試みである。外国からの供給への依存は、平時の豊かさと有事の脆弱性を同時にもたらす。安価な輸入は消費者と企業に利益を与えるが、供給が途絶えれば大きな損失が生じる。国内に供給能力を残せばレジリエンスは高まるが、その費用は平時から負担しなければならない。この意味で、リカードが問うた「きわめて起こりそうにない危険を避けるために、毎年巨額の犠牲を払うのは賢明か」という問いは、いまも古びていない。
現代の問題は穀物にはとどまらない。半導体、エネルギー、重要鉱物、蓄電池、医薬品、通信インフラ、人工知能を支える計算資源まで、経済の基盤そのものが安全保障の対象となっている。しかも、それらの供給は、高度な技術、熟練人材、知的財産、標準、金融、物流が結びついた複雑なネットワークの上に成り立つ。規模の経済や集積の利益も強く働くため、価格を上げれば直ちに代替供給が生まれるわけではない。
さらに現代では、相互依存そのものが圧力の手段となった。輸出管理、金融制裁は、市場の外から加えられる措置ではなく、グローバル経済の結節点を利用して相手の選択肢を狭める政策である。リカードは、供給を止めれば輸出国自身も損をするため、そのような事態は起こりにくいと考えた。だが国家は、戦略的な目的のためであれば、自らも一定の損失を負いながら、相手により大きな損害を与えようとする。米中競争は半導体や重要鉱物への依存を戦略的問題に変え、ロシアによるウクライナ侵攻は、エネルギー、輸出管理、金融制裁が同時に絡み合う時代の到来を示した。
いま問われているのは依存をなくすことではない。どの依存を減らし、どこに代替経路を残し、どの能力を同盟国や友好国と分担するかである。本書では、経済安全保障を、相互依存が生む脆弱性を管理し、国家と社会が危機時にも選択肢を失わないよう必要な能力を維持するための制度設計として捉える。そこには、他国からの威圧に耐える力だけでなく、相手の行動に影響を及ぼす力も含まれる。
この点で、冷戦期の戦略家トーマス・シェリングの洞察はなお重要である(Schelling, 1960)(※2)。シェリングは、対立とは単なる力比べではなく、相互依存を前提とした交渉であることを指摘した。現代の経済安全保障では、その舞台が軍事に加え、供給網、金融、技術へと広がっている。輸出管理や金融制裁は、単にモノやカネの流れを止めるだけではなく、相手の行動や選択肢に影響を与える手段である。その効果は相手国だけにとどまらず、自国企業や同盟国、第三国市場にも波及し、迂回、代替、報復を通じて時間とともに変化する。21世紀の大国間競争では、経済そのものが主要な戦場の1つとなったが、その競争を安定的に管理するための経済学は、いまだ十分に整備されていない。本書は、その課題に取り組む。
本書の狙いは、現代の安全保障環境に経済学がどのように応答し、それが世界の見方をどう変えるのか、その全体像を俯瞰することである。2021~24年まで在アメリカ合衆国日本国大使館に勤務した筆者にとって、経済安全保障は抽象的な政策理念ではなかった。輸出管理のリスト、補助金の条件、同盟国間の調整として日々の経済運営に入り込み、部品の流れ、金融取引、企業の投資行動、技術者の移動を変えていった。ロシアによるウクライナ侵攻以降、その変化は一気に加速した。その現場で見えてきたのは、リカードの問いが、穀物から半導体、重要鉱物、金融へ姿を変えて戻ってきたことであった。
自由貿易が機能するためには、少なくとも2つの条件が必要である。貿易の利益と負担が社会の中で受け入れられること、依存が政治的な威圧として乱用されないことである。これらの条件が揺らぐとき、自由貿易の利益が消えるわけではないが、そのままでは持続しなくなる。問題は、自由貿易か経済安全保障かという単純な二択ではない。必要なのは、リカードの原理を捨てることではなく、その前提がどこで変化したのかを見極めることである。効率のみを追求すれば、平時には安くとも有事には脆い構造が生まれる。他方、レジリエンスのみを優先すれば、繁栄を支える開放性と競争が失われる。問題は、どちらを捨てるかではなく、どの水準で両者を組み合わせるかにある。
本書では、この立場を「管理された相互依存」と呼ぶ。どの依存は維持できるのか。どの依存は分散すべきなのか。どの能力は国内に残し、どの能力は同盟国や友好国とのネットワークで支えるのか。そして、そのための費用を誰がどのように負担するのか。これらを、効率性、レジリエンス、強制力、執行可能性、政治的持続性の観点から設計する考え方である。
この制度設計を支えるのが、「市場を通じた国家能力」である。これは、国家が市場を置き換える能力ではなく、供給網、金融、技術、物流などの市場の結節点を把握し、危機時にも選択肢を失わないよう制度化する能力である。チョークポイント、遮断・創出・連携、効率とレジリエンスのフロンティアは、この能力を考えるための分析道具である。
ここで言う「経済安全保障の経済学」は、狭い意味の経済理論だけを指すものではない。国際貿易論、産業組織論、ゲーム理論、ネットワーク分析、金融論、政治経済学、制度設計を組み合わせ、相互依存を危機時にも機能する形へ設計するための知的営みである。(※3)
第2章で整理するように、この経済学には2つの役割がある。1つは、効率とレジリエンスのトレードオフを所与のものとせず、政策設計によってその両立可能性を広げることである。もうひとつは、不確実性や誤算を管理し、相互依存を無秩序な脆弱性ではなく、「管理された相互依存」へ変えることである。本書で示そうとするのは、この「管理された相互依存」を考えるための経済学である。平時の効率が危機時の脆弱性へ転じる条件を見極め、遮断で時間を買い、創出と連携によってその時間を選択肢へ変える。これが本書の解こうとする問題である。
本書は三段階で議論を進める。まず、自由貿易と相互依存がなぜ豊かさを生み、どこで脆弱性へ転化するのかを考える(第1章)。つづいて、経済安全保障を「管理された相互依存」という政策思想として整理し、その経済学的基礎を検討する(第2章)。そのうえで、この思想を現実の政策課題に適用する。中国を、供給網と製造能力を通じて世界経済へ影響を及ぼす巨大な製造国家として捉え直し(第3章)、輸出管理などの遮断手段がどこで効き、どこで摩耗するのかを検討し(第4章)、危機時にも選択肢を失わないための国家能力と日本の戦略を考える(第5章)。終章では、以上を踏まえ、危機の時代における相互依存のあり方を改めて問い直す。
本書が問うのは、自由貿易を捨てることではない。自由貿易が危機の時代にも成立する条件を、相互依存の設計として作り直すことである。
(※1)Ricardo(1815).
(※2 )経済安全保障へのシェリングからの示唆については、Farrell and Newman(2023)にも言及がある。
(※3 )本書は、変化の著しい領域を論ずる性格上、査読論文に加えてワーキングペーパー段階の研究も参照している。したがって、今後の研究蓄積に応じて、分析の枠組みや実証結果が更新される可能性がある。また、本書における見解は筆者個人のものであり、現在または過去に所属した組織を代表するものではないことを申し添えておく。
〈参考文献〉
Farrell, H. and A. L. Newman (2023) Underground Empire: How America Weaponized the World Economy. New York: Henry Holt and Co.
Ricardo, D. (1815) An Essay on the Influence of a Low Price of Corn on the Profits of Stock; Shewing the Inexpediency of Restrictions on Importation: With Remarks on Mr. Malthus’ Two Last Publications.London: John Murray.
Schelling, T. C. (1960) The Strategy of Conflict. Cambridge, MA: Harvard University Press.
Watson, M. (2017) Historicising Ricardo’s Comparative Advantage Theory, Challenging the Normative Foundations of Liberal International Political Economy. New Political Economy, 22 (3), 257–272.
【目次】



