その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は小平龍四郎さんの『 山一前後 日本証券市場の敗戦と復興 』です。「まえがき」をお届けします。

【まえがき】

 本書は株式バブルの生成と崩壊を経て、日経平均株価が約34年ぶりに高値を更新するまでの市場の歴史を、筆者の取材体験にもとづいて記したものである。

 この期間は「失われた」という形容の言葉を冠して語られることが多い。

 「失われた10年」はいつしか「20年」になり、それが「30年」へと延伸した。

 個人的に「失われた」という総括の仕方は好きではない。

 理由のひとつは、受け身の表現をとることにより、当事者たちの責任回避のニュアンスを帯びるからだ。

 バブルの生成と崩壊は人のなせる業だ。株価の上昇にうかれ、不良債権の処理をためらい、改革を先延ばしにすることにより、日本の経済と市場は長期停滞した。

 これらの歳月は「失われた」のではなく、怠慢と不作為によってみすみす「失った」のではないか。そんな思いが強い。

 「失われた」という総括をためらうもうひとつの理由は世代だ。

 日経平均株価は1989年12月末に3万8915円の高値をつけた後、2024年2月22日に3万9098円に届き、高値を更新した。

 この34年の歳月は、はっきりと2つの時代に分かれる。

 まずバブル期高値から2009年3月10日にバブル崩壊後最安値7054円をつけるまでの約20年。そして、そこから最高値更新までの約15年だ。株価が5・5倍になった後半局面だけを見れば、日本は世界有数の株高の国。「失われた」とひとくくりにしてしまうのは適切でない。

 2025年に大学を卒業して社会人になった方々は、バブル崩壊はおろか、株価の長期下落が日本社会を重く包んでいた時代も記憶にないだろう。バブル世代が抱く喪失感や、就職氷河期世代が抱える悲観バイアスとは無縁だ。彼らにとっては「失われた○年」と総括することそのものに、大きな違和感があるのではないか。

 本書は、市場関係者の不作為と怠慢によりみすみす失ってしまった歳月と、その後の再生の道のりを描く。

 ターニングポイントは、日本の経済史に刻まれた山一証券の破綻劇だ。だれもが見えないふりをしていた市場の暗黒面があらわになり、その後の改革の方向性がはっきりと浮かび上がった。

 その後さらに株価下落が続いた時代は、再生への移行期と位置づけられる。

 これらの期間は、無謀な戦争に敗れた日本が焦土から立ち直っていった歳月に重ねることもできるのではないか。本書のタイトルに「敗戦」と「復興」の言葉を入れ、本編を「山一前」「山一後」の2部構成にしたのは、そのような問題意識による。

 全編を貫く大きなテーマは「グローバリゼーション」だ。特に日経平均がバブル高値から80%も下落していく時代は、日本の外で会計や企業統治(コーポレートガバナンス)、情報開示の制度整備が進み、日本企業は懸命に適応を試みた。

 今ようやく、日本企業は伝統的な強みも外に向かって発信できるだけの地点にもどってきた、というのが、本書の最終メッセージである。古き良き時代を懐かしむのではなく、グローバル市場に対して建設的に日本の価値を伝えるときだ。

 本書執筆中に米国では自国第一のトランプ大統領が再登場した。米国に規範を求めてばかりもいられない。グローバル化のなかでの価値観の自立も必要だ。

 それだけにバブル崩壊後の日本市場の歩みを踏まえ、混沌の世界における日本の役割を構想することが、いっそう重要になっていると考える。


【目次】

画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示