その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日はR・C・バルガバさんの『 インドの奇跡 マルチ・スズキ不可能への挑戦 』です。

【はじめに インドでクルマをつくるんだ】

 2022年8月28日、インド西部グジャラート州の州都ガンジナガルで、スズキのインド進出40周年を祝う式典が開かれた。同州出身のナレンドラ・モディ首相をはじめ、鈴木修相談役、鈴木俊宏社長、ブペンドラ・パテル州首相(県知事に相当)らが列席するなか、モディ首相は「13年前にスズキをグジャラート州に誘致したとき、われわれは同州にミニ・ジャパンをつくるのだという決意があった」と述べ、祝意を示した。

 ひと口に40年といっても、実に波乱万丈だった。その歴史の多くの節目に立ち会えたということは、官僚出身の企業経営者としては実に貴重な経験をさせてもらったと心から思っている。私が本書を執筆したのは、単なる回想録としてではなく、スズキとそのインド現地法人マルチ・スズキが歩んだインド企業史に残る歴史を、後世の人々に語り継いでもらうための教科書になってほしいという願いからだ。

 今でこそ、新興国の雄、グローバル・サウスの盟主として、そして世界の企業が注目するものづくりや研究・開発の拠点として期待されているインドだが、われわれマルチ・スズキが誕生したのは1980年代。この物語の舞台は、まだインドが巨大な発展途上国だった頃にさかのぼる。

奮闘の40年

 独立後のインドにおいて、誰もが予期しなかったサクセスストーリーのひとつが、国営企業として設立された自動車メーカーだ。この会社こそ、当時の首相でインド版「鉄の女」と評されて計16年近くにわたる長期政権を築いたインディラ・ガンジーが、自家用飛行機事故で非業の死を遂げた息子サンジャイ・ガンジーの夢をかなえるために育てた「マルチ・ウドヨグ・リミテッド」だった。マルチはヒンディー語で「風の神様」、ウドヨグは「工業」を意味する。

 マルチ・ウドヨグ・リミテッド(マルチ社)はマルチ・スズキ・インディア・リミテッド(MSIL)へと変貌を遂げ、会社設立から40年後には国内で圧倒的なシェアを誇る自動車メーカーへと成長。インドを中国、米国に次ぐ世界第3位の自動車大国へと押し上げた。発展途上国だったインドは、これによって近代的な自動車産業を持つ工業大国への階段を駆け上がることとなった。マルチ社はインドの製造業のあり方を変え、そのマネジメントにはるかに生産性の高いシステムをもたらした。日本側パートナーであるスズキの出資比率は当初の26%から現在では58%を超え、MSILは日本の自動車メーカーのなかでも最も成功した海外ベンチャーとなったのだ。

 マルチ社が発足した当時、インド政府の産業政策にはまだ社会主義的な経済運営の名残が色濃く残っていた。自家用乗用車などは国家の資源を浪費する「贅沢品」として扱われ、そのため自動車生産を敵視するような風潮すらあった。したがって、政府が新たな乗用車メーカーを設立するということは、それまで30年以上にわたって続けてきた産業政策とは矛盾する動きだったのだ。

 当時の国内自動車販売台数は年間4万台にも満たない状況だった。マルチ社が2023年、年間200万台以上の自動車を製造し、25万台以上を海外に輸出する巨大企業となることを、40年前には誰一人として想像できなかっただろう。マルチ社の株式時価総額はいまや親会社のスズキを上回り、30年末までにスズキが全世界で計上する利益の多くを稼ぎ出すようになるだろう、と予測されている。

 そのマルチ社は1981年2月24日、年間10万台の自動車生産を目指す100%政府所有の国営企業として産声を上げた。当然のことながら、この会社が国内で10万台の自動車を製造・販売し、なおかつ商業的にも成功すると考える人はほとんどいなかった。国営企業の大半は、生産目標の達成や製品の品質向上、優れたサービスの提供という点でお話にならず、競争のないぬるま湯で政治家のコネで雇い入れた余剰人員があふれていた。その結果、経営は深刻な不振に陥り、多くは巨額の赤字を垂れ流し、政府による支援によってかろうじて生き長らえている状況だった。

 こうした状況は現在でもあまり変わらず、国営エア・インディアが最近ようやく民営化されたぐらいだ。マルチ社もまた、当時の国民からは「政治的な動機によるプロジェクトではないか」とみられていたのだ。

 国内の部品メーカーにとっても、経営効率化や業界再編などは夢のまた夢だった。零細企業がひしめき、技術的にも世界の水準からは、かなり水をあけられていた。さらに、政府の外貨不足は深刻で、部品はもちろん資本財や技術をも含むすべての輸入が国によって厳しく統制されていた。そうしてできあがる既存メーカーの自動車も、その品質や信頼性において満足がいくものでないことは誰が見ても明らかだった。しかも、独立後の伝統として労働組合が強いインドでは、労使関係の緊張からしばしばストライキや暴力行為が発生し、これが工場の稼働率を大きく低下させていた。

 この結果、インド製造業の生産性と品質レベルは国際水準を大きく下回り、世界を相手に戦う競争力がつくはずもなかった。しかも当時のインドには、先に述べた輸入規制など製造業を阻害する政策が数多く存在した。

 このような環境のなか、インディラ・ガンジー首相の次男、サンジャイ・ガンジー(下院議員)が71年に立ち上げた国民車プロジェクトと同様、マルチ社も失敗するだろうとの見方は決して的外れではなかった。技術を提供してくれる合弁パートナーをマルチ社が探していた時期、興味を持った海外の自動車メーカーは、自国の大使館からインド自動車産業の現状を知らされ、注意するよう求められた。その結果、この国に進出しようとする企業の多くが尻込みし、マルチ社に投資しようとする企業も現れなかった。

若き鈴木修氏との出会い

 例外は、52歳という若き鈴木修社長(当時)率いるスズキ(当時は鈴木自動車工業)だった。彼は周囲のさまざまな警告や説得を無視し、1982年10月に乗用車生産に関するインド政府との合弁契約にサインした。オサムさん、ここからは親しみを込めてこう呼ばせてほしい――は、「インドには巨大な成長力があり、破滅を予言する者たちこそが間違っている」ということを、経営陣と協力して証明できると確信したのだろう。後にマルチ社が成し遂げた「奇跡」は、彼の判断が正しかったことを証明している。マルチ社はスズキというパートナーに出合い、不可能を可能にする挑戦の物語を紡ぎ出すことになるのだった。

 しばらく前のことだが、私はふと気づいた――このスズキとインド政府のパートナーシップがなぜこれほど成功し、誰もが予測していたのとは異なる業績を上げるに至ったのかについて、本格的な研究がまだ行われていない、ということに。2014年のモディ政権発足以降、「メーク・イン・インディア(インドでものづくり)」を掲げる政府の取り組みによってインドのビジネス環境は大幅に改善された。インドにおける製造業への投資に対する外国企業の関心は高まっている。そうした企業関係者や政策担当者にとって、本書はきっと価値のあるものになるだろうと私は考える。インドの実業家や官僚、政治家たちもまた、なぜマルチ社があれほどの競争力を身につけ、世界の自動車産業における地位を高めたのかについて考え、競争力を高めるためのさまざまな企業経営の手法を、本書に見出すことができるだろう。

 幸いにして、私はそうした研究を手助けできる立場にいることに気づいた。1981年の創業当初から今日に至るまで、マルチ社の成長と成功に積極的に参画し、そのなかで生きてきた幸運に恵まれたからだ。この間、私はオサムさんやスズキのチームと信頼関係を築き、維持することができた。日本のシステムのロジックを理解し、それがマルチ社に受け入れられ、効果的に導入されるための条件を整えなければならない立場にあった。そのおかげで、ほかの誰にも得られない知見や洞察を得ることができた。

 この四十数年間の大部分、私はマルチ社の経営に参画し、会社の成長はもちろんさまざまな苦楽や厳しい決断の場面をともにしてきた。85年からチェアマン・アンド・マネージング・ディレクター(CMD、会長兼社長)を務め、97年に一度退任したが、2003年に取締役に復帰し、07年に会長となった。

 もちろん、マルチ社の成功は私個人ではなくチームワークの成果だ。成功の礎を築いたのは、設立から数年の間に入社した社員たちだった。彼らはインドで一から乗用車をつくるという前人未到のプロジェクトに参加し、国内のどの組織とも大きく異なる労働文化のなかで働くことを求められた。彼らはこのまったく新しいやり方に素早く適応しただけでなく、後に入社した人たちがマルチ社の仕事のやり方を理解し、さらに強化していけるような強固な基礎を築いてくれた。

 マルチ社がインドで成功し、不可能を可能にするという奇跡を起こした背景には、「ものづくり」の思想やチームワーク、技術、システムといった「日本式」の経営スタイルと、「トップダウン」「意思決定の迅速さ」というインドの特徴が打ち消し合うことなく見事なハーモニーを奏でたという事実がある。これは今でいうハイブリッド経営、ということではないだろうか。

 本書は、マルチ社がいかにして日本の経営システムをインドに導入し、それまでにないタイプの企業をつくり上げたかを回顧し、解説するものだが、同時に、富とより公平な社会の創造を目指す民主主義国家において、日本の経営システムの優秀さについても改めて解き明かしていきたいと考えている。新興国も含めたあらゆるケースにおいて、国営企業よりも民間企業による経営が優れていることは明らかで、マルチ社の成長過程は国が関与した企業がいかにして民間企業へと変貌していくかに関する壮大な実証実験であるともいえる。インドに限らず、グローバル・ビジネスの荒波に漕ぎ出していこうとするすべての企業人やエンジニアたちの参考となればうれしいかぎりだ。


 この本の日本版の編集を進めていた2024年12月、私のマルチ社における最大の盟友で、尊敬する先輩でもあったオサムさん――鈴木修・スズキ相談役が逝去された。私の本はオサムさんへの追悼という意味もある。彼の偉大な歩みについて、少しでも多くの読者に知ってもらいたいと思っている。

【目次】

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