その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」をご紹介します。今日は古川慶一さん、田辺静さんの『 ソニー×ホンダ 革新を背負う者たち 』。「はじめに」と「おわりに」をお届けします。

【はじめに】

 日本経済新聞の記者として私がホンダの取材を担当していた2022年4月からの1年半。ホンダの三部敏宏社長から、度々同じ言葉を聞いた。

「このままでは日本がダメになる」──

 三部氏が強烈に意識するのが、米テスラや中国の比亜迪(BYD)など、電気自動車(EV)やソフトウエア重視の自動車で急速に成長してきた新興勢だ。ホンダを含む日本の自動車メーカーは、絶え間ない燃費改善や「擦り合わせ」などに代表されるモノづくり力でコツコツと現在の地位を築いてきた。これに対し、新興勢はしがらみになり得るレガシー(過去の遺産)が少なく、柔軟な発想でスピード感を持って新たな革新を生み出している。

 急速に成長する新興勢を前に三部氏の危機感は募る。「このままでは(EV)専業に勝てない」。従来のエンジン車のビジネスモデルからなかなか抜け出せない自動車産業の停滞感と、日本経済が置かれた状況を重ねて見ているようだった。

 当時の私は、その強い危機感に直接触れながらも、どこか実感を持てないでいた。ただ、ある取材を機に、三部氏の言葉の真意を理解することになる。

 23年4月。上海国際自動車ショーの取材で中国上海市を訪れた私は、東京ドーム8個分ともいわれる巨大な会場の中で立ち尽くしていた。整然と並ぶ展示車の多くは、EVやプラグインハイブリッド車(PHV)。クルマの中をのぞくと、ダッシュボードに大きなディスプレーが設置され、画面にはスマートフォンのようにアプリが並ぶ。ディスプレーの上では、乗客の動作や音声に反応する小型のロボットがくるくると動く。見ていてワクワクする。走らなくても、操作しながら楽しいと思うクルマを見たのは初めてかもしれない。日本の自動車メーカーを精力的に取材し、中国メーカーについても知見を蓄えてきたつもりだった。だが実際に上海ショーを体験した私は、驚愕し、圧倒されてしまった。それは自分だけではなかった。来場した日本の大手自動車メーカー幹部も「マーケットの変化が想定よりも早く、出遅れ感は否めない」とため息をついていた。

 半年後、中国広東省の広州支局に赴任した私は、中国の自動車業界の取材を始めた。意思決定のスピードが速い経営者のもとで、新たな機能やサービスの開発が進み、猛烈な勢いで成長を続ける。その代表格が、EVやPHVなどの「新エネルギー車(NEV)」で世界最大手のBYD。トップである王伝福董事長は24年6月に登壇したイベントで次のように語った。

「市場経済の核心は競争にあり、全ての企業家はこの競争を受け入れ、参加しなければならない」

 BYDは月に1度のペースで新型車を投入したり、既存車種をモデル刷新したりする。中国市場のNEV需要を急速に取り込むだけでなく、欧州や東南アジア、南米、アフリカなど海外市場も開拓している。EVだけの販売台数では23年10~12月に初めてテスラを抜き世界首位になるなど、激しい競争を繰り広げる。24年通年の乗用車販売台数でスズキや日産自動車を抜き、ホンダに迫る勢いだ。

 異業種による自動車市場への参入も目立つ。スマホや通信機器を取り扱う華為技術(ファーウェイ)は自動車企業と組んで、NEVに特化したブランドを複数展開する。スマホ大手の小米(シャオミ)も24年3月にEV市場に参入。創業者で、最高経営責任者(CEO)の雷軍氏は「今後10~15年以内に世界トップ5の自動車会社になるのが目標」と豪語する。

 日本に比べて歴史の短い中国の自動車業界では、BYDのように現在も創業者がトップを務めているケースも多い。人生を懸けて企業を興した経営者が発するメッセージには強烈なエネルギーがこもり、消費者の購入意欲に火を付けている。

 中国の自動車業界を取材して変化のスピードや技術の進化に驚くと同時に、不安が募る。

 日本企業は、これからの自動車業界でどのように戦っていくのか。あっと驚くようなクルマを提供できるのか──。ホンダの三部氏が語り続けていた危機感が、私の中でようやく腹落ちした。

 自動車は日本経済をけん引する一丁目一番地の産業だ。22年の全産業の売上高(1813兆円)のうち製造業はその4分の1を占め、中でも自動車を含む輸送用機械器具製造業の割合は最も大きい。トヨタ自動車を筆頭に、日産自動車など計8社の大手乗用車メーカーが存在する、世界でも有数の自動車王国だ。

 中国勢やテスラのような新興勢力が開発をリードする今、日本の自動車産業は大きな分岐点を迎えている。

 いかにして世界の競合と戦っていくのか。この疑問に、全力で答えを出そうとしている企業がある。ソニーグループとホンダの共同出資会社、ソニー・ホンダモビリティだ。始まりは22年3月。ソニーとホンダが戦略提携で基本合意し、EVの開発と販売を担う新会社の設立を発表した。

 ホンダ担当だった私にとって、両社の協業の行方を追うのは重大なテーマだった。当時の取材メモを見返してみると、「新会社の人事はどのようになるのか?」「新会社にはそれぞれ何割出資するのか?」「どんなEVをつくるのか?」など、新聞記事の見出しになるようなネタをあぶり出そうと必死になっていた。

 だが、私には本当に知りたいことがあった。「ソニーとホンダという組み合わせは、どのようにして生まれたのか?」「どちらが持ちかけて、どのような交渉があったのか?」。こうしつこく聞いて回った。本田宗一郎と井深大という創業者同士の友好関係は有名だが、両社が共にするビジネスはなかった。では、誰がこの協業を仕掛けたのか。そして、両社の取り組みが、企業組織や働く個人にどのような影響を与え、何を生み出しているのか。

 この物語の始まりにこそ、日本の自動車業界や製造業、さらには日本経済の課題が隠れているのではないか。そしてその課題を打破したいと考えたからこそ、2社が手を組むことになったのだろう。私はそう思った。

 ソニーとホンダの協業は、EVや自動車という枠組みを超える。自動車業界やソフトウエア業界、電機業界など、従来あった業界という境界線がなくなりつつある今、異業種が組むことで起こる化学反応は、今後の日本企業にとっても試金石となる。

 とはいえ、企業という器ができただけでは、何も変わらない。そこにどのような人が集い、どのような過程を経て、目標を達成していくかを知りたいと思った。

 ソニー・ホンダの会長兼CEOとなったホンダ出身の水野泰秀氏は「我々が目指すビジネスには手本がないし、正解を見いだすのも非常に難しい。悩みながら進んでいる」と本音を吐露する。言葉の端々からは、新しい挑戦に対する苦しい思いが伝わってくる。一方で、水野氏の目はいつもキラキラとしていて、力強く、エネルギーに満ちあふれていた。その言葉を聞いていると、「この会社は、どんなクルマをつくるのだろうか」と期待をしてしまうのだった。

 水野氏だけではない。ソニー・ホンダに集った最初の社員約200人は全員、両社からの出向だった。安定した業務、通い慣れた場所を捨て、新しい挑戦に懸けた人々だ。ソニーからの出向者には、ロボットやカメラといった車とは関係ない製品を開発していた人もいたし、ホンダからの出向者にはEVとは関わりの少なかったエンジンのエンジニアもいた。それぞれが自分の意志で、ソニー・ホンダで新しい価値をつくることを選択した。

 ソニー・ホンダがつくるのはクルマだけではない。そこに携わる人それぞれを、新たに創るのだ。

 日本の自動車大手の中で、四輪事業の最後発となったのは1963年に四輪市場に進出したホンダだ。ソニー・ホンダを同じモビリティの会社と位置づけるのであれば、大企業のタッグによって、四輪車の事業を手掛ける会社がおよそ60年ぶりに誕生したことになる。

 私たちは幸運なことに、この新しいモビリティ会社が生まれ、歩き始め、転びながら、少しずつ成長する姿を見ることができる60年に1度のタイミングに居合わせた。ソニー・ホンダのEVは本書が刊行される時点ではまだ発売されておらず、その結果がどうなるかは誰も分からない。だが、その結果も含め、この新しいモビリティ会社の行方を見守る目撃者となる。

 本書は、当時ソニー担当記者だった古川慶一氏との共著となる。日経グループの専門メディア、NIKKEI Mobility(日経モビリティ)で23年3月に始めた連載企画「AFEELAができるまで」のコンテンツを中心に、ソニーとホンダの提携を巡る動きを追加取材し、大幅に加筆した。ソニー・ホンダに関連する数十人の関係者と向き合い、その肉声や思いを記録してきたものだ。登場する方々の所属や肩書、クルマの情報は取材時点のものとし、本編での敬称は省略させていただいた。

 取材・執筆の際には、ソニー・ホンダの関係者らがいつ、どこで、どのような心境でいたのかを明確にしようと意識した。この本を手に取られた読者の方々に、ここに登場するのが架空の人物ではなく、今まさにこの時間を共に生きている人物だということを伝えたかったからだ。

 ソニーとホンダの掛け算の現場を取材しながら、自分が勇気をもらったことが幾度となくあった。本書を手に取った皆さんにも、そのエネルギーが伝わり、自身の情熱に変わる瞬間があればいいな、と願っている。

田辺 静

【おわりに】

 2022年3月4日午後3時。ソニーグループとホンダが「モビリティ分野における戦略的提携」に向けて基本合意したとの一報が入ったときのことは今も鮮明に覚えているし、これからも忘れないだろう。過去に自動車業界の担当をしていた記者としての驚きもあったが、衝撃を受けた理由はほかにもある。

 今でこそ日本経済新聞の記者として日々企業取材を続けているが、私の社会人の振り出しは、ある自動車メーカーから始まっている。希望したマスコミ業界には新卒時に入れなかったために選んだ道ではあるものの、自動車メーカーの購買部門で数年勤務した経験を持つ。

 「二人三脚より一人で走った方が速い」。創業者・本田宗一郎の言葉が残るように、ホンダは他の自動車メーカーとの資本提携は一切せず、独創性の高い商品を自らの手でつくりだすことにこだわりを持つ企業として知られる。私が自動車メーカーで働いていた当時、並み居る競合の中でもホンダに対しては敬意や憧れとともに、どんな商品を出してくるのか怖さを感じていた。そんな「孤高の存在」と認識していたからこそ、ソニーとホンダのタッグは業界経験者の目にも新鮮に映った。

 日経新聞に転職後、記者としてホンダを担当した時期もある。私が自動車業界を取材していた17~19年は、ホンダでも外部との協業の「タブー視」が消え、米ゼネラル・モーターズ(GM)と電気自動車(EV)や自動運転で提携する動きが出ていた。ソフトバンクと5G技術の共同研究を進めるなど、「開国」の道筋は広がりつつあった。ただ、ソニーとホンダがEVという新領域に、手を取り合って参入するということが現実に起こるとは思っていなかった。

 電撃発表直後の4月から電機業界を取材するチームの一員としてソニーを担当することになった。ソニーとホンダの両企業を知るチャンスを得たことはうれしく「こんな面白いときの担当なんていいですね」と周囲からのエールもあった。

 その一方で心の中にはどこかモヤモヤした感覚があった。

 戦後日本の製造業は自動車と電機が2本柱として輸出をけん引し、世界をリードしてきた。電機では08年に起きたリーマン・ショック前後に韓国勢や中国勢が台頭。日本勢は過度な技術信仰や過去の成功体験から抜けきれず、トップダウンによる意思決定の下でマーケティングを重視し、国の支援も受けた巨額投資と物量で攻めてくるアジア勢にはかなわなかった。電機で今でも日本勢が世界シェアの上位を占めるのは、キヤノンが首位のデジタルカメラや、ソニーがトップを押さえるCMOS画像センサーなどわずかしかない。

 幸いにも自動車はまだ国際的な競争力を有していると言える。だが、次世代車の柱となる技術である「CASE=コネクテッド(インターネットにつながる車)、オートノマス(自動運転)、シェアリング(共有)、エレクトリック(電動化)」革命以来、業界の構図は一変。中国勢や新興勢の攻勢にさらされるようになった。中国や東南アジアなどで日本車はじりじりとシェアを落とし、今では「撤退」や「工場閉鎖」など後ろ向きな話題が多い状態だ。

 「ソニーとホンダ、奇跡のタッグ」「和製テスラ、EVで反攻」。厳しい環境下ではあるものの、ソニーとホンダの合意を受けメディアにあふれた見出しは両社の提携に対する期待の大きさを表していた。国際競争力が低下して自信をなくす中で、日本を代表する2大ブランドの提携は多くの日本人にとって「希望となる何か」だったのかもしれない。ただ、そんな熱気も、私はどこか冷めた目で見ていたのだ。

 日本企業同士の提携は失敗の歴史でもある。日立製作所とNECのDRAM事業が統合したエルピーダメモリ。ソニーと東芝、日立の液晶ディスプレイ事業を統合したジャパンディスプレイ。三菱重工業と日立の火力発電事業を統合した三菱日立パワーシステムズ……。「日本の技術力を結集」を旗印に、大きな期待と共に華々しく船出したにもかかわらず、うまくいかなかったケースがほとんどだからだ。同質性や組織の調和を重視する日本の企業カルチャーの中では、外部との連携が逆に調整ごとを増やし、リーダーシップが欠如する原因にもなりかねない。だからこそ、ソニーとホンダの提携についても最初は半信半疑だった。

 22年当時、世界はEVシフトの真っ最中で米テスラの時価総額はトヨタ自動車の5倍に達し、独フォルクスワーゲンやGMなど主要プレイヤーも「脱エンジン」を宣言。世界が一斉にEV化へ歩を進めていた時期だった。ソニーとホンダが折半出資する新会社がEVを発売するのは3年後の2025年。その時はもうEVの勝負は既についていないか。出資比率が50対50の折半出資は責任の所在やリーダーシップが発揮しづらく、最も運営が難しい形態とされる。海外勢に負けないスピード感が求められる場面で機能するのか。「昭和のノスタルジー」だけでは、先行するテスラや海外勢には追いつけない。それがソニーとホンダの提携に対する正直な感想だった。

 その私の見方は、2年間にわたるソニー・ホンダモビリティの取材を通じて一変した。

 ターニングポイントは22年10月の会社設立会見だった。水野泰秀会長兼最高経営責任者(CEO)は「既成概念を覆す。既存の自動車メーカーとは全く違う新しい姿をつくる」と語り、川西泉社長兼最高執行責任者(COO)も「自動車産業はステークホルダーとの関係を見直す時期に来ている。私たちはオープンで対等な関係を築く」と力強く述べた。その2人の言葉が妙に胸に響いた。現実を直視しながらも悲観はなく、過去への回顧もせず、ただ前にある未来だけを向いていた。新たな動きが起きるかも知れない。気づけば、私の心にも火がついていた。

 異業種同士で互いのバックグラウンドも話す言葉も文化も違えば、これまでに多くの葛藤や悩み、対立があっただろう。それでも取材で出会ったソニー・ホンダの社員の一人ひとりは、ソニー出身なのか、それともホンダ出身なのか、はたまた両社以外の出身なのかは一目見ただけでは分からなかった。それほど1つのパーパス(存在意義)の下に異なる属性の人材が一体化していた。

 本書は、ソニーグループやホンダの広報部、そしてソニー・ホンダのコーポレートコミュニケーション課をはじめ数多くの関係者のご協力があって出来上がった。貴重な時間を割いてくれた皆様のご厚情に改めて感謝したい。

 日経モビリティの深尾幸生編集長や中尾良平デスク、小泉裕之デスクは通常の取材時のアドバイスや編集に加えて、今回の書籍化でも常に私たちに寄り添い支援をしてくれた。カメラマンの中尾悠希氏や中岡詩保子氏もいつも取材に同行してソニー・ホンダモビリティの数々の場面を写真として残してくれた。書籍化に当たって編集を担当してくれた日経ビジネス・クロスメディア編集長の白壁達久氏にも、この場を借りて感謝したい。日本経済新聞でソニーとホンダを現在担当する佐藤諒氏、沖永翔也氏にも協力いただいた。そして誰よりも、ソニー・ホンダの変身を一緒に追い続け、共に筆を執ってくれた共著者の田辺静氏の存在なくして、この本は完成しなかった。深く感謝申し上げたい。

 日本の「失われた30年」の根底にある問題は、日本人の同質性にあると感じている。同質性は与えられた目標に対して一丸となってまとまり、時として大きな力を発揮することもある。一方で誰かの意見に対しての「異見」もなく、他者に対する奢りや偏見を生み変化に対して臆病となる。その結果イノベーションに気付かず競争力までも失ってしまう。

 08年の春、私が自動車メーカーで働いていた当時は中国車を「日本車のパクリ」として半ば職場で嘲笑するような雰囲気すらあった。今やその中国が自動車の生産や販売のみならず技術でも日本はおろか世界をリードしている。

「多様な知で革新を追求し、人を動かす。」

 ソニー・ホンダモビリティはパーパスでそう記すように多様性を企業の根幹と位置づけている。いまやソニーとホンダ出身者以外にも通信やインターネット、エンターテインメントなど様々なバックグラウンドを持った人間が結集し、より大きな化学変化を生み出そうとしている。

 多様性があるからこそ、知らない人や知らない世界から謙虚に学び続けられる。その結果が個人や企業の成長にもつながるはずだ。日本で最も新しいこのモビリティ会社「ソニー・ホンダモビリティ」の挑戦からは、日本のモノづくりや、日本そのものの再成長シナリオが見えてくる。私はそれを信じて、今後も追い続けたい。

古川 慶一

【目次】

画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示