その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は藤井保文さんの 『ジャーニーシフト デジタル社会を生き抜く前提条件』 です。

【はじめに 体験中心の時代、生き抜くための視点を】

 本書には、昨今の世界の先進事例やWeb3などの新しい潮流を踏まえ、アフターデジタル本シリーズの著者による新コンセプトを記しています。日本は「デジタル後進国」と言われることが増え、だんだんと社会全体に危機感が広がっている中、「自分にできることは何か」を考えた結果、新たなコンセプトが必要だと感じ、それを1冊の本にまとめました。

 少し前は「DX」(デジタルトランスフォーメーション)の大ブームで、 『アフターデジタル』 (2019年、日経BP)で示したデジタル前提の社会に注目が集まり、その後に発行した 『アフターデジタル2』 (2020年、日経BP)、『 『UXグロースモデル』 『アフターデジタルセッションズ』 (2021年、日経BP)といったシリーズ書の中で「UX」(ユーザーエクスペリエンス:顧客体験)や「体験価値」の向上が重要になると提案してきました。しかし、DXで立ち往生し、まだ成果も、場合によっては方向性さえも見いだせていない企業が多い中、新しいテクノロジーのバズワードがどんどんと出てきています。

 例えば、シェアリングや社会課題解決、OMO(Online Merges with Offline)やスマートシティー、SDGs(Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標)やパーパス、D2C(Direct to Consumer)やコミュニティー、さらにはWeb3、NFT(Non-Fungible Token:非代替性トークン)、メタバースに至るまで、さまざまな用語やテクノロジーが目まぐるしく登場し、以前はITチームが「デジタル系だろ」とウェブまで任されるケースがよく見られましたが、今はDXチームが「テクノロジー系だろ」とWeb3やメタバースを管轄範囲に置くことをよく目にします。

 とはいっても、自分たちが取り組むべきことではないような言葉や考え方もたくさんあり、何を切り離し、何を取り入れればよいのか判断が難しいところです。変化の時代、情報も多くなる中で、私たちはどこに軸足を置いて、そうした変化にどのように対処すればよいのか、頭を抱えている方も多いのではないでしょうか。

 著者である私、藤井保文は、株式会社ビービットというUXのトータルソリューション企業で、CCO(チーフコミュニケーションオフィサー)と東アジア営業責任者という役割を担っています。台北、上海のビジネスを見ながら、その他の地域を含めたUXまたはビジネス・カルチャーの最先端知見や事例を集め、それを方法論や視点としてまとめ、CCOとして世の中に発信する役割です。

 私自身、海外でビジネスをする方々とお話しする機会や、世界の状況を学ぶ機会が多く、そうした知見をもってUX志向のDXや、アフターデジタルUXの企画や実装をしていることもあって、外から日本を俯瞰(ふかん)しやすい動きをしています。さまざまな議論や実践を通して、

「今の世界はこんな潮流の中にいるのではないか」
「その中で日本が遅れているのはこれが理由なのではないか」
「とはいっても日本にもまだこんな可能性があり、こんな観点を持って取り組めば進化できるのではないか」

 といった「社会の共通項」のようなものが見えてきた感覚があり、それを形にして知見として伝えたい、という思いが生まれてきました。その思いが本書のベースとなっており、新たな世界の潮流から道具として使える視点の提供や、情報の再整理を通じた社会の見方の提示、「不確実で変化の多い社会に軸足を置く支援ができるのではないか」と考えて、出版するに至りました。

プレイリストは誰のものか

 Netflixドラマシリーズで、音楽配信サービス「Spotify」の創業物語を一部フィクションで描いた『ザ・プレイリスト』の第3話に、以下のようなシーンがあります(大きなネタバレではありませんが、「自分が見る前に知りたくない!」という方は読み飛ばしてくださいね)。

 Spotifyが音楽レーベルから楽曲の使用権を取得するために、マネタイズするビジネスプランを立てなければならない、という状況に立たされます。各話、異なる登場人物の視点から誕生秘話を描くこのドラマの第3話は、弁護士のペトラの視点から描かれます。音楽レーベルとの契約の在り方に悩まされ、マネタイズプランも含めて考えることになるのですが、創業社長のダニエルは「絶対に有料化はしない」とマネタイズプランそのものを断固拒否します。とあるタイミングで真珠と思われるペトラのネックレスがばらばらになったときにふと思い立ち、急に主要メンバーを集めて、「ここにあるビーズでネックレスを作りましょう」と言い始め、ビーズとひもを配ります。

 ペトラはまず黄色やピンクなど1色のビーズでネックレスを作り、「1つの色で統一されたネックレスはアルバムで、一つひとつのビーズは楽曲よ」と例えながら、自分は単調なネックレスが嫌だと言ってそれをばらばらにし、さまざまな色のビーズを使ったネックレスを作り始め、他のメンバーもそれにならってネックレスを作り始めます。

 創業者のダニエルは「何が言いたいんだ」とけげんな表情で状況を見守ります。

 マーケティング担当のソフィアが作ったネックレスを見たペトラは「すごいわ、このネックレス。いろんなアルバムの名曲が集まっている」「でもごめん、このネックレス切るわね」と言って切ろうとしますが、ソフィアは嫌がり「返して」と言います。なぜ返してほしいのかと聞くと、「私が作ったすてきな『リスト』だから」とソフィア。それを見て、「あら、あなたが作ったの?」「確かに、世の中に1つしかない、個人的で特別なものよね」とペトラは得意げに言います。

 このネックレスを音楽のプレイリストに見立てて、「何時間もかけて作ったプレイリストを持ち続けることができるなら、ユーザーはお金を払うはず」「音楽を検索して聴けるというカタログのような機能はダニエルの言うように無料でいい」「でも、自分だけのプレイリストを作る機能はプレミアム版として有料にしても、これにはみんなお金を払うわ、どうする?」

 しばらくの沈黙の後、ダニエルは「よし、分かった」と言い、そのプランを採用することが決定します。フィクションを交ぜたドラマなので、本当にこんなふうに決まったかどうかは定かではありませんが、曲の選択や曲順変更をし、それをプレイリストとしてまとめてくれるというSpotify有料版機能の起源を表現しています。

 このシーンは、本書で示したいことの一端を、せりふ回しも含めてきれいに描いたシーンであるといえます。世の中の技術進化には、「利便性の進化」と「意味性の進化」の2つがあります。

 利便性とは「不便を解決すること」であり、オープンに共有する考え方が重要です。まさにSpotify無料版で、あらゆる音楽がオープンにシェアされてその場で聴けるようになり、CDやファイルにアクセスしなくてもよくなります。

 一方の意味性は「自分らしさや自分にとっての特別さを追求すること」であり、クローズドに所有される考え方が重要です。こちらはSpotify有料版で、昔からカセットテープ、CD-R、MDなどで行われてきたことです。「自分のセンスや好みを詰め込んだリスト」は自分だけの特別な作品なので、友人にプレイリストをシェアして聴いてもらうことも含め、お金を払ってでも手元に置いておきたくなります。

「ジャーニーシフト」の全体像

 本書は、このようにさまざまな変化がある中で、よりどころにするための確かな視点や考え方のフレームを提示し、判断基準の道具にしていただくための本を目指しました。先ほどの『ザ・プレイリスト』で例に挙げた有料と無料の差も、「利便性は共有され、意味性は所有される」という考え方によって整理できますし、同様に「ではパーパスは? Web3は?」といった疑問が湧いてきた際にも答えられる枠組みの提示になっていると思います。

 では、本書の全体像を示しておきましょう(図表0-1)。

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 この図の右側にある「行動支援へ」というのが、タイトルにもある「ジャーニーシフト」の本質であり、本書で一番強調したいポイントです。

 ジャーニーという言葉は5年前と比較すると一般的に使われるようになってきたように感じますし、UXや顧客体験の話もかなり伝わるようになってきた実感があります。一方、誤解が多いとも感じています。例えばUXは、UI(ユーザーインターフェース)と一緒に語られ、デザインや使いやすさのみの話だと思われてしまうことがあります。それと同様にジャーニーという言葉も、みんなでアイデアや課題を付箋に書いて、それらしいステップに貼り付けて完成するもののように捉えられるケースがあります。それでは、チームのみんなで合意したり、打ち手を時系列に沿って理解したりすることには使えても、本質的な時代の変化を捉えた「ジャーニー」にはなっていないと考えます。

 「ジャーニーシフト」とは、顧客提供価値が時代によって変質したことを示した言葉です。一文で示すと以下のようになります。

 顧客提供価値が、「モノや情報の提供」「瞬間的な道具としての価値」から、ありたい成功状態を実現させ、行動を可能にさせる「行動支援」に変わっている。

 これは言い換えると、「ユーザーにとって何かしらの行動やアクションを可能にしていなければ、企業として何の価値もない時代」になってきているということでもあります。自分の中でどれだけ受け止め、理解したり解釈したりしても、世の中に対して発信や貢献をし、社会やコミュニティーに干渉しないと、あまり意味がない。

 昔は「提供する側」と「受け取る側」とに世界が分かれていたわけですが、今や誰でも発信できるし、アクションしやすい時代になっています。自分のブランドを立ち上げてECをつくって決済の仕組みを整備するのも、ブランドのウェブサイトを自分一人でつくるのも、プラットフォームやSaaSを使えば一瞬でできます。

 そうなると社会環境として、「アクションしない」ことが怠慢に見えて、「本当にそう思っているならなんですぐに行動しないの?」「本当にこのコミュニティーが好きなら、なぜ貢献しないの?」と解釈されるケースも生まれてきます。逆に「本当はもっといろんな形で貢献したかったけど、それを発露するはけ口がなかった」という場合においては、企業やサービスなどが発露する先を与えてくれたり、行動を可能にしてくれたりすることで、今までできなかったことが実現可能になる、ということもありえるでしょう。

 多くの企業は変革を推進するものの、こうした「提供価値のDX」を実現できず、業務のDXにとどまり、新たな時代への対応ができていない状況にあるのではないかと考えています。そこで本書では、まずは世の中の変化を見渡し、意外と知られていない世界の動きや事例を通して、理解のための素材や道具を集めてから、改めて「ジャーニーシフトとは何か」という話に戻る構成にしています。

本書の構成

 第1章「新興国からデジタルの未来を学ぶ時代」では、東南アジア、特にインドネシアに焦点を当て、今起きている地殻変動、新たなデジタル社会の在り方について、事例を中心に語っていきます。一般の消費者の日常はもちろんのこと、インドネシア社会を支える配達ドライバーやパパママストア(家族や個人が経営する地域に根付いた雑貨店や屋台など)の個人事業主の仕事も、驚くほどデジタル化されています。さらに、デジタルだけでなくリアル接点での戦いをどのように組み合わせていくかが重要であることが示されており、社会をより良くする際のリアリティーが垣間見られます。

 第2章「新たな社会リーダーシップとジョイントビジョン」では、東南アジアに見た学びを昇華させ、北欧発のジョイントビジョンというリーダーシップや、日本の共助型地方創生に話題を広げていきます。こうした事例や思想に触れながら、社会のペインポイントを解消し、それをなるべく開かれた形で協力していく方法を説明します。「社会課題解決」を掲げる企業が多い中、あまり実態がないと感じている方、きれいごとのように感じている方、またはどうしても日本のペインポイントを見いだしにくいという方にとって、特に発見が多い章かもしれません。

 第3章「Web3がもたらす意味性の進化」では、利便性と意味性を対比しながら、この2つを混同して使ってしまうことによる落とし穴に触れ、さらに日本社会においても価値を生み出しやすい「意味性」における世の中の進化として、Web3に触れます。Web3の文脈で登場する新技術によって、より自分らしい生き方の実現、ライフスタイルや思想への賛同、自分の居場所をつくっていくような体験づくりがより強化されていることを、事例を踏まえて語っていきます。Web3はまだ新しい流れであることもあり、まだその存在に懐疑的だったり、理解が追いついていなかったりするケースもあると思いますが、「UX・体験をつくる」という観点でなるべく分かりやすく、基礎的なところから解説しています。

 第4章「行動支援の時代:行動実現を支援してくれないものに、もはや価値はない」では、いよいよ「ジャーニーシフトとは何か」について説明していきます。世の中の変化を見渡してみると、UXの重要性が高まっており、それによってビジネスの原理も大きく変わっていることが分かります。その上で「顧客提供価値の変化」がなぜ起きているのか、それがどのような変化で、行政や企業などのサービス提供者がどのように活動を変えなければならないのかを示します。特に重要な「行動支援」については、利便性と意味性に分けて解説します。

 最終章となる第5章「ジャーニーシフトに必要な視点と思考法」では、全体を通して学んできた考え方に対して、「どのような視点や考え方を持って自らの活動に生かせばよいか」を語っていきます。ここでは日本の事例なども踏まえながら、「顧客から見た、つながり続けたい理由」を問い直すことの重要性から、日本においてどのように社会ペインを見つけるのか、どのように価値の再定義を行うのかといったポイントを解説していきます。最後には「なぜ日本がわざわざこうした考え方に合わせて変わっていかなければならないのか」を、歴史的な観点から日本の特徴を踏まえて語っていきます。

 私個人の思いとして、UXの視点が欠けていることや、UXに対する勘違いによって、日本のビジネスが受けている損失は非常に大きく、特に海外企業と比べて足りない観点であると感じています。例えば、大企業がDXの一環としてデジタルサービスを始めるとき、「どれだけIDを確保できたか」「どれだけの人にダウンロードされたか」を追ってしまう傾向があります。しかし、ユーザーから得たデータを分析し、改善して課題を解決し、サービスを成長させていく「グロースハック」という言葉をつくったショーン・エリス氏は、「25%以上の人が、このサービスが明日なくなったら非常に困るという状態になるまでは、そのサービスを成長させても逆効果である」と言います。言い換えると、満足な体験が提供できていないのにユーザー数やダウンロード数をKPIとしているサービスは、「『価値がない』と感じる人を、必死にお金をかけて増やしているようなものである」ということになります。

 UXという言葉をそのまま世の中に打ち出しても、前述の通り、特に日本ではUI/UXとセットで認識されてしまい、DXの本質であり、提供価値の在り方を決める重要な概念だということがなかなか伝わりません。本書では、改めてUXという言葉を強く打ち出すのではなく、少し異なる表現で、ジャーニーをつくっていくことの重要性とその本質を伝えようとしています。

 社会UXの向上を目指し、その時々で自分らしい選択肢を選べるUXにあふれた社会づくりをしようとする方々のお力になれることを、切に願っています。


【目次】

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