その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は兼原信克さんの『 日本人のための安全保障入門 』です。

【はじめに】

 令和の日本は、自由主義社会のリーダーとして責任を果たす国となりました。今や、人口や国土が中規模とはいえ、英仏独と並ぶ責任ある大国です。胸を張って堂々と世界の檜舞台でリーダーシップを取るべき国となったのです。

 自由主義社会は、今、分水嶺にあります。グローバル・サウスの新興国が、どんどんその存在感を増しています。日本の4倍の経済規模に育った中国は言うに及ばず、インドが日本の8割に迫り、ASEANも既に日本の7割5分の体躯です。かつて世界史を牽引してきた西側諸国(先進工業民主主義諸国)は、相対的に縮小が始まっています。アジアの世紀が来ます。

 これから現出する自由主義社会の未来は、多極化するでしょう。アメリカ、欧州連合、イギリス、日本、韓国、台湾、ASEAN諸国、オーストラリア、インドという国々や地域が、自由主義社会を支えていくことになります。国際協調がますます重要になります。特にインドは、今世紀中葉、主柱の一つとなるでしょう。その一方で、残念ながら中国、ロシア、北朝鮮といった日本の隣国は自由という価値観を共有しません。ますます独裁色を強めながら自由主義諸国に対決的姿勢を隠さないのです。

 今日の自由主義社会は、一日にしてなったものではありません。20世紀は残虐な時代でした。20世紀前半には、産業化に先行する先進工業国家群が、世界覇権をめぐって二度の大きな戦争を起こし、数千万人が犠牲になりました。核兵器さえ使用されました。ヒトラーは数百万の無辜(むこ)のユダヤ人を虐殺しました。国際連合が立ち上がり、戦争が禁止され、平和が制度化されるのは、ようやく1945年のことです。

 また、第一次世界大戦後の価値観の真空の中で、共産主義、ナチズム、ファシズムのような社会格差を独裁と革命で是正するという全体主義思想が猖獗(しょうけつ)を極めました。日本では、軍人が昭和維新を求めて政治化しました。ナチズム、ファシズム、日本の軍国主義は滅び、ロシアや中国の様に連合国に回った共産主義国家は生き残りました。毛沢東の「大躍進」と文化大革命では数千万人が落命しています。カンボジアのポル・ポトは数百万人の命を奪いました。ソ連を中心とした共産圏が政治的生命力を失い、立ち枯れ、滅びるのは、ようやく20世紀の末のことでした。

 また、20世紀後半には、欧米日に植民地支配されていたアジア、アフリカの国々が、自由と独立を求めて立ち上がりました。欧州中心の国際秩序が大きく変容したのです。聖者ガンジーの率いるインドは、非暴力を掲げて独立を勝ち得ましたが、ベトナムやインドネシアでは、第二次世界大戦後、再征服のために銃をもって帰ってきた欧州勢と戦わなければなりませんでした。独立、建国、発展の道のりは決して平たんではなかったのです。ベトナム戦争では、ホー・チ・ミンが300万人のベトナム人の命を失ってまで独立の志を貫きました。その彼らが20世紀末に、徐々に民主主義に舵を切り始めました。フィリピン、韓国が嚆矢(こうし)となりました。台湾も李登輝総統の下で民主化しました。中国やベトナムのような共産主義国家も、経済開放へと舵を切り始めました。

 そして、何より、長い間、人類を苦しめてきた人種差別という醜い思想が消えました。弱肉強食の19世紀に、適者生存を説くダーウィニズムが悪用されたのです。白い肌は進化の表れだという似非(えせ)科学が流行りました。肌の色で人間の価値を決めるという考え方は、人間の真実に反します。ガンジーも、キング牧師も、そのために非暴力を掲げて戦い抜き、自らが信じる愛と真実のために殉教しました。ネルソン・マンデラ南アフリカ大統領は不屈の闘志でアパルトヘイト(人種隔離政策)を引きずり倒しました。

 今日の私たちが当たり前と思っている地球的規模の自由主義社会は、ある日突然現れたのではありません。多くの先人たちの血のにじむような努力と、誰に覚えられることもなく、ただ歴史の闇の中に消え去った夥(おびただ)しい数の有名無名の人々の命の犠牲の上に成立しています。

 誰もが平等で、命と、自由を守り、幸せを求めることができる社会。一人ひとりが自分を大切にして、本当の自分を見つけることのできる社会。自分が正しいと思えることを堂々と述べあえる社会。話し合いを通じた合意と妥協によってルールを作れる社会。人間の優しさや温かい心を信じることのできる社会。権力が、人々の幸せを守る道具に過ぎないことを分かっている社会。それが私たちの住む自由主義社会です。

 日本は、20世紀末にようやく地球的規模で広がってきたこの自由主義社会を守り、さらに、それをグローバル・サウスに広げていくリーダーになるべきです。敗戦国としてのコンプレックスも、冷戦の重圧から生まれた日本国内の思想的分断も、21世紀を背負う若者たちには、最早、乾いた歴史の一欠片(ひとかけら)でしかないのです。

 これから私たちは、どのように国際秩序を構想すればよいのだろうか。どのように戦略的に考えればよいのだろうか。どうすれば誰もが自己実現できる国際社会を実現できるのだろうか。どうすれば世界の多くの国々と自由主義社会を支えるために協調していけるのだろうか。どうすればグローバル・サウスの国々を戦前の日本のアジア主義のように欧米との対決姿勢に追い込まずにすむだろうか。世界の平和と安定を維持するにはどうしたらよいだろうか。台頭する中国と協調していけるのか。台湾有事は抑止できるのか。猛スピードで進む技術革新は世界の安全保障をどう変えるのか。日本は科学立国復活のために何をしたらいいのか──。

 昭和、平成を生きてきた日本人には、令和を生きる若者が尋ねるであろう直球の質問に答える義務があります。

 敗戦のがれきから立ち上がり、昭和後期の日本をデザインした吉田茂、岸信介の作った軽武装・平和主義、経済大国、福祉国家の日本は、平成の御代に入って爛熟しました。そして、平成期を通じて、政治の混乱と経済の停滞を経験しました。今や、ウクライナ戦争、中国の台頭と軍拡、米中大国間競争、北朝鮮の核開発、日本経済の失われた20年、著しい少子高齢化、巨額の財政赤字、猛スピードで進む情報技術の進歩を前に、昭和後期に完成された日本は、大きく揺らぎ、崩れ始めています。

 令和の若者たちは、日本をもう一度デザインし、世界をもう一度デザインする器の大きな日本人に育ってほしい。新しい日本社会、新しい国際社会を構想する力のある日本人に育ってほしい。これからの日本を背負う多くの日本の若者が、日本のみならず国際社会を支える有意の人材となり、世界に羽ばたくことを期待してやみません。この拙い小著がその一助となれば望外の喜(よろこ)びです。

 本書の執筆に当たっては、執筆を促してくださった日経BPの堀口祐介氏、編集を手伝ってくださった栗野俊太郎氏に大変お世話になりました。この場を借りて深く御礼申し上げます。

2023年10月1日
目白台の書斎にて 兼原信克


【目次】

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