その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は宮内義彦さんの『 諦めないオーナー プロ野球改革挑戦記 』。宮内さんの「プロローグ」と担当編集・白壁達久さんの「モノローグ」をお届けします。
【プロローグ】
私がオーナー34年の記録を残したいと思った理由
宮内義彦
2022年10月30日の夜、私は神宮球場の真ん中でオリックス・バファローズの選手たちに抱えられ、5度宙を舞いました。シーズン後にオーナーを辞めると発表していた私に、選手たちが最高の引き際をプレゼントしてくれたのです。87歳を胴上げするのは、選手たちもきっと緊張したでしょう。1988年に阪急ブレーブスを買収した時には、ここまで劇的な締めくくりは想像していませんでした。
53歳でオーナーに就任し、34年間務めるうちに、元号は昭和から平成を経て、令和へと変わりました。その間、プロ野球界には様々なことが起こりました。
本拠地の神戸を襲った阪神・淡路大震災、イチローの登場と渡米。そして近鉄との球団合併や球界再編……。オリックス球団に限れば、長期に及ぶ低迷を経験した後の復活劇もあります。長く球団のオーナーを務めてきた私は、その歴史の渦中にいました。
今年1月、とても悲しい知らせがありました。球団買収のきっかけをつくり、長くオリックスの球団社長を務めてくれた西名弘明さんが、78歳の若さで急逝してしまったのです。私がオーナーとして見てきた球団や球界の歴史を知る人がどんどん少なくなってきました。阪急ブレーブスオーナーだった小林公平さん、近畿日本鉄道(近鉄)元社長の山口昌紀さん、そしてオリックス初代監督の上田利治さん。2代目の土井正三さんに、球団の礎をつくってくれた仰木彬さんも天に召されてしまいました。
私は今年で88歳になりました。まだまだ元気で、やりたいことに満ちあふれています。ですが、私の記憶も時間の経過とともに曖昧になっていくでしょう。それならば、少しでも多くの記憶を記録しておきたい──。これが、本書を記したきっかけです。
やはり、何でもヒストリーはきっちり残しておかなければなりません。会社の場合は周年の節目に、手間をかけて振り返って記録を残すでしょう。
プロ野球については、選手や監督など、様々な立場の方が球史を残してこられました。ただ、同じ事象であっても、人や立場が変われば見え方や記憶も変わってきます。実際、歴史はそうして紡がれてきました。
それなら私は、「オーナー視点で見た球史」という、今までとは少し違った球史を残そう。そう考えたのです。
この本では、私が見たこと、考えたことをなるべく正確に振り返ったつもりです。自身でつけてきた日記やメモなどを参考にしつつ、当時の関係者などに確認も取りながら書きました。もしかしたら、これまで語られてきた、皆さんが知っている歴史とは異なる部分があるかもしれません。あくまで私の視点・記憶からの史実だとお断りしておきます。
34年で3段階に変化した「オーナー観」
球団オーナーとは、皆さんから見てどのような存在でしょうか。
たまにオーナー会議のニュースなどが出ますが、ベールに包まれていて、ほぼ分からないというところでしょうか。ましてや、オーナーが何を考えてどんなアクションを起こしているかなど、ほとんど気にすることはないかもしれません。
私は野球が大好きです。1人の野球好きという意味では、球場で応援してくれている熱心なファンと同じ存在です。けれど、球団を経営するオーナーの立場になると、見える景色だけでなく、思考や行動もまた変わってくる。
1人のファンとしては、カネに糸目をつけずに名だたる選手たちを呼び寄せ、最強のチームをつくりたい。一方で経営者としては、組織を永続させるためにも、きちんと採算が取れる組織をつくる必要があると考える。ファンとオーナーという相反する立場が私の中に併存していて、その間で葛藤を繰り返すのです。
そこから生まれる「迷い」が、オリックス球団の長期低迷につながったのかもしれません。
球団の成績が振るわなかったのは、歴代の監督や選手ではなく、すべて経営トップだった私に責任がある──。こうした自戒の念も込めて、本書を記していきます。
34年のオーナー人生を振り返ると、球団や球界に対する見方が3段階で変化していきました。最初に球団を買収した時の考え方は、プロ野球=知名度の向上です。私が創業メンバーとして参加したオリエント・リースは、創業から25年を機にオリックスへと社名を変更することが決まっていました。もともとはBtoB(企業間取引)のリース業が主体でしたが、事業領域の拡大に伴って社名を改め、世間に広く知られる企業にしたい。そう思っていた私にとって、球団は企業の宣伝媒体として極上のものでした。
プロ野球の球団は、シーズン中は毎日のようにニュースで名前を出してもらえるので、野球に関心がない人にも届きやすい。しかも、球団を所有できるのは国内で12社だけという希少性があります。全国で名前を売るにはもってこいの存在です。
球団が多少の赤字を出したとしても、グループ全体の広告宣伝費として考えれば決して高くはありません。その頃の私は球界の発展を考えるのではなく、成長してきたオリックスという会社をさらに拡大させるためのツールとして球団を捉えていたわけです。
野球やスポーツを宣伝媒体として考えるのは、ある意味ではスポーツに対して礼を失した考え方でしょう。ただ、それが当時の私の本音でした。
球界に参入してからある程度の時間がたち、オリックスの認知度も上がった頃、「広告宣伝費だから球団の赤字は当たり前」という考え方に違和感を覚えるようになりました。これが第2段階です。
往年のプロ野球ファンならご理解いただけると思いますが、80年代から90年代のパ・リーグは、今では考えられないほど人気がなかった。恐らく、6球団とも赤字が常態化していたでしょう。
親会社に依存しなければ存続できないのはいかがなものか。諸外国のスポーツビジネスを見ても、熱狂的なファンがいて市場規模を拡大している。既に1つの文化として根付いていた日本のプロ野球が、ビジネスとして成り立たないわけがない。そう考え、自立した経営ができる球団を目指すようになりました。それが球団の長期低迷につながったという側面もあるのですが……。
続いて訪れた第3段階への変化で、私は第2段階の自分の考えを一部否定することになります。オリックスだけが頑張ってもどうしようもないところがたくさんあると気付いたのです。相手と対戦するスポーツビジネスは、1チームだけでは成り立ちません。プロ野球全体で1つの事業として成長を考えなければ、本当の意味での成長はできないのです。そこに気付くまでに相当な時間を要しました。
90年近い歴史を持つ日本のプロ野球の特徴は、閉鎖的とも言える環境の中で独自の進化を遂げてきたことです。日本のプロスポーツビジネスとして見れば、他を寄せ付けない圧倒的な人気と市場を持つ。その一方で、海外のスポーツビジネスと比べると明らかに見劣りするレベルにとどまってしまっている。
米メジャーリーグ(MLB)のトップクラスで活躍する選手は巨額の契約を勝ち取り、オーナーがチームを売却するときには買収時を大きく上回る価値がつく。MLBの年俸水準は高騰しすぎの側面もあるので、日本のプロ野球(NPB)が同じところを目指す必要はないと個人的には思います。ただ、スポーツビジネスが生み出す価値の面で大きく差を開けられていることには、しっかりと目を向ける必要があるでしょう。
2021年の東京オリンピックで日本は金メダルを取り、23年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)でも世界一に輝きました。日本の野球は世界トップの実力がある。その価値をビジネスとしてもっと大きく育てたい。私のオーナー人生の終盤はその目標達成に向けて情熱を注いできました。
実現にはほど遠いままでオーナーを退任しましたが、日本のプロ野球にも変革の芽が出てきていると思います。例えば北海道日本ハムファイターズが自前の本拠地を新設したのは、素晴らしいことだと思います。球団が自ら未来を切り開いていく姿が、少しずつ見られるようになってきた。未来を変えようという強い意志を、1球団だけでなく12球団が持ち、1つになって変革を続ければ、日本の野球の未来はもっと明るいものになるはずです。
次世代のオーナーたちにその願いを託しつつ、私が当事者として関わってきたプロ野球の歴史を振り返っていきましょう。
はじめに──編集者のモノローグ
日経BP 日経ビジネス副編集長 白壁達久
「プロ野球のオーナー」と聞いて、誰を思い浮かべるだろうか。福岡ソフトバンクホークスの孫正義氏や横浜DeNAベイスターズの南場智子氏。読売ジャイアンツ(巨人)の元オーナーだった渡邉恒雄氏かもしれない。そもそもオーナーなんて興味ないという人もいるかもしれない。
「オーナー会議は、この組織の最高の合議・議決機関である」
日本野球機構(NPB)が定める「日本プロフェッショナル野球協約」の第18条には、オーナー会議が日本のプロ野球における最高の議決機関であることが定められている。そして協約には、オーナーは「この組織に属する球団を保有し、又は支配する事業者を代表する者であって球団の役員を兼ねる者」とある。
つまり、日本のプロ野球の“決めごと”は、12人のオーナーとコミッショナーによるオーナー会議で最終的な承認を得る必要があるということだ。オーナーとは、日本のプロ野球の浮沈を握る重要な存在なのだ。
そんなオーナーの1人に、プロ野球の未来を憂い、30年以上にわたって改革に挑み続けた人がいる。1988年11月から2022年末まで34年間にわたってオリックスの球団オーナーを務めた宮内義彦氏だ。
「宮内さんはオーナー会議に必ずといっていいほど出席しているが、他のチームはオーナー代行を出してくることが多い。宮内さんは『プロ野球に敬意を持っていれば、出席するのが当然だ』とよく口にしている」
長年付き合いのあるオリックスの関係者が、プロ野球好きな経済誌記者の私にこんなエピソードを聞かせてくれたのは、もう10年以上前のことだろうか。その頃のオリックス球団は長く低迷し、あまり人気がない状態が続いていた。それでも宮内氏の球団、そしてプロ野球に対する熱い思いは冷めることがないという。そんな宮内氏に、いつかプロ野球愛を語ってもらいたい──。そう思っていた。
孫氏や南場氏、そして東北楽天ゴールデンイーグルスの三木谷浩史氏など、球団オーナーには今をときめく著名経営者がずらりと並ぶ。本業を猛スピードで成長させる責務を負う大企業のトップにとって、プロ野球のオーナーとしての職務が「二の次」となってしまうのは仕方がないことなのかもしれない。
オリックスの前身である「オリエント・リース」の創業メンバーである宮内氏は、1980年に45歳の若さで社長に就任。リース業が中心だった同社は宮内氏の下で多角化と事業拡大に成功した。今やオリックスは時価総額が3兆円を超え、東証プライム市場上場企業でトップ50に入る規模にまで成長している。
宮内氏は経営者としての実績だけではない。政府の総合規制改革会議の議長として規制緩和に努めるなど、改革の旗手としての印象も強い。
そんな宮内氏は、オーナーの存在が軽視されている現在の球界の風潮に警鐘を鳴らす。多くのファンを抱え、既に文化として根付いた日本のプロ野球を、今後どう発展させていくか。それを最終的に決めるのは、オーナーという権限を持つ12人とコミッショナーだからだ。
プロ野球の歴代オーナーを調べたところ、最も長い期間オーナーを務めたのは、千葉ロッテマリーンズの故・重光武雄氏だ。1972年から2019年まで実に47年にわたってオーナー職を務めた。ただ、重光氏は全くといっていいほどオーナー会議に出席しなかったことで知られる。次に長いのは大阪近鉄バファローズの前身である近鉄パールスの創設時(1949年)から89年まで、40年近くオーナーを務めた佐伯勇氏だ。しかし、近鉄は81年から89年まで上山善紀氏がオーナー代行を務めていた。
つまり、34年にわたって代行を置かず、自らオーナー会議に参加し続けた宮内氏は事実上、最も長い期間、オーナーとして球界に関与してきた人物とも言える。
宮内氏の在任期間中には、日本のプロ野球史に残る様々な出来事があった。それらの「事件」を当事者として経験してきた宮内氏の記憶は、プロ野球の歴史として絶対に残すべき記録ではないか。そう考えていた私が宮内氏に長年の思いをぶつけて了承をもらい、オーナー人生を振り返ってもらったのが本書だ。
宮内氏がオーナーを務めた34シーズンのうち、オリックスはパシフィック・リーグ(パ・リーグ)優勝が4回、日本一には2回輝いた。
1989年の2位に始まり、イチロー選手の登場に沸いた90年代はAクラスが続いたものの、イチロー選手や田口壮選手といった中核選手が米メジャーリーグ(MLB)挑戦で抜けるとチームは弱体化。2000年以降は22年までの23シーズンでBクラスが19回、うち最下位が9回と、長きにわたって低迷が続いた。
それまで多くの球団が「赤字で当たり前」と考えていた中で、宮内氏は球団に「独立採算」を厳しく求めた。親会社への依存体質を変えるためだ。トップ経営者の宮内氏が、プロ野球の球団に本格的な「経営」を持ち込もうとした。
だが、球団は経費を圧縮し、選手獲得の投資も控えるようになった。そんなオリックスを皮肉る言葉が「ケチックス」だ。宮内氏は本書の中で、自身のスタンスが長期の低迷を招いたとも振り返る。
そうした失敗があっても「諦めない」のが宮内氏のオーナーとしての真骨頂だ。理想の球団経営を求めて、オーナーとして粘り強く改革に取り組み続けた。
阪神タイガースという人気球団の近くに本拠地があり、「強くても人気がない」というのは阪急ブレーブス時代から長く続く課題だった。オリックスは地域球団として地元の自治体と連携し、関西近郊から新規ファンを獲得する施策を次々に打ち立てる。
その結果、順位の低迷が続いた中でも地道にファンを獲得し、若い女性や子供が球場に駆け付けるようになった。気付けばファンは増え、球団経営も黒字化を果たした。23年までの3シーズンでパ・リーグ3連覇を果たすなど、チームの強化も実現。オーナーとしての最後のシーズンとなった22年に日本一をつかんで勇退した。
採算を度外視して強力な選手を集める「強いけど赤字のチーム」でも、採算ばかりを重視して選手に投資しない「黒字だけど弱いチーム」でもいけない──。好成績を残しながらも採算が合う「強い上に黒字のチーム」を宮内氏が諦めずに追い求めた結果と言えるだろう。
そんな宮内氏がプロ野球界で求めた改革は、オリックス球団にとどまらない。プロ野球ビジネス全体の発展のためにオーナーとして自ら動き、周囲に働きかけてきた。それは、プロ野球界が親会社頼みの経営から脱却し、独り立ちを始めるまでの歴史でもある。
「諦めないオーナー」と言えるような34年の歴史で、宮内氏は何を見て、何を考え、どのように動いてきたのか。そして、宮内氏がその先に見据えるプロ野球の未来とはどのようなものなのか。その言葉に耳を傾けてみよう。
【目次】

