その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は細川幸太郎さんの『 サムスンは生き残れるか 逆境の韓国経済 』です。

【はじめに】

 アジア最強企業、猛烈に働くエリート集団、ニッポン電機敗戦の元凶──。

 そんな言葉で語られてきた韓国サムスン電子を、私が取材することになったのは2019年夏だった。当時は元徴用工の賠償問題をきっかけに日韓関係が戦後最悪と言われ、韓国で反日世論が盛り上がっていた時期と重なる。両国の政治対立が民間企業の事業活動にも波及し、日本メディアの取材に対しても風当たりが強まっていた。

 そんな中でも韓国最大財閥のサムスングループは私たちの取材活動に丁寧かつ冷静に対応してくれた。発言を引用報道しないオフレコ前提ではあったものの、多数の経営幹部との意見交換の場でサムスンの内情や苦悩についても率直に語ってくれた。

 そうした取材で浮かび上がったのは、事業環境が激変する中でかつての成長力を取り戻すためにがむしゃらに社内改革を進めるサムスンの姿だった。そこには韓国最大財閥の余裕はなく、焦燥感すらにじんでいた。ただ、売上高30兆円の巨艦企業は簡単には動かない。「前例がなければGOサインは出せない」「社内の階層が多すぎて決断できない」──。サムスン内部の声を聞けば聞くほど、まるで一昔前にリストラに追われた日本の電機大手を取材しているような感覚に陥った。

首位の座を奪われるサムスン

 サムスングループの経営を巡っては、カリスマと呼ばれた2代目の李健熙(イ・ゴンヒ)氏が14年5月に病に倒れ、長男で3代目の李在鎔(イ・ジェヨン)氏が実質トップとなって10年が過ぎた。

 李健熙氏が率いた1990年代、2000年代のサムスン電子はテレビや半導体メモリー、ディスプレーなど日本の電機大手の得意分野で頭角を現し、日本勢からシェアを奪ってエレクトロニクス産業の頂点に立った。スマートフォン(以下、スマホ)やテレビ、半導体メモリーで世界首位となった。

 しかし各分野でトップランナーとなった後、手本となる模範企業を見失ったサムスンは停滞期を迎えた。半導体市況のサイクルと相関して一定の収益をあげるものの、売上高の伸びは鈍化している。かつて日本の電機業界の経営トップに「憎らしいほど強い」と言わしめたサムスンの貪欲に収益を追い求める姿は鳴りを潜めた。

 15年ぶりの深刻な半導体不況となった2023年は、各事業の競争力低下が露呈した年でもあった。

 10年以上にわたって維持してきたスマホの世界首位(出荷台数ベース)の座を米アップルに奪われた。さらに世界首位の半導体メモリー「DRAM」の先端品で出遅れた。19年時点で「2030年世界首位」を掲げた、受託生産(ファウンドリー)などのシステム半導体でも台湾積体電路製造(TSMC)の背中は遠のいている。家電とディスプレーは中国の競合企業がシェアを高めており、サムスンの主力4事業のすべてで収益力がじわじわと弱まっている。

 結果的にサムスン電子の23年12月期の連結売上高は前期比14%減の258兆9400億ウォン(約26兆円)、純利益は72%減の15兆4900億ウォンに落ち込んだ。24年は半導体市況の回復とともに増収増益に転じた。ただ、先代会長の遺産となる既存事業に収益を依存し、新たな収益源を生み出せていないのがサムスンの積年の課題だ。

 サムスンに打ちのめされた日本の電機大手は、この10年余りで事業構造を大きく変革した。総花的な事業ポートフォリオを見直して成長事業を明確にした日立製作所や、エンタメ軸に生まれ変わったソニーグループが代表例で、後に続く三菱電機やパナソニックホールディングスなども低収益事業の切り離しと成長事業への投資を強める。

 じりじりと既存事業の競争力が低下するサムスン。日立やソニーのように再び成長軌道に戻せるのか、それとも10年代のシャープや東芝のように経営危機に向かうのか。これからの数年間がサムスンの未来を左右する重要な時期となる。

韓国経済を分析すれば……

 そんなサムスンは韓国経済を映す鏡でもある。23年の韓国経済成長率は1.4%と、アジア通貨危機の1998年以来、25年ぶりに日本の成長率を下回った。韓国経済の屋台骨である輸出は、中国経済の停滞と半導体不況によって2022年比7%減の6327億ドル(約90兆円)だった。品目別の増減をつぶさに見ていくと、23年の停滞は一過性ではない。鉄鋼や造船、化学、自動車、ディスプレー、電池などの韓国の得意分野で中国勢が台頭しており、「優良顧客」だった中国がいつの間にか「競合先」となっているためだ。

 朝鮮戦争の休戦後に最貧国から出発し、1970年代以降に「漢江の奇跡」と呼ばれる急成長を成し遂げた韓国。財閥中心の急速な経済発展の根底には、日本企業による技術供与があった。そして今度は中国が韓国得意の輸出産業で猛烈にキャッチアップしており、既に日韓をリードする分野も現れ始めた。

 韓国の高度成長を支えた財閥企業は上意下達の軍隊式の社風で、厳しい社内競争をテコにグローバル市場で存在感を高めた。しかし、労働組合を支持基盤に持つ革新政権下での労働規制、ワークライフバランス意識の浸透、新型コロナウイルス禍(以下、コロナ禍)による社会の変容を背景に、猛烈に働く20代、30代は減り続けている。

 韓国は2020年に国内総生産(GDP)ランキングで世界10位に到達したものの、23年は13位と後退した。現状の産業構造のままで中国の攻勢にさらされ続ければ、20年の10位をピークとして今後も順位を下げていくことになりかねない。

 そして輸出型の製造業が強く、エネルギーや鉱物資源のほとんどを輸入に頼る日韓の産業構造は相似形といえる。中国の台頭で苦況に陥る韓国経済の姿は、近未来の日本経済の姿に思えてならない。そのため、韓国経済の現状を分析することは日本経済の未来を知るための示唆に富む。


 サムスンを先代会長が率い、韓国財閥が日本企業を脅かしていた10年代前半までは「サムスン礼賛本」が数多く出版された。しかし韓国経済が成長の壁にぶつかった今、厳しい現状を踏まえた韓国経済論は日韓ともに見られない。

 24年12月の唐突な尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領の「非常戒厳宣言」に端を発し、韓国政治は再び混迷を極める。政治の混乱はやがて経済に波及し、最大財閥のサムスンも影響は避けられない。政治の混乱、経済の停滞で韓国の先行きは一層、見通せなくなった。大きな転換点に立つ韓国経済を外部の目で論じる意義を感じて本書の執筆依頼を引き受けた。

 日本の新聞社・テレビ局・通信社のメディア各社が韓国の首都ソウルに支局を置く。ソウル支局では日韓関係や北朝鮮、韓国政治などが主要な取材テーマとなるため、政治や社会を専門分野に持つ記者が派遣されることが多い。その中で日本経済新聞社のソウル支局経済担当記者は、経済を軸として取材し記事を書く役割を担っている。私が韓国経済担当記者として駐在した4年半の総括となる本書で、停滞感が漂うサムスンと韓国経済の現在地を描いた。

※為替レートは10ウォン=1円、1ドル=140円とした
※登場人物の肩書は取材時のもの
※写真は筆者撮影


【目次】

画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示