ロシア・ウクライナ戦争が続く最中に突然起きたパレスチナ・ハマスによるロケット発射とイスラエル軍による報復攻撃。イスラエル建国から75年たつというのに、イスラエルとパレスチナの対立には解決のメドが立っていない。そこで中東地域研究者で日本女子大学教授の臼杵陽さんに、パレスチナ問題を知るための本を選んでもらった。1回目は、イスラエル建国によって難民となったガッサーン・カナファーニーの小説『ハイファに戻って/太陽の男たち』。故郷を失ったパレスチナ人の苦しみが象徴的に描かれている。

読み継がれる名作『ハイファに戻って』

 2023年10月7日、パレスチナのガザ地区を実効支配するイスラム組織、ハマスがイスラエルをロケット攻撃しました。これに対してイスラエル軍も報復攻撃を行い、双方に1万人以上の死者が出ています。

 なぜ長きにわたってパレスチナとイスラエルの対立が続いているのでしょうか。事態のきっかけは、1948年、イスラエルがパレスチナに新しいユダヤ人国家を建設したことによって、パレスチナ人が故郷からの離散を余儀なくされ、難民となったことがあります。

 また、イスラエルが首都と宣言しているエルサレムは、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教にとっての聖地であり、他の諸国も関心を寄せざるを得ません。パレスチナとイスラエルの対立は、直接的にはイスラエル建国が契機ですが、深層には古代からの歴史が複雑にからみ合っています。

 私たち日本人がパレスチナで起きていることを本から学ぶには、まず小説から入るのがいいと思います。そこで今回は中短編7編を収めた『 ハイファに戻って/太陽の男たち 』(ガッサーン・カナファーニー著/黒田寿郎、奴田原睦明訳/河出文庫)を紹介します。

『ハイファに戻って/太陽の男たち』(ガッサーン・カナファーニー著)
『ハイファに戻って/太陽の男たち』(ガッサーン・カナファーニー著)
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 著者のガッサーン・カナファーニーは、1936年、英国委任統治下にあったパレスチナ生まれです。1948年の第1次中東戦争のとき、12歳でレバノンからシリアに逃れ、難民となりました。その後はダマスカス大学に入学しますが、マルクス・レーニン主義に傾倒し、パレスチナ解放人民戦線(PFLP)のスポークスマンを務めるようになりました。一方で小説や戯曲を書き、絵も描いていたという異色の経歴の持ち主です。

 カナファーニーはデンマーク人女性と結婚し、2人の子どもがいましたが、1972年、自家用車に仕掛けられていた爆弾によって、36歳の若さで亡くなりました。

 『ハイファに戻って』の舞台は、イスラエル建国前夜です。ユダヤ人は約2000年前、ローマ帝国によって国を失い、流浪の民となり、第2次世界大戦ではナチス・ドイツによるホロコーストの犠牲となりました。「パレスチナの地に戻る」「自分たちの国をつくる」ことが悲願となり、1948年にイスラエルが建国されました。しかし、ユダヤ人にとっての悲願はかなったものの、今度はその地に住んでいたパレスチナ人が国を追われ、多くの人が故郷を失いました。

 『ハイファに戻って』の主人公サイード・Sも、イスラエル建国の動乱により、地中海沿岸のハイファを追い出され、ヨルダン川西岸のラーマッラーに逃れました。ハイファは日本で例えると神戸のような街です。カルメル山という小高い山があり、高台には高級住宅街があります。ユダヤ軍はそこを攻撃し、高台から港に至る道路は逃げ惑う人々であふれました。サイード・Sと妻は生後5カ月の息子と生き別れになります。

「パレスチナ人が書いた小説はとても少ないです」と話す臼杵さん
「パレスチナ人が書いた小説はとても少ないです」と話す臼杵さん
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生き別れの息子はユダヤ人になっていた

 その後、長らくサイード・Sと妻は故郷を訪れることができませんでしたが、20年後の1967年、再びハイファを訪れます。かつての自分の家で、置き去りにした息子と再会します。しかし、息子はホロコースト生き残りのユダヤ人夫婦に育てられ、イスラエル軍の軍人になっていました。

 実親と再会した息子は、「私は、あなた以外に母を知りません。父は5年前にシナイ半島で死にました。その2人以外に両親はありません」と言い放ちます。サイード・Sの妻が「私たちが、あなたの肉親だとは感じないのですか」と尋ねると、「……幼いときから、私はユダヤ人だった……私のもとの両親はアラブ人だと言っても、何も変わらなかった……人間は結局、それ自体が問題を体現している存在なのです」と言い、実の両親を拒絶します。

 サイード・Sは20年の時を経て、夢にまで見た故郷に帰ってきました。しかし、月日は流れ、2世、3世の時代になり、故郷を追われた者もイスラエルの社会に適合する形で暮らしていました。難民問題の奥深さを浮き彫りにする物語になっています。現実にも本書のような家族がいくらでもあることは想像に難くありません。

映画化もされた『太陽の男たち』

 収録されているもう一つの短編『太陽の男たち』は、日本では1985年に映画が公開されたので、見た人がいるかもしれません。

 物語の主人公はイスラエル建国によって難民となり、ヨルダンで暮らしている3人の男性です。「クウェートに行けば大金が稼げる」と耳にします。しかし、クウェート政府はそう簡単に移民労働者を受け入れないので、密入国を企てます。

 そこで、給水車のタンク部分に隠れて国境を越えようとします。しかし、夜間は見回りが多いため、あえて灼熱(しゃくねつ)の炎天下に移動することに。ところが、その日に限って国境係官のおしゃべりが長引き、検問を通過するのに20分もかかってしまいました。運転手があわててタンクを開けたときには、3人はすでに息絶えていました。運転手が「なぜおまえたちはタンクの壁を叩かなかったんだ」と叫ぶ最後の場面は壮絶です。

 映画では3人の男性が内側からタンクをたたいているのですが、小説ではタンクをたたかずにそのまま3人は亡くなります。国を追われ、生きるのも困難なパレスチナ人の当時の状況を象徴するような結末です。こちらもフィクションですが、密入国のためにタンクローリーを利用することはよくあり、限りなく実話に近いと思います。

 もちろん小説としても「故郷を離れざるを得なかった人たち」の物語は読み応えがあります。パレスチナに限らず、旧ユーゴスラビアやソマリアなど世界各地で難民が発生しています。その悲劇が胸に迫るからこそ、1972年にカナファーニーが暗殺されて以降も各国で翻訳され、読み継がれてきているのだと思います。

「難民の悲劇はパレスチナ人のみならず世界中で起きていることでもあります」
「難民の悲劇はパレスチナ人のみならず世界中で起きていることでもあります」
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(第2回を読む)

文/三浦香代子 取材・構成/桜井保幸(日経BOOKプラス編集部) 写真/小野さやか