10万部を超えるベストセラーとなった日経文庫 『SDGs入門』 は、著者との不思議なご縁から生まれたという。担当編集者の雨宮百子が、本書の企画の成り立ちなどヒットの裏側を明かす。

G20と企画会議

 2019年6月、「G20大阪サミット」が開催された。G20大阪サミットは、G7を含む20の国・地域の首脳、さらには8つの招待国首脳、9つの国際機関代表も参加するなど、国内で開催した首脳会議としては史上最大規模のものだった。

 これに先駆けて、編集部では会議が行われていた。

 「G20では、SDGs(持続可能な開発目標)が話題になるだろう。日経文庫の企画ってまだないよね? 書けそうな著者はいる?」。誰かが言った。

 「もしかしたら、私が今作っている本の著者、村上芽さんが適任かもしれません。先日打ち合わせのときに、ちょうどSDGsの話が出まして…。ただ、4月刊で今1冊進めているので、6月に間に合うかどうかは課題ですね。聞いてみます」

 日経文庫は、第一級の著者が、最新の知識を、やさしく、コンパクトに、しかも低価格で提供し、ビジネスパーソンをサポートするためのレーベルだ。私が生まれるはるか前の1954年に創刊され、長い歴史がある。

 1冊読めば、押さえておきたいテーマの知識を網羅できるのが特徴だ。装幀も単行本に比べると型が決まっているのでシンプルで、単行本ばかり作っていた私には、少し縁が遠いシリーズだった。

 「雨宮さん、これを機会に日経文庫にトライしてみなよ」

 編集長の言葉に背中を押され、村上さんに連絡を取ることにした。

会社の雑誌棚にあった出会い

 著者の村上さんと出会ったのは、雑誌の誌面の中だった。当時のオフィスには、書籍や雑誌が並べられた大きな本棚があって、私は暇なときに眺めていた。ある意味、仕事をサボっていたのかもしれない。「週刊文春」「週刊東洋経済」「ハーバード・ビジネス・レビュー」……。大好きな活字に囲まれるその空間は、私にとっては最高の居場所だった。

 その日も、「週刊東洋経済」を読んでいた。そこで、ちょうどフランスの少子化について解説した記事を発見したのだ。フランスといえば少子化対策先進国のイメージがあったが、実は最近そうでもないらしい、という内容で、村上さんが寄稿をしたものだった。

 記事の内容についてもっと知りたくなって、村上さんが所属している日本総合研究所に問い合わせをしたのが始まりだった。

たまたま見つけた雑誌の記事が企画につながった(写真:shutterstock)
たまたま見つけた雑誌の記事が企画につながった(写真:shutterstock)
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堺屋太一さんと少子化

 その頃、私は「少子化」に興味を持っていた。取材で出会う人をはじめ、多くの人がこのテーマを話題にする。当時、上司に連れていってもらっていた故・堺屋太一さんの勉強会でも、堺屋さんはしきりに日本の課題として少子化に言及されていた。その勉強会で最年少だった私は、「どう思うか」と時折聞かれたものだ。

 私は、「少子化」には大きく分けて2つの視点があると思う。1つは個人的なもので、女性のキャリアと家庭の両立。このことに悩んでいる人を目の当たりにする機会が多かったこともあり、自分自身もいつか選択に苦しむのだろうかと考えていた。もう1つは国のシステムや存在感を維持する上で、人口を“力”として捉える戦略的な視点だ。

 国の戦略としては重要でも、結局は個人の選択が出生率を左右するわけで、この難題に対する興味は深まるばかりだった。

 初めて会った村上さんの知的な雰囲気に、私は一目で魅了されてしまった。

 「コーホート合計特殊出生率という指標があるのをご存じですか。これは、女性の世代別に、一生涯に子どもを何人産んだかという人数を示すものです」「イギリスを例に2つの出生率を見比べてみると、期間合計特殊出生率のでこぼこが大きいことに比べ、コーホート合計特殊出生率はなだらかな線を描いていることがはっきり分かります」

 そんな話を伺うなかで、「村上さんと本を作ってみたい! もっと勉強させてほしい」という思いがむくむくと湧き上がった。そうして刊行させていただいたのが、日経プレミアシリーズ 『少子化する世界』 だ。

なぜ10万部も売れたのか

 村上さんと出版企画の話を進めていると、少子化以外にも、SDGsやESG(環境・社会・企業統治)について研究を深めておられることが分かった。そして、冒頭の会議での発言につながった。

 『少子化する世界』の原稿をまさに書いていただいている最中に、急を要する新刊の企画…。ためらいもあったが、ご相談すると快く引き受けてくださった。そして、同じ会社の渡辺珠子さんと一緒にご執筆いただけることになったのだ。渡辺さんの当時のご専門は、企業のSDGs取り組み支援、新興国市場の開拓支援などで、企業現場の事例を数多くご存じだった。

 「チームのみんながおなかを壊しているのに、私だけいつもピンピンしていて。だからインドなど新興国への出張も多くなったんですよ(笑)」と明るく話す、笑顔が素敵な方だった。

 こうして4月と6月に、同じ著者の書籍を刊行することになったのだ。村上さんは、執筆に追われる日々を過ごされたように思う。

村上さんの修正が入った校正ゲラ
村上さんの修正が入った校正ゲラ
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 お二人のおかげでG20にも間に合い、気づけば『SDGs入門』は10万部を超えるベストセラーとなっていた。ご無理をお願いしてしまったが、あのタイミングで、企業事例まで含めたSDGsの知識が、コンパクトかつ低価格で網羅された本がなかったことが、10万部のヒットにつながったと思う。SDGsがビジネスで必要な部分にポイントを絞って解説したのも、売れた要因の1つなのではないかと推測する。

 その後、より若い世代にもSDGsのコンセプトを理解してもらうために、村上さんに再びお願いして、2021年1月には 『図解SDGs入門』 を刊行した。

 SDGsを身近な問題として捉えてもらうために、「世界平和はなぜ重要なのか」「強いチームは多様性でつくられる」など、より解像度を上げて社会の課題を浮き彫りにした。データをたくさん載せているので、いろいろな使い道をしてもらえることだろう。

左から『図解SDGs入門』『少子化する世界』『SDGs入門』
左から『図解SDGs入門』『少子化する世界』『SDGs入門』
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「心のゆとり」がヒットにつながった

 『SDGs入門』は一気に10万部になったわけではなく、じわじわと2年くらいかけて売れていった。村上さんのキャリアも、また私のキャリアも緩やかに変わるなかで、多くの方が本書を手に取ってくださるのを非常にうれしく感じている。

 気づけば、会社にはほとんど出社しなくなり、オフィスも変わり、かつてのように雑誌をのんびり立ち読みする時間はなかなか取れなくなってしまった。しかし、こうした「心のゆとり」が、意外なところで実を結び、ヒットにつながる可能性があることを、自戒を込めてここに記しておきたい。

著者の村上芽さん(右)と雨宮百子
著者の村上芽さん(右)と雨宮百子
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10万部突破! 全体像を理解するために最適な1冊

<こんな人にオススメ>
・1冊でSDGsについて知りたい
・仕事でSDGsの担当になったがよく分からない
・自社のビジネスで社会貢献をしたい
・SDGsとビジネスの結び付きを知りたい
・実際にSDGsを導入して成功している企業の事例を知りたい

村上芽、渡辺珠子著/日本経済新聞出版/990円(税込み)