『利生の人 尊氏と正成』で第12回日経小説大賞を受賞した天津佳之さんがその次に主人公として描いたのは、今から約1400年前に即位した推古天皇。史上初の女性天皇とその時代から見える、現代社会へのヒントとは。『和らぎの国 小説・推古天皇』著者の天津さんと編集を担当した苅山泰幸さんに、執筆の舞台裏や思いを聞きました。今回は3回目。(聞き手は、「日経の本ラジオ」パーソナリティの尾上真也)
コロナ禍の宣言解除で一気に仕上げる
尾上真也・「日経の本ラジオ」パーソナリティ(以下、尾上) 第12回日経小説大賞受賞の『 利生の人 尊氏と正成 』からほぼ1年後に本作『 和らぎの国 小説・推古天皇 』を出版されましたが、その1年はどのような感じで執筆されたのですか。前作は通勤電車に乗りながらスマホで書き上げたとお話しされていましたよね。
天津佳之(以下、天津) 本作の執筆中はコロナ禍で緊急事態宣言やまん延防止等重点措置が出ていて、締め切りの2カ月ほど前まで一切取材ができませんでした。結局、宣言が解除されたタイミングで全部取材をして、そこから机にかじりつくかたちで一気に書き上げたんです。
尾上 前作とはまったく違うスタイルだったのですね。
天津 こんなに集中して書くのは久しぶりという感じでした。
尾上 天津さんは普段会社員としてお仕事をされているので、どうしても限られた時間のなかで執筆せざるを得ないですよね。
天津 実は新型コロナウイルス感染症拡大の影響で時短勤務になり、それなりに執筆時間を取ることはできたんです。ラストスパートの時期は1カ月に原稿用紙500枚くらいを一気に書いて仕上げていきました。
尾上 編集を担当された苅山さんは、やきもきしたのでは?
苅山泰幸・日経BP編集者(以下、苅山) 当初2人で約束した締め切りは守っていただいたんですよ。ただ、最初の原稿から推敲(すいこう)をみっちりやっていただいたので、そこはご苦労されたんじゃないかと。
天津 取材に行けない状態で書いた部分があって、そこが迷走してしまいましたね。
尾上 天津さんは取材に行かれた様子をTwitterに上げていらっしゃいますが、やはり現場に行って感じたものや見たもの、調べたものをイメージしながら書かれるのが基本スタイルですか。
天津 『利生の人』のときに、映像的な文章とおっしゃっていただきましたね。前作と本作では時代は全然違いますが、やはり現場感というか、その場所に立ってみたときの空気や空の色、天気、湿度みたいなものを感じると、明らかに書きやすいです。
尾上 なるほど。短い期間で一気に書き上げられたそうですが、非常に中身の濃い1冊に仕上がっていると思いました。
次の主役は、菅原道真
尾上 次の作品も準備されているそうですね(編注:収録日は2022年3月31日)。
天津 はい、菅原道真を主役にした、平安時代の政治改革を描く長編小説です(『あるじなしとて』PHP研究所)。
尾上 菅原道真は非常に有名な人物で、いろいろなエピソードがありそうな気がします。どのような作品なのか、少し教えてください。
天津 菅原道真は、学問の神様、天神様として知られていて、最終的に左遷されてしまった悲劇の学者みたいなイメージがあるのですが、今回は政治家としての部分に着目しました。
菅原道真が遣唐使を廃止した後には、豪華な貴族文化が花開きます。それには社会の経済的な成長が必要ですし、その辺りも含めて書いてみようと考えました。
尾上 デビュー作の『利生の人』、その次の『和らぎの国』ともに、主人公はもちろん周辺の人物像も非常に魅力的でした。例えば『和らぎの国』の、蘇我馬子が壮年期から老いを迎えてどういう人物になっていくかという豊かな描写も、とても印象的です。天津さんは、いつもどのように人物像を想像して描かれるのでしょうか。
天津 前回「和らぎ」という言葉の話をしましたけれど、和らぎって1人では達成できないんですよね。人々がいて、それぞれに違う役割があって、1つの目的に向かって力を注ぎ合っていくスタイルは、群像や組織じゃないと描いていくことが難しい。ストーリーのなかで、中心になる人物や周囲の人たちにはそれぞれどんな役割が必要なのかを想定し、配置してみる……という感じでつくっています。
また、歴史上の人物が実際どんな人物だったかは分からないけれど、僕は「この人はきっとこうなりたかったんじゃないかな」という姿──つまりその人物が理想化された姿を想像して描いています。蘇我馬子はもしかしたら極悪だったかもしれないけれど、本人は、政治や国家に対してすごく強い思いを持つリアリストになりたかったのかもしれないな、みたいに造形していく感じです。
あとは、食べ物の話を出すと五感に訴えるというか、キャラクターがぐっと近くなるので、その辺りも意識しています。
今の時代に必要なものを書いていきたい
苅山 ダイバーシティや多様性を尊重する文化が実は日本には古くからあったんだということを、登場人物を通して表現されているんだなと、天津さんのお話を伺っていて思いました。
日本は平和を希求するところがあり、そこに至るまでには戦いもあるけれど、この小説で語られる「和らぎ」は日本で暮らしている読者には説得力があるのではと思います。
尾上 苅山さんがおっしゃった、「この国の精神のなりたち」に通ずるところがありそうですね。
天津 僕は、今の時代に必要なものを書きたいと思っています。ウクライナとロシアの状況などいろいろありますが、国家というものが成り立ち、存続していくのはとても大変なことです。
約1400年前の日本には、そのために努力をした人たちがすでにいました。しかも突出したスーパーヒーローがリードしたのではなく、さまざまな立場の人がそれぞれの役割のなかで力を発揮することによって、多くのことを実現した時代があったのだと伝えたいです。
本作をある種の組織論と捉えるのであれば、例えば、企業や部署のなかで「和らぎ」という言葉を象徴に置き、チームの仕事に活かしていくこともできるのではないでしょうか。社会のなかで日々働いている方に読んでいただき、ヒントとなればうれしいです。
構成/佐々木恵美