いくら有望な市場でも、どれだけ優秀な人材を集めても、リーダー次第で組織は停滞してしまう。では、良いリーダー、悪いリーダーとはどんな人なのか。さらに、単なる良いリーダーと、「偉大な組織」をつくる「偉大なリーダー」とは何が違うのか。世界で1000万部を超える『ビジョナリー・カンパニー』シリーズの著者、ジム・コリンズ氏がスタートアップや中小企業向けに記した『ビジョナリー・カンパニー ZERO』から、一部抜粋して紹介する。

ウエストポイント(米陸軍士官学校)で育まれる「リーダーシップの本質」とは(写真:Alan Budman/Shutterstock.com)
ウエストポイント(米陸軍士官学校)で育まれる「リーダーシップの本質」とは(写真:Alan Budman/Shutterstock.com)

そもそも「リーダーシップ」とは何か

 リーダーシップというテーマを探究しつづけるなかで私にとって、もっとも重要な経験となったのは、2012年から2013年の2年間にわたり、ウエストポイント(米陸軍士官学校)でリーダーシップ研究に取り組む栄誉を与えられたことだ。ウエストポイントは優れた人格を持つリーダーの育成に取り組む、世界有数のリーダーシップ教育機関だ。この間、私は幾度も現地に足を運び、士官候補生や教員との交流を通じてリーダーシップの本質、どうすればリーダーを育成できるのか、どうすれば「良い」リーダーを「偉大な」リーダーにできるのかを研究した。

 そこで目標としたことのひとつは「リーダーシップとは何か」という一見単純な問いについて徹底的に理解することだった。リーダーシップという言葉はよく使われるが、そもそもどういうものなのか。

 まずはっきりさせておきたいのは、「リーダーらしい人格」というものはない、ということだ。今は有名人を崇(あが)めたて、人格をことさら重視する時代だが、人格とリーダーシップを混同するのは危険だ。

 教育NPO「ティーチ・フォー・アメリカ(TFA)」の創設者ウェンディ・コップは、まれに見る影響力と進取の気性を持ち、私が心から尊敬するリーダーのひとりだ。ウエストポイントでの小規模なグループセミナーに、コップを特別ゲストとして招いたことがある。参加した士官候補生がまず気づいたのは、コップが内気で控えめで、注目を浴びるのが苦手なことだ。セミナー会場は30人がやっと入れるほどの小さな会議室だったが、近隣の工事現場から聞こえてくる重機の音にかき消されてしまいそうなコップの声を聞き逃すまいと、参加者は必死に耳をそばだてた。

 コップは大学4年生のとき、将来何をしたいかわからず、不安を抱いていたと語った。実存的悩みを抱えていても卒業論文は書かなければならない。そこで教育について書くことにした。2つの重要な目的を実現したい、という情熱が芽生えはじめていたからだ。ひとつはどのような家庭、どのような地域に生まれたかにかかわらず、すべての子供にしっかりとした教育を受けさせること。

 もうひとつは一流大学を卒業した若者たちに、ミシシッピ・デルタ地域やハーレム、ブロンクスなどアメリカのもっとも恵まれない地域で最低2年間教師として働く機会を与えることだ。自分の人生を賭けて取り組みたいことはそれだと気づいたコップは、TFAを立ち上げた。

 TFAの創設以来、プログラムに応募した若者は50万人を超える。TFAはこのうち6万人以上を教室に送り込んできた。2009年、私は雑誌「インク」の編集長から、創刊30周年記念号のためにインタビューを受けた。そこで史上最高の起業家は誰かという話になり、私はここ10年で最高の起業家としてコップの名を挙げた。

 ウェンディ・コップのリーダーシップの優れた点のひとつは、本能的に正しい人材を次々と引き寄せ、崇高なミッションに全員を巻き込んでいく力にある。TFAを立ち上げた当初は組織の理念に魅力を感じる有能な人材を集め、教師や教育のリーダーとして現場に解き放つことに集中した。

 その後、TFAからティーチ・フォー・オール(世界中の同じような組織のネットワーク)へと活動が発展していくなかで、コップは全員参加型リーダーシップというビジョンを持つようになった。生徒、保護者、教師、校長、学区の教育長、政策当局者、産業界の人々、医療従事者など、あらゆる立場の人が共通の目標に向かって協力するのだ。子供にかかわるエコシステム全体を活用することで、組織内外の何千人という人材を動員できる。こうして、いつの日か「あらゆる国」の「あらゆる子供」に最高の教育を受ける機会を与えるという夢に向かって邁進(まいしん)できるようになった。

 あの日ウエストポイントの会議室で、ウェンディ・コップは士官候補生にリーダーシップの重要な真実を伝えた。人を動かし、偉業を成し遂げるのに力強いカリスマ的人格は必要ない。権力も要らない。コップには組織的な権限もなければ、社会のヒエラルキーの上位にいたわけでもなく、高貴な肩書があったわけでもなく、議決権や政府のお墨付きがあったわけでもない。金銭的報酬によって人材を集める力もなかった。TFAのプログラムに参加した者の多くは、他の仕事に就けばもっと多くの収入を得ることができただろう。ジェームズ・マクレガー・バーンズが名著『Leadership(リーダーシップ)』に書いたとおり、腕力とリーダーシップを混同してはならない。

 真のリーダーシップとは、従わない自由があるにもかかわらず、人々が付いてくることだ。

地位と権力に頼るのはリーダーシップの放棄

 単に権力を行使しているだけなのに、自分にはリーダーシップがあると思っているリーダーは多い。権力がなければ誰も自分について来ないことに気づくと愕然(がくぜん)とする。地位、肩書、立場、金銭、インセンティブ、名声など、何らかの権力に頼って仕事を進めるのは、リーダーシップを放棄することに他ならない。権限が与えられているからといって気まぐれに命令を出すのは、リーダーシップの対極にある行為だ。コリン・パウエル元陸軍大将は著書『リーダーを目指す人の心得』(飛島新社)にこう書いている。「私は軍隊にいた35年間で、誰かに『これは命令だ』と言ったことは一度もない」。「できるだけ丁寧に指示を伝える」ほうが、はるかに良いことを知っていたからだ。

 ではリーダーシップが人格、権力、地位、立場、肩書などではないなら、いったい何なのか。ウエストポイントでアイゼンハワー大将の言葉や考えに触れることで、私はようやくそれまで研究し、観察してきたことに合致するリーダーシップの簡潔な定義をまとめることができた

 「リーダーシップとは、部下にやらなければならないことをやりたいと思わせる技術である」

 この定義には重要な点が3つある。第1に、やらなければならないことを見きわめるのはリーダーの役目だ。自らの洞察力や本能に頼ることもあるが、正しい人々との対話や議論を通じて見きわめることのほうが多いだろう。ただどのようなやり方を採るにせよ、明確な答えを出す必要がある。

 第2に、重要なのはやらなければいけないことをやらせることではなく、やりたいと思わせることだ。第3に、リーダーシップとは「サイエンス(理屈)」ではなく「アート(技能)」だ。

 私はこの「アート」という言葉を気に入っている。アイゼンハワーの使った表現をそのまま引用している。『ビジョナリー・カンパニー ZERO』の旧版のリーダーシップの章を執筆していた際に、私たちが伝えようとしていたのは、まさにそういうことだ。誰もが自分らしいスタイルを発見し、身につけなければならない。やらなければならないことを成し遂げるために、正しい人々がともに意欲的に働いてくれるようにする自分らしいリーダーシップのアートだ。

偉大なリーダーにカリスマ性は要らない

 もしかしたらあなたにもウェンディ・コップのように、魅力的なビジョンを明確かつ簡潔に表現する才能があるかもしれない。コップのように不可能な夢を実現できると思わせる才能、他の人々が不可能と思うようなアイデア(あらゆる国のあらゆる子供に最高の教育を!)を進むべき道だと思わせる力があるかもしれない。コップのように多種多様な正しい人材を集め、協力的雰囲気を醸成し、真実が語られる文化を生み出し、最高のアイデアが選ばれる組織をつくる才能があるかもしれない。高邁(こうまい)な理想をスケール化(規模拡大)が可能なシステムに落とし込める、情熱的で優秀で実務能力の高い人材を見つける才能があるかもしれない。

 あるいはコップとはまったく違う才能があるかもしれない。アン・マルケイヒーのような、感動的なスピーチで人々の心をつかむ才能。サウスウエスト航空のハーブ・ケラハーのような、遊び心を忘れず、社員に尊重され大切にされていると感じさせる才能。キャサリン・グラハムのような不屈の精神と強い意志を持ち、それによって周囲を安心させる才能。ビル・ゲイツのような複雑な世界を単純化し、エネルギッシュな人々が自信と確信を持って仕事に取り組めるようにする才能。

 重要なのは、あなた自身のリーダーとしての特別な才能を見つけ、ウェンディ・コップのようにそれを磨き続けることだ。さながら偉大な画家、作曲家、俳優、建築家がひたすら自らのアートにこだわり、何十年もかけて上達しつづけるように。

 『ビジョナリー・カンパニー ZERO』の旧版で提示した、リーダーシップの機能とスタイルを切り離すというシンプルな枠組みを振り返ると、私たちがリーダーシップの核心をかなり的確にとらえていたことに改めて驚かされる。その後もずっと、カリスマを崇拝する風潮への私の疑問は深まるばかりだった。偉大な企業を動かす要因について研究を続けるなかで、歴史に残る偉大なビジネスリーダーには、カリスマ性など一切持ち合わせていない人物が何人もいることがわかってきた。

 しかも歴史に残る企業の衰退例あるいは失敗例を振り返ると、華やかなカリスマ的リーダーの在任中に起きたケースがいくつもある(『ビジョナリー・カンパニー③ 衰退の五段階』を参照)。カリスマ性などなくても正しい人材を過酷な現実と対峙させるリーダーのほうが、魅力的な人格で従順な信奉者を破滅へと導くリーダーよりよほど良い。あなたがカリスマ的リーダーなら、永続する偉大な企業をつくれる可能性はある。ただあなた個人のカリスマ性で引っ張らないと最高の成果が上がらないようであれば、まだ偉大な企業とは言えないことを頭に入れておこう。

(訳=土方奈美)

日経ビジネス電子版 2021年9月15日付の記事を転載]

ネットフリックス創業者兼共同CEOも絶賛!

 経営書の名著『ビジョナリー・カンパニー』シリーズの著者、ジム・コリンズ氏がスタンフォード大学経営大学院で教えていた1992年に記した名著があった。『Beyond Entrepreneurship』だ。日本語への翻訳・出版はされずにいたが、ネットフリックス創業者兼共同CEOのリード・ヘイスティングス氏が起業家に「86ページ分を丸暗記しろ」と言い、自身も毎年読み返していた本だった。
 そして今回、最新情報などを大幅に加筆して改訂したのが『ビジョナリー・カンパニー ZERO』だ。パーパス、ミッション、ビジョンの重要性、戦略の立て方、戦術の遂行の方法などを体系的に解説している。