新型コロナウイルスによって、多くの企業でリモートワークが定着した。通勤時間の削減などメリットも多いが、新たな発見や出会いの減少など、いくつかの課題も出てきた。自分の信じるものを見つけ、突き詰めることはなぜ大切なのか。
 本稿では、『どこでもオフィスの時代』より、ベストセラー著作家の山口周氏が提案するこれからの時代を生き抜くヒントを一部抜粋、編集し紹介します。

場所が「人生のパフォーマンス」を決定づける

 これまでの著書で何度も書いてきましたが、サイエンスで出された正解をアウトプットすれば競争力のある商品やサービスを生み出せる時代は終焉(しゅうえん)を迎えつつあります。そして、「自分はこれがいいと思う」と信じるものを突き詰めていかないと、多くの人から共感を得られる商品やサービスを生み出せない時代が到来しています。

 日本企業は、ここ数十年の間ずっとイノベーションが起きない起きないと悩み続けていますが、これはライフにおいても、ワークにおいても、主体的に考えて決めることをしてこなかった人が圧倒的に多いからではないかと感じています。

 イノベーションとは、固定された常識のタガを一つずつ外しながら、「what if, then?(もし~だとしたら?)」と問い続けることです。例えば、「パソコンはどうしてこれ以上、薄くならないの?」「厚さの原因であるCDロムのドライブは本当に必要なの?」「それをなくしてみたらどうなるの?」というふうに当たり前とされていることを一つずつ外していった結果、生まれてきたのが初代のMac Book Airでした。

 公の場では、これを「イノベーション」と呼びますが、私の場に移すと引っ越し、転職、転身など人生におけるあらゆる「転機」となります。

 自分は今、この場所に住んでこの仕事をしてこの人間関係の中で生きているけれど、「what if, then?」と問うてみたとき、ライフオプションは無限にあると気づきます。

 実は、誰もが自分の人生の脚本を、パーフェクトフリーダムをもって描けるのです。自分はどこに身を置いて生きていくのが、一番幸せなのだろう。その場所で、どんな人と、どんなことをして過ごすのが一番幸せなのだろう。そんなふうに「what if, then?」と問い続け、「場所」と「人」と「仕事」の3つをミックスすると、スペクトルが一気に広がります。

 個人レベルで自ら「what if, then?」と問い、常識のピースを外せない人が、仕事では外せると考える理由がありません。仕事で圧倒的なパフォーマンスを発揮できる人は、個人レベルでも絶えず常識のピースを外し続けているはずです。ワークとライフは、一つの主体が営んでいるわけですから、分離できるはずがありません。

 「what if, then?」と思い描いてみて、現状よりもしっくりきそうだったら、まずは動いてみる。それはデザイン思考そのものです。構想してみてよさそうなら、手を動かしてプロトタイプを作って試す。うまくいきそうなら、もっと突っ込んでやってみる。ダメだったら微修正する。

 この一連の動きを、ワークとライフの区別なく人生全体でやっていくということです。

 自由に思い描いて、自由に試してみればいいのです。若い人であれば、今いろいろと登場している住まいのサブスクリプションのようなサービスを利用して1年ごとに違う場所を試してみるのもいいでしょう。そして、30代半ばくらいでしっくりくる場所を見つければOKです。もちろん、「what if, then?」と問い始めるのに遅すぎるということはありませんから、若い人に限らずあらゆる年齢の人がこの本を読んで、自分の人生にパーフェクトフリーダムを持っていることに気づき、行動を起こしていただけたらと思います。

 「what if, then?」と考え続け、自分が落ち着く「場所」を見つけた人は、迷いがない分すごいパフォーマンスを発揮しますから、キャリア上も優位に働くと思います。一方で、自分の頭でしっかり考えずに世の中のマジョリティに乗っかって「そういうもんだよね」という選択を繰り返していると、いつまでたっても「これで本当にいいのだろうか?」という落ち着かなさを抱え続けることになり、パフォーマンスも上がりません。

定住型より遊牧型の方が、「呪い」という負の感情が心にたまりにくい

 僕がこうして「たくさん旅をしてモビリティを上げた方がいい」というのには、実は自分自身への反省も含まれています。というのも、僕は東京のたまプラーザで生まれ、28歳まで実家で暮らし、その後も世田谷区の中で駒沢、深沢、岡本あたりを転々としていました。

 「モビリティを上げた方がいい」と言いながら、葉山への移住を45歳で決断するまで、自分自身はほんの半径数キロ圏内で暮らしてきたわけです。ですから、自分の来し方を振り返ったとき、若い頃、もっとモビリティを上げておいてもよかったんじゃないかという思いがあるのです。

 実家を出て最初に暮らした駒沢の小さなマンションは、とても気に入っていました。「sense of belonging」、ニュアンスが難しいですが、日本語に訳すと「自分が本当にいるべき場所はここであるという感覚」となるでしょうか。それがしっかりと自分の中にあって、長く暮らしていても「しっくりくる」感じが薄れることはありませんでした。古い物件をリノベーションしたもので、窓には渋いステンドグラスが嵌(は)められていました。全体的に、どこか修道院のような雰囲気が漂っていて、とても居心地がよかったのです。

 それから、結婚して家族が増えたり、自分自身が転職したりで、近所で住まいを何度か変えました。古びた小さなマンションから、次第に広くて、新しくて、どことなくゴージャスな感じのする住まいへと居を移していきました。

 でも、そのたびに僕の中で「sense of belonging」の感覚はどんどん薄れていきました。引っ越し前に物件を内見する段階では、「今よりもっと広いところに住めるぞ」とテンションが上がりとてもワクワクしているのです。ところが、引っ越して数か月すると、「何か違うな、しっくりこないな」という感覚が膨らんでいきます。そんなことを繰り返すうち、序文で書いたように葉山(神奈川県)への移住を決断するに至りました。

 そんな僕自身の半生を「場所」というテーマで振り返ってみると、「記号」が一つのキーワードとして浮かび上がってきます。土地にはそれぞれに「記号」を与えられています。たとえば、東京の広尾であれば高級住宅街という「記号」が、六本木であればいわゆる成功者が集うリッチな街という「記号」が一般的にはつけられています。

 住んでいる場所は、その人にとって一つのアイデンティティですから、わかりやすい「記号」を欲しがる人が多いのもよくわかります。そして、僕自身が東京で転居を繰り返すたびに「sense of belonging」の感覚を失っていったのは、その「記号」にだんだんと囚(とら)われていく過程だったのかもしれません。

 「記号」にこだわらずに、「sense of belonging」を大切にした方がいい。

 これが、僕が自分自身への反省も踏まえて、お伝えしたいことです。

 実際、それぞれの「場所」に足を運んでみると、世間から与えられている「記号」には収まりきらないものが必ずあります。いかにも高級住宅街といった感じのピカピカの新築マンションのすぐそばに、古くからの下町っぽい商店街が続いていて、昔ながらのお風呂屋さんが建っていることもあります。そこに腰の曲がったおばあちゃんがシルバーカーを押しながら通っていることも。1~2㎞の狭い範囲内でも、自分の足で見て回ると、ずいぶんと違う人生のありようが見えてきます。

 「いい人生を送りたい」というのは、誰しもが望むことですが、「よさ」のありかたの幅をもっと広げた方が幸せに生きられると思います。「よさ」のありかたを一つしか知らないと、その「よさ」を実現できないことが見えた時点で、残りの人生を敗者として生きていかなくてはならなくなります。

 それはとても苦しいことです。そういう意味でも、いろんな場所に出かけていき「記号」に収まりきらない多様なものに触れることをおすすめします。自分が普段とらわれている「記号」とは無縁のところで、「いい人生」を送っている人と出会うたびに、「よさ」のありかたの幅は自然と広がっていきます。

自分自身のレッテルから自由になろう

 また「記号」に関しては、「場所」だけでなく他でもない自分自身につけられているレッテルのようなものもあります。会社を経営している人であれば「社長」というレッテルが日常の中のかなりの部分を占めているかもしれませんし、子どもの頃からずっと同じ場所に住んでいるとしたら「小さな頃からワガママ」なんていうラベルを貼られているかもしれません。

 人にはそれぞれに名前、肩書、人格、縁戚関係……などついて回るものがあります。

 たとえば、周囲が気を使って誰も本音を言ってくれなくなったとある経営者が、コーチングの先生に相談したところ、「生まれ故郷に行って、同級生と話しながら食事でもしておいで」とアドバイスされたという話を聞いたことがあります。そのエピソードに触れたとき、コーチの鋭さに感心しました。「場所」を離れることが、同時にその人について回る「社長」というラベルからの解放にもなっていたからです。

 『働くことの人類学』(黒鳥社)という本の中に、面白い指摘があります。それは、定住的な農耕社会には呪術が多いけれど、遊動的な暮らしをする牧畜民には相対的に呪術が少ないという話です。定住して固定された空間に固定されたメンバーで住み続けていると、まわりに嫌な人がいても感情を押し込めて我慢しながらうまくやっていかざるをえません。そうすると、負の感情が心に沈殿して、それが呪いの形で表出するからではないか、という考察です。

 一方、牧畜民のように移動ができれば、関係が険しくなれば物理的に離れてしまえばいいので、負の感情が溜(た)まることがありません。

 「場所」を移動することが、人間関係の調整にも効くという話には、頷(うなず)く人も多いのではないでしょうか。「住む場所を変える」「働く場所を変える」には、人間関係をはじめ、今の自分について回るものを一度リセットする機能があります。

 「場所」を変えるというと、どうしても物理的にどのくらい離れるかの「距離」に意識がいきがちですが、普段自分の中にまとわりついている様々な「記号」のようなものから離れる機会とも捉え直すことができるのです。

(写真:Monster Ztudio/Shutterstock.com)
(写真:Monster Ztudio/Shutterstock.com)

日経ビジネス電子版 2021年12月7日付の記事を転載]

働く場所を選ぶことで
人生の主導権を取り戻そう

 時代に左右されない究極のハイパフォーマーになる方法は「いつものオフィス」から抜け出すことだった――。
 リモートワークが「あたりまえ」になったいま、“働く場所”を考えることは人生の主導権を自分に取り戻すことにつながる!
 山口周氏による序文・コラムをふんだんに盛り込んだ、人生の質が劇的に上がるワーケーション超入門。