競技者として、勝つための方法を追求していた為末大さんが、「試合で実力を発揮できるときとできないときとでは、何が違うのか?」を考えるなかで出合った1冊。意識とは何か、自分をコントロールするとはどういうことか、いいパフォーマンスの条件とは。人間の内面に迫ります。
「勝ちたい気持ち」が勝利を遠ざける
競技をしていると、たまに不思議な現象に遭遇することがあります。
「こうしよう」と意識して動くときよりも、ぼーっとしているときのほうが、うまくいくことがあるんです。「ぼーっとしている」というのは、何も考えないで自分の体に委ねて動く感じで、陸上の場合、「速く出よう」と意識するスタートダッシュほど遅くて、ぼーっとしているときほど速い、ということはよくあります。
これは例えるなら、普段はちゃんと歩けるのに、入学式や卒業式だと右手と右足が一緒に出ちゃう、みたいな現象に近いでしょう。「人前でちゃんと歩こう」と意識することで、かえってちゃんと歩けなくなる。これってとても不思議なことですよね。同じように、勝つことを意識すると、勝てるレースでも勝てなくなることがあるのが不思議でならなかったんです。
僕が 『サブリミナル・マインド 潜在的人間観のゆくえ』(下條信輔・著/中公新書) という本を読んだのは、競技者として、こういう「意識がもたらす不思議」をいやというほど経験していたからです。
確か、現役時代で、20代後半の頃。出場した2004年のアテネオリンピックと、2008年の北京オリンピックの間だったと思います。
競技者はそもそも、「勝つためにどうしたらいいか」を、さまざまな角度から追究します。生理学に興味を持つ人は食べるものにこだわり、バイオメカニクス(生体力学)に興味を持つ人は、体の角度や動かし方にこだわる。
陸上選手はバイオメカニクスを追究する人が比較的多いように感じるのですが、それが僕の場合は心理、なかでも特に、「人間をコントロールしている、意識とはどういうものなのか」ということでした。食べ物や体の動かし方以上に、大会現場での自分のコントロール法を知りたいと思ったんです。
経験として「ぼーっとしているときのほうが、速く出ようとするよりも速くスタートできる」と知っていましたが、一方で、「ぼーっとして勝つ」ということを認めたくない気持ちもあったんだと思います。
なぜなら、スポーツを始めたときからずっと、「勝つために一番大切なことは、勝ちたいという明確な意志を持つこと。そしてそれに向かって努力すること」というストーリーで育ってきたからです。だから当然、「話が違う!」ってなりますよね(苦笑)。
今まで言われてきたこととは違うんだけど、でも、現実には起こっている。7歳のときに陸上を始めて18、19歳くらいになって、世界の舞台に立つようになるにつれて、こうした不思議な現象は増えていきました。そんな興味から手に取ったのが、この本だった、というわけです。
「そんなはずはないじゃないか!」
一般的な心理学の世界では、意識(顕在意識)は全体の1割未満で、9割以上が無意識(潜在意識)だと言われます。しかし、この本の著者で、認知心理学が専門の下條信輔さんは、「人間に意識はない、あるのは非意識だけだ」と書いています(下條さんは無意識ではなく「非意識」という表現を使います)。さらに、自分が「こうしよう」と思うこともすべて幻想で、自由意思はない、と。
「そんなはずはないじゃないか!」って思いますよね。僕はそう思いました。もし自由意思がなかったら、僕はいったい誰の意思でこの本を読んでいるんだ? 誰かに動かされているとでも言いたいのか、と。
あまりにも衝撃的で、不可解過ぎて、京都で行われた脳神経学会にも行きましたよ。でも、そこにいた人の多くは「人間に自由意思はない」という前提で議論していました。
人間の意識とは、いったいなんなのか。この大いなる謎の解明は、ぜひ本を読んで明らかにしてください。
ちなみに僕は、この本をきっかけにして、「人間とは何か」を探る“読書の旅”を始めました。
本の中で引用されている『マインド・タイム 脳と意識の時間』(ベンジャミン・リベット著/岩波書店)、『妻を帽子とまちがえた男』(オリヴァー・サックス著/早川書房)……。何冊も本を読んで僕なりに理解したのは、「意識というのは人間を統合するシステムではなくて、主に人間の思考や行動を後追いで説明するものなのかな」ということでした。
体が勝手に反応するということがあって、むしろそういうときに頭で考えると体の動きを邪魔してしまいます。卒業式でみんなの目を意識した途端、歩き方が変になるあの時のように、です。どこか1箇所に体をコントロールしている司令塔があるんだというイメージ自体がだんだん溶けて無くなっていくようでした。
どうすれば、「ここ一番」で実力を発揮できるのか?
僕はこういう想像から、現役時代に感じた「ぼーっとしているときのほうが勝てる不思議」の理由を得たわけですが、だからといって勝ち続けられるようになった、ということではありませんでした(苦笑)。残念ですけど、そんなに簡単にはいかないのが、意識と非意識の奥深さなのでしょう。
ただ、「自分の注意をどこに向けるかはコントロールできる」という気づきは大きな収穫でした。
例えば、他人がいるところで、ろうそくに火を付けて移動させると、その人の視線は自然とろうそくを追いかけるでしょう。他人の注意は、ある意味で自在に引くことができるわけです。それと同じように、自分の注意もコントロールできる。
これは、競技者にとってはとても重要な気づきです。というのも、オリンピックなどでは、数万人が見ている前で競技するわけですから。となれば、「自分の注意をどこに集中させるか」が、勝負の決め手になると言っても過言ではありません。自分自身に集中できるか、それとも歓声に気を取られて注意散漫になってしまうか。
いい結果が出るのは、言うまでもなく前者です。
「人前でうまく話せない人」も…
この注意の向け方は、選手引退後、人前で講演やスピーチをするときにとても応用が利きました。人前で話すときも、どこに注意を向けるかが成功するか否かの決め手です。大事なポイントは「人は考えて注意を向けているのではなく、注意を向けた結果考えている」ということです。
きっと、人前で話すのが苦手という人は、注意を向ける先をコントロールできなくなっているのでしょう。つまり、注意が目の前にいる人たちに向いてしまって、自分が何を話すか、どんなことを伝えているかに向いていません。いわば、注意を引くろうそくを、目の前にいる人たちに委ねてしまっている状態です。
そうではなくて、自分がろうそくを持っていることをイメージして、自分に注意を向けた状態で話すのがうまく話すコツです。「ろうそくは、自分の手の中にある」と思うだけでも、落ち着いて話しやすくなります。そうすれば徐々に、聞いている人たちの反応を見て話す内容を変えるなど、アレンジできるようになると思います。
取材・文/茅島奈緒深 構成/宮本沙織(日経BP 第1編集部) 写真/尾関祐治