世界情勢、パンデミック、地球温暖化――。山積みの問題を前に、これまでの世界が今のままで続くはずがないと、多くの人が感じているでしょう。そんな中、未来への指針として俄然(がぜん)注目されているのが、本書で解説される「ステークホルダー資本主義」です。その提唱者であるクラウス・シュワブ氏自身が書き下ろした 『ステークホルダー資本主義 世界経済フォーラムが説く、80億人の希望の未来』 の読み方を、経営戦略論および国際経営論に詳しい入山章栄氏が語ります。

 有史以来の人類最大の発明の一つである「資本主義」は、大きな曲がり角に来ている。所得格差の拡大、国家間の分断、気候変動問題、生物多様性の減少などに人類が直面しており、その遠因が少なからず資本主義の仕組みにあるとされているからだ。本書は、ダボス会議主催として有名な世界経済フォーラム(WEF)の創設者クラウス・シュワブ氏らが、資本主義がもたらした功罪を総括した上で、人類の課題に対応すべく「ステークホルダー資本主義」という新しい仕組みを提示するものだ。

 実際のところ、資本主義の限界は至る所で語られ出しており、有識者による論説は多くある。しかしその中でも本書が一読に値する理由が、少なくとも三つある。第一に、クラウス・シュワブという、この問題に長い間向き合ってきた世界有数のビジネス・リーダーである欧州人の手によるものということだ。日本で資本主義の限界が俎上(そじょう)にのぼるようになったのはごく最近のことだ。株主資本主義を重視してきたアメリカでもそれは同様だ。他方、欧州ではシュワブ氏のように資本主義の課題に向き合う歴史は長い。実際、本書にあるように1973年の初期のダボス会議では、すでにステークホルダー資本主義の原型とも呼ばれるマニフェストが提示されていたのだ(しかしそれは1980年代の株主資本主義の隆盛でかき消されてしまった)。その意味で本書の語る内容は、付け焼き刃感が一切なく、資本主義をみつめなおす書籍の決定版と言えるだろう。

 本書をお勧めできる第二の理由は、資本主義の歴史の全体像が包括的・多角的につかめることだ。これは経済学者であり実業家でもあるシュワブ氏の真骨頂である。特に本書前半にはその特徴がよく現れる。国内総生産(GDP)指標の成り立ち、クズネッツ曲線、格差の現状、アジアの台頭がもたらした課題、環境問題、そして社会的な分断など、世界が抱える問題の経緯が、実に豊富な情報に基づいて鋭利に描かれている。欧米で台頭した資本主義を「株主資本主義」、中国などで台頭したそれを「国家資本主義」と明快に切り分けて分析することなどは、その一例だ。シュワブ氏によると、このどちらもが人類の課題解決にはなりえない、だからこそステークホルダー資本主義が必要なのだ。

 第三に、同氏の提示するステークホルダー主義が、すでに十分な論理に裏付けされ、またこの考え方に資する具体的な動きも出てきていることだ。本書はただの思いつきで書かれているのではなく、長く同氏が熟考した原理が土台になっている。それは本書第3部で解説されるサブシディアリティー(補完性原理)であり、それを基にしたルール形成やチェック・アンド・バランス機能の整備である。加えて、世界的企業の最高経営責任者(CEO)を務めたジム・スナーベ、あるいはニュージーランドのジャシンダ・アーダーン首相など、ステークホルダー資本主義の思想にかなうリーダーも台頭しているのだ。

 このように本書を読むと、ステークホルダー資本主義はすでに思想家の妄想の段階を超えて、具体的なアクションの時期に入ってきているのかもしれない。そしてその支柱となる啓蒙書になりうるのが本書なのだ。本書が多くの方々の手にとられ、新しい世界を切り開く道標になることを私は祈念してやまない。

<評者> 入山章栄(いりやま・あきえ) 早稲田大学ビジネススクール教授
慶応義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所を経て、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.を取得。同年から米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールアシスタントプロフェッサー。13年から早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)准教授。19年から現職。著書に『世界標準の経営理論』、『世界の経営学者はいま何を考えているのか』、『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』がある。