世界一の働き中毒となりつつある米国のホワイトカラー。社会的な地位を求めるステータスゲームはなぜ起きるのか。仕事人間からいったん降りた人々のストーリーから「適度な仕事」を問い直す『 静かな働き方 「ほどよい」仕事でじぶん時間を取り戻す 』(シモーヌ・ストルゾフ著/大熊希美訳/日本経済新聞出版)より、抜粋・再構成してお届けします。

前回「 肩書は本当に成功の証しか? エリート投資銀行員の末路

ステータスと高揚感・セロトニンの関係

 人類の祖先にとって、ステータスは生存に直結した。ステータスが高ければ食物や配偶者、安全を手に入れやすくなる。今でも同じことが言える。ステータスが高ければデートはうまくいき、ローンの審査が通り、質の高い医療を受けられる。科学者のロレッタ・ブルーニングは著作『Status Games: Why We Play and How to Stop(ステータスゲーム:なぜ私たちはプレイし、どうやって止めるか)』(未訳)で、「自然環境において社会的な地位は生死に直結する。だから、淘汰の結果、社会的な地位の変動に対して生死にかかわるのと同じくらい強力な反応を示す脳ができたのだ」と書いている。

 人間の脳は、ステータスが上がるのを感じると報酬としてセロトニンを放出する。しかし、セロトニンの分泌時間は短く、すぐに代謝されてしまう。高揚感が薄れると、僕たち人間はもっともっととそれを求めるようになるのだ。

 ステータスは優れた成果を出そうと向上心を刺激する一方で、依存を招くこともある。常に高い地位を巡って競っていると不安やストレスにさらされ、現状に満足できなくなる。この現象は、従業員の地位が明確な職場では特に顕著だ。職場では給料で労働者の価値が決まる。

 肩書は労働者を相対的にランク付けするものだ。昇進の見通しは、労働者に上を目指す意欲を与える。しかし、自分がステータス以外に大事にしたいものが何か分かっていない状態でゲームに参加すると問題が生じる。自己評価が外的報酬にだけ結び付いていると、人は満腹感を得ることなく、目の前にぶら下げられたニンジンを一生追い求めることになるのだ。

 「自分が本当に望んでいるものが何かを知らないと、ステータスを追い求めることになります」とシカゴ大学の哲学者アグネス・カラードは話す。「人は自分が定義した〝成功〞を信じられないとき、他人にそれを定義してもらうのです」

 ただし、これは必ずしも悪いことではないとカラードは言う。賞の獲得や他者に認めてもらえる地位を目指すことは、頑張るモチベーションになる。しかし、他人の価値観をうのみにすることは自律性を損なうことになりかねない。自分にとっての「成功」を目指すのではなく、周囲の言う「成功」を目指してしまうのである。

人間はステータスを追い求める(Nuthawut/stock.adobe.com)
人間はステータスを追い求める(Nuthawut/stock.adobe.com)
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個人の価値基準が上塗りされる

 特定の状況では、ステータスの追求は明確な目的のためにある。例えば、ビデオゲーム。ほとんどのゲームは明確な目標とランク付け可能な成果を設定している。パックマンの目標はすべてのクッキー(ドット)を食べること、スーパーマリオブラザーズの目標はプリンセスを救うことだ。ビデオゲームの魅力は「価値の分かりやすさ」にあると哲学者のC・ティ・グエンは指摘する。ゲームの目的はシンプル。ポイントを獲得し、ボスを倒すことだ。

 投資銀行のような組織における「成功」も明確である。それは稼いだ金額(会社の売り上げと個人の給料)で決まる。昇進やボーナス、昇給はパックマンが獲得すべき迷路に置かれたドットと同じだ。すべて集めれば勝てる。

 こうした分かりやすさに僕たちは魅力を感じる。あなたの考える「成功」の定義はもっと複雑かもしれない。けれど「シンプルで定量化された価値基準が提示されており、それが会社全体で共有されている場合、その価値基準は個人のより複雑な価値基準を上書きしてしまうものなんだ」とグエンは説明する。なぜなら、自分だけの価値観を定義するよりも、ゲームの価値観を採用した方が楽だからだ。グエンはこの現象を「価値基準の上塗り」と呼んでいる。

 これは僕たちの普段の生活でも起きている。このような経験はないだろうか。健康のためにフィットネストラッカーを買ったが、1日の目標歩数を達成することばかり考えてしまう。学生の背中を押したいと思って教授になったが、いつのまにか自分の論文がどれだけ他の論文に引用されたかが気になって仕方がなくなっている。他人と交流しようとSNS(交流サイト)を始めたが、いつのまにかいいねやシェア数を増やそうと躍起になっている。当然ながら、歩数や引用数、いいねの数を最大化することは、こうしたステータスゲームが行われているプラットフォームにとって有益だ。

雑誌ランキングが大学の序列を左右

 組織レベルでも「価値基準の上塗り」は起きる。「USニューズ&ワールド・レポート」誌は優れた高等教育機関のランキングを毎年発表している。これが登場するまで、ロースクールの総合的なランキングは存在しなかった。それまで各教育機関は独自のミッションと専門分野を追求していた。

 例えば、ある学校は法理論を、別の学校は企業訴訟に焦点を当てた教育を提供していたのである。だから、学生は進学先を決めるにあたって、まず自分にとって何が大事かを明らかにし、それにぴったりの学校を選んだ。

 しかし、「USニューズ&ワールド・レポート」誌のランキングがこれを一変させる。14年にわたる研究で、ウェンディ・ネルソン・エスペランド教授とマイケル・サウダー教授は、ロースクールのランキングがどのように「不安を駆り立てるエンジン」になったかを明らかにしている。この報告書によると、ランキングが重視するGPA、LSATスコア、卒業生の就職率に基づいて、大学は入学基準や教育における優先順位を変更した。

 そしてランキング上位に入ることを優先した結果、専門分野とミッションの多様性がなくなっていったのである。また、学生側も志望校を選ぶ上で、他の要素よりランキングの順位を重視するようになった。ランキング上位の学校がそのまま、学生たちにとって人気の進学先になったのである。

 ただし、「USニューズ&ワールド・レポート」誌が良い学校の基準をつくったことが問題なのではない。学生と教育機関が、ランキングの価値基準をうのみにし、自分たちが重要視する価値に向き合わなくなったことが問題なのだ。他の誰かが成功とは何かを定義してくれるなら、わざわざ自分でそれを定義する必要はなくなるのである。

ジャーナリストで有名デザインコンサル会社IDEOのデザインリードを務めた著者が、自身の退職を機に、働き中毒となった米国ホワイトカラーの実態とその背景にある仕事の「神話」に疑いの目を向け、「適度な仕事」を問い直す全米話題作。

シモーヌ・ストルゾフ著/大熊希美訳/日本経済新聞出版/2090円(税込み)