ミラノ・コルティナ五輪でも、緊張やプレッシャーとの向き合い方が、多くのドラマを生み出した。一瞬の判断が残酷なまでに明暗を分けるトップアスリートの世界では、選手たちは常に大きな重圧と向き合っている。そうした状況で普段通りのパフォーマンスを発揮するためにどうすればいいのか。また。トップアスリートのメンタルコントロール術をビジネスパーソンはどのように生かすことができるのか。『集中力革命 ブレても力を発揮するメンタルの技術』(Gakken)著者で、福岡ソフトバンクホークスのメンタルパフォーマンスコーチを務める伴元裕さんに聞いた。
福岡ソフトバンクホークスメンタルパフォーマンスコーチ、OWN PEAK代表取締役
課題を言葉にして整理できる強さ
プレゼンを前に喉がつかえるように感じる、面接や発表会を前に呼吸が浅くなる。大事な場面を前にして、不安や緊張を感じている自分に気づいたとき、多くの人はこう考えます。「いつも通りに」「落ち着かなきゃ」と。その結果、感情を抑え込もうとしたり、無理にポジティブになろうとしたり、気持ちと戦い始めてしまう。けれど、その戦いが始まった瞬間から、心の中はどこか窮屈になっていきます。
私が福岡ソフトバンクホークスのメンタルパフォーマンスコーチとして、25年シーズン中に選手とたびたび話したのは、人間の心の強さってなんだろうということです。強い人は、本当に弱さや不安を感じていないのだろうか、鈍感な人が強い人なのかと。そうして出した結論の一つが、「強さは、不安や焦りを持っていないと思い込むことではなくて、そういうものが心の中に生まれていると認められること」じゃないかということです。
例えば、2025年にパ・リーグ最高出塁率のタイトルを獲得した柳町達選手。彼の強さは『今、緊張しています』と率直に言葉にできるところにあると感じています。緊張しないことがメンタルの強さだと思っている人は隠そうとしがちですし、野球の世界では弱さを隠すことが強さだと考えられがちです。しかし、柳町選手のすごみは、出てきている感情や思考に蓋をしないこと。自分の課題を打ち明けられる強さがあります。
柳町選手はセ・パ交流戦 2025で最優秀選手となる大活躍後、29打席無安打と不振に陥った時期もありました。その時、彼がやっていたのは、私にアドバイスを求めるのではありませんでした。不安を感じていること言葉にしつつ、「でも伴さん、僕が今、集中を向けるべきなのは~」と、私に話すことで自分の頭の中で、何に集中していくかを整理していたのです。
25年のクライマックスシリーズも本当に大変な試合でしたが、ホークスの選手たちは、みんな無理に強がっていることはありませんでした。状況が緊迫するほど、緊張や重圧を感じていることを出しながら、自分がやるべきこと、集中すべきことが何かを整理するスタンスを、多くの選手たちが貫いていました。ベンチにいながら、そうした文化が少しずつできてきたことを私は感じていました。
そして、阪神タイガースとの日本シリーズ第5戦、8回表、ホークスは0対2のビハインドでした。マウンドに登場したのは石井大智投手。レギュラーシーズンで50試合連続無失点を続けたスーパーピッチャーです。しかし、ベンチにいて、特別な働きかけが必要な状況ではありませんでした。その中で、石井投手の投げた素晴らしいストレートを柳田悠岐選手がホームランを放ち、試合を振り出しに戻したのです。
心理的安全性をつくる
メンタルパフォーマンスコーチとして、シーズン当初から選手に約束していたことがあります。選手が話してくれたことは本人の承諾なしに決して漏らさないということです。ゼネラルマネージャーや小久保裕紀監督にも、この守秘義務について事前に合意をいただいていました。選手たちはシーズンを通して理解してくれ、思っているままを話してくれるような関係性が一人一人とできていきました。すると、シンプルに言葉にすることで気が楽になるという現象を体感してもらえた。
話すのではなく「書く」選手もいます。大関友久投手や栗原陵矢選手は書いて、今感じていることを客観視して「見える化」しています。その上でどうするかを整理する。それも素晴らしいことです。
ミスをした選手に「切り替えよう」は言わない
エラーやミスをした時に、周囲の人から「済んでしまったことは考えるな」「切り替えていこう」と言われてもなかなかできるものではありません。私はそうしたことは一切言いません。必要なら吐き出してもらいますが、極力、次の準備に意識を向けるようにします。
例えば、三振をしてベンチに戻ってきた選手に、三振した事実よりも、ピッチャーの球の感じはどうだった? どんな球が来ていた、など打席で体感したことに注意を向けさせます。すると、じゃあ、次にどうしようという思考に行きやすくなってくる。もしくは三振したことを考えるよりも、次のバッターがどう攻略しているかを見た方が実はいいなと本人が気づくこともあります。注意を本来の向くべき「場所」に引き戻すのです。
ミスを引きずりやすいかどうかは、人によります。日本を代表する選手である近藤健介選手や柳田選手であってもゼロではないでしょう。くそっと言いながらベンチに帰ってくることもありますが、彼らは非常に切り替えが早い。自分がやらなければいけないこと、集中を戻す先が絞れている選手たちなのです。
例えば、柳田選手はホームラン後のインタビューで「来た球を振っただけ」といった言い方をよくしますが、打てるかなとかバッテリーはこんなことをしてくるかなとか打席で考えているのではなく、本当に投手を全体像で捉えて振る、打席でやることをものすごくシンプルに絞ることができているのです。
手順ややるべきことが多いまじめな人ほど、うまくいかなかった時に、自分の中のチェックリストの最初から始まってしまい、引きずっている状態になりがちです。自分を管理する「管理者モード」にならないことが、メンタルパフォーマンスにおいては重要だと思います。
ビジネスパーソンにとってのパフォーマンスと集中力
ビジネスパーソンがパフォーマンスを上げるにはどうしたらいいのか、アドバイスを求められることがあるのですが、本来向けるべきことに注意を戻し続ける構造は一緒です。ただ、野球とビジネスでは、集中を戻す先の抽象度が異なります。野球の場合は瞬間的なパフォーマンスが求められるため、集中を戻す先は具体的な行動になります。柳田選手なら対戦相手のピッチャーの全体を見る、野村勇選手なら自分が狙うゾーンに入ってきたボールだけを見ることといった具合です。
一方、ビジネスの大半は、今までの蓄積が成果につながります。そのため、具体的な行動に絞るメリットは少なく、集中を戻す先はより抽象的なものになります。それが最近注目されているミッションやパーパス、存在意義といった概念につながっていくのだと思います。
自分がこの一日を使って、どういう存在意義に対して仕事をしていくのか。どういう人に対してどういうインパクトやメリットを生むために今日一日を使っていくのか。こうした抽象度の高い目的を、立ち返るものとして持っておくことが、ビジネスにおけるメンタルパフォーマンスでは重要になるのではないでしょうか。
「メンタルは磨くことができるスキル」で「集中は戻す技術」です。
集中は飛び回る生き物だけれど、飛んでいることに気づいて戻す。その作業が増えていけばいいということを、ホークスの選手たちが証明してくれていますし、私自身がスポーツ心理学を学ぶ中で、それを知った時に本当に気が楽になりました。『 集中力革命 ブレても力を発揮するメンタルの技術 』で、そのことをお伝えできていればと思います。
しなやかな心の在り方で成長を求める
私自身の物事の考え方や捉え方、そしてトレーナーとしてアスリートや選手との関わり方にも影響を受けた本が『 マインドセット「やればできる!」の研究 』(キャロル・S・ドゥエック著、今西康子訳/草思社)です。能力や性格を変わらないものと捉える見方を見直し、人は変わるものだという能力観への転換を示す一冊。結果や評価に縛られにくくなり、生きやすさをもたらしてくれます。この本では物事の捉え方、考え方には大きく2つに分けられるとしています。結果を追い求めると、結果がなかなか出にくくなるけれども、自分がどうやって成長していくか伸びていくかを目的にしていくと、成果にもつながるし幸福度も高くなる。何に向かって生きていくかを問うてくれている本です。
もう1冊ご紹介するのは、『 あの人を、脳から消す技術 』(菅原道仁著、サンマーク出版)です。だれしも同じ職場やご近所、あるいは身内に、苦手な人や敬遠したい人、できれば関わりたくない人がいたりするものです。しかし、実生活で関わらずに過ごすことはできません。だとしたら物理的に対面しているとき以外は、頭の中に住みついているその人を忘れてしまえばいいと、脳のへんとう体(=不安や恐怖など情動反応の処理と記憶において主要な役割をもつ部位)が「嫌いな人」を“重要(危険)”と判断して監視してしまう仕組みを整理し、警戒態勢を解くための7つのテクニックを紹介しています。職場の人間関係などに悩む方にもお薦めの本です。
取材・文/中城邦子 構成/市川史樹(日経BOOKプラス編集) 写真/後藤麻由香



