なぜ賢いはずの人が往々にして、はたから見るとあり得ない間違いをしてしまうのか。その要因と対策について、やさしく解説するのが『知性の罠(わな) なぜインテリが愚行を犯すのか』(デビッド・ロブソン著/土方奈美訳/日経ビジネス人文庫)です。本書を翻訳した土方奈美さんが、訳者ならではの視点から本当の賢さと本書の魅力について語ります。

翻訳を「絶対に引き受けよう」と思った理由

 私はこれまで翻訳者として、『 How Google Works(ハウ・グーグル・ワークス) 私たちの働き方とマネジメント 』(日経ビジネス人文庫)『 ビジョナリー・カンパニーZERO ゼロから事業を生み出し、偉大で永続的な企業になる 』(日経BP)といった本を60冊ほど手がけてきました。

 『 知性の罠 』(デビッド・ロブソン著/土方奈美訳/日経ビジネス人文庫)は2020年に出版された単行本『The Intelligence Trap(インテリジェンス・トラップ) なぜ、賢い人ほど愚かな決断を下すのか』が文庫化されたものです。私はその翻訳を担当しました。

『知性の罠』の訳者、土方奈美さん
『知性の罠』の訳者、土方奈美さん

 実はこの本の依頼をいただいたとき、「絶対に引き受けよう」と思ったんです。

 著者のデビッド・ロブソンはケンブリッジ大学で数学を専攻した科学ジャーナリストで、人間の脳や身体、行動が専門分野。これだけ聞いてもこの本がつまらないはずはないのですが、序文を読んでみたら、「頭のいい人ほど気をつけよう」というメッセージがとても面白かったんです。

 私は依頼をいただいたら必ず序章に目を通し、引き受けるかどうかを決めます。序章は著者や編集者が一番力を入れる部分なので、序章が面白い本は「有望」。反対に序章や1章がつまらなくて、後半で挽回する本は少ない。

「序章が面白い『知性の罠』は当たりだと思った」。画像クリックでAmazonページへ
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 残念ながら、翻訳者は原文が面白くない本を面白くすることはできませんから(反対に面白い本を翻訳でぶち壊してしまうことはあります)、自分が本当に面白いと思った本を引き受けるようにしています。

 翻訳者として著者の個性やユーモアを残しつつ、原文から離れすぎず、著者と読者の両方に対してベストなバランスをつくるのが翻訳者の腕の見せどころだと思うので、日々精進しています。

 ただ、『知性の罠』の単行本を翻訳したときは、なぜかそれほどヒットしませんでした。私には自分が翻訳した本の「良書なのに売れなかったランキング」があるのですが、この本はトップスリーに入っていました。今回は文庫化によって、また新たな命をもらったと思うと、とてもうれしいです。

高い知性を持つ人ほど「知性の罠」にかかる

 『知性の罠』は構成も巧みで、序章から第1部にかけては「知性が高いことは両刃の剣である」といったことが書かれています。

 例えば、『シャーロック・ホームズ』シリーズの著者であるコナン・ドイルは2人の少女が捏造(ねつぞう)した妖精の写真を本物だと信じて譲りませんでした。ほかにもノーベル化学賞を受賞したキャリー・マリスが陰謀論にはまった例などを取り上げ、「なぜ高い知能を持つはずの人物が知性の罠に引っかかってしまうのか」が書かれていて、本の中に引き込まれていきます。

 誤解のないように最初に説明すると、この本はIQを否定するものではありません。ただ、IQが高い人ほど陰謀論にはまったり、金銭的に失敗したりするリスクがある。頭がいいだけに自分の理論に固執してしまう――と著者はジャーナリストならではの視点で、客観的に書いています。

 また、IQがそれほど高くなかったとしても「本当の賢さ」を身につけるための具体的な方法についても書かれています。

土方さんは「『知性の罠』には本当の賢さを身につけるための具体的な方法も記載されています」と語る
土方さんは「『知性の罠』には本当の賢さを身につけるための具体的な方法も記載されています」と語る

 「自分も知性の罠に陥っていないか知りたい」という人は第2部の「賢いあなたが気をつけるべきこと」から読んでもいいですし、マネジメント層の人であれば、第4部の「知性ある組織の作り方」も面白いと思います。

 どこから読んでも面白いのですが、この本のキーワードをあげるとすると2つあります。1つは真の知性には「知的な謙虚さ」が大事だということ。やはりこの広い世界には自分の知らないことがある。他人の話に耳を傾け、自分の知識を妄信しないという謙虚さが必要です。

「好奇心は伝播する」

 もう1つは「好奇心」です。この本がIQを否定するものではない、と先ほど申し上げましたが、IQは「IQ×知的習慣」「IQ×認知的な姿勢」とほかのファクターと掛け合わせるとさらに高まり、自分を成長させられます。

 そうしたなかで最も効果的なのが「IQ×好奇心」なのです。この本では「好奇心はどのように持てばいいのか」まで踏み込んで書かれています。

 たとえば、レオナルド・ダ・ヴィンチが芸術や科学、解剖学などで輝かしい実績を残した背景には人一倍強い好奇心がありました。好奇心が強い人は何かを読んだときに記憶量が増えたり、記憶が残る期間が長くなったり、理解が深くなったりします。

 なぜなら、好奇心のある人が本を読み始めると脳の領域のドーパミン作動系が刺激されるからです。通常、ドーパミン作動系は食欲や性欲と連動するのですが、好奇心はその同じ部分に位置しています。

 ドーパミン作動系が刺激されると、今、学習しようと思っていたこととは別の分野に関しても情報や知識の吸収がよくなる「スピルオーバー効果」が起こり、脳が学習モードに入るのです。好奇心の説明一つとっても著者の科学的なアプローチによって書かれているので、納得感があります。

著者の科学的なアプローチが納得感に寄与しているという
著者の科学的なアプローチが納得感に寄与しているという

 ちなみに好奇心に関して私の心に刺さったのが「好奇心は伝播(でんぱ)する」という部分です。

 ある実験で幼稚園児が窓を通して、親の様子を見ます。親の前にはある物体が置かれ、親は「ほかの大人と会話しながら、それを触る」「視線を向ける」「完全に無視する」のどれかを選ぶよう指示されています。その後、子どもたちに同じ物体を見せると親がそれを触っていた子どもほど、興味を持ち、触れて調べる傾向がありました。

 また、食卓で子どもに何か質問されたとき、「親が正解を教えてしまうケース」と「子どもの質問をきっかけにさらなる議論に発展するケース」では、議論が起こった家庭の子どものほうが好奇心は高まり、積極性も増しました。親の些細(ささい)な行動が子どもの好奇心や知性に影響すると思うと、気をつけたいですね。

(後編に続く)

文/三浦香代子 構成/黒田琴音(日経BOOKSユニット) 写真/鈴木愛子

「賢い」と自負がある人ほど引っかかりやすい知性の罠。なぜなら、高い学歴・学力があるからといって、高い思考力を持っているとは限らないからだ。「本当の賢さ」を伸ばす方法を研究に基づき徹底解説。

デビッド・ロブソン著/土方奈美訳/日本経済新聞出版/1100円(税込み)