著書『 新ジャポニズム産業史 1945ー2020 』で、日本のアニメ、マンガ、ゲームが世界を魅了するに至った秘密を解明した東京在住のマット・アルトさんに、日本が目指すべき「文化輸出立国」への3つのポイントを日本語で寄稿してもらった。
ネットフリックスなどストリーミングサービスに不可欠な日本のアニメ
ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント(Sony Pictures Entertainment)が2021年8月、米AT&Tの子会社で、大手アニメストリーミングサイト「クランチロール(Crunchyroll)」を運営するイレーション・ホールディングスを約1300億円で買収した。2020年12月に発表されたが、独占禁止法に関する米司法省の調査を経て買収が完了した。このアニメ配信サイトには目玉が飛び出るほどの高値が付けられたが、この合併は一企業の戦略を超えて、日本のアニメ産業にとってエポックメーキングなディールと言えそうだ。
第一に、エンターテインメントの消費スタイルの変化を反映している。コロナ禍によって、多くの人が自宅にいながらアニメを含めて、映画やドラマ、バラエティー番組などあらゆるエンターテインメントを映画配信サービスで鑑賞するようになった。ソニー・ピクチャーズの戦略も、そうした大きな変化を反映したものだ。
ただ、それだけではない。この買収は、日本の「ソフトパワー」が世界に影響力を拡大させるチャンスでもある点が重要だ。この点は、多くの人が見落としがちだ。
アニメ産業の世界市場規模は2兆5000億円余り。米国の映画産業全体の約3兆6000億円と比べても、相当な規模だ。コロナ禍でステイホーム生活が続く中、アニメ産業も成長している。世界でシェア数トップのストリーミングサービス企業である米ネットフリックスでも、日本のアニメが注目されている。ネットフリックスのチーフプロデューサー、櫻井大樹氏によれば、「アニメの視聴率は近年、年50%ずつ上がっていて、アニメが会社の成長と直結している」と語っている。
大げさに言えば、日本製アニメなしで米国の大手メディア会社のストリーミングサービスは維持できないのだ。ソニー・ピクチャーズのストリーミングサービスへの進出は、日本のアニメ制作会社にとってビジネス上の追い風となるばかりか、日本のソフトパワーにとっても飛躍のチャンスとなるはずだ。
なぜ日本のアニメがそれほど大きな存在になったのか? それを分析すると、日本が文化輸出で生き残るために重要な3つのポイントが明らかになる。

1973年、米ワシントンDC生まれ。ウィスコンシン州立大学で日本語を専攻。1993-94年慶応義塾大学に留学。米国特許商標庁に翻訳家として勤務した後、2003年に来日。現在、アルトジャパン副社長として翻訳や通訳の他、日本のポップカルチャー研究家としてジャパンタイムズ、米紙ニューヨーク・タイムズ、米誌ニューヨーカー、ニューズウィーク日本版などに寄稿。NHK国際放送の人気テレビ番組『Japanology Plus』のリポーターとしても活躍中。著書に『Yokai Attack! (英語版:外国人のための妖怪サバイバルガイド)』、『Ninja Attack! (英語版:外国人のための忍者常識マニュアル)』(以上、チャールズ・イー・タトル出版)など。
受け身の姿勢から抜け出して世界戦略を
第1のポイントは「受け身からの脱却」だ。
ネットフリックスを含めたストリーミングビジネスは、質より量を優先する。ストリーミング作品の質が悪いという意味ではない。視聴者の心をつかむクオリティーの高い作品が必要なのは当然だが、ビジネスとして加入者数を長期的に維持するためには、1つ、2つのヒットでは十分ではない。観たい作品を観終わると、すぐに契約をキャンセルする加入者が相当いるからだ。キャンセルを防ぐには、いわゆる「バックカタログ(既刊目録)」――できる限りたくさんの映画やシリーズを提供するサービスが求められる。
日本のアニメは、こうした新しいメディア消費の時代に向いている。最大の理由は、その量である。毎年、他の国では考えられないほどのアニメが作られている。2020年に制作されたアニメの総時間数は、2019年と比べて7000分減ったものの、約10万分だ。ロングランのヒットシリーズの製作本数も、依然として高水準で、「ドラゴンボールZ」は291本、「ONE PIECE」は1000本に近い。このボリューム自体が、ストリーミングサービスにとっては宝物である。約60年の歴史を誇る日本のテレビアニメは、海外のストリーミングサービス各社にとって垂涎(すいぜん)の的だ。
アニメのグローバルな人気は、日本の業界にとっては幸運と言えるが、問題もある。
一番は、アニメ業界の構造問題だ。日本のアニメは世界中で受け入れられるようになったが、それを支えるアニメーターの労働環境は以前と変わらず、厳しいままだ。スケジュールが過酷、平均年収は極めて低く、米国のアニメーション業界の半分ほどと言われる。政府が「クールジャパン」戦略を掲げている裏側で、作り手の多くが貧困すれすれで暮らしている現状をどう見るべきか。また、海外への外注増加のせいで、業界の空洞化の恐れも指摘されている。
海外におけるアニメ人気は、政府のクールジャパン戦略やアニメ会社による独自のビジネス展開の成果というわけではなく、全くの偶然に近い。日本のアニメのほとんどは、日本人のために日本人が作ったものだ。海外の若者が日本のアニメに惹(ひ)かれるようになったのは、リーマン・ショック以降、バブル後の日本人のメンタリティーに彼らの意識が似てきたからである。
運も実力のうちとはいえ、日本が自ら開拓したというわけではないから、未来はそう明るくないだろう。ネットフリックスなどのアルゴリズムを使ったデータ分析で明らかになったトレンドに受動的に対応している現在の姿勢を続けていけば、いつまでも稼げるわけではない。アニメを作るクリエーターに報酬面でしっかり報い、意欲的な作品が生まれるように業界を維持しつつ、海外からの注文に受け身で対応する形から一歩踏み出して、業界全体でイノベーションに取り組むべきだ。
ソフトパワーの巨大な影響力は軍事力以上
第2のポイントは「ソフトパワーの自覚的な活用」だ。
ソニー・ピクチャーズやネットフリックスは海外視聴者にアピールするため、積極的にアニメの合作に投資している。企業にとっては稼ぐのが目的だが、日本にとっては、お金を超えた価値がもたらされる。「ソフトパワー」である。ソフトパワーは1990年代に米ハーバード大学のジョセフ・ナイ教授が作った外交用語である。強制的な軍事力や経済力とは対照的に、文化的財産や価値観からなるソフトパワーは、国際社会の信頼や影響力をもたらす。
ソフトパワーの観点から考えると、アニメの影響力は巨大だ。その物語の中でスタイリッシュに理想化された日本が描かれることも少なくない。現在、国内外で大人気の『僕のヒーローアカデミア』や『呪術廻戦』は日本の学園が舞台だ。海外のファンはシリーズを消費しながら、作品で描かれる高校生の制服姿などに惹きつけられて日本を好きになる。

近年、ソフトパワーの力は海外の権力者にも認められている。2016年に当時の安倍晋三首相がホワイトハウスを訪問した際、歓迎式典でバラク・オバマ米大統領(当時)はこうスピーチした。
「米国の若い世代が大好きなカラテ、カラオケ、アニメ、マンガ、絵文字を作った国にお礼を言いたい」
1980年代の貿易摩擦やジャパンバッシングの時代に、こんな温かい言葉でライバル日本を褒めることは考えられなかった。オバマ元大統領の言葉から、日米関係が好転した要因の1つとしてアニメ、マンガなど日本のポップカルチャーがあったことが分かる。
いまや、アニメとマンガは日本人だけのものではない。世界共通語、「リンガフランカ」になった。その事実は、東京2020オリンピックが証明した。アニメの決めポーズを取ったり、コスチュームを身に着けたりした海外アスリートが驚くほど数多く見られた。
そして、アニメで育った世界中の若者が、未来の権力者になる日は遠くない。コロナ禍、地球温暖化、少子高齢化など、各国が協力して取り組むべき課題は多い。いま、この瞬間にも世界の若者は日本のポップカルチャーからアイデアや価値観を貪欲に吸収し、続々と親日家になっている。こうした状況を考えると、アニメは、将来的には重要な外交ツールになっていくはずだ。ミサイルなどよりも、アニメ、マンガ、ゲームは安全保障に直結すると認識すべきだ。

「クールジャパン」ではなく、「先駆ジャパン」であれ
「ハードパワー」、つまり軍事力や経済力による争いは、「勝ち組」と「負け組」に分かれるが、ソフトパワーはそうではない。ソフトパワーは力の一種であるが、その内実は「強さ」ではなく、「魅力」である。
現在、韓国のKポップや映画が世界的な人気となり、韓流と呼ばれるブームになっている。これもソフトパワーだ。だからといって、ソフトパワーの性格上、韓流が日本のカルチャーの魅力を薄れさせるものではない。
ソフトパワーによる競争は、ゼロサムゲームではない。軍事力や経済力を支える富や資源は限られているが、ソフトパワーの根源である想像力は無限だ。韓国の人気バンドBTSの曲を聴いた後、日本のアニメやマンガを楽しむのはごく普通。だから、劇場版「鬼滅の刃」無限列車編は、韓国でも2020年に上映された映画興行収入でトップとなった。
以前、日本の音楽業界はごく一部を除き、海外展開に興味がないと思われるほど国内だけに目を向けていた。Jポップが後れを取ったのは、ソーシャルメディアやストリーミングの活用で出遅れ、海外のファンがアーティストの顔写真など基本情報を手に入れにくかったからだ。Kポップ人気はアーティストたちの努力の結果でもあるが、若者にアピールするためにソーシャルメディアを賢く使った成果でもある。海外ファンが日本のバンドと韓国のバンドを比較して韓国を選んだわけではなく、日本のバンドをほとんど知らなかったのだ。
「韓国政府がポップカルチャーを手厚く支援しているから、Jポップが負けた」という意見がある。しかし、クールさ、つまり愛や信頼や尊敬は、上からの命令や政府の資金投入で得られるものではない。「クール」は自然に集まってくるものだ。消費者は、日本が「クール」だから日本製を消費しているわけではない。1990年代前半にバブルが弾けた後、社会的、政治的、個人的問題に直面した日本の多くのクリエーターと消費者が必死になって生み出した商品やトレンドが、たまたま2000年代のリーマン・ショック後、同様の問題に直面した欧米の人々のニーズに合ったから消費しているのだ。「クール」より、本能的な反応だろう。
そんな例は他にもある。フェイスブックやツイッター、ネットフリックスなど、ネット時代に我々が普通に使っているSNS(交流サイト)やストリーミングサービスなどは、米シリコンバレーで生まれたものが多い。確かに私たちが使っているシステム自体はそうなのだが、実はその使い方や生かし方の大半は、メイド・イン・ジャパンであり、その点についてたぶん日本人は気付いていない。
テキスティング、絵文字、セルフィー(自撮り)……。これらを「発明」したのは、1990年代の日本の女子高生やOLだった。ポケベル、iモード、写真シール作製機などを使いこなし、独特のカワイイ文化を生み出した。それだけではない。2010年代から欧米社会を混乱させる一因となっている匿名掲示板の祖先は、1999年に日本で生まれた「2ちゃんねる」である。
バブル崩壊後の「失われた20年」を経て、日本はもう国際的な影響力を失ったと海外からいわれた。海外の政治家やトップリーダーは「ジャパンパッシング」に動いたが、皮肉なことに、日本の若者はその間、近い将来、世界中の誰もが使うようになるバブル後の社会を生き抜くためのツールを作り、流行(はや)らせていた。クールジャパンではない。「先駆ジャパン」なのだ。そして、これが「文化輸出立国」への第3のポイントに他ならない。そうしたパワーをいかに伸ばしていくか。課題先進国の成果物は、ポップカルチャーブームを超えた本物のソフトパワーだと私は思う。
[日経ビジネス電子版 2021年8月23日付の記事を転載]
なぜ日本のマンガ、アニメ、ゲームは世界を魅了したのか?
1945年の敗戦から、日本人は米兵が乗ったジープ(小型四輪駆動車)を見て、捨てられたブリキ缶を回収して、玩具のジープを作り、その娯楽品を輸出して食料などに替えた。この創意工夫の職人的精神は江戸時代から引き継がれたものだ。1990年代初頭のバブル崩壊後もゲームやカラオケ、女子高生が担ったハローキティなどのカワイイ文化は、世界に拡大していく。こうしたサブカルチャーの歴史を東京でゲームなどのローカライズ(日本語から英語への翻訳)を仕事にしてきた著者が丹念な取材で描いた。
マット・アルト(著)、村井章子(訳)、日経BP、2640円(税込み)