立命館アジア太平洋大学学長の出口治明さんは、「自分の経験だけで考えずに、戦争と条約締結の裏側で展開された人間模様を学ぶことが重要」という。世界史の中で結ばれた条約や勃発してしまった戦争を検証した 『戦争と外交の世界史』 (日経ビジネス人文庫)から一部を抜粋してお届けする。
交易の隣に戦争の歴史がある
生活を豊かにすることの最も重要で基本的な条件、それは交易だったといっても決して過言ではないと思います。ところが交易がうまくいかない場合もあります。例えば交易を行う両者のいずれかが、自分だけ得することに固執したり、相手の物品を奪い取ったり、粗悪品を相手につかませたりすることです。
「略奪」というと最初に思い浮かぶのは、例えば、ヴァイキングでしょうか。ヴァイキングは、スカンディナヴィア出身の海賊、と定義されることが多いのですが、もともと彼らは寒冷地帯では収穫が乏しい小麦や穀物を求めて、タラやニシンなどの魚類を交易品として舟に積み込み、北海を南下して西ヨーロッパへ、交易をするために出かけて行ったのでした。けれども粗末な毛皮などを身につけ、金髪碧眼、体が大きい北欧の人々を西ヨーロッパの人々は、なかなかきちんと相手にせず、ニシンを法外に安く値づけしたり、小麦に小砂利を混ぜたりもしました。それらのことが重なるうちに、ヴァイキングたちは事と次第によっては戦えるように武装するようになった、それが海賊などと呼ばれた原因であったと思います。
交易がうまくいかなければ、個人の場合は殴り合いとなり、集団や国同士の場合は戦争になる。すなわち交易の歴史の隣に戦争の歴史があり、戦争を止めるためや防ぐために外交があるのです。
戦争、条約、外交の関係性
その外交の重要な駆引きや取り決めを文書の形にして残したものが、条約です。それゆえに条約の歴史には必ずといってよいほど戦争そのものや戦争の影がある、と考えていいのではないでしょうか。
ドイツのプロイセン王国の将校としてナポレオン戦争に参加したクラウゼヴィッツという軍事学者がいました。彼は『戦争論』というすぐれた著作を残しています。その序文に次のような文節があります。
「戦争は政治的手段とは異なる手段をもって継続される政治にほかならない」
この文節から「戦争とは血を流す政治であり、外交とは血を流さない政治である」という言葉が、広く人口に膾炙(かいしゃ)しています。条約とはまさに外交の申し子なのではないでしょうか。
伊藤博文の特筆すべき外交センス
一九〇四年に日露戦争が始まったとき、明治政府の元老だった伊藤博文はただちに前司法大臣の金子堅太郎をアメリカに派遣しました。金子はハーバード大学に留学したとき、セオドア・ルーズベルトと同窓でした。そのとき以来、金子とルーズベルトは親友でした。そして日露戦争が始まったとき、ルーズベルトはアメリカ大統領だったのです。
この関係を知っていた伊藤博文は、金子にルーズベルトとの旧交を温めさせ、日露戦争を早期に終わらせるよう斡旋してくれることを、ルーズベルトに依頼する任務を託したのです。国内に革命の危機につながる政治不安があっても、当時のロシアは世界に名だたる強国でした。総合的な国力を考えれば、本来、日本の勝ち目はうすい戦争です。
伊藤博文は痛いほど、このことを熟知していたので、なるべく早く有利な条件で停戦条約を結ぶことが、日本の死活にかかわることだと考えていました。戦争の早期終結のために、当時、日の出の勢いで国力を増大させている大国、アメリカに一役買ってもらおうと画策したのでした。
伊藤の目論見は成功しました。ロシアはルーズベルトの斡旋に応じ、両国は一九〇五年にポーツマス条約を結んで講和しました。日露戦争が始まった時から、終結に向けてしっかりした計画をして策を立てた伊藤の外交センスは特筆に値すると思います。
けれど政府も報道機関も、日露戦争の実情を国民に開示しませんでした。すなわち、一年間の総力をあげた戦いで日本は、戦力も戦費も兵力も底をつき、ほとんど継戦能力が無くなっていたので、もしロシアが新しい戦力を投下してきたら、敗戦の可能性が極めて高かった。だからともかく停戦し、一定の戦果があっただけで良かったのだという事実を、国民には知らせなかったのです。
その代わり、「我が軍は宿敵ロシアを叩きつぶした」といった論調の情報ばかりを流しました。祖国のため、多くの若者の命を失った国民は、その事実を知らなかったので、賠償金も取れなかった講和に怒りました。そして日比谷公園の焼き討ち事件まで起こしています。
さらに日本政府も報道機関も、停戦のために尽くしてくれたルーズベルト大統領の努力を、きちんと国民には伝えなかったのです。そのため、日本が賠償金も取れないような講和条約を結ばされたのはアメリカのせいだという、アメリカを逆恨みする声まで生じました。このために、それまで日本びいきであったルーズベルトの親日感情は無くなり、やがてアメリカ全体に日本脅威論が生まれる原因となります。
例えば、激烈な市場獲得競争を続けてきた企業同士が、手打ち式をやったとします。そのとき、どこかの銀行が仲介の労を取ってくれたとします。しかしこのとき、たとえ円満に解決したとしても、手打ちの経緯や背景について、従業員に何も知らせなかったら、どうなるでしょうか。想像してみてください。「終わらせる」とはどういうことか。戦争に関係したすべての人に、情報の共有化を徹底することが大切だと考えるべきでしょう。
『戦争と外交の世界史』
人類の歴史は、戦争の歴史であり、「戦争」を止めるために「外交」という手段を駆使してきた。日々繰り返されている「ケンカや仲直り」「妥協と打算」「取引と駆け引き」「握手と裏切り」も、戦争と外交の歴史をひもとくことで、解決の糸口を見つけることができる。
出口治明(著)/日本経済新聞出版/定価1100円(税込み)