パンデミック(感染爆発)、気候変動、テクノロジーの脅威……人類の存亡を脅かすこれらの危機に立ち向かうために、いま世界は何をすべきか。ヒントは1980年代の冷戦時代にあるという。 地政学の世界的権威、イアン・ブレマー氏による書籍 『危機の地政学 感染爆発、気候変動、テクノロジーの脅威』 (日本経済新聞出版)より、解決策への入り口をご紹介したい。

1985年の「談笑」

 報道陣のカメラから離れ、暖炉のそばで暖まりながら、ロナルド・レーガンはミハイル・ゴルバチョフとの初めての談笑を、驚くべき質問で切り出した。

「もしもアメリカが突然宇宙から攻撃を受けたとしたら、あなたはどうしますか。我々を助けますか」

 ゴルバチョフはためらうことなく「もちろんです」と答え、レーガンもまた「我々もそうするでしょう」と相手を安心させた。この会話が交わされたのは、1985年11月19日、スイスのジュネーブでのことで、一般には知らされていなかった。

 これが公になったのは、2009年3月、ニューヨーク市のロックフェラー・センターにあるレインボー・ルームで、ゴルバチョフが聴衆を前に講演したときだ。この初めての談笑の場にいたのは、レーガンとゴルバチョフ、そしてそれぞれの通訳のみだった。

 ゴルバチョフがこの秘話を公にすると、彼の意図とはまったく異なる別の理由でニュースになった。その約5年前にレーガンは故人になっていたが、この会話がなされたとき、レーガンは既にぼけていたのではないかという議論が再燃したのだった。

 専門家たちは薄ら笑いをしながら、レーガンが気に入っていたハリウッドのSF映画はどれなのかと臆測し(『地球の静止する日』で、当時意見は一致)、レーガンを慕う多くの人々は、ゴルバチョフとのこの逸話に当惑した。

ロナルド・レーガン(左)とミハイル・ゴルバチョフ。写真は1988年の会談(写真:REX/アフロ)
ロナルド・レーガン(左)とミハイル・ゴルバチョフ。写真は1988年の会談(写真:REX/アフロ)
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2人の会話から何を学ぶのか

 この逸話から始めた理由は2つある。

 1つは、世界の2つの超大国、アメリカとソ連の首脳による初の談笑が、米ソ関係にとり重要な瞬間だったとゴルバチョフが述べていることだ。

 2人の会話によって、平和が保障されたわけでも、冷戦が立て直されたわけでもなかった。

 その後何年にもわたり、レーガン、ゴルバチョフ、そして米ソの交渉に携わった人々にとって、激論を交わさなければならないことばかりが続き、冷戦もすばらしい交渉が成立して終わったのではなく、ソ連の崩壊によって終結した。

 しかし、信頼と善意の種をまくかのごとく、レーガンの質問と、それに対するゴルバチョフの答えは、それまでの米ソの首脳の間には存在しなかった、良い関係の土台を築いた。その土台の上に、核武装した敵対国同士が、両国と世界にとって存亡の危機を回避する目的で、協力のみならず連携さえも築くことが可能になった。

 それまでの米ソの首脳たちは、冷戦時代を代表する2つの超大国は衝突の道を進んでいるのだと自らに言い聞かせ、相手に対しても説き伏せることを繰り返していた。レーガンとゴルバチョフは、米ソがその道から離れなければならないと理解し、方向転換を図ったのだ。

 このおかげで、冷戦終結以降、世界全体で国家の安全が保障され、繁栄に向かって進展し、世界はその成果を享受してきたのである。

 もう一つの理由は、現在の世界の指導者たちが、彼らが統治する国の存亡の危機に実際に直面していることだ。

 まずは、世界を襲ったパンデミックだ。このパンデミックが引き起こした損害や痛みは、今後何十年も消えないだろう。途上国ならなおさらだ。

 新型コロナウイルスをきっかけに一種の戦いが始まったが、勝者は誰もいない。多くの政府は深刻な過ちを犯し、ほぼどの国でも、あまりにも多くの命が失われた。そしてどの国でも、経済が急速に冷え込み、新たな負債を抱え込むことになった。

 国内だけでなく国境を越えて、政治家たちが互いを指弾している間、我々全員のダメージを抑えることができたかもしれない重要な情報や医療資源が入手できなくなり、事態はさらに悪化してしまった。

 次の10年で、我々はもっと大きなリスクに直面するだろう。こうした問題を乗り越えるには、今回のパンデミックの教訓をすべて心に留め、学ぶ必要がある。たとえ世界の指導者たちが合意しなくてもだ。

 アメリカ、中国をはじめとする各国政府は、現在も今後も、決して意見を一致させることがない。政治や安全保障、経済の何百もの問題をめぐって、表舞台だけでなく裏でも、争い続けるだろう。

 しかし、世界を同時に脅かす大きなリスクについては、過去の過ちから学びながら、責任、情報、負担、非難、債務を分かち合うことが可能だ。

 世界最重要国のリーダーたちが、協力して世界を襲う脅威に立ち向かえるだけの信用を築くことができなければ、SF好きのロナルド・レーガンが想像もしなかった破滅の危機に、全員が苦しむことになるだろう。

来るべき危機

 100年に一度の公衆衛生危機が起きて2年あまりが過ぎた。世界は今もなお、態勢を立て直すのに苦戦しているが、我々の未来は少しずつはっきりと見えてきた。

 まずは2つの事実に目を向けよう。

 第一に、アメリカは依然として世界唯一の超大国だが、その国内政治は崩壊している。
 第二に、世界全体の将来を考えるうえで見逃せないことだが、米中関係は間違った方向に進んでいる。

 この2つの現実が、世界危機が起きていても、対応するのを難しくしている。

 現在、我々は3つの世界危機に直面している。

 1つはパンデミックだ。世界は今も、新型コロナウイルスの経済的、政治的、社会的影響を払拭できずにいるばかりか、今後も危険なウイルスに苦しめられるのは間違いない。

 2つ目は気候変動で、何十億人もの人々の暮らしを一変させ、地球上の生命の持続性を脅かすだろう。

 3つ目は破壊的な新技術だ。これが、我々人類の未来に最も暗い影を落とし、我々の生き方、考え方、他人とのかかわり方を変え、それが思わぬ悪影響を人類におよぼし、人類の未来を決めるだろう。

 アメリカ国内政治が崩壊し、米中の対立が激しくなっているせいで、国際的信頼関係の構築が危うくなり、現代を脅かす大危機に立ち向かうのが困難になっている。

いま我々が直面している危機は、何十億という人々の生存を脅かす(写真:shutterstock)
いま我々が直面している危機は、何十億という人々の生存を脅かす(写真:shutterstock)
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時間は限られている

 時間は有限なのだと、米中だけでなく世界のリーダーたちは意識すべきだ。米中の2国は今、軍事、経済、技術において地球最強の国である。だが、協力関係はこの2国に限らず、世界が結ばなければならない。

 世界が協力し合えるかどうかについては、ヨーロッパが鍵を握り続ける。もちろん、世界各地の多くの国々や非国家組織にもリーダーシップの発揮が待ち望まれる。

 残念ながらコロナ禍で世界の分断はさらに進んだが、それでも今回のパンデミックから学んだ教訓から、危機対応を担う新たな国際組織の設立に向け世界は第一歩を踏み出せるはずだ。

 危険を見極め、問題が封じ込められなくなるほど大きくなる前に、解決策を慎重に計画し、国家間の調整を図り、解決策に対して合意を形成することができる国際組織が必要だ。

 ここで、大胆な予測をしてみよう。ヨーロッパとアメリカ、中国、その他の国々、様々な組織、そして人々は、世界共通の問題に協力して取り組むだろう。だが、その協力は、我々に必要な新しい国際機関を設立するのに十分で、迅速で、効果的だろうか。

 今回のパンデミックで、21世紀の大きな脅威は国境などまったく気にも留めないことが鮮明になった。「各国が独自に対応する」アプローチでは、いま人類が直面している問題には歯が立たない。

 新型コロナウイルスのワクチンを開発して分配するまでの国家間の競争は、賢明で善意ある人々が真剣に取り組めば、記録的なスピードで新たな問題を解決できることを再び証明してくれた。

 人間の創意工夫の力は十分にある。しかし、歩み寄りと協力、連携はコロナ禍以上に必要になるだろう。

破綻するグローバリズム

 グローバリズムは、グローバルとは名ばかりで、過去40年にわたり失敗を繰り返してきた。

 富裕国では、大卒資格がなく製造業で働く人は、もはや中産階級の生活には手が届かない。

 貧困国では、新しい中産階級が台頭しても、その恩恵にあずからなかった人々が、自分たちよりも恵まれた暮らしを営む人々の姿をかつてないほど身近で目の当たりにするようになっている。

 不平等は拡大する一方だ。どの国でも、グローバリゼーションがもたらした歴史的恩恵から排除された人々があまりに多く、結果的に、世界各地で一般市民が暴動を起こし、次世代のポピュリズム派の政治家たちが台頭して、市民の怒りにつけ込んでいる。

 今後は、自国政府に期待する安全や繁栄を、指導者がもたらしてくれるのかどうかを疑問視する一般市民が増えていき、わが子にとって、より良い暮らしができる世の中になるのだろうかと問うだろう。

 指導者たちはそれに対してよい答えを用意しておくべきだ。


 1985年のあの私的な会話で、ロナルド・レーガンは、もしも人類を超えた大きな脅威に直面したとしたら、我々は協力し合えるだろうか、と尋ねた。
 それに対しミハイル・ゴルバチョフは「もちろんです」と答えた。

 それが正しい答えなのである。

世界的知性による「警告と希望の書」

戦争、パンデミック、資源争奪、サイバーテロ……分断が深刻さを増し、民主主義が揺らぐ世界が直面するリスクの数々。地政学の世界的な第一人者である著者が、迫り来る脅威の本質を歴史的視点も交えて読み解き、解決策を提言する。

イアン・ブレマー著、稲田誠士監訳、ユーラシア・グループ日本&新田享子訳/日本経済新聞出版/2420円(税込)