ベストセラー「怖い絵」シリーズ著者・中野京子さんの最新作は 『災厄の絵画史 疫病、天災、戦争』 。パンデミック、飢餓、天変地異、戦争……画家たちは過酷な運命に翻弄され、抗う人々の姿をどのように描いてきたのか。様々な災厄の歴史的背景を解説しながら、現在も人々の心をつかむ名画の数々を紹介する本書。ここでは、その元となった日経ビジネス電子版での連載[中野京子の「災厄の絵画史」]第1回「災厄を呼ぶ神々の騎行」をお読みいただけます。
大いなる災厄に、はたして予兆はあるのか?
――ある、と北欧神話は告げる。
それは晩秋から春にかけての嵐の夜に天空を疾駆する「ワイルドハント」、即ちオーディン(=ヴォータン)の狩猟団としてあらわれるという。凄まじい咆哮、雄叫び、悲鳴、鬼哭、呻吟、暴風が耳をつんざき、空気を切り裂き、八本脚の怪馬にまたがったオーディンが配下の者とともに狼や猟犬やカラス、魔物や妖怪、非業の死を遂げた者たちを引き連れ、空を渡ってゆく。このワイルドハントが目撃されれば、疫病、天災、大恐慌、戦争といった災厄を呼びよせたことになる。もちろん見た者は命を絶たれ、亡霊となって彼らと行動をともにしなければならない。
古代ゲルマン人が大自然に対する畏敬と恐怖から生みだしたオーディンは、自らの片目を知恵と交換した最高神だ。戦争と狩りと風の神、魔術と死の神でもある。その荒ぶる神が北欧の厳寒の季節、しかも真夜中に、猛々しい一群を率いて空で狩猟する。何を狩るかはさまざまに言われている。罪人か、彷徨う魂か、敬意を示さぬ地上の者らか……。
ほとんどの人が家に閉じこもる禁忌の時刻、外へ出てわざわざ夜空を見上げた者は、いったい何に引き寄せられたのか。翌日、その死体を見つけた人々は、ワイルドハントを見たのだ、魂は連れ去られた、災厄が近い、と震えあがったことだろう。

十九世紀ノルウェーの画家ペーテル・ニコライ・アルボ(1831~1892)が大作『オーディンのワイルドハント』を描いている。
見てのとおり、これは狩猟団というより大軍団だ。鉄兜をかぶった多くの兵士たちが雲海を抜け、渺渺(びょうびょう)たる曠野に吹きすさぶ風に負けぬ雄叫びをあげる。興奮の極みの怪馬はいななき、真っ黒な鳥たちもしゃがれた声で鳴き交わす。地上は戦場のようだ。裸形の木々がしなり、ごつごつした岩の間には、武具や骨のようなものがころがっている。とはいえ形態は定かならず、天空と同じく地上もまた、この世のものとは思えない。
画面でもっとも目立つのは、中央で長槍をふりあげる逞しい半裸の女性。長い金髪を振り乱し、左腕に蛇を巻き付けている。その右横にも弓で矢を射る女性。彼女らはワルキューレ(「戦死者を運ぶ者」の意)だ。オーディンの命を受けて戦場を飛び回り、戦死した英雄をヴァルハラ(天界にあるオーディンの宮殿)へと運ぶ。
オペラ・ファンならずともワルキューレの名はよく知られていよう。ベトナム戦争を扱った『地獄の黙示録』(F・F・コッポラ監督、1979年アメリカ映画)でヴァーグナーの楽曲<ワルキューレの騎行>が使われ、戦争で精神を狂わせた男たちの異様な行動をさらに煽るかのごとき効果を上げていた。
さて、画面右寄りにも二人の裸体の女性がいる。彼女らは狩りの獲物のようだ。一人はぐったりした様子で馬に乗せられ、もう一人は乱暴に髪の毛をつかまれて引きあげられようとしている。ワイルドハンターの獣性を示すシーンでもある。
画面中景中央の、王冠をかぶった髭の男がオーディンの息子にして雷神、北欧神話最大のスター、トールだということは、二つのアトリビュート(その人物を特定する持物)からわかる。一つは右手に握ったハンマーだ。ミョルニルと呼ばれるそれは、狙った敵を必ず倒し、どこへ投げてもブーメランのように必ず手にもどってくる。もう一つは、彼の乗り物。二頭の黒い牡山羊に引かせたチャリオット(一人用戦車)だ。
では肝心のオーディンはどこに?
ワイルドハントはこの最高神が率いるものなのだから、ふつうに考えると先頭を走っているはずだ。先頭は三頭の馬(白と黒)が横並び一線だが、画家は一番手前の白髭の男を目立たせている。鋭い眼光、大きく口をあけて号令をかける様。彼が主役だ。しかし彼はオーディンではない。なぜならオーディンのアトリビュートたる長い槍を持っておらず、隻眼ではなく、肩にカラスを止まらせてもいない。それどころか、明らかにヴァイキングだ。角付き兜をかぶり、チェーンメール(金属の鎖で編んだ防具)を身につけている。
実はこの絵にオーディンはいない。面白いもので時代が下るにつれ、また国によって、ワイルドハントの主導者はトール、アーサー王、フランシス・ドレイク、魔女など、多彩になっていった。本作の場合、ノルウェーの英雄シグルズ王と言われる。つまりノルマン人だ。そしてノルウェーを建国したのはノルマン人。画家はそのことをこの災厄予兆の神話画に組み入れたのである。
アルボがここで仄めかしているのは、故国ノルウェー独立の願望ではなかったか。この時代、ノルウェーはスウェーデン=ノルウェー連合王国。連合とはいっても強国スウェーデンの下でノルウェー人は不満を募らせており――スウェーデン側からは、独立するなら戦争、と脅されていたにもかかわらず――独立運動は静かに継続されていた。アルボは先頭を走るヴァイキングのすぐそばに、ラッパを吹く兵士を配置している。直管型の長いラッパは名声と勝利のシンボルだ。
ノルウェー独立は一九〇五年。アルボ死去の十三年後であった。
オーディンの狩りをテーマにした作品は数多い。もう一点取り上げよう。ドイツ人画家フランツ・シュトゥック(1863~1928)が一八九九年、まさに世紀末最後に描いた『ワイルドハント』。

まっすぐこちらを見据えて向かってくる構図なので、小型作品ながら迫力に気圧される。額の禿げあがったこの老人がオーディンかどうかはよくわからない(持っているのは槍ではなく杖のようだし、隻眼でもなさそうだ)。彼が騎乗する馬は、目がないのかと一瞬錯覚させられる上、口がギーガーのエイリアンに似ているせいか無気味で、まさに怪馬そのもの。
画面右下で身をよじって叫ぶのは、髪の毛が蛇のメドゥーサ。他にも得体の知れないものたちがひしめく。老人の背後には裸体の女性。エロティックなヌード画に定評のあるシュトゥックなので、アルボより生々しく煽情的な表現だ。
本作の十年前、シュトゥックは同じタイトルの、しかも同じように鑑賞者に向かってハンターたちが突進してくる作品を発表している。だがその距離はまだ遠く、逃げられる可能性もなくはないと思われた。それだけに本作の距離感の縮み具合には、絶体絶命の脅威を覚える。

世紀末の不安感が描かせたのだろうか、はたまたこの絵自体が災厄の予兆であったのか?
本作発表一年前には、ハプスブルク家のエリザベート皇妃がスイスでアナーキストに刺し殺されていた。社会主義が台頭してきていた。世界中が不穏に覆われ、あちこちで二国間戦争が起こり、それが第一次世界大戦へと収斂してゆくのは近い。
古来、人類は災厄と戦ってきて、今がある。パンデミック、飢餓、天変地異、戦争……エンドレスの戦いだ。そして画家はそれを連綿と描き続けてきた。記録として、インスピレーションの源として、ある種の美として、好奇心にかられて、あるいは宿命への怒り、また諦念として、現在を過去になぞらえて、描き続けてきた。今なお描き続けている。
そこには人々が災厄に対してどう行動し、どんな敗れ方をし、はたまたどうやって乗り越えたかが、多彩な表現で提示され、あらゆる芸術がそうであるように、人間の本質を捉えようとする真摯な試みが見られる。
ムンクは疫病で死にゆく者が生き残る者へ示した溢れる愛を、ミレイは天災から立ち直ろうとする若者の強靭さを、コルビッツは犠牲者のやり場のない悲しみを、ゴヤやピカソは怒りでいっぱいになりながら人間の蛮行を、それぞれキャンバスに塗り込め、叩きつけた。そうした名画の数々を見てゆきたい。
[日経ビジネス電子版 2021年3月24日付の記事を転載]
パンデミック、飢餓、天変地異、戦争……人類の歴史は災厄との戦いの歴史でもある。画家たちは、過酷な運命に翻弄され、抗う人々の姿を描き続けてきた。本書は、そんな様々な災厄の歴史的背景を解説しながら、現在も人々の心をつかむ名画の数々を紹介する。
中野京子(著)、日本経済新聞出版(日経プレミア)、1210円(税込み)
