このコラムでは日経BPのメディアを率いる編集長に聞いたおすすめ本を紹介します。「専門性×編集長の人となり」が垣間見えるセレクト、お楽しみください。今回は 日経ドラッグインフォメーション(日経DI) の井田恭子編集長が、薬剤師を主人公としたミステリー小説を紹介します。同誌の名物コラムが小説のヒントになった経緯とは?
医師から処方された塗り薬を丹念に塗っているにもかかわらず足の痒みが一向に治まらず悩んでいた、ホテルマンの水尾爽太。受診の帰りに立ち寄った薬局で相談すると、毒島(ぶすじま)という女性薬剤師が症状について、あれこれ聞いてくる。最後に、眉根を寄せて毒島が述べた見解は――。
この本は、薬局薬剤師、毒島花織が薬にまつわる様々な“事件”や謎を解決していくミステリー小説です。冒頭のエピソードの他にも、「急激な眠気に襲われるホテル従業員」「薬を過剰に要求する高齢者」といった気になる人物が登場。彼らにまつわる事件が、毒島と共に謎解きに挑む爽太の目線で次々と展開されていきます。
本書の発行は2019年。その後も『薬剤師・毒島花織の名推理』シリーズとして、『甲の薬は乙の毒』(2020年)、『毒をもって毒を制す』(2021年)が発売され、22年にはシリーズ4作目となる『病は気から、死は薬から』が刊行されました。
小説とはいえ、目の前の患者にとって必要な情報、患者にとって役に立つ情報を集め、それらを自分の中で整理して患者にフィードバックするという毒島花織の姿は、日ごろ、編集部の記者が取材でお世話になっている現場の薬剤師が果たしている役割を、象徴的に描いているように感じました。
月刊誌「日経DI」が着想のきっかけに
著者である塔山郁さんは、2009年に『毒殺魔の教室』で、宝島社の第7回『このミステリーがすごい!』大賞・優秀賞を受賞し、作家デビューされたミステリー作家です。薬剤師が主人公の推理小説は珍しいことから、以前、塔山さんに編集部でインタビューさせていただきました。
塔山さんは、奥様が現役の薬剤師。そのことを知っていた出版社の担当編集者から、職業モノの小説として薬剤師を描いてみないかと勧められたことが執筆のきっかけだったと伺いました。それまで医療関連の小説に漠然と敷居の高さを感じていたという塔山さん。提案を受けてチャレンジしてみたいと思ったとき、自宅の本棚で目に留まったのが、奥様が定期購読していた月刊誌「日経ドラッグインフォメーション プレミアム版」(「日経DI プレミアム版」)のバックナンバーだったそうです。
プレミアム版には、創刊時から続いている名物コラム「日経DIクイズ」があります。処方箋を持って薬局を訪れた患者が発するセリフと処方内容から、その患者への対応や処方薬の特性などについて問うクイズ形式のコラムです。塔山さんはプレミアム版のバックナンバーで本コラムを見つけ、ミステリー小説の切り口の1つになるのではないかと思われたとのこと。
小説の内容は主に、奥様の職場での経験や専門書などをベースに話を膨らませていったそうですが、例えば、『薬も過ぎれば毒となる』に出てくる尋常性ざ瘡の治療で低用量ピルとカリウム保持性利尿薬を服用していたという患者エピソードのネタ元は「日経DIクイズ」だったと伺い、うれしくなりました。
医療小説には、臨床的な正確性を担保しなければならない難しさがあります。さらに、リアリティーさと物語としてのバランスをどう取っていくかという点にも神経を使います。「現実には、患者の個人情報をこんなに話してしまう薬剤師はいないんじゃないかと思いつつも、ミステリー小説としての謎解きの面白さを引き出すため、悩みながら書いた部分もありました」と塔山さん。
また、職業モノの小説ということで、薬局内での薬剤師の仕事だけにフィーチャーしてしまうと、一般の読者にとっては遠い話になりがちです。そこで発想を切り替え、医療業界とは別のところで働く、ホテルマン・水尾爽太というキャラクターを設定し、爽太が職場近くの薬局に勤める薬剤師、毒島花織と出会い、彼女とのやり取りを通じて薬にまつわる謎が解明され、薬に関する新たな気付きを得ていくというストーリーに仕立てたそうです。
“安楽椅子探偵”としての薬剤師を描く
「薬剤師の仕事について私は、処方箋1枚1枚、患者さんの言葉の1つ1つから、その背後にあるものを洞察し、謎を解き明かしていく、いわば“探偵”のようなイメージを持っています」と塔山さん。ミステリーや推理作品に登場する探偵のタイプの1つに、事件現場に行かずデータによる推理の積み重ねで謎を解く「安楽椅子探偵」というものがあります。「現場に赴いたり、自ら行動する王道の探偵が、患者を直接診察する医師であるとしたら、薬剤師は処方箋や患者の話から情報を判断してどうすればいいか指示を下す、まさに安楽椅子探偵のようだ」と塔山さんは語ります。
主人公・毒島花織のキャラクター設定は、クールで切れ者の“名探偵”。確かに一見、クールで淡々としているのですが、小説を読み進めていくと、実は薬剤師としての使命感に燃えていて、患者のことを誰よりも真剣に考えているという部分が対照的に伝わってきます。
薬局の薬剤師に対しては、「簡単な説明を受けて調剤された薬を手渡される」くらいの印象しかない人も少なくないかもしれません。しかし実際には、個々の患者の状態や年齢などを考慮し、必要に応じて医師に処方内容について疑義照会したり、より良い薬剤選択を提案するなどオーダーメードで対応しています。最近では、薬を服用した後の症状の変化や副作用の出現有無などを積極的にフォローアップする薬剤師も増えています。そうした薬剤師の真の役割を知るきっかけとしてもおすすめの1冊です。
イラスト/shutterstock イラスト加工/髙井 愛

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