パワポを何度も書き直して、やっとの思いで通した提案が、こんなに大変なことになるなんて――。顧客をセグメント分けして提供する価値を探り、競合の出方を予想して対策を取るというビジネス開発プロセスは、「既知のこと」には有効でも、「未知のこと」に取り組む場合は大きな障害になり得ます。1年で100億円の売り上げアップを実現し、リクルートキャリア執行役員兼リクナビNEXT編集長を務めた細野真悟氏の著書 『リーンマネジメントの教科書 あなたのチームがスタートアップのように生まれ変わる』 から一部抜粋して掲載します。
「既知のこと」を扱うプロセスと問題点
前回は、「リーン・マネジメント」と「一神教マネジメント」の違いを解説しました。今回は、一神教マネジメントが得意な手法でプロジェクトを進めた場合、どんな問題が生じるかを考えてみます。私がリクルート時代に学んだことをベースに、「既知のこと」を扱う開発プロセスの各フェーズの進め方と、そこにどんな課題があるかを説明します。
私はリクルートに2000年にシステム担当として入社したのですが、そのときに教えられたのが、「ビジネスの検討をして、要件定義をして、設計して、開発する」といった、ビジネス開発のフレームワークでした。いわゆるウオーターフォール型のビジネス開発です。私が理解したそのやり方を概念的に整理したのが次の図です。
この一連のプロセスは、大きく分けると「ビジネス検討フェーズ」と「実行フェーズ」の2つに分けることができます。
従来のセグメント分けは役に立たない
ビジネス検討フェーズでは、まず初めに「セグメント別の提供価値議論」を行います。これは、ユーザー全体に対してどのような価値を提供するかを考えるのではなく、ユーザーをセグメントごとに分けて提供価値を考えるフェーズです。例えば、転職サイトのユーザーであれば営業職、技術職、事務職といった職種ごとにセグメント分けをしているので、それぞれのユーザーセグメントに対して「どのような価値や機能を提供できるのか」が議論の対象になります。
しかし、セグメントの分け方を「これまで社内で使われてきたメジャーなセグメント分け」にしてしまうと、イノベーションを起こしにくくします。なぜならば、ずっと使われてきたセグメント分けだと、既に考え尽くされたことしか発見できない可能性が高いからです。
社内で使い古されたセグメント分けを使い続けている企業は多いと思います。その理由は、「決裁者たちが理解しやすい分け方だから」ということに他なりません。決裁者は日々、大量の分析報告やモニタリングデータを目にしていて、日常的に使われているユーザーセグメント分けで考えることに慣れています。新しいユーザーセグメントで起案すると「よくわからないから元の分け方で説明してよ」と言われてしまうのです。
決裁者にとってわかりやすい従来のセグメント分けでユーザー価値を考えてしまうと、最初の一歩からイノベーションは起こしにくくなる。そこが落とし穴です。
どんどん機能の追加が必要に
セグメントごとに提供できる新たな価値が決まったら、次は「競争優位議論」です。「競合企業が同じサービスをやってこないか」「もし競合に同じことをやられた場合、勝算はあるのか」といったことを議論しながら、打ち手の設計を行います。
しかし「競合が同じサービスをやってこないのか?」「どんな形でやってくるのか?」なんて誰にもわかりません。その結果「多分やってくるだろうから、あらかじめそれを上回る機能を実装しておこう」ということになり、どんどんシステム要件は膨らんでいきます。
その次は「打ち手の設計」です。「世の中にどういう価値を提供したいのか?」「どういう社会にしていきたいのか?」という抽象的な概念から、「どんな画面にするのか?」といった機能面まで、パワーポイントにして数十枚、場合によっては100枚ぐらいを一気に描くフェーズです。
また、まだ実際はできていない架空の機能について、関連部署と調整してリスクの見立てや打ち手を考えます。例えば、「この場面は個人情報漏洩のリスクがある」と法務に指摘されると、そのリスクを徹底的に潰すための新たな機能が追加され、どんどん要件が膨らんでいきます。「もし、こんな条件になったら、こんなことが起こるのではないか」といった、仮説の仮説のような要件定義まで詳細に詰めていくので、当然、コストは膨大になり大規模開発になります。
投資額が大きくなると、それに見合うだけのリターンがないと決裁が通らないので、起案者は仕方なく、当初売り上げ計画よりもはるかに大きな売り上げが見込めるよう、エクセルの数字を調整して決裁会議で起案しなければいけません。コストが想定以上に膨らんでしまい、無理をしないと決裁が通らない。起案者本人も「こんな大がかりなものを作るつもりはなかったのに……」と思う事態になります。
そして決裁会議では「このリスクは大丈夫なのか?」「売り上げの妥当性はあるのか?」といったさまざまな突っ込みが役員から入り、たくさんの宿題を出されます。ここからは起案者が3~4回、下手すると10回以上も再起案するという、飽くなき起案のジャーニーが始まります(笑)。
これを何度も繰り返して、根負けしない人だけが、ビジネス投資決裁の通過チケットを手に入れることができます。ここまでがビジネス検討フェーズです。
提案が通った後はもっと大変なことに
投資決裁が通ったら実行フェーズに入ります。このときには、自分が当初想定していたよりもはるかに大きなプロジェクトとなっているので、起案者からしたら「通ってしまった」というのが正直な感覚だと思います。
何度も宿題に答えて、「やります!」と答えて決裁を通してきたので、想定よりもはるかに大きな投資額の、はるかに大きな売り上げを想定したプロジェクトをやらざるを得ない状になっています。
ここから始まるのが「大規模システム開発」です。起案当初よりも大規模な開発になっているので、当然リリースまでには時間がかかります。さらには開発途中で、思っていた機能がコスト内では実現できないなどの不具合も見つかります。
しかし、予算はもう増やすわけにはいかないので、泣く泣く機能を削ることになります。ビジネス検討フェーズで議論していた前提が崩れるので、売り上げの見込みなども当然変わるはずなのですが、決裁を通した後なので、目標を下げるわけにはいきません。途中で不具合が見つかったとしても「前進あるのみ」で、決められた期日までにリリースをすることが目的になります。
営業から「売れない」と言われてしまう
そして、今度は営業部がどうやって顧客に案内するかという「売り方開発」が始まります。ただし、まだサービスができていないので、顧客の反応を予想しながらどうやって案内するかを営業マン同士で疑似演習する「ロールプレイング(通称:ロープレ)」という手法を使います。
なぜ顧客に直接サービス案内をしないのかというと、顧客を通じて競合企業に新サービスの情報がバレてしまうのを防ぐためです。
いよいよ新サービスがリリースされ顧客に案内してみて、愕然とすることになります。「思ったほど顧客の反応がよくない」「いろいろな要望を言われてしまう」「想定している売り上げには到底行きそうもない」ということが、この段階になって初めてわかります。
サービスのポテンシャル、つまり、そのサービスがどれだけ顧客に受け入れられるかということがわからないまま、営業部に売り上げ目標を持ってもらっているので、営業部長からも「ダメだよ、やっぱりこんなに売り上げいかないわ」と相談が入ってきます。
また、既存商品とのカニバリゼーション、つまり既存商品の売り上げを新商品が侵食してしまうということもあり得ます。営業部には、既存商品と新商品それぞれの売り上げ目標を持ってもらっているので、新商品を売るからといって既存商品の売り上げ目標を下げるわけにはいきません。こわもての営業部長を前に「どっちも目標を達成してください!」と一歩も引かずにお願いできるという度胸も、優秀な企画マンには必要なスキルになります(笑)。
リーン・スタートアップを大企業向けに
ここまでが従来のビジネス開発プロセスの例です。私はリクルートで11年かけてこのプロセスをうまく進められるようになりました。計画したことをしっかりと遂行するということを企画職として行ってきたのです。
しかし、段々と「このやり方はどこかおかしいのではないか?」という違和感を持ち始めたのです。どれだけ精緻に計画を立てようとも、実際にリリースをしてみると、顧客の反応が予想と違うといったことや想定外のことが起こる。それらに目をつむってやりきってしまうのが従来のやり方です。それで本当に正しいのだろうか、という疑問が湧くようになりました。
また、顧客価値があると想定したこと以外にも考えなければならない機能が多すぎるので、開発工数は本当にやりたいと思っていたことの数倍に膨らみます。このような途方もない時間をかけて計画してから実行するようなやり方では、多くの無駄が生まれます。
なぜならば、実際にやってみなければわからない「未知のこと」が、プロジェクトの計画内に仮説としてたくさん盛り込まれているからです。また、大規模開発になればなるほどリリースまでに時間がかかるので、いくら精緻に計画しようともマーケット(顧客や競合)自体が変化してしまうからです。
ちょうどその頃に新規事業開発室に異動になり、出会ったのがリーン・スタートアップという考え方でした。これこそが、私がずっと違和感を持っていたやり方の答えになるのではないかという可能性を感じて、必死に勉強しました。
ただし、リーン・スタートアップはスタートアップ企業で使われるサービス開発手法なので、そのままのやり方では一神教マネジメントが主流の大企業では通用しません。そこで、大企業の中でも使えるように自分なりにカスタマイズしたのがリーン・マネジメントです。つまり「未知のこと」を扱うビジネス開発プロセスです。(次回に続く)
新規事業や事業変革を推進する上での障害となる「不幸な光景」「大企業あるある」を解決する、「目から鱗」のマネジメント手法の解説書。日本を代表する企業のマネジャーたちが絶賛する超実践講座を書籍化。驚きのセオリー&明日から使えるツールが満載。
【目次】
第1章 なぜ日本の大企業では「イノベーションの教科書」が役立たないのか?
第2章 リクルートエージェントの売り上げをどうやって1年で100億円アップさせたのか?
第3章 「未知のこと」を扱うリーン・マネジメント(概要編)
第4章 実験とは何か?
第5章 実践編1 驚きのセオリー
第6章 実践編2 明日から使えるツール
第7章 脱・平凡発想
第8章 現場で一歩踏み出すためのヒント