2023年のウォーレン・バフェット氏の来日や、一流企業の大株主に海外ファンドが名前を連ねるなど、これまでにないほど海外投資家から日本市場が注目されています。その背景を米国で40年余り、日米の両市場の投資家として活動してきたワイズマン廣田綾子氏がひもときます。著書『海外投資家はなぜ、日本に投資するのか(日経プレミアシリーズ)』から抜粋・再構成してお届けします。
日本市場が注目される四つの外部要因・構造要因
安倍政権下の成長戦略に端を発するガバナンス改革や、岸田政権下で資産運用立国の旗印の下で実行に移されたもろもろの施策は、長年、海外の機関投資家たちから等閑視されてきた日本株式市場の存在感を向上するための土台を作りました。ただ、海外投資家から日本が注目を集める直接的なトリガーとして機能したのはドメスティックな制度改正というより、グローバルレベルの情勢変化に起因する同時発生的な外部要因でした。ここでは「安全保障」「相対的な割安感」「非効率性」「インフレの再来」という四つの観点から、日本株式市場をめぐる状況変化について深掘りしていきます。
① 米中対立で地政学的に注目される日本市場
日本への注目度の高まりは、安全保障環境の変化を抜きにしては語れません。米中対立の激化により、中国を含む権威主義国家に向かっていた投資マネーの一部が、戦略変更に伴い、日本に流れ込もうとしているのです。
中国では2001年のWTO(世界貿易機関)加盟を境に経済成長が加速。中国共産党の改革派の主導による支配の下、さまざまなレベルでの経済改革や株式市場の整備が段階的に進められてきました。日本を含む先進国の有力機関投資家たちは潜在的な成長力への期待感から、中国株式市場での投資活動、あるいは公開市場を経由しない直接投資を拡大し続けてきました。
しかし習近平国家主席の体制下では、予想に反して政策方針が一変。領土問題をめぐって挑発的な行為も目立つようになり、隣国および西欧諸国との軋轢(あつれき)が生じました。
トランプ大統領の1期目の任期中には、ハイテク部門や素材部門における米中間の摩擦は貿易戦争の様相を呈し、露骨な覇権争いへとつながっていきました。24年11月の大統領選でカマラ・ハリス氏に勝利したトランプ氏は正式就任前から、過去類例を見ない規模の対中関税引き上げを実施する考えを示し、現実となっています。中国とのさまざまなレベルでのディールの過程で、米中関係の悪化がもはや後戻りできない分水嶺を通過してしまっていることは間違いないでしょう。
アメリカを含む民主主義国家陣営からの追加的制裁の可能性が否定できない中、特にアジア地域専門ファンドにとって中国に投資を続けることは、いっそう困難になっています。そこで、アジア各国の中で比較的流動性があり、政治状況も他国に比べれば比較的安定していて、しかも投資家の権利が制度上守られている日本が、資金の新たな向かい先として浮上するようになったのです。
② 日本企業の割安さ
安全保障環境の変化は、たしかに海外投資家たちの目を日本に向けさせましたが、それは消去法的な動機を提供したに過ぎません。機関投資家やファンドが日本企業に関心を示す積極的なモチベーションの源泉となっているのは、日本企業の極端な「割安さ」です。東証の市場改革要請では、株価純資産倍率(PBR)という指標に焦点が絞られました。これは倍率が1を下回ると理屈上、そのまま経営を続けるよりもいっそ企業を解散して資産を分け合った方が株主にとって得になるという、実にシビアな意味合いを持つ指標です。
東証による改革要請の発出前(2022年7月)の時点で、PBR1倍割れの企業はプライム市場全体の50%(922社)に上っていました。要請の効果もあって24年5月には43%(703社)に減少しているとはいっても、国内最高ランクの市場全体に占める、不名誉な烙印(らくいん)を押されている企業の割合としては依然として高水準です。
なぜ日本企業の株価がこれほど「安い」のか、理由は明白です。まず、企業としての利益率が低すぎるからです。株式市場を見渡しても、アメリカの「マグニフィセント7」といわれるような、高マージンで国際的な競争力を持った企業群は見当たりません。
世界の産業構造は、日本の企業がこれまで「お家芸」のように得意としてきた第二次産業の製造業主導から、第三次産業のサービス業主導に移行してきました。製造業においても、日本企業は品質至上主義が裏目に出た結果、価格差をつかれて韓国や中国企業の躍進を許してしまいました。特に商品サイクルが短いハイテク分野では、日本型企業の経営決定の遅さが痛手となりました。
過去の成功体験にあぐらをかき、新興勢力の台頭を許してしまった失敗の根底には、責任の所在が不明確で意思決定のスピード感に欠ける、合議制をベースとした経営体制の問題があると考えられます。急速に注目度を高めるAIの分野でさえ、グローバルで特出した日本企業は残念ながら一つも存在しません。
もちろん株価が単に安いことと、割安であることは全く別の話です。今安いからといって、将来必ず株価が上向くとは限りません。割安とは、株価が実際の企業価値を反映しきっていない、つまり過小評価されている状況を意味します。世界中の機関投資家が取り入れているバリュー投資の手法では、将来的な株価上昇につながる変化が起こりつつあるのかという観点で企業を精査します。バリュー投資はアナリストやファンドマネジャーにとっては、調査・分析にあたる腕の見せ所(どころ)となる、極めてやりがいのある分野とも言えます。
③ 収益源としての「非効率性」
日本がこれまで長年にわたり、激しさを増す国際市場間競争の場で存在感を示すことができなかったということは、海外投資家から見て、今となっては逆説的にこの国の資本市場が持つ魅力の一部として評価することができます。
というのも、プロの投資家たちは常に世界中の主要な市場の企業について調査し、投資機会の発掘にいそしんでいるわけですが、日本企業は長い間、有力証券会社のアナリスト集団からもほとんど無視され続けてきたため、彼らのカバー範囲から漏れている「お宝」企業が今も山ほど残されているからです。
プロの投資家はよく、非効率性という言葉を使います。
事務的な作業やビジネスなどで効率性と言えば普通、できるだけ短い時間に少ない労力でタスクをこなし、あるいは付加価値を生み出すことを意味します。効率を上げるほど収益も拡大していくというイメージが強いかと思います。ところが投資の世界ではその逆で、非効率性こそが収益の源泉とみなされることがあります。
たとえばアメリカの株式市場では、あらゆる企業の情報開示にアクセスできるインフラが構築され、その利便性もテクノロジーの進展とともに向上してきました。投資家どうしの公平性を担保する制度整備も進んでおり、基本的にどのプレイヤーにも投資機会が均等に振り分けられています。このように成熟した市場は、情報や投資機会が均質化され、「効率的」に市場が機能していると言えます。
効率化された市場は、市場に参加するハードルが低いので、一見、投資家にとってよいことばかりのように思えるかもしれません。ただし、誰でも同じ条件で参加できるということは裏を返せば、同一条件の下で多数のプレイヤーがしのぎを削り合うため、他者よりも収益を上げ、「出し抜く」ことの難易度が高いということでもあります。
一方、情報にアクセスするためのインフラが構築途上にある非効率的な市場では、有益な情報さえ手に入れば、ベンチマークを上回る超過収益(アルファ)を実現するチャンスが生まれます。非効率性は必ずしもエマージング(新興国)市場だけでなく、先進国において公開市場が存在しないニッチな分野にも見出すことができます。
誤解を恐れずに言えば、一見すると先進国に見える日本株式市場も、情報開示の精度や粒度は、アメリカなどに比べて未熟と言わざるをえません。調査に時間をかけて情報優位に立つことができれば高確率でアルファ実現が期待できる、エマージング市場のような要素も見られるのです。
と、ここでは投資家側から見た収益の源泉としての非効率性についてお話ししましたが、日本の企業は、ビジネス面としては効率性が著しく低い部分が残っています。終身雇用制度が硬直化しているだけでなく、本部の人材が多すぎて、本社が取るマージンが大きすぎるといった問題もあります。たとえば日本の企業では重役一人につき一人以上のアシスタント(秘書)が付いて、手取り足取り雑務をこなしてくれるという慣例があります。しかしこれは海外から見れば異常なことで、アメリカでは何人もの重役がたった一人のアシスタントを共有することが普通です。
④ デフレからインフレへ
こうした構造的要因に加え、あまり一般の投資家が馴染(なじ)みのない論点として、コロナ禍の副作用で世界中に広がったインフレの影響が挙げられます。
日本はバブル終焉(しゅうえん)後、ディスインフレやデフレに悩まされ続けてきました。インフレが日本に戻ってきた最初のきっかけは、コロナ禍の最中に世界中のサプライチェーンが分断されたことです。その後、日本では賃金の上昇を起因として、消費マインドの改善によるインフレへと移行しつつあります。
これは日本の名目GDPを見れば一目瞭然です。バブル終焉以降、ながらく横這(ば)い傾向が続いていましたが、ようやく2023年になって最高値を更新し、24年には初めて600兆円を超えました。
名目GDPは企業価値にとって非常に重要です。というのも、企業は名目の世界に住んでいるからです。デフレは企業の価格力をそぎ、最終的には業績の成長力をそいでしまいます。価格を上げられればその分、売り上げの業績は上向いていきます。たしかにハイパーインフレになると、最終的には金融資産にとってマイナスになりますが、幸い今のところ、円安も一段落し、日本にその兆候は見当たりません。
日本市場への投資をブームで終わらせないために
政治情勢の不安定化など不確実要素はあるものの、基本的な条件が変わらない限り、海外投資家から見た日本株式市場の魅力の高まりは、当面継続すると考えられます。セブン&アイ・ホールディングスの例のように、国内有力企業がある日突然、買収提案を受けるといったケースが今後、相次ぐことも予想されます(加えて、国内勢どうしでも足元で買収の動きが活発化していることも、各社の経営陣にとって無視できない重みを持っています。2024年内だけでもKDDIによるローソンへの株式公開買付(TOB)、キリンホールディングスによるファンケルの買収、ホンダと日産自動車による一時的な経営統合協議など注目の動向が相次ぎました)。
ただ、日本投資が一過性のブームで終わってしまう懸念は否めません。10年余りにわたる環境整備が実を結びつつあるこのタイミングで、国内株式市場の魅力度にさらなる磨きをかけるべきなのかもしれません。
私の経験から言えば、やはり日本の企業の経営者は、自国の機関投資家からの意見に一番耳を貸す傾向があります。ようやく始まった政策株売却の流れが中途半端で止まってしまうことのないよう、企業が一段のガバナンス改善に踏み出すため、日本の機関投資家がエンゲージメントを通じて強く主張してくれることを期待します。また、金融庁においても、日本企業の背を押すようなもう一段踏み込んだルール整備が待たれるところです。
海外投資家を含む多様なプレイヤーが安心して参加できる環境を作るためにも、やはりアメリカのエリサ法のように、受託者責任を法的に明確にして、レブロンルールのように、株主全員の利益を損ねかねない不透明要因を排除する厳格なルール作りを検討する必要があるのではないでしょうか。これまでのところ、各種プリンシプルの制定などの働きかけが、各社の経営陣の行動変容に一定程度、結び付いてきたことは事実です。しかしその成果を可能にした日本特有の「恥」の文化は、海外投資家から見れば得体(えたい)のしれないブラックボックスのようにみなされてしまう心配があります。
投資家の国籍や規模、その企業にとって馴染みがあるかどうかにかかわらず、全ての投資家が平等に収益獲得に機会を与えられるという信頼感とブランドを築き上げなければ、市場間競争が激しさを増す中で、長期的な視野を持った海外投資家を日本に惹(ひ)き付け続けることは難しいでしょう。逆に言えば、日本株式市場の伸びしろはまだまだ大きいとも評価できるのです。
ワイズマン廣田綾子(著)、日本経済新聞出版、1100円(税込み)、2025年5月10日発売



