個々の思考の質を高め、行動変容を導けるか。人的資本育成のカギはここにある。人生は意思決定の連続であり、その意思決定は自らに対する「問い」と「答え」の集積だ。人生のターニングポイントには必ずその人を変えた究極の「破壊的質問」があり、いかにそうした質問を考え、投げかけられるかが行動変容の成否を左右する。 『ビジネスコーチング大全』 の著者で、豊富なコーチング実績を持つ橋場剛・ビジネスコーチ(東京・千代田)副社長が解説。
「質問の質」が「思考の質」を高める
相手の思考の枠を外し、本人が考えてもみなかったような角度から投げかける、強烈なインパクトを与える質問を、私は「破壊的質問」と名づけ、長年「破壊的質問力を身に付ける」ことをテーマにした講座・セミナーを開催してきた。
「破壊的」という言葉は、この部分だけを切り取るとネガティブな印象を持たれるかもしれないが、米ハーバード・ビジネス・スクールの故クレイトン・クリステンセン教授の名著『イノベーションのジレンマ 技術革新が巨大企業を滅ぼすとき 増補改訂版』(玉田俊平太監修/伊豆原弓訳/翔泳社)、『イノベーションのDNA〔新版〕 破壊的イノベータの5つのスキル』(クレイトン・クリステンセンほか著/櫻井祐子訳/翔泳社)でも使われた「破壊的イノベーション」へのオマージュとして使わせていただいたのがきっかけだ。
あなたは今日も、朝起きたその瞬間から就寝するその間際まで、意識しているか否かにかかわらず、無数の「自問自答」を行っている。たとえ声には出さなかったとしても、心の中で「今日のランチは何にしようか?」「久しぶりにラーメンでも食べよう!」とか「今日の予定は何だっけ?」「あ、そうだ。商談が2件と、社内外の打ち合わせが5件予定されているんだった!」といったような「自問」と「自答」を1日中何度も何度も繰り返す。
働く人の多くが人生の大半を仕事のために費やしており、「充実した仕事をしたい」「幸せな生活を送りたい」と願っているが、結果的に「充実した仕事に取り組める人」と「そうでない人」とに分かれてしまう大きな要因の1つは「意思決定の質」の違いであり、その違いを生むのは、「思考の質」つまり「自身に対する質問の質」の差だ。
視座、視野、視点
例えば、競合他社との激しい競争を繰り広げている会社で働くあなたが、ライバル社に勝つために何か良いアイデアを思いつきたいと考えたとしよう。この場合、次の3つの質問のうち、あなたはいずれを「自身に対する問い」として選択するだろうか。
<質問の選択肢>
質問A「自社が競合他社より圧倒的に優れている点は何だろうか?」
質問B「中長期的な視点で考えると、どのような事業展開をすることが競合他社に対する優位性を確保することになるだろうか?」
質問C「あなたが競合他社の経営者の立場だとしたら、どのような戦略であなたの会社を打ち負かそうとするだろうか?」
A~Cのうちどれがあなたにとって「最も刺さる質問」であるかは、この問いが投げかけられた瞬間の、あなたが置かれている状況によってもむろん異なる。
しかしここでのポイントは、Aがごく普通の質問(=自社目線から考えた質問)であるのに対して、Bは「視野を広げる質問」であり、Cが「視座を高める質問」である点だ。Bは、「中長期的な視点で考えると」という部分があなたの「視野を広げる」ことを促し、Cは、「あなたが競合他社の経営者の立場だとしたら」という部分があなたの「視座を高める」ことを促す質問になっている。
では、「視座」「視野」「視点」とは何か。
まず「視座」とは、「誰の立場で見るか(どこから見るか)」を指す。例えば、企業の業績について、経営者の立場から見るのと、株主の立場から見るのと、顧客の立場から見るのとでは、異なる意味を持ってくる。
「視野」とは、「どこまで見るか」という範囲を指す。時間軸で言えば、1年以内の短期のみを見るのか、1~3年程度の中期で見るのか、3~10年といった長期で見るのかによって、今やるべきことが変わってくるかもしれない。
そして「視点」とは、「何を見るか」という対象を指す。「業績は良いか?」という質問に正確に答えるためには、業績の何を見るのかという「視点」を決める必要がある。売上、営業利益、経常利益、純利益といったように、業績1つとっても、どこに着目するかによって評価は変わってくる。
広い視野を持っていることを「魚の眼」を持つ、高い視座を持っていることを「鳥の眼」を持つと表現することもある。ちなみに「虫の眼」というのは、いわば顕微鏡のように対象物を高い解像度で観察すること、つまり対象物について抽象的な部分を具体的なものに分解し、詳細(ディテール)まで調査・分析する姿勢で観察することを指す。
「破壊的質問力」を身に付ける
多くの人は、1on1ミーティングやコーチングセッションにおいて、自分では考えてもみなかったような角度からの強烈なインパクトを与える質問を投げかけられたいと考えているものだ。この点、視座・視野・視点を「ずらす」ことを意識するだけで、他者に頼らずともそうした質問を自身の力のみで自在に繰り出すことが、ある程度可能になる。
個人を対象として実施されるパーソナルコーチングにおいては、その対象はあくまでも「個人」だが、ビジネスコーチングが対象とするのは、組織の中における「個人」や「チーム」だ。組織の中の個人やチームを対象とする以上、コーチングの対象はクライアント個人だけではない。クライアントを取り巻く「システム」そのものを間接的に相手にすることとなる。それを、ビジネスコーチングにおける「クライアントシステム」と呼ぶ。
クライアントシステムには例えば、社内外のステークホルダー(上司、同僚、部下、顧客、取引先等)、クライアントが在籍する組織の理念、パーパス、ビジョン、ミッションなどが含まれる。
ビジネスコーチングはクライアントの行動変容を支援するが、行動変容のその先には、クライアントの周囲にいる社内外のステークホルダーに対してポジティブな影響力(インパクト)を発揮していくという狙いがある。前述の「視座・視野・視点」における「視座」に、クライアントの周囲にいる社内外のステークホルダーを当てはめていくだけで、様々な立場から当該事象を冷静かつ客観的に検討することができる。
質問例1:業界の健全な発展という観点から考えた場合、どんなサービスがあれば、より顧客の満足度が高まるだろうか?
質問例2:あなたが社長だったら、今期に取り組むべき最優先テーマは何だろうか?
「いつ、いかなるときにおいても確実に相手に『刺さる』」ような絶対的な質問は、残念ながらこの世に存在しない。なぜなら、相手が置かれている状況や相手の価値観、相手の思考の在り方によって、1つの質問が相手に与えるインパクトがまったく異なるからだ。ある1つの破壊的質問がAさんに対しては大きな気づきをもたらしたとしても、Bさんに対しては何の気づきにもつながらない、といったこともある。
新しい価値の創造やイノベーションを起こすために不可欠なことは、物事への向き合い方を変えることであり、ステークホルダーの存在を意識した破壊的質問を自身や部下、クライアントに投げかけることは大いに役立つ。
次回は、「自律型人材を育成する仕組みをつくる」ことについて考える。
コーチングの理論と実践手法を総合的に解説。
結果を出す人の陰に名コーチあり。自ら考え、行動し、よりよい成果を出し続ける、サステナブルで自律型の人財をいかに育てるか。延べ10万人超、累計1万時間超のセッション実績を持つ第一人者による「コーチングの教科書」の決定版。
橋場剛(著) 日本経済新聞出版 2420円(税込み)