2014年の創業以来、一人で出版社「共和国」を運営してきた下平尾直(しもひらお・なおし)さん。「共和国編」最終回は、エッジの効いたブックデザインの背景、「人間の歴史の記憶装置」である本を作る意味、共和国のこれからについて聞きました。
あえて規格から外れる理由
前回 のお話では、共和国の本はすべて宗利(むねとし)淳一さんの装丁とのことでした。これまで出した本で、特に印象に残っている装丁はありますか。
たくさんありますが、この『ロシア構成主義 生活と造形の組織学』(河村彩著)は、カバーと帯が斜めにカットされています。宗利さんが、ロシア・アバンギャルド文化を扱った内容に合った装丁にしたいといって「何度の角度で紙をカットしてほしい」と細かく指定してきました。カバーと帯は外すと塔のようにも見えます。これは本の中で語られているウラジミール・タトリンというアーティストが設計した有名な革命記念塔へのオマージュかもしれません。

共和国の本の装丁は、宗利さんのデザインを受け入れる形なのか、下平尾さんのアイデアを形にしてもらうのか、どんなふうに進めるのですか。
どちらもありますね。こちらからイメージを伝える場合もあって、例えば「境界の文学」シリーズはその一例です。戦前にあった版画荘という出版社が刊行していた版画荘文庫を宗利さんに見せて、「この雰囲気でやってみたい」と伝えました。カバーがなく、角背で表紙のボール紙が薄いのが特徴です。

2024年に刊行した『第三風景宣言』(ジル・クレマン著/笠間直穂子訳)は、アンカット(ページが切り離されていない本)のままにして、読者にペーパーナイフで紙を切り離して読んでもらう形にしました。人間の管理や支配を離れた自然でこそ生物多様性が実現するというこの本の主題に合わせて、「本も管理されていない状態で読者に手渡したい」と考えたからです。これだけ高度に発達した現代の文化状況では、どんな産業のデザインでも完全にオリジナルなものなんてほとんどないですよね。今ではほとんど忘れられた装丁や製本技術であっても、それが内容に合っていれば、本作りに積極的に取り入れていきたいと思っています。

たしかに、共和国の本は一般的な四六判やA5判とは異なる判型が多いですね。
天地は四六判なのに左右はA5判とか、あるいは左右が四六判より数ミリ小さい本なんかが多いですね。ですが、古書、特に海外の本はもともとアンカットでしたし、判型もバラバラでした。そもそも昔は規格がなかったし、ISBNコードもなかったので、本作りの自由度が高かったんです。今で言えば、ZINEのほうが昔の本に近いわけです。
近年の単行本は、物流の都合や書店での扱いやすさを考えて、四六判やA5判が主流になり、サイズや仕様が規格化されていきました。だけど、流通や書店に迷惑がかからない程度で、そこに少し風穴を開けたいと思っています。規格通りだと面白くないし、それも一種の統制ですよね。流通を担ってくれているトランスビューには迷惑をかけてしまうこともありますが、その分はこちらもリスクも負うわけです。というのも、変判の本は流通用の段ボールにぴったりとは収まりにくく、大判だとどうしても送品コストが負担増になることが多いので。
でも、変判の本は書店の棚に並べたときに、大なり小なり他の出版社の本と差別化されて、零細出版社の本でも目立ちます。大手や中堅の出版社であれば、ひとり出版社にはできないけれども実現可能なことなんて無数にありますから、普通でいいなら普通の出版社が普通にやればいいですよね。共和国は一人でやっているし、トランスビューにお世話になっていることを最大限生かして、わずかでも自由度を上げたいし、「ダメ」と言われるまでは楽しんでやりたいと思っています。
規格から外れるのは、怖くありませんか?
個人的にいえば、規格に収まって、何の疑問も持たなくなることのほうが怖いです。規格といってもそれは出版業界だけの問題であって、読者には関係ないですよね。本にとって大切なのは読者がどう感じるかではないでしょうか。共和国の本は少し敷居が高そうに見られていますが、自分が出したい本を出しているだけなので、それは仕方がありません。売れるかどうか、規格に収まっているかどうかといった枠を自分で設定して、そこを限界にしてしまうのではなく、本なり書物なりの歴史も含めた全体の裾野を広げていきたいんですね。そうしないと、高い山は築けませんから。それに、第2次世界大戦中に出版業界が政府によってどのように統制され、骨抜きにされていったか。あるいは戦争という時流に飲み込まれていったか。それを少しでも調べると、やはり出版は多様でないといけないと、これは本当にそう思います。
共和国の本を読者に届けたい
ご自身の著書『版元番外地 〈共和国〉樹立篇』(コトニ社)の中で、「出版と本によって社会と本棚を占拠して、読者の意識にダイレクトに訴えかけたい」と書かれていました。この思いは、どの程度実現できていると感じていますか?
もちろん、まだまだです。今のところ、在庫が倉庫を占拠するばかりの状況なので、もっと読者に届けないといけません。出版社をやめること自体には何のちゅうちょもないのですが、これは“文化闘争”なので、売れないからとかマンネリ化したからといっても、ギリギリまで粘りたいですね。諦めたら終わりです。
ちょっと話は変わりますが、今日は、フランツ・カフカの『審判』(白水社)の古書を持ってきました。日本で初めて刊行されたカフカの単行本で、国会図書館にも所蔵されていません。刊行されたのは1940年で、太平洋戦争が始まる前年です。研究書によれば、当時は7〜8冊しか売れなかったそうで、そのうちの1冊を安部公房が買ったといわれています。安部公房はカフカから大きな影響を受けていましたから、この本は日本の戦後文学史にとって象徴的な存在なんですね。角川文庫は21世紀の今でも、この本と同じ本野亨一訳ですから、もちろん戦後に手が加えられているとしても、日本ではかなり親しまれてきた翻訳だと言えそうです。
当時の戦争に向かっていく空気の中で、白水社の編集者はこの『審判』を出版したわけです。すごいことだと思うし、尊敬します。出版物というのは、こうして物として残って、後の社会にも影響を与える可能性がある。そこが本の面白いところだと感じています。

日本では年間約7万タイトルの本が刊行されています。その中の1冊として共和国の本も世に出ていくわけですが、物として所有され読み継がれるためには、共和国の本を手に取る読者が一定数存在する必要がありますね。
そうですね。売れたものが勝ちだという価値観でいえば負けているかもしれないし、今後も楽観できる状況ではないと思います。でも、本は「人間の歴史の記憶装置」です。いまだに『源氏物語』が読まれているように、本は時代を超えて知恵や想像力を残すことができる。そう思うと出版はやりがいのある仕事だと思うし、そういう仕事を一人でやるのか大きな組織でやるのかは関係ありません。何を実現したいのかというモチベーションが大事だと感じます。先ほど触れた白水社の編集者だって、ナチス小説ばかりがもてはやされた時代の空気の中で、チェコに生まれたユダヤ系のカフカの小説を出版した。これは強い動機、あるいは作品への強固な信頼があったからこそ、できたことだと思います。

大学院の時に恩師から言われて、今でも覚えている言葉があります。「建前はどんどん好きに言っていい。でも、その中で本音を一つ言わないと、建前が本音として受け取られてしまう」と。いわゆる売れる本だって出せるものなら出したいですよ。会社を維持させるためには世の中に迎合することも必要でしょう。ただそのときに、自分が本当に出したい本を、世間に流されずに出す決断ができるかどうかが問われているんだと思います。
共和国の場合は、今のところ自分が出したい本を優先しています。なにかしらこだわりをもって出版していると読者の皆さんに見てもらえているのなら、やってきた意味があるのかもしれませんね。
それぞれに思いを持ったひとり出版社も増えていますよね。下平尾さんは『版元番外地 〈共和国〉樹立篇』の中で、誰でも簡単に自分の出版社が作れることを証明したいと書かれています。その世界観は少しずつ実現できていると感じます。
この連載に登場された皆さんも、『版元番外地』を出してくれたコトニ社の後藤亨真さんもそうですが、一人で出版社を立ち上げる人たちが多く出てきています。共和国を参考にしているかどうかはともかく、間接的にであっても役に立てているならうれしいですね。
ひとり出版社的な発想でいえば、近年はISBNのないZINEや同人誌が多く刊行されていて、それを受け入れる書店も増えています。僕はそれでいいと思うんです。出版社という看板やそれに付随するさまざまな規格や制度ありきではなく、自分で自由に本を作って、自分でそれを売るという楽しみが広がっていけば、出版も本ももっと長生きすると思います。本が売れないと言われ始めてから、なるべくリスクを取らず規格通りに作って、いわゆる“部数を持っている著者”に原稿依頼が集中するというのも、なんか息苦しいですよね。でも、ZINEや同人誌の盛り上がりによって滞留した空気に開放感が出てきている感じがします。ただ、逆にZINEでデビューして大手中堅の出版社から本を出すことがステータスみたいになっているようで、それがいいのかどうかは保留ですね。
共和国としては、これからどんなことをしていきたいですか?
やっぱり出版というものの可能性…というほどでもないのですが、出版や本で何ができるのかをもう少し試してみたいですね。共和国という看板にこだわりはないのですが、本という存在にはまだまだ魅力があると思っているので、ゲリラ戦になってでも、自分が死ぬまで試行錯誤を続けたいです。
取材・文/石川歩 構成/桜井保幸(日経BOOKプラス編集) 写真/木村輝