美術分野の作家として生計を立てようとしていた佐々木良さんは、新型コロナウイルス禍で仕事を失い、収入ゼロの状態から、政府の特別定額給付金10万円を元手に、ひとり出版社「万葉社」を立ち上げました。2022年から刊行している「若者言葉の万葉集」は、累計27万部のロングセラーを記録。「万葉社編」第1回は、一人で出版社を立ち上げ、大ヒットを生み出すまでの経緯を聞きます。

コロナ給付金10万円で出版社を設立

佐々木さんが、万葉社を立ち上げるまでの経緯を教えてください。

 小学生の頃から描いていた油絵を勉強したくて、京都の美術大学に進みました。卒業後は美術に関わる仕事をするために福武財団に入り、ベネッセアートサイト直島(株式会社ベネッセホールディングスと公益財団法人福武財団が瀬戸内海の離島で展開する現代アート活動)に携わります。その後、豊島(てしま)美術館の立ち上げメンバーになりました。

 もともと豊島は、産業廃棄物の不法投棄によって「ゴミの島」と呼ばれていたんです。住民は香川県に対して長く抗議を続けて、公害調停を成立させました。僕は豊島で働くうちに、廃棄物の撤去や土壌処理の歴史と、島の自然を壊さずに新しい価値を生み出そうとする豊島美術館の両方の過程を、記録として残したいと思うようになったんです。

 ただ、福武財団の職員という立場では、美術館側に寄った内容が求められます。それで退職後、第三者として両方の視点を行き来しながら書いたのが、2018年に刊行した『美術館ができるまで なぜ今、豊島なのか?』(啓文社書房)です。実は、27歳まで本を読む習慣はほとんどありませんでした。でも、豊島のことを伝えたいという思いが強く、関連書籍を集中的に読み込んで書いた一冊です。

佐々木良さん。これまで手がけた本を前に。万葉社を立ち上げる前は美術館の学芸員として働いていた
佐々木良さん。これまで手がけた本を前に。万葉社を立ち上げる前は美術館の学芸員として働いていた

出版後の反響はいかがでしたか?

 当時、環境大臣を務めていた小泉進次郎さんから電話をいただきました。父親の小泉純一郎さんが総理大臣だったときに豊島を視察していて、産業廃棄物の撤去に関わった経緯もあって、豊島の問題をよく知っていたそうです。その後、2021年6月に瀬戸内海環境保全特別措置法の改正法が成立・公布されました。小泉純一郎さんの世代が関わってきた出来事を、次の世代である進次郎さんや僕が本を通じて話している。本というのは社会への影響力が大きいと実感し、他にも表現したいことを形にするために本をつくりたいと思うようになりました。

当初は出版社を立ち上げるのではなく、作家として活動していく予定だったのですね。

 デビュー作の『美術館ができるまで なぜ今、豊島なのか?』が良い売れ行きで、同じ出版社の2作目『令和は瀬戸内から始まる』を刊行しました。3冊目はフランス絵画、4冊目はオリンピックに関連してギリシャをテーマにした執筆も決まっていたんです。でも、原稿をほぼ書き終えたタイミングで新型コロナウイルス禍がやってきて、海外に行けなくなったうえに、オリンピックも延期となり、出版計画は白紙になってしまいました。

 それまでも美術館レポートや飲食店のロゴ制作などを手がけていたので、学芸員を辞めて、美術に関わる書き手として生計を立てようとしていたタイミングでした。結果的に、コロナ禍の真っ最中に仕事も収入もない状態となってしまいました。

そこで万葉社を立ち上げたのですか?

 2020年に政府の特別定額給付金として支給された10万円を元手に、万葉社を立ち上げました。発想のベースになったのは、『猿かに合戦』の理論です。おにぎりは食べればなくなるけれど、柿の種を植えればいつか多くの実を結ぶ。支給された10万円は、おいしいものを食べて終わりにするのではなく、将来の富を生む種に変えたかったんです。

 もともと豊島美術館で働き、初めての著作も豊島に関するものということで、香川県との縁を感じていました。香川県に出版社をつくることで、地域の歴史を掘り下げた本を生み出せるかもしれないし、いつか人を雇うような規模に育てば、地域全体の活性化につながると考えました。家賃4000円の物件を事務所にして、給付金の範囲内で机と椅子を買い、ひとり出版社を始めました。

給付金の使い方としては、ユニークですね。

 なぜ政府が10万円を配ったのか考えると、コロナ禍が収束したあとに、経済活動を通じて最終的に国に還元されることを見据えていたのではないかと思ったんです。この10万円の本質は、納税にあるのではないかと。

 それに、コロナ禍では多くの人が立ち止まらざるを得ない状況でした。そんな中で、自分だけ先に起き上がっても意味がないと感じたんです。もしコロナ禍を乗り越えて金銭的に豊かになるのなら、自分だけでなく、みんなでそうなりたい。だから万葉社は、売り上げを目標にするのではなく「納税1億円」を目指すことにしました。納税によって困っている人の支えになればいいし、万葉社の本が売れることで経済が回って、文化が育っていけばいいと考えました。

抜け駆けみたいに一人で利益を追うよりも、みんなで前に進もうという意識が強かったのですね。

 小学校4年生のときに大阪に住んでいて、阪神・淡路大震災を経験しました。大阪ならではの人情もあると思いますが、あの頃は「全員でがんばろうぜ!」という空気があったんです。あの環境で育ったことが、今の「みんなでやる」という感覚につながっているのかなと思います。

 創業当初は「会社をつくるための10万円ではない」とネットで批判されましたが、活動を続けて成果を出していくうちに、万葉社の本を買うことが地域への還元につながると受け止めてもらえるようになって、地域の皆さんが応援してくれるようになりました。

「万葉社」を名乗るのなら、「万葉集」を作りたい

「万葉社」の名前の由来を教えてください。

 令和らしい会社名にしたいと考えていたときに、元号の「令和」が『万葉集』に由来していることを知って、「万葉社」にしました。当時は万葉集に詳しかったわけではないけれど、万葉社と名乗る以上、現代語の万葉集を作らなければいけないと思い、1冊目に『 令和万葉集 』を刊行しました。

最初に刊行した『令和万葉集』(佐々木良著、万葉社)/画像クリックでAmazonページへ
最初に刊行した『令和万葉集』(佐々木良著、万葉社)/画像クリックでAmazonページへ

それまで読書を習慣にしていなかった佐々木さんが、急に万葉集の本をつくるのは難しくなかったですか?

 万葉集自体は、難しいものではありません。基本は五・七・五・七・七の和歌で、花の美しさを詠むような素朴な内容が多い。もちろん、深く読み込もうと思えば解釈は広がりますが、長編小説のように読み解くハードルが高いものではないと思います。ただ、本として刊行する以上は中途半端なことはできないので、かなり勉強しました。

 造本にもこだわっていて、カバーはトレーシングペーパーに金の箔押しをしました。本文は和紙を使って、原文を掲載するカラーページはなめらかな和紙の表側、解説ページは裏側のざらざらした面と使い分け、ページをめくるときの手触りにも変化をつけました。

造本や用紙にもこだわった『令和万葉集』
造本や用紙にもこだわった『令和万葉集』

 文字は、SNSで出会った方にお願いしました。理想の筆致をInstagramで見つけて連絡したら、都心で店を営むいわゆる“銀座のママ”でした。ちょうどコロナ禍で街から人がいなくなった時期だったので、書の依頼を引き受けてくださったんです。もともとは楷書が得意な方でしたが、『令和万葉集』にふさわしい理想のくずし字を相談しながら、一字ずつ書いていただきました。

 Amazonで販売したら、ネットを中心に話題になり、初版の2000部が完売しました。その後1000部を重版しましたが、造本にコストをかけた一方で本体価格を1500円に設定したので採算が合わなくなり、二刷で絶版にしました。

実際に手に取ると、造本のこだわりが伝わってきます。価格を1500円に設定した理由を教えてください。

 この本を5000円で販売しても、手に取ってもらえないだろうという感覚がありました。それに『令和万葉集』は万葉社のデビュー作なので、自己紹介の一冊にしたかったんです。会社案内を兼ねて、万葉社の刊行姿勢を伝える本として位置づけていました。この本をきっかけに万葉社に興味を持ってもらって、原稿を書いてほしいとか、デザインを頼みたいといった仕事につながればいい。

 すべて売れても赤字になる価格設定でしたが、広告費の感覚で1500円に設定しました。実際に反響もありましたし、『令和万葉集』と同じ2021年に刊行した『令和古事記』も、初版2000部がすぐに完売しました。

2022年に、『愛するよりも愛されたい』を刊行されました。同じ万葉集がテーマですが雰囲気が大きく変わって、シリーズ累計27万部を超える大ヒットになりましたね。

ベストセラーになった『愛するよりも愛されたい』(佐々木良著、万葉社)/画像クリックでAmazonページへ
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 最初は万葉集から離れて、フランス絵画について書こうと考えていました。ただ、周りの人たちから「万葉集っておもしろい」と言ってもらえることが多く、それならば、もっと肩の力を抜いて、軽いノリの遊び心ある万葉集の本をつくってみようと思ったんです。

 ちょうど僕が結婚することになったので、結婚式の引き出物としても配ることを見越して、500部制作したのが『愛するよりも愛されたい』です。自分にとっても息抜きの気分でつくった一冊だったし、身近な人たちに楽しんでもらえる本になればいいと思っていました。まさか、27万部も売れるなんて想像もしていませんでした。

取材・文/石川歩 構成/桜井保幸(日経BOOKプラス) 写真/木村輝