栃木県内で3つのゴルフ場を経営する鹿沼グループ(栃木県鹿沼市)。福島範治社長が、その苦難と再生の道のりを著した新刊書籍『負債1400億円を背負った男の逆転人生』を基に、特につらかった出来事を赤裸々に記す短期集中連載。企業再生の要点、後継者としての心の持ち方、古参幹部との接し方などを学ぶ。その第5回(最終回)。
民事再生の準備を始めてから1年、2004年12月、ようやく東京地裁から認可確定が下った。ただそれは、一度でも弁済が滞れば破産に移行する中で、再生計画を確実に履行していくという、厳しい日々の始まりでもあった。
倒産するというのは恥ずかしいことなのだろうか。法律の傘の下、公正な再生手続きを踏んでも、永遠に下を向いて生きていかなくてはならないのか。倒産企業というレッテルを覆し、再生企業として生まれ変わる。再生という言葉を確かなものにしたかった。
ゴルフ場では土日の営業体制を見直し、来場者数を減らした。当然、一時的には売り上げも落ちた。しかし、詰め込めるだけ詰め込んでいた従来のやり方を改めるという会員との約束は絶対だ。会社を立て直すには、高品質なものを適正価格で提供することが肝要だ。
わずかばかりの手元資金は設備投資に回した。ボロボロだった鹿沼カントリー倶楽部のレストランは、大改修を経て見違えるようなきれいなレストランになった。手押しカートから乗用カートへの移行も段階的に進めた。会員であることの魅力を高めるため、メンバー用のポイントカードを発行し、スタンプラリーやメンバー感謝デーなどのサービスも始めた。
各コースの所属長とともに中期経営計画も策定した。中期ビジョンは「また来たいと思ってもらえるゴルフ場にしよう」とし、「今日のお客様に感謝し、お客様の期待を超えて喜んでいただこう。そして従業員満足を実現させ、やりがいを創造しよう。会員・社員・地域が胸を張れるゴルフ場にしよう」という目標を掲げた。
再生手続きが終結
途中、紆余曲折がありながらも07年12月、再生手続の終結決定を受けた。裁判所の監督下から離れるという新たなスタートに際して何か記憶に残ることがしたかった。社員アンケートでも声が上がっていた社員旅行をすることにした。「再生会社が旅行?」と批判を受けることも覚悟したが、全社員が一丸となって再建に取り組んでくれたことへの労に報いたかった。
約半年かけて「全社謝恩研修会」の準備を進めた。東京ディズニーランドからほど近いホテルで研修会と謝恩会を実施し、翌日は社員にディズニーランドで自由に楽しんでもらうプランを立てた。
当日は早朝からバスを8台チャーターし、各ゴルフ場からホテルへ移動した。私は来賓宛ての挨拶状に「業界環境も厳しく、楽観を許すものではなく新たな出発点にすぎません」と記したものの、内心は、どこか到達点にいるような気持ちだった。
そんな私の心を見透かしたように、その後もさまざまな事件が起きる。よかれと思って社内研修などを矢継ぎ早に導入したことがきっかけだったのだろう、忙しさに反発した社員から匿名の抗議文を受け取ったこともあった。
東日本大震災もあった。集中豪雨でコースの一部が崩落し、営業ができない日々もあった。そして最もつらかったのは、別会社で運営する富士御殿場ゴルフ倶楽部が民事再生を申し立て、グループから離れてしまったことだ。
いろいろな苦難を経験しながらも私たちは懸命に生き抜いた。そして、会員の皆様に心から喜んでもらえるゴルフ場に一歩ずつ近づいていったと思う。
精神力の再生について
こうした私の体験談を話すと「精神的に追い詰められたときに、なぜ逃げ出さなかったのですか」と質問をされることがある。考えても答えが出せない。逃げ出そうとしても逃げ出す勇気がなかったのかもしれないし、単に鈍感なだけだったのかもしれない。
「福島さんは強いですね」と言われたこともある。「強い」という響きはとてもうれしく、この言葉に力を得た。しかし、最初から強かったわけではない。瞬間、瞬間をひたすら乗り越えていった結果、今があるというだけだ。
最初に逃げ出そうと思ったのは、資金繰りに行き詰まったときだった。旧第一勧業銀行を退職し、気合いを入れて入社したにもかかわらず、給与が遅配し銀行への金利すら払えない状況で、どうにもならないと感じた。とんでもない会社に入社してしまったと嘆き、日本経済新聞日曜版の転職欄を見つめた。「銀行出身・35歳以下」といった言葉があると心が揺れた。
新聞を手に持ったままでため息をつき、少し悩んだ後に車でゴルフ場へ向かう。週末のゴルフ場は戦場のように忙しい。支配人や幹部をつかまえては、集客動向やゴルフ場の状況を聞く。経理伝票を見て、気になるものがあれば内訳を聞き、対策を考える。トラブルの話も次々降ってくる。「○○さんが辞めるらしい」「預託金のクレームが多い」──。
結局、身の振り方を考えて悩む暇、動く暇がなかったということなのかもしれない。人は暇だから悩むのだ。精神的に追い詰められるのは、1人でふさぎ込んで悩み続けるからだ。この頃の私は仕事で動き続けていた。365日、毎日毎日、動いていた。休むことなど考えてもいなかった。逃げ出そうとする暇はほぼなかった。
支えになった読書習慣
精神的な支えになったものを挙げるとすれば読書だろう。もともと漫画しか読まないような生活だったが、追い込まれていろいろな本を読むようになった。1000冊以上は読んだと思う。東京から鹿沼へ東武日光線で通う快速電車の中は、私にとって大切な読書空間でもあった。
松下幸之助さんや稲盛和夫さんなどの経営者が書いた本も読んだし、人員削減の方法というような刺激的なノウハウ本も読んだ。『ビジョナリー・カンパニー』など、話題になった戦略本も読みあさった。本からノウハウを得ることも多かったが、それ以上に勇気を得ることができたのが大きかった。
特に歴史本には励まされた。母は読書家でよく本を読んでいた。その母からもらった1冊が、童門冬二氏の『小説 上杉鷹山』である。米沢藩を立て直した鷹山公を尊敬し、目標にした。
米沢には何度も墓参りに行った。鷹山公の有名な言葉「なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」の展示がある米沢市上杉博物館に立ち寄り、自らを励ました。本から得られた学びは数えきれない。本はあまりお金をかけずに学ぶことができる、最も有益な手段だ。

危機への備えが自信に
民事再生法を申し立てる頃には、もう腹が据わっていた。乾坤一擲の勝負でもあったが、希望の光というか、かすかな自信があったのも事実だ。申請後、さまざまな局面で予想もしないことが起きたが、逃げ出そうという気持ちはみじんもなかった。
その自信は先手を打って準備をするということから生まれたと思う。当時、私は危機管理リストを作って有事に備えていた。訪れるかもしれない危機に対しては、事前に準備をすることが大切だ。
これは経営戦略全般にも通じる。例えば日本は人口が減少し、ゴルフ業界はゴルファー人口の減少という構造的課題を抱えている。この確実に訪れる未来と危機に向けて、準備を進めるべきだ。35歳以下の会費を引き下げる「U35会員制度」を導入したのも、そうした未来への備えである。
民事再生の過程では、最後まで諦めないという気持ちを持ち続けていた。諦めないことは大切だと思う。諦めた瞬間にゲームオーバーになる。諦めずに右往左往する。あがく。探索し続ける。経営者が諦めないからこそ、周りも動いてくれる。諦めないという経営者の粘りこそが周囲を動かすのだ。
加えて、経営者として大切にしてきたことは「明るさ」だ。明るさとは何か。それは希望を持っていることだ。経営にはポジティブな場面もあれば、ネガティブな場面もある。常にポジティブでありたいが、そうはいかないこともある。それでも希望を持って明るくしていたい。大きな声で笑っていたい。悔しくて泣きたいときもあるが、涙を見せずにスタッフの前ではいつも笑っていたい。
私から毎月、社員に向けて発行している「マンスリーメッセージ」は開始から20年が経過し、通算230号を超えた。どんなときでも、ここには常に明るいメッセージを書くようにしている。
経営者の明るさから希望が生まれ、その希望がスタッフに伝播する。「何とかなるのではないか」という根拠のないポジティブさが組織に生まれる。そして、希望を持って動いてくれる一人ひとりのスタッフから、経営者自身も希望がもらえるのだ。ある社員に「社長は何かやってくれると思う」と言われたことがあった。その言葉に私が希望を与えられた。
不動心は与えられるもの
信じてほしい。必ずや経営者自身、リーダー自身にその希望は返ってくる。自分から明るくあってほしい。明るさは希望を生み出し、人を巻き込む一歩となるから。
振り返ると、銀行から転職して、あっという間の27年だった。繰り返すが、自分自身に最初から強さや不動心のようなものがあったわけではない。七転び八起きだった父と母を見てきた影響もあるかもしれないが、何度も訪れる危機によって心が鍛えられたと思う。
何事にも動じないということはないし、100年に1度の危機が続けば、さすがに動揺はする。人間だから当たり前だ。
しかし、そこからが勝負。明るく希望を持って、諦めずに行動する。その繰り返しが強い心につながっていくのではないかと考えている。逆説的になってしまうが、不動心は得るものではなく、与えられるものだと思う。
私はもともとリーダー気質の人間ではなかった。高校でラグビー部の主将を務めたときには本当に悩んだ。主将のキャラクターではなく、よく食べ、よく笑い、仲間からも笑われるタイプだったのに、突然、主将に任命されたから最初は拒んだ。練習に遅れてきた同期を叱らないといけないが、言葉が出てこなかった。孤独感に襲われ、笑ってばかりいた自分が、しばらくふさぎ込んでしまった。
経営者になった当初も、決断できないリーダーだった。しかし、悩んでも前を向いて歩いた。失敗しても決断を続けた。そして、明るさを持ち続けていたら、社員から希望を与えられるようになった。少しずつ成果が出て、自信が生まれ、強くなった。
強くなりたいと思ったわけではないが、与えられた苦難から逃げなかったら、結果的に多少強くなることができた。あのとき主将を引き受けてよかった、多額の負債を抱えた鹿沼グループの経営者になってよかったと、今は思える。
鹿沼グループはこれからも「また来たいと思ってもらえる次のゴルフ場を創り出す」というビジョンに向けて歩み続けていく。経営には、終了の笛が吹かれることはない。いつまでも続くだろう。そして、いつの日か生まれ変わっても経営者として生きていきたいと思う。それだけ経営者とは魅力的な仕事なのだ。

[日経ビジネス電子版 2025年8月21日付の記事を転載/「日経トップリーダー」2025年8月号の記事を基に構成]
福島範治著/日経BP/1870円(税込み)

