栃木県内で3つのゴルフ場を経営する鹿沼グループ(栃木県鹿沼市)。福島範治社長が、その苦難と再生の道のりを著した新刊書籍『負債1400億円を背負った男の逆転人生』を基に、特につらかった出来事を赤裸々に記す短期集中連載。企業再生の要点、後継者としての心の持ち方、古参幹部との接し方などを学ぶ。その第4回。

 民事再生申し立てから1週間後、債権者集会を開いた。債権者でもあるゴルフ会員の数がとても多いため、東京と栃木の2カ所で各2部制とし、計4回実施した。2カ所とも1000人以上収容できる大きな会場を予約していた。

 ゴルフ場や本社から人員を集め、受付から誘導係、駐車場係、会場整理、マイク対応まで約30人に役割分担を指示した。初日の東京会場には開催2時間前にスタッフが集まった。営業部の女性社員にも参加してもらった。顔なじみの会員と会場で顔を合わせることもあり、つらかったと思う。

 冒頭、私がおわびの挨拶をした。「自己破産や外部資本の導入を回避しつつ、会員の皆様のプレー権を確保するためには、民事再生法に基づく自主再建が最善との判断に至りました。ご迷惑、ご心配をおかけして本当に申し訳ございません」。深く頭を下げた。

債権者から2時間追及

 すると遠くから「おまえみたいな若い奴がやっているからこうなったんだ!」という罵声が聞こえてきた。何を言われても、頭を下げ続けるしかない。

 事前に弁護士の先生たちからは「何があっても我慢するように」と教えられていた。悪いのは当社だ。許してもらえるとは思っていない。ただ、民事再生に協力してもらいたいという一心だった。

 続いて弁護士が申し立てに至った経緯や再生手続きの方針などを説明した後、質疑応答となった。この質疑応答が紛糾した。

 「経営内容が不透明だ」「こんな大迷惑をかけておいて現在の経営陣が残るのは手ぬるい」「預託金はどうなった」など、怒号混じりの質問、追及を浴びた。

 途中で、「おい、弁護士だけでなく副社長も何か言え」と債権者から言われた。立ち上がり、再び深く頭を下げておわびした。私にはそれしかできなかった。

 銀行を辞めてから5年以上、会社の立て直しに挑んできたが壇上では何もできない。債権者や会員の顔と罵声が、映画の場面のようにゆっくりと流れて見えた。

 債権者集会は予定を大幅に超過し、2時間ほど続いた。翌日、地元紙の下野新聞で「『詐欺だ』 会員ら怒り噴出」という見出しとともに大きく報じられた。債権者集会の壇上でおわびするという経験は、もう二度としたくないと強く思った。だがこの15年後、私は再び壇上で頭を下げることになる。

 その後、裁判所から選任された監督委員(弁護士)に提出する資料の一覧表が届いた。途方に暮れるという表現がふさわしいほどの資料数だった。これを1カ月以内に作成しなければならない。考えただけでもぞっとした。

「途中で逃げないよね?」

 もともと予定していた2人のメンバーと私だけでは無理だと思い、もう1人、再生推進室に呼ぶことにした。総務経理部門にいた課長の近藤さんだ。能力はあるがどこか冷めた感じで、私は初対面のときから非協力的な雰囲気を感じていた。しかし、当社側の会計士と連携し、経理資料を正確に作成し、監督委員に期限までに提出するというミッションをクリアするには彼が必要だった。

東京・神田に再生推進室を構えた。ここで弁護士・会計士チームと連日のようにミーティングをした。左が筆者(写真=鹿沼グループ提供)
東京・神田に再生推進室を構えた。ここで弁護士・会計士チームと連日のようにミーティングをした。左が筆者(写真=鹿沼グループ提供)

 早速、近藤さんに「再生推進室に来てほしい」と依頼した。すると翌日、彼が働いている東京事務所横の喫茶店に呼び出された。煮詰まったコーヒーを飲みながら、近藤さんは「ねえ、副社長さ、本気だよね?」と聞いてきた。

 「どういうことですか」と聞き返すと、彼は「途中で逃げないよね?」と続けた。もちろんだと答えると「俺、副社長が本気ならやるよ」と言ってくれた。いつも冷めた様子の彼から聞いた最も熱い言葉だった。

 翌日、近藤さんはパソコンを持って再生推進室に来てくれた。近藤さんから「もう1人欲しい。長谷山を呼んでいい?」と言われた。現場の経理担当だった若手社員だ。こうして監督委員に提出する膨大な資料作成が始まった。

 民事再生手続きでは、最終的な判断を下すのは債権者である会員一人ひとりだ。債権届出書を提出したすべての会員に再生計画案を送り、賛成か反対かを投票してもらう。届出債権者数の半数以上、かつ議決権総額(届出債権総額)の半額以上の賛成を得られなくては民事再生手続きの認可は下りない。その時点で破産手続きに移行せざるを得なくなる。

 ゆえに、再生計画案は選挙のマニフェストのようなものだ。どのような再生計画案にするのか、皆で議論を重ねた。自主再生の道を選んだので、スポンサーからの多額の資金ではなく、自分たちの収益から弁済することになる。当時は民事再生法の自主再生例は少なかった。どうすれば会員に納得してもらえるかを一番の念頭に置きつつ策定を進めた。

 会員に対してどれくらいの預託金を残すべきか。いくら残れば賛成してもらえるか。退会する会員には何%分を弁済し、会員として残ってくれた人の預託金弁済は、どのように継続していくのか。細部まで検討した。

 これまでの経営改革を通じ無駄なお金は極力削り、ぞうきんを絞り切ったと思っていたが、さらなる経費削減に加えて、ゴルフ場を持続的に改善していくための設備投資も必要だ。具体的な収支計画案は、私自身が何度もシミュレーションしながら策定した。

 これは自分自身が経営者として、経営を通じて生み出さなければならない収益でもある。弁護士からも「副社長が『これならできる』という収支計画にしないといけない」と発破をかけられた。プレッシャーを感じつつ、いつにも増して懸命に取り組んだ。

再生推進室のメンバー、弁護士・会計士チームで撮った社員。中列右から2人目が筆者(写真=鹿沼グループ提供)
再生推進室のメンバー、弁護士・会計士チームで撮った社員。中列右から2人目が筆者(写真=鹿沼グループ提供)

会員のためのゴルフ場へ

 収支計画案や弁済計画案の策定とともに、重視したことの1つが会員への約束、つまりこれからのゴルフ場経営に対する方針だった。私たちは自主再生の道を選んだ。それは過去の運営体制との決別を意味する。これまでの経営方針に対する会員からの不満が高かったこともあり、ここはしっかりと明記することになった。

 再生計画案の冒頭3ページに再生計画の概要と基本方針を記した。概要には再生手続き開始の申し立てに至るまでの流れを記載し、基本方針に会員重視の姿勢を示した。そして「会員のためのゴルフ場」を目指し、再生に向けた5つの経営方針を具体的に決めた。

1、透明性の確保
2、会員主体のクラブ運営(土日入場者数の制限、予約方法の改善、価格体系の見直しを実施)
3、サービスレベルの向上
4、経営の合理化
5、会員権価格の引き上げ

 以上の施策により、企業価値を高めて会員権の価値向上を目指すとした。肝は、2つ目に掲げたクラブ運営に関する方針転換である。入場者数確保を最大の目的にしていた従来の運営体制を変えると決断した。私の心には、以前にゴルフ場の支配人から聞かされた話が強く残っていた。

 「副社長、今までで一番つらかったのはお客様に恫喝(どうかつ)されたことです。入場者を詰め込み過ぎた結果、日没になり最後までプレーできないお客様を軽トラックで迎えに行ったとき、『テメー、ふざけるんじゃねえぞ』と胸ぐらをつかまれて怒鳴られました。

 お客様に喜んでもらうためにこの仕事をしているのに、何でこんなに怒られなくてはならないのかと悲しくなって、思わず泣いてしまったことがあったんです。いつの日か、社員にそんなことをさせない会社に変えてください」

 支配人の切実な言葉を聞いたそのときから、いつの日かきっと運営体制を変えると誓った。民事再生手続きによって、そのチャンスが巡ってきたともいえる。

福島範治(ふくしま・のりはる)
福島範治(ふくしま・のりはる)
1970年東京都生まれ。93年青山学院大学経営学部卒業後、第一勧業銀行(現みずほ銀行)入行。98年、父親が社長を務める鹿沼カントリー倶楽部に入社。経営企画室課長を経て、99年代表取締役副社長。足利銀行の一時国有化を受け、2004年民事再生法の適用を申請。代表取締役を退任し、執行役員副社長に。スポンサーを入れずに自力再生を成し遂げ、08年代表取締役社長に就任。鹿沼グループ代表として栃木県内で3つのゴルフ場を運営する(写真=鹿沼グループ提供)

日経ビジネス電子版 2025年6月3日付の記事を転載/「日経トップリーダー」2025年6月号の記事を基に構成]

ゴルフ漫画の金字塔「風の大地」の舞台で起きた胸熱企業ドラマ! 債権者4万人以上。栃木県最大の負債額1400億円を抱えて経営破綻した鹿沼グループは、老舗ゴルフ場の鹿沼カントリー倶楽部などを経営するほか、「栃木新聞社」の経営にも乗り出し、バブルとともに隆盛を極めた企業集団だった。メインバンクの足利銀行が連れてきた非嫡出子の元銀行マンの後継者は組織力・財務力・事業力・精神力をどう再生したのか。

福島範治著/日経BP/1870円(税込み)