研究論文 → 報告書 → サマリー → マスコミ報道という「伝言ゲーム」によって、科学が次第に科学でなくなっていく。これは、広い意味で科学コミュニケーションの問題です――。「温暖化の人間活動主因説」に異議を唱える書籍『 気候変動の真実 科学は何を語り、何を語っていないか? 』(日経BP)。「『気候変動の真実』私はこう読む」1回目は、科学と社会の関わりを考察してきた科学哲学者の小林傳司(ただし)さんです。

3つの問い

 最初、書名だけ見て、「トランプ(前大統領)の片棒を担ぐ陰謀論なのかな」と思いました。でも、まったく違いました(笑)。本書は、気候変動について、科学者としての立場から冷静に評価したものです。斜め読みできるような本ではないので、メモを取りながら、じっくりと読み込みました。私が以前から思っていたことも書いてありましたが、説得されました。翻訳も素晴らしいので、多くの人に読んでいただきたいと思います。

 本書の問いは3つあります。

 (1)人間は気候にどんな影響を及ぼしたか、その影響は今後どう変化するか?
 (2)人間(や自然)からの影響に、気候はどう反応するか?
 (3)気候の反応は生態系や社会にどんな影響を及ぼすか?

付箋がたくさん貼られた『気候変動の真実』
付箋がたくさん貼られた『気候変動の真実』
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 著者のスティーブン・E・クーニンは、これらの問いの答えは、「はっきりしていないし(本書の原題は『Unsettled』)、これからもはっきりしないだろう」と述べています。クーニンは温暖化が起きていることと、人間活動が一因になっていることを認めますが、気候変動の仕組みの解明には高度な分析が必要だ、と言います。とりわけIPCC(国連の気候変動に関する政府間パネル)の温暖化予測のモデルには「判断」(ジャッジメント)や「調整」(アジャストメント)が入っており、「捏造(ねつぞう)とはこのことだ」(本書128ページ)と語ります。

 本書は全体として冷静なトーンで話が展開していきますが、この部分だけは刺激的な物言いとなっています。「捏造」という表現は別にして、温暖化予測のモデルにはモデラーの判断が入っているという論点は、大変重要だと思います。高校までの理科の「正解」とか「真実」といった確実さを保証できない部分があることを理解する必要があるのです。

「科学の不確実性」を伝える難しさ

 本書の重要な論点は「科学の不確実性」です。科学者の間では、測定データや理論に不確実性があることは共通の認識です。しかし、科学者以外の人々にそれを伝えるのはなかなか難しい。それは気候科学にとどまらず、科学がもつ本質的性格と言えます。

 研究論文 → 報告書 → サマリー → マスコミ報道という「伝言ゲーム」によって、「科学」が次第に「科学」でなくなっていきます。これは、広い意味で科学コミュニケーションの問題です。

「日本の理科教育では『科学の不確実性』を教えることはほとんどありません」と話す小林傳司さん
「日本の理科教育では『科学の不確実性』を教えることはほとんどありません」と話す小林傳司さん
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 政治家やメディアは、科学者が専門的見地から正しく説明しようとしても、「一言で言うとどういうことですか」と、単純化した答えを求めるため、微妙なニュアンスや「科学の不確実性」が伝わらなくなってしまう。温暖化問題でも、それが起きているのではないでしょうか。

 かつて科学というのは、社会や政治から独立した存在で、科学者は客観的事実(=真実)を社会に伝えるのが役割でした。それに基づいて、社会や政治は意思決定(=判断)するという分業モデルです。しかし、1970年代以降、「科学の領域」と「社会の領域」が接近し、重なる部分が増えてきました。この領域は「科学で問うことはできるが、科学だけでは解決できないもの」であり、「トランス・サイエンス」と言います。

テクノロジーの社会実装が叫ばれる時代になればなるほど、トランス・サイエンスの領域が増えていく
テクノロジーの社会実装が叫ばれる時代になればなるほど、トランス・サイエンスの領域が増えていく
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 生命工学、原子力技術、気候変動予測、AIなど、現代の科学技術の大半が、このトランス・サイエンスの領域にあります。新型コロナウイルスのような感染症についての研究もそうです。この領域にある科学は、社会や政治から少なからぬ影響を受け、かつて社会や政治から独立していた時代の「純粋な科学」でいることが難しくなっています。

気候変動は地震予知に似ている

 気候科学では気候モデルを使って数十年後の地球の平均気温を予測し、それを基にシナリオを描こうとしていますが、これはかつての地震予知を巡る状況に似ていると思います。十数年前まで、地震の予測や予知は極めて難しいのに、その分野の研究者たちは研究予算を獲得し続けようと、「予知は可能」と言ってきました。

 しかし、東京大学のロバート・ゲラー教授(現・東京大学名誉教授)が、「地震の予測・予知は不可能だ。もう予知はやめて、基礎研究に注力しよう」と主張したことがきっかけとなり、地震予知は下火になりました。

 科学者は、研究予算や組織人事などを通じ、「社会」の側からプレッシャーを受けています。国立大学や研究機関が独立法人に移行し、内閣府直轄の大型の研究予算がつくようになるなど、科学技術を取り巻く環境が変わってきました。科学者の地位も以前に比べて不安定化し、社会から注目される成果を出さないと、職の確保や研究の存続すら危うい状況も生まれています。これは、科学界が抱える構造問題です。

どうすればいいのか

 気候変動予測についてはどうすればいいのでしょうか。本書の著者、クーニンは、率直でオープンな議論から始めなくてはならない、と言います。科学者のグループで「レッドチーム(あえて反対の立場で検証する独立組織)」をつくり、IPCCの評価報告書を改めて精査すべきだ、とも提案します。クーニンは本来の「科学」の理念をこう考えているわけです。理学部的な科学理解だと思いますね。

「日本の環境学者に本書のレビューを聞いてみたいです」と話す小林さん
「日本の環境学者に本書のレビューを聞いてみたいです」と話す小林さん
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 70年ごろ、米国では科学技術が社会に与える影響を議論する「テクノロジーアセスメント」の仕組みが議会にできました。欧州ではこの仕組みをひとひねりさせて、市民参加型の「コンセンサス会議」など、様々な手法のテクノロジーアセスメントを開発していきました。

 私は、これを日本に導入してみようと思い、大阪と東京で様々な専門家と一般市民によるコンセンサス会議を開催しました。「日本人は個人主義が確立していないから、こういう問題を議論するのは苦手だろう」という声もありましたが、実際にやってみたら、議論は大いに盛り上がりました。その後、農林水産省主催で遺伝子組み換えをテーマにしたコンセンサス会議を全国規模で参加者を募って開催し、その経緯を『 誰が科学技術について考えるのか――コンセンサス会議という実験 』(名古屋大学出版会)にまとめています。

 気候変動についても、クーニンが提起する論点について、コンセンサス会議のように様々な立場の専門家と市民が集い、自由に議論する場ができたらいい、とは思います。欧州では気候市民会議が盛んに開催されていますし、日本でも北海道大学の三上直之さんが取り組んでいます。

 もっとも、地球温暖化の人間活動主因説が広く浸透し、各国や主要企業がCO₂排出削減に動き出している今、気候変動のそもそもの原因から議論をし直すこと自体、「ポリティカル」と思われてしまう恐れがあり、ハードルは高いかもしれません。

 だからといって、その努力を諦めてしまってはいけないと思います。本書でクーニンが述べているように、「民主主義社会では、有権者が最終的に気候変化への対応方法を決定する。科学者が言っていること(と言っていないこと)を十分知らずに下される決定、悪くするとウソの情報に基づいて下される決定がよい結果につながることはまずない」(本書262ページ)からです。

 多くの人々は、科学が明確な答えを出してくれると期待しています。もし、科学者から「それについてはよく分かっていません」と聞けば、落胆することでしょう。でも、科学には常に不確実性があり、科学者たちはその現実を受け入れ、さらに努力を重ねてきたからこそ、科学は進歩を遂げることができたのです。

取材・文/桜井保幸(日経BOOKプラス編集部) 取材・構成/沖本健二(日経BOOKSユニット第1編集部) 撮影/木村輝

温暖化論議に一石を投じる米10万部超ベストセラー

気候変動に関する科学の情報は、大元の文献から一般に伝わるまでの間にねじ曲がっていき、誇張や噓がまかり通っている――著者のスティーブン・E・クーニンはこう主張します。科学は本当のところ、何をどこまで言っているのか。米国で10万部超のベストセラーになった話題作です。

スティーブン・E・クーニン著/三木俊哉訳/日経BP/2420円(税込み)