職場におけるコミュニケーションの断絶を、才能という観点から鮮やかに斬り、物語にしたベストセラー『天才を殺す凡人 職場の人間関係に悩む、すべての人へ』(日本経済新聞出版)。本書から抜粋する連載1回目は、「天才・秀才・凡人」という3種類の才能について。この3つはそれぞれ「創造性」「再現性」「共感性」という3つの軸で表すことができる。そして「凡人」は多数決の論理によって「天才」を殺してしまいがちである。
人の才能には3種類ある
「まず、そもそもやな。人の才能は3種類ある。君は、自分がどれに近い人間やと思う?」
1.独創的な考えや着眼点を持ち、人々が思いつかないプロセスで物事を進められる人
2.論理的に物事を考え、システムや数字、秩序を大事にし、堅実に物事を進められる人
3.感情やその場の空気を敏感に読み、相手の反応を予測しながら動ける人
「な、なんですか、これは?」
「つべこべ言わず、選ばんかい」
「うーん……三つ目ですかね。空気を読むのは得意だと思います」
「あー、ほなら、君は凡人タイプやな、凡人」
「ぼ、凡人?」
「『共感性』を軸に物事を動かす人間ちゅうことや。ええか。これ(図1)は順番に、創造性、再現性、共感性の三つの才能を表している。それぞれを天才、秀才、凡人と分類しておこう。あんちゃは凡人や」
普通なら、怒るのかもしれない。でも僕は怒る気にならなかった。なぜなら、誰よりも自分自身がまさに凡人であることを痛感していたからだ。
「凡人……ですか」
「んだべ」
「たしかに……この三つなら、正直、僕は凡人かもしれません。でも、だからこそ悩みもあります」
僕は正直な気持ちを伝えた。
「やっぱり……心の底では天才に憧れる自分がいます」
「天才への憧れな、まぁ、気持ちはわからんでもない。でもな、天才って、そんなええもんちゃうで? 天才は変革の途中で凡人、君らに殺されることがあるからな」
「凡人が天才を殺すことがある……??」
「んだ」
凡人が天才を殺す理由
「ええか。たしかに世の中には、天才と呼ばれる人がいる。天才は、この世界を良くも悪くも、前進させることが多い。だどもな、彼らは変革の途中で、殺されることも多い。それは物理的な意味も、精神的な意味も含めてや」
「な、なぜですか?」
「その理由のほとんどは『コミュニケーションの断絶』によるものや。そんで、これは『大企業がイノベーションを起こせない理由』と同じ構造や」
僕の頭の中に????が広がった。
なぜ、僕が天才を殺すのか。そしてなぜ、その理由が、企業がイノベーションを起こせない理由と同じなのか。
「ぜんぜん意味がわからないです」
「ええか、組織には天才が率いる時代がある。だども、その時代が終われば、次は秀才が率いる時代が来る。そのとき、組織は凡人が天才を管理する時代に突入する。そして、天才は死んで『イノベーション』を起こせなくなる。こういう構造なんや(図2)。なして、こういう構造になるか、それを理解すること。これが才能を理解するすべてのスタートや」
天才・秀才・凡人の関係
そう言うと目の前の犬は、三つの箱を描いた(図3)。
「まず重要なのは、この三者の関係なんや。何がわかる?」
「天才から矢印が伸びています」
「んだ。まず、天才は秀才に対して『興味がない』。一方で、凡人に対しては意外にも『理解してほしい』と思っている」
「凡人に理解してほしい?」
僕は上納アンナを思い出した。彼女は「凡人」に理解を求めている、そういうことだろうか?
ハチ公は続ける。
「天才の役割とは、世界を前進させることや。そして、それは『凡人』の協力なしには成り立たん。ほんで『商業的な成功』のほとんどは、大多数を占める凡人が握っていることが多い。さらに言うと、幼少期から天才は凡人によって虐げられ、いじめられてきたケースも多く、『理解されたい』という気持ちが根強く存在しているんや」
まさに、孤独な幼少期を送る天才……だろうか?
たしかに、アインシュタインにせよ、スティーブ・ジョブズにせよ、天才は多くの人から理解されなかった幼少期を送るイメージはある。
「反対に、凡人→天才への気持ちは、冷たいものや。凡人は、成果を出す前の天才を認知できないから、できるだけ排斥しようとする傾向にある。コミュニティの和を乱す異物に見えるんや。この『天才⇄凡人』の間にある、『コミュニケーションの断絶』こそが、天才を殺す要因だべ」
「コミュニケーションの断絶……つまり、話しても伝わらない、と」
「そもそもやけどな、コミュニケーションの断絶は『軸と評価』の二つで起こり得る」
軸……その人が「価値」を判断する上で、前提となるもの。絶対的。
評価……軸に基づいて「Good」や「Bad」を評価すること。相対的。
「たとえば、君が、サッカーを好きだとしよか。友人はサッカーが嫌いだとしよう」
「は、はい」
「二人は喧嘩(けんか)した。このときのコミュニケーションの断絶は『評価』によるものや。具体的には相手の考えに対して『共感できるかどうか』で決まる。『鹿島アントラーズが好きだ』という評価に共感できれば、Goodであり、共感できないとBadやで。わかるか?」
「うーん……なんとなく」
「あかんわ、君。シンプルに、野球が好きか嫌いかそれに共感できるかどうかみたいな話や。これはわかるやろ?」
「あ、なるほど」
「だけどな、この『評価』は変わることがある。たとえば、二人は夜通し語り合い、君は『鹿島アントラーズ』の魅力をパワーポイントを使って説明したとしよう。友人はその話を聞いてとても共感したとしよう。このとき、GoodとBadの『評価』が変わったわけや」
「なるほど。これが、『評価は変わる』ということですね」
「んだ。こうやって『Good or Badという評価』は相対的である一方で、『共感できるかどうかで、決めること』は絶対的なものや。『評価』は対話によって変わることがあるが、『軸』は変わることがない。したがって『軸が異なること』によるコミュニケーションの断絶は、とてつもなく『平行線に近いもの』になる」
そんなこと考えたことがなかった。
ハチ公は続けた。
「そして、天才と秀才と凡人は、この『軸』が根本的に違うんだべ」
多数決は「天才を殺すナイフ」
「天才と秀才と凡人は、軸が違う?」
「んだ。天才は『創造性』という軸で、物事を評価する。対して、秀才は『再現性(≒論理性)』で、凡人は『共感性』で評価する」
「この三つ……さっき言っていた三択と同じですね」
「より具体的に言うと、天才は『世界を良くするという意味で、創造的か』で評価をとる。一方で、凡人は『その人や考えに、共感できるか』で評価をとる。つまり、天才と凡人は『軸』が根本的に異なるんや」
「だから永遠に話が合わない……と」
「んだべ」
「でも、そんなの悲しすぎます。きっと話し合えばわかるはずです」
「甘いわ~。話し合いですべて解決できるなら、なんで戦争はなくならへんねん。なんで学校のいじめはなくならへんねん。話し合えばすべて解決できるなんて大噓や。ちゃうか?」
「うっ……」
「ほんで、本来であればこの『軸』に優劣はない。だが、問題は『人数の差』や。人間の数は、凡人>>>天才。つまり、数百万倍近い差がある。だから、凡人がその気になれば、天才を殺すことはきわめて簡単や。歴史上の人物で、最もわかりやすい例は、イエス・キリストやろな。ビジネスでも同じや」
「ビジネスでも同じ?」
「職場にもおらんか? あまりに才能豊かすぎて、逆に叩(たた)かれて潰される人が」
「たしかに。います」
「そうだべ。ビジネスの世界でもそう。AirbnbやUber、iMac。なんでもそうや、革新的なサービスが最初に生まれたときは、常に『凡人によって殺されそう』になることがほとんどや。当たり前やな、凡人は成果を出す前の天才を理解できないから」
「でも、そんな簡単に天才が死ぬイメージってないんですが……」
「ちゃう。凡人には武器がある。天才を殺すことができるナイフを持っている。そのナイフの名は『多数決』なんや」
「多数決?」
「んだ。多数決こそ、天才を殺すナイフとなる」
僕にとっての天才は上納アンナだった。
彼女は今まさに、多数決によって殺されようとしている。
「そんで、実はこれ、大企業でイノベーションが起きない理由と同じだべ」
世の中には天才と秀才と凡人がいる。凡人は天才を理解できず、排斥する。秀才は天才に憧憬と嫉妬心を持つが、天才は秀才にそもそも関心がない――。職場におけるコミュニケーションの断絶を、才能という観点から鮮やかに斬った話題のベストセラー、いよいよ文庫化。
北野唯我著/日本経済新聞出版/990円(税込み)



