「仕事ができる人がチームリーダーになったのに、チームがうまく機能せず、活気がなくなり成績も右肩下がり…」。あなたの職場では、このような悩みを抱えていませんか? 「リーダーとしてふさわしい人は全体の1割未満。『工程設計力』がない人はリーダーに選ばれるべきではない」と語るのは、法政大学の梅崎教授です。工程設計力とは何でしょうか? そして、よりよい職場環境を作るには? 快適に働ける職場の条件を考えます。
職場で元気が出る「科学の言葉」を探す
前回は、日本的雇用システムの合理性を、小池和男という経済学者が「知的熟練」という概念によって説明しようとしたこと、しかし1990年代後半以降に日本企業の競争力が低下していくにつれて、その説得力も揺らいでいったことを述べた。一方、現在、日本的雇用システムに対する批判の根拠は「日本人は集団主義だ」という、これまで何度も反復されてきた表層的文化論の域を出なかった。
そもそも、知的熟練論が企業で働く一般の読者の心を動かしていたのは、なぜであろうか。その理由の一つは、知的熟練論が科学的な説明として提示されたからだ。ただ、それに加えて、現状を外在的に批判するのではなく、職場の内在的な本質を、目指すべき姿として言語化していたからではないだろうか。
もちろん、西洋を基準に日本社会を批判することが有効な場面もある。しかし、情緒的な言い方を許してもらえば、批判だけでは元気が出てこないのだ。私が探したいのは、科学的分析から離れすぎず、その離れないというギリギリのラインで、職場の本質を肯定的に言い当てることだ。
雑な「日本的」に含まれる、相反する2つの強み
ところで、知的熟練論は、日本の製造業の強みと言われている「KAIZEN(改善活動)」と一緒に語られることが多い。だが、これは間違った混同である。
前回説明したように、職場にはどうしても発生する「変化や異常(非定常状態)」がある。そのような不確実性に素早く対処できる能力が知的熟練であった。言い方を変えれば、知的熟練とは、「もとの定常状態に戻す力」なのだ。
一方、KAIZENとは、いつものやり方(定常状態)を破壊して、新しいやり方(定常状態ver2)に移行することである。例えば、10人で行われていた慣れたチームワークを9人で行うチームワークに変えるKAIZENは、復旧とは異なる破壊(と再構築)なのだ。
職場の効率性とは、そこに「速やかな流れ」があることだ。バスケットボールならば、パス回しがスムーズに行われることだ。敵チームが邪魔をすれば、その流れは崩れるので、復旧しなければならない。ここで求められるのが知的熟練だ。ただ、敵を出し抜くには新しい連携プレーも独創しなければならず、こちらにはKAIZENが必要なのだ。
熟練者にだけ見える「作業と作業の間の連携」
私はこの、「流れを生み出す熟練」を『 日本のキャリア形成と労使関係 調査の労働経済学 』(慶応義塾大学出版会、2021年)で示すことができた。
実は、この研究を発表するまでには長い時間を要した。私は長い間、「工場」が分からないという不全感があった。工場見学をした人ならば分かると思うが、素人には工場作業の「流れ」が掴(つか)めないのだ。例えば、「トラベリング」や「ダブルドリブル」というルールを知らないで、バスケットボールのチームワークを見ているかのようだ。まるで小学生の工場見学のように「大きな機械だな」と思うだけであった。確かに作業は目の前で行われているが、作業と作業の間の連携が分からないのだ。
突破口は、ある機械工場における一人の生産労働者(Aさん)との出会いであった。工場調査の時、私は、応接室に案内されて工場長にインタビューをしていた。細かい質問になると、工場長でも分からないことがある。その時、工場長は「Aさんを呼んできて」と言った。
使い古した作業服を着たAさんは、やや面倒くさそうに見えたが、的確に質問に答えてくれた。そしてAさんの答えは、私の追加質問を生んだ。質疑のラリーが続いた後に、Aさんから、ややぶっきらぼうに「じゃあ、工場を見てみる?」と誘われたのだ。この時、私の目の中にはハートマークが浮かんでいただろう。「この人が何をしているかを知れば、職場のメカニズムが分かる」という予感があった。
技能のバラツキ・変動的な状況に対応した新しい「流れ」
工業高校卒のAさんは、この工場で長く働いて改善活動に取り組んできた、生産のスペシャリストであった。ただその時は、年齢もあって現場の作業自体は後輩に任せていた。
では、Aさんは何をしていたのか。Aさんは、「治具(じぐ)」を作っていたのだ。「治具」とは、加工・組み立てなどの作業の中で、部品や工具の位置を正確に定め、作業をしやすくするための補助具である。彼が工場の端っこで作っていた治具は、工場でも全く目立たない「溶接半自動化の治具」であった。私は、調査記録を次のように書いた。
何のことだか分からないかもしれない。要するに、ハンドルを握るだけで、自動でバーナーの火炎が当たり、一回転すると溶接が終わる「熟練を不要にした治具」なのだ。
このAさんの話を聞いた時、はじめて私は「流れ」を掴んだと思った。彼の治具は、次のような総合的判断によって作られていたからだ。第一に、この工場は、自動車のような大量生産ではないので、各製品の生産量が毎月変動する。だから、だいたいどの程度注文があるのかという生産量の予測を踏まえなければならない。第二に、作業者の溶接技能にはバラツキがある。当時は、熟練工が少なかった。Aさんは、少なくてもこの2つの要因を踏まえて、最適な治具を作っていたのだ。
こんなことは、頭でっかちな大学院卒の技術者にはできない。技術者は、高度な自動化機械を作れるかもしれない。しかし生産量が少なければ、そんなものは過剰設備だ。仮に1カ月に1台の生産ならば治具は必要なく、溶接の熟練工一人が、ちょっと作業すればよいだけなのだ。
私は、巨大な機械の隣の小さな治具を見ながら、「こんな治具は他にもあるのですか」と質問した。Aさんは、今はここにあるものを手掛けているが、以前に使っていた治具は一時的に倉庫に戻してあるという。Aさんは、技術や製品の変化、さらに生産予測と人材の変動に合わせて治具を作り変え続けていたのだ。
さらにAさんは、治具は短期で作り変えているが、10年以上のスパンでは複数の生産用の機械の配置も変更してきたと語った。
作業の短期の流れ、長期の流れを作るAさんの総合的判断力を、私は「工程設計力」と名付けたのである。
工程設計力は「協働共同体を構想する力」
以下に示したのは、知的熟練の整理である。知的熟練論は、思い付きで能力について語っているわけではない。理論概念、作業仮説、観察指標の三層構造になっている科学の分析道具だ。前回説明したように、理論概念としてはナイトの不確実性があり、具体的な観察指標として流れ作業における変化と異常がある。理論概念と観察指標があるからこそ、事実に基づく実証が可能になる。

では、工程設計力の場合はどうか。観察指標は、先ほどから指摘している治具になる。なお、工程設計は他の産業であっても治具以外のもの、例えばシフト表を使えば観察可能だろう。要するに、事前の「段取り」を観察すればよいのだ。
次に、工程を変える力は、どのような理論概念に位置付けられるのか。私は、先述した著書の中では経済学の範疇(はんちゅう)を越える理論概念を語ることに慎重であった。だが、本連載では、もう一歩だけ踏み出してみたい。
まず、段取りとは、要するに「事前に何となくゴールのイメージができていること」である。つまり、先に未来のイメージがある。だからこそ、そこに至るプロセスをうまく設計できるのだ。カレーライスを食べたいと思い浮かんでから、ジャガイモやニンジンを切り始めるのであって、その逆はないのである。
では、その先のイメージ(魅力的なゴール)はどうすれば見つかるのか。やはり非連続的にイメージを構想できるひらめきが必要なのだと思う。ここでは巨人の肩を借りて、イマヌエル・カントが『判断力批判』で述べた「構想力」という言葉を使わせてもらおう※1。

「流れ」を作れる人材を見つけるための2段階の選抜システム
この連載では、分散する職場の中でコミュニケーションが困難になり、協働関係を作り難くなることを繰り返し述べてきた。これらの問題を解決するためにも、工程設計力を持ったリーダーが職場にいることは必須だ。
では、職場において、そのような人材がリーダーに選ばれているのであろうか。
この答えは、残念ながらNOだ。むろん、年功序列のように、年齢だけで選抜を行っているというような非現実的な説明はここでは避ける。日本企業では人事評価も選抜も行われている。だが、その選抜があまりにも遅すぎるのだ。その理由には、知的熟練に代表される能力観が絡んでくる。
知的熟練は、つまるところ9割の社員が身に付けられる能力なのだ。もちろん、個々人の成長速度は違うので、なかなか差をつけない遅い選抜が行われる。つまり、早期選抜をしてしまうと、選ばれなかった多くの人材に対して、知的熟練を獲得させる動機づけに失敗してしまうからだ。
一方、工程設計力はどうだ。私は、工程設計力を身に付けられる人材は、どんなに頑張っても、多くて1割だと認識している。工程をうまく復旧できる9割の人材を育成しつつ、次のステップまで行ける、工程を設計できる1割の人材を選抜する。そのような2段階の選抜システムが日本企業には必要なのだ。
ところが実際のところ、日本企業は人材の選抜に何度も同じ失敗を繰り返してきた。人事が「9割の能力観」に縛られて、「みんながリーダー」という前提を変えなかったからだ。そして、結果的にあまりにも過大になった名ばかりリーダーの重みに耐えかねて、役職(ジョブ)からの引き剥がし施策を突発的に行ってきた。こんな後ろ向きの人事施策に長期的な効果があるはずがない。
もちろん、「1割の能力観」は厳しい現実だ。なかなか前向きになれないのかもしれない。しかし、その能力観は、上から与えられたものではなく、現場で共有された価値観だ。工程設計ができるリーダーは尊敬されているし、されるべきなのだ。
職場メンバーで共有した能力観を肯定して、厳しい選抜にも前向きに向き合うために、「工程設計力」という概念は存在しているのだ。
◆今日のひと言◆
リーダーに選ばれるべきは、「仕事ができる人」ではなく「仕事の流れを作れる人」。
