経常収支は赤字よりも黒字の方が安堵感を抱けるものだ。しかし、2022年や2023年にあれほど激しい円安が発生している中で、経常収支黒字を額面通り評価することは正しいのだろうか。世界的に見れば経常収支黒字大国である日本の円が、なぜ2022年や2023年に大きく下落したのか。『弱い円の正体 仮面の黒字国・日本』(唐鎌大輔著/日経プレミアシリーズ)から抜粋・再構成してお届けする。
日本はいまだ経常黒字大国だが……
現時点では、慢性的な赤字に直面する貿易収支やサービス収支の存在にもかかわらず、日本の経常収支は依然黒字を維持している。例えば歴史的な資源高、円安、そして各種部材の供給制約など多くの緊急事態に見舞われた2022年を例に取っても、経常収支は約+11.4兆円という黒字を記録している。
これは世界的に見れば非常に大きい黒字だ。2022年の経常収支をドル建て換算にした上で国際比較すると、激しい円安によってドル建てで目減りした同年ですら日本の黒字は世界で9番目に大きなものだった。ちなみに2023年になるとさらに大きく日本の経常収支黒字は約+1450億ドルで、世界で3番目である(2024年4月発表のIMF「春季世界経済見通し(World Economic Outlook:WEO)」)。
経常収支が黒字という事実は居住者と非居住者の間で行われた経済取引(金融取引を除く)において、外貨の受け取りの方が支払いよりも大きい状況を意味している。それは当該国の通貨に対する含意としては通貨安よりも通貨高を意味する状況だ。実際、新聞やテレビなどの報道を見ても「経常収支黒字である」という事実を強い安心感と共に報じる向きは多いし、その一点をもって「いずれ円高になる」という主張は2022年や2023年の為替市場でも多く目にした。自戒を込めて言えば、筆者も過去にそう思っていた時代がある。
収支が黒字なのに、なぜ円安が進むのか
確かに、2022年や2023年の日本を振り返ると、歴史的円安に直面するかたわらで、世界有数の経常収支黒字を記録するという「ねじれ」が発生していた。こうした状況を前に「この黒字に何の意味があるのか」という疑義を抱くのは自然である。仮に経常収支黒字が示す通りの円買い圧力が為替市場に存在するならば、ここまで円が下落することは不可思議である。少なくとも需給面に着目した場合、そのような疑問は持ってしかるべきだ。
さらに言えば、金利面に着目した場合、2020年3月に始まったFRB(米連邦準備理事会)の猛烈な利上げ路線は2022年12月以降、顕著に減速した。具体的には1回で0.75%ポイントだった利上げ幅が0.50%ポイント、0.25%ポイントと順次縮小され、2023年には利上げ停止、ひいては翌年(2024年)以降の利下げまで織り込まれる局面に入っていた。こうしてFRBの金融政策がタカ派からハト派に切り替わるタイミングで、円安から円高に切り替わりやすいというのが円の歴史でもあった。
だが、2022年から2023年にかけてはそうならなかったし、2023年から2024年にかけてもそうならなかった。FRBがハト派方向へ旋回しようという時期に円安が加速するという現象は歴史的にも意外感を覚える展開である。
こうして見ると、需給・金利両面に照らして、円高方向へ振れても不思議ではなかったのが2023年だった。事実、2022年末時点で「2023年は円高の年」と考えるのが定石だったことからもその事実はうかがい知れる。また、2023年の新聞報道などに目をやっても、経常収支黒字の拡大を取り上げる向きが目立ち、例えば2023年11月9日付の日本経済新聞は「経常黒字3倍の12.7兆円 4〜9月、年度半期ベースで最大」と題し、黒字幅の拡大を前向きに報じていた。これに乗じて「経常収支に対する1年前の悲観論はどこへ行ったのか」といったような、前年の悲観論を揶揄するようなコメントも多数目にした。
しかし、2022年同様、2023年も円安は全く止まっていなかったのだから、まずは経常収支黒字の意味に関心を寄せるのが「普通の感覚」ではないだろうか。統計上の黒字だけを見て、軽々に安堵感を覚えるのは危険であり、恐らくその直感はある程度正しいと筆者は思っている。
経常収支は「キャッシュフロー」
経常収支の為替市場への影響を分析しようとした場合、「統計上の数字」ではなく「CFベースの数字」に目を配る必要があると筆者は思っている。もし、経常収支黒字が円ひいては日本経済にとっての安心材料であると主張したいのであれば、それが「CFベースの数字」で見て、どれほどの円買いとなって為替市場に現れているのかも合わせて示す必要があるように思う。FRBがハト派方向に舵(かじ)を切っても、(統計上の)経常収支黒字が積み上がっても、なぜ円安が続いたのか。その疑問に対する一つの回答として筆者が用意したいのがCFベース経常収支という考え方だ。
この考え方に基づいた結論を先に述べてしまうと、2022年の日本は歴史的な外貨流出に直面していたし、2023年も統計上の経常収支黒字拡大がヘッドラインで騒がれながらも、その内実はやはり外貨流出だった。だから円安は収束しなかったのではないか。CFベース経常収支を見ることで気づくことができる日本の対外経済部門の脆弱性もあるのではないか。もちろん、全ては筆者の試算に過ぎないので幅を持って受け止めていただきたいとは思うが、円相場の構造変化を読み解く1つのヒントにはなってくれると思う。
「経常収支黒字≒投資収益」である
具体的に経常収支をどのように読み解けばよいのか。ポイントは第一次所得収支の中身を精査することだ。日本の経常収支黒字の主柱(というよりほぼ全て)は第一次所得収支黒字であり、この中身を探ることが経常収支黒字にまつわるCFを解き明かすことにつながる。
現時点で最新となる2023年を例に取った場合、経常収支黒字(+21兆3810億円)の中身は貿易収支が約▲6兆5009億円の赤字、サービス収支が▲2兆9158億円の赤字であるのに対し、第一次所得収支が約+34兆9240億円の黒字、第二次所得収支が▲4兆1263億円の赤字である。つまるところ、日本の経常収支黒字を考えることは第一次所得収支黒字を考えることに等しい。
その第一次所得収支は投資収益と雇用者報酬から構成されるが、後者はほとんど無視できるほど小さい。2023年を例に取ると、投資収益が+34兆9561億円の黒字であるの対し、雇用者報酬は▲289億円の赤字だ。それゆえ、より大胆に言い換えれば、日本の「経常収支の黒字」を考えることは第一次所得収支黒字を構成する「投資収益の黒字」を考えることに等しいと言える。
こうした傾向は近年に限ったことではない。日本の経常収支は2011年以降、基本的に第一次所得収支によって黒字が維持されている。もはや日本は財を売って外貨を稼ぐという「貿易」ではなく、過去の投資の「あがり」によって外貨を稼ぐという段階に移っている。「国際収支の発展段階説」で言えば「未成熟な債権国」から「成熟した債権国」へと段階の移行が完了している。現時点では、日本が2011年頃を境として「成熟した債権国」へ移行してからもう優に10年が経過している。
戻らぬ投資収益の実情
日本の経常収支黒字の正体が投資収益であることは確認した。CFベース経常収支を考える上では、この投資収益が本当に日本に戻ってくるのかという点が重要だ。言い換えれば、投資収益はどの程度、円買い需要として期待できるのかという話である。
結論から言えば、残念ながら、さほど期待できないというのが筆者の仮説になる。極めて大きな円安が始まった2022年を例にすると(その方が経常収支黒字と円安のコントラストがよく分かるだろう)、2022年のCFベース経常収支は過去最高水準の赤字を記録しており、だからこそあれほどの円安が起きたのではないかと筆者は推測している。
唐鎌大輔著/日本経済新聞出版/1100円(税込み)

